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03rd.02『焦燥』






 右衛兵が建物の内部に入ったので、トイレ男もそれに続く。建物内部では前衛兵が他の衛兵達に横柄な口調でトイレ男に就いて言っており、トイレ男は彼らに軽く会釈した。その間に右衛兵はそんな衛兵達の間を()り抜け、奥に有る階段に足を掛けたのでトイレ男はその後を追う。右衛兵は前衛兵と違いこまめに後ろを振り返って速度を調整してくれるので、置いて行かれる様な事は無かった。二人は二階へ登り、少し廊下を歩いた後或る部屋に入った。


「ここが君が今夜を過ごす事になる部屋だ。ベッドが無くてごめんよ、流石に泊りは想定してないんだ。衛兵専用の仮眠室から毛布だけは持ってくると約束しよう。誓約を立ててもいい……そういえば、君の事は何と呼べば?」


「……………………」


【『トイレの使徒』とでもお呼びください】


「トイレの……使徒? う、うーん、解ったよ」


 右衛兵はトイレ男を苦手には思いつつも彼を突き放そうとはせず、寧ろ心理的な距離を近付けようとしていた。トイレ男はそんな彼の姿勢に深いありがたみを覚えた。そしてそんな自分に既視感も覚えた。


 部屋の造りはシンプルだった。中央に机が有り、それを囲う様に三つの一人用ソファが有る。それ以外の物と言えば壁際に寄せられた棚ぐらいで、如何にも殺風景でこれまた()()()の有る部屋だった。若しかしたら、記憶を失う前の自分はここに縁の有る人物だったのかも知れない。


 既視感に就いて紙に書いて右衛兵に伝えると、彼はうーんと唸りながら、


「残念ながら、僕は君に見憶えは無い。ただ僕もずっとここに居る訳じゃないし、君が見掛けによらず年寄りで、僕がここに配属される前にここを訪れた可能性も有る。取り敢えず、ここに来たのなら記録が残されている筈だから、後で夕食を取りに行く序でに記録を漁ってもらう様頼んでおくよ。何せ夜は皆暇だから」


 と答えた。


「因みに、どれぐらい前かは判る?」


【すみません、判らないです】


「いやいや、謝る必要は無いんだよ。君は悪くな……いや、記憶が無いのが原因なんだから、記憶を失った理由如何によっては君が悪いという事になるのか。まぁ疑わしきは罰せず、君が気にする必要は無い」


 少し考え込みながらも、結局は手を振りながらそう言う。トイレ男はそんな右衛兵の言う事を真に受け、気にしない事にした。


「じゃ、僕は飲み物を持ってくるよ。君はそこに座ってて」


【解りました】


「あー、そういうジェスチャーで意味が伝わる様な事は書かなくていいから。紙の無駄だし、君も面倒でしょ?」


 言われみれば確かにそうだったので、頷いて了解を示した。右衛兵は満足気にニッコリと笑い、退室した。


「……………………」


 トイレ男は指示された通りに一人用ソファの一つに腰を下ろした。トイレを小脇から太腿の上に移動させ、抱き抱える様な姿勢となる。その様は(さなが)ら幼い子供を抱える父親であった。


「……………………」


 ふと、不安を覚えた。


 右衛兵に自己紹介をされた時と同じ様な不安だ。しかし今回はあの時より強くより詳細にその不安を分析できる。この不安の正体は()()だ。この侭ではいけない、早く何かしら行動しなければならない、そんな感じがする。何がいけないのかは判らないが、兎に角心が警鐘を鳴らしている。


 トイレ男はこの不安、否焦燥に就いて右衛兵に相談すべきか否か迷った。こんな訳も判らない個人の感覚であの人を振り回してもいいのだろうか。右衛兵は心優しい人物だ、それはこれまでの短い付き合いからも判る。そんな彼だから、彼だからこそ、トイレ男が相談すれば真摯に対応し、何かしら反応してくれるだろう。彼に態々そんな事をさせていいのだろうか。これで結局何も無かったら、彼は無用の働きをした事になってしまう。


 悩みに悩んだ挙句、トイレ男は相談する事に決めた。彼を振り回す事への躊躇が消えた訳ではない。それ以上に、心の鳴らす警鐘が大きかったのだ。


 という訳でポットと分厚い本を抱えて戻ってきた右衛兵にその事を書いた紙を見せる。


「ふむ……」


 それに目を通した右衛兵は何なら思案気に、


「若しかしたらさっきの既視感と関係有るのかもね。前この場所で酷い目に遭ったとか。そうでなければ記憶を失う前のやり残しが、ほんの僅かだけ頭に残ってたとかかな。取り敢えず、僕にできる事は無いとだけ言っておこう」


 無力でごめんよ、と謝罪する右衛兵。


 首を振って謝罪は要らないと伝えつつ、確かに漠然とした焦燥感だけでは何もできないよなと反省する。せめてこれから起こる何を危惧しての焦燥であるかが判らなければ、行動なんて起こせる筈が無い。


「じゃ、夕食までの間はこれ読んでおこうか」


 右衛兵は脇に抱えていた大判の本を取り出しながらそう言った。


「タイトル読める?」


「……………………(首を横に振る)」


「ははぁ、やっぱ読めないよねぇ。これはお貴族様が使う難しい文字で『世界一〇〇科』と書いてあるんだ」


 読んでみて? と中をパラパラと捲る右衛兵。内容を読んでみると『野菜はどこから来るのか?』『肉は我々と同じ様に動いていた』『貴族は友達ではない』等といった、小さい子供に教え込む様な常識が羅列されていた。


「話し方……単語に文法や文字の事は憶えてるみたいだし、君の中から全部の記憶が抜け落ちたって訳じゃないと思う。ただまぁ、やっぱ抜け落ちた奴の方が多いだろうから、暇な時間を使ってそれを補完しようという訳。嫌ならいいけど」


 成程、理に叶った考えだ。トイレ男としてはいつか記憶が戻ると信じたいが、戻るまでの間必要最低限の常識も無い侭で居るのも怖い。トイレ男はこの本を読む事にした。


「……………………(首を横に振る)」


「お、やる? なら行こうか。先ずこの最初のページは目次と言って、」


【それは判ります】


「あ、そう? なら次の⸺」


 二人は協力して読み進めていった。


 最初の方はトイレ男でも憶えている様な事が大半だったが、後の方に行くに連れてトイレ男の記憶に残っている物は減っていったので、ページが捲られる速度は少しずつ遅くなっていった。


「それでここは……あ」


「?(首を傾げる)」


 或る時、右衛兵が唐突にそう解説を中断したのでトイレ男は首を傾けた。


「そろそろ夕食の時間だ。待ってて、ウチの料理人が腕を振るいに振るった成果を見せてあげるから」


 そう言って、右衛兵は退室した。


 トイレ男は右衛兵が居ない間に少しでも読み勧めようと本に目を落とした。だが、一度集中が途切れてしまった所為か、先程までの様に没頭する様な事はできなかった。それだけでなく例の焦燥も戻ってきた。一体全体何を危惧しているのかがさっぱり判らない焦燥だ。唯そこに在るだけで、トイレ男に何の益も齎さない焦燥⸺トイレ男はそれに、強い苛立ちを覚えた。


「おーい、トイレの使徒くん。悪いがドアを開けてくれないか、両手が塞がっているんだ」


 本も読めず(ただ)(ただ)イライラするだけの時間が暫し。それを過ぎると、扉の外からその様な声が聞こえてきた。トイレ男は立ち上がってドアの下まで歩き、それを開ける。


「ふぅ、ありがとう。そしてお待たせ」


 右衛兵が運んできた食事は一つの主食と複数の副菜で構成されている様だった。


「……………………?(首を傾げる)」


 トイレ男はその内、ヤケに目を引く一つを指差しで首を傾けた。『これ何ですか?』のジェスチャーだ。


 ジェスチャーの意味を正しく受け取った右衛兵は、


「あぁ、これはミートボールだよ」


 そう答えた。

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