07th.24『』
「……………………」
トイレ男は目を覚ました。むくりと上半身を起こす。胸に乗せられていたトイレがベッドから落ちそうになったので慌てて抱えた。
「…………、…………」
ここはどこだ。思い出そうとするが、先に思い浮かんだのは水路に居た女⸺フィリアに与えられた、この世のものとも思えない痛みだった。思わず顔を顰めて、全身をペタペタ触ってもう痛みが無いと確かめた。「…………?」、あれ? 傷が無い。落ちた時の掠り傷やフィリアにやられた刺傷がある筈なのだが見当たらない。「…………」、もしかして、夢だったのだろうか? そして今更ながらに全裸である事に気付いた。
辺りを見回すと、少し離れた所に見覚えのある服が干されていた。トイレ男の服である。股間を掛けられていた布で隠しながらベッドを降り、そこまで歩く。もう一度周りを見て誰も居ない事を確認すると、布を落とした。そして服を外して着る。まだ少し湿っていたが、全裸よりはマシだ。
「……………………」
服も綺麗である。水路であれだけ暴れたのだからかなり汚れていても不思議ではないのだが……いや、所々破けたり穴が空いたりしている。恐らく、汚れは誰かが洗ってくれたのだろう。
「……………………」
誰が? そして、服はともかく体の傷が消えた事はどう説明すればよいのか?
疑問は尽きなかったが、まぁ今はあの地獄から生還できた事を喜ぶ事にする。やったー、どんどんぱふぱふ。
「……………………」
一頻り喜んで、トイレ男は部屋のドアへ目を向けた。
ドアまで歩いて、ノブに手を掛ける。ドアは何の抵抗も無く開いた。鍵は掛かっていない。
「……………………」
これは外に出てもよいという事なのだろうか。一旦ドアを閉め直して考える。
さっきは一応喜んだが、トイレ男を癒し清潔な状態にしたのは実はフィリアだという可能性も無くはない。あの女なら酔狂でそんな事をする事もあろうと確信できる。何故ならフィリアだから。というか、現状トイレ男にはそれ以外の心当たりが無かった。強いて言えば黒女達だが、何の手がかりも無い状態であの場所を特定しフィリアの目を掻い潜ってトイレ男を助け出すのは流石に不可能でないかと思う。フィリアが酔狂を起こした可能性と比べると考えづらい。
そして、ここがまだフィリアの腹の中だとすると、トイレ男は一刻も早く逃げ出さねばならない。確かにフィリアは一度はトイレ男を助けはしたかも知れないが、助けなければならなくなった原因もまたフィリアである(そもそもの原因は優男だろうが、トイレ男を刺し気絶させたのはフィリアだ)。
トイレ男は意志を固めると、もう一度ドアを開いた。左右を確認する。「…………」、誰も居らず、またどちらもすぐに行き止まりで、進める先は向かいにあるドアのみである。「…………」、どうしたものか。
向かいのドアに耳を押し当てて、誰か居ないか探ろうとする。物音は聞こえない。誰も居ないのだろうか? 音が出ないようにドアを少し開けて、隙間から中を覗く。誰も居な……!?
トイレ男はドアを全開にした。そこにあったのは訓練所である。かつてトイレ男が一方的に黒女達と気まずくなった場所である。「…………」、どういう事だ?
トイレ男は暫く考えて、 黒女達がトイレ男を助けたのだと結論付けた。黒女の騙界術をもってすれば、あの怪我を治す事も可能であろう。「…………」、最初に捨てた可能性を後から結論にする事になったトイレ男は少ししょんぼりした。
だがそうすると不自然な点が残る。何故ここには誰も居ないのか? 一人も傍に居ないのは悲しいを通り越して不自然である。黒女達はそこまで薄情ではないし、トイレ男もそこまでされる覚えはない。たまたま席を外しているだけにしても、既にトイレ男が目覚めてかなり時間が経っているのだ。戻ってきてもいい頃合である。
「……………………」
また考えて、トイレ男は一つの最悪な想像をした。
即ち、黒女達がここに居ないのは『フィリアの報復に遭ったから』。
「!!」
そう思ったら居ても立っても居られなくなって、トイレ男は出口である階段に急いだ。転ばないための注意すら疎かにして上り詰め、ダミーの小屋から外に出る。一瞬迷ったが、すぐに館への道を思い出して走り出した。壷売り残党の事件の後に家から館、館から地下、地下から館への道は全て覚えていた。
息を切らしながら、館へ続く最後の角を曲がる。
「…………!!」
館は最後に見た時から一転、酷い有様だった。
玄関前の広場には至る所に血飛沫が飛んでおり、所々血溜まりもある。館そのものは窓が乱暴に割られているぐらいだが、開け放たれた扉に数本のナイフが突き刺さっていて、トイレ男の足を竦ませる。
「……………………」
トイレ男はここで起こった事を想像しながら扉まで歩いた。扉の前で一度足を止めたが、すぐに踏み出して、中に入った。
「……………………」
一階廊下は血が点々と滴った跡があった。
「……………………」
奥にある階段まで歩いて二階に来た。
「……………………」
外や一階とは打って変わって、二階は血が見えなかった。一旦スルーして、三階に登る。
「……………………」
三階では、突き当たりの茶男の部屋までを結ぶ廊下に、一階と同じように血が落ちていた。扉の前には一際大きな血溜まりがある。
「……………………」
トイレ男はドアまで歩いた。中に何があるか、考えたくもなかった。ドアを開けようとする手が震えて、力がまともに入らない。
「……………………」
トイレ男はノブを握ったが、回せなかった。一旦トイレを床に置いて、もう片方の手で無理矢理に回した。スライドさせる。
「……………………」
部屋は明るかった。机の上に置かれた大きなランプのせいだ。
壁際には黒い服を着た奴らが居た。否、『居た』という表現は不適切だ。彼らは死んでいる。松明に掛けられたロープに首を吊っているし、服に刺されたり斬られたりした時の血痕がある。恐らく、戦闘で死んだ彼らを、誰かがああやって飾ったのだ。
床に目を落とすと、赤い塗料で何かが描かれていた。それが何かわからず一瞬眉を顰めるトイレ男だったが、すぐに理解して顔を顰めた。貴族が好きな難しい文字で『愛』と書かれているのだ。その文字が、部屋の床全体を埋め尽くしていた。塗料に使われたのが何なのか、それは考えないでもわかった。上を見ると、今度はトイレ男が普段使う文字の『愛』が天井を覆っていた。やはり赤い文字だった。
トイレ男は、最後に机の上⸺ランプの奥を見た。
そこにあったのは五つの死体だった。普段茶男が座っている椅子がテーブルの上に上げられており、まずそこに一つ。その膝の上に一つ。両サイドに、それにしなだれかかるように二つ。背後に、それの首に腕を回す一つ。
茶男の膝の上に黒女が乗っていて、その両脇から黒男と小黒男が茶男に甘えていて、後ろから大黒男が抱きついている。全員、目を開かれていて、口は笑っている。例外なく胸から出血した跡があって、目からは赤い道が下に続いていた。
「
」
⸺頭を、打つけた。




