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07th.21『愛と死』






 フィリアは、悶え叫ぶトイレ男をうっとりと眺めていた。


 脳がズタズタになるほどの痛みを味わいながらも、脳をズタズタにする事は許されず、ただ脳がズタズタになるほどの痛みを味わう彼。ナイフはとうの昔に抜け落ちていて、それを黒い影が何度もトイレ男の体に突き刺していた。今の彼は何をどれだけやっても死なないのだ。痛みこそを至上とする気分のフィリアは、更なる痛みを与えるためにこれをやらせていた。


 フィリアの周囲には、黒い服で体をすっぽりと覆った人間が多数侍っていた。


「はぁ、ふぅ」


 恍惚とした表情を浮かべ、腰を艶めかしくくねらせ始めるフィリア。


 そこに、カツカツと足音を鳴らしながら、一人の男が近付いてきた。


「……またやってるのか」


 酷くげっそりとした男でった。


 ボロボロの服の上からでも、その体つきが貧相を極めている事は見て取れた。足取りはどこかふらふらとしていて、腕はだらんとぶら下げられている。顔もその肉体から想像される酷く肉の削げ落ちたものだが、何故か眼だけには生気を思わせる光が灯っていた。


「あら、デッド」


 男⸺デッドに気が付いたフィリアは、しかしそれ以上の反応を見せず、トイレ男から目を離さないでいた。


 デッドはそれが気に食わなかったのか、ふんと鼻を鳴らし、


「そうだよ、デッドだよ。折角来てやったんだから顔の一つでも向けたらどうだ」


「ごめんなさいね、今お取り込み中なの」


「普通は性欲よりも客人を優先するものだ」


「ならまた貴方を優先できる時に来て頂戴」


「……………………」


 話が通じない。ああ言えばこう言う。デッドは不機嫌になって表情を歪ませた。


 そして近くに居た影の一人の方を向いたかと思えば、


「おい、どうにかしろ」


 と要求した。しかし影は、


「……我々は……フィリア様の……忠実なる……使徒……いくら……デッド様と……言えど……その……命令には……従えません……」


 といつも通りの答えを返すのみ。それにデッドはますます激昂する。


「そうか、お前は僕のたったこれだけの、死人のささやかな願いすら聞けないと言うんだな。そんな器の小さな奴が生者を名乗る資格は無い、死ね。我が論を(エウ)⸺」


 聴け、世界(レカ)、と言い終える前に。


 フィリアの投げたナイフがデッドの脇腹に刺さっていた。


「……そうか、漸く僕の相手をする気分になったか」


 しかしデッドはそれに怒るどころか寧ろ喜ぶかのようにナイフを抜き、その辺に投げ捨てた。


「いくら貴方といえど、私の大事な下僕を傷付ける事は許さないわよ。何回か言ってると思うけど」


「そうかい。なら次から、君を訪ねた時はこの使徒達を一人ずつ殺していく事にするよ」


「やめなさい」


「なら僕を見ろ。何よりも僕を優先しろ。そうすれば誰も殺しはしない」


 フィリアは先程までと表情を一変させ、鋭い目でデッドを貫いていた。それが面白いのか、ますます口で描く弧を鋭くするデッド。


 気が付けば影達はナイフを構えデッドを取り囲んでいた。


「残念ながら、それはできないわね……だから、ここで消えなさい、デッド」


「死人を殺せるものならやってみろ、フィリア」


 影達が一斉にデッドに飛びかかった。それぞれが各々のナイフを振りかぶっている。


我が論を聴け、世界(エウレカ)⸺」


 一〇を優に超える数のナイフがデッドの体に突き刺さる。傷口から血が吹き出し、返り血として影達の服にかかる。


 しかしデッドはそれをものともせずに言葉を続け、


「我死せり。如何にかこの者達死せざらんや?」


「セッちゃん!!」


 デッドが言い終わるか言い終わらないかで、フィリアが呼びかけた。


 果たして、デッドの騙界術は失敗に終わる。


「チッ」


 舌を打てば、ナイフから手を離した影達がデッドの体を押さえ込みにかかる。


我が論を聴け、世界(エウレカ)


 デッドはなすがままにされ地に顔を付けられた。


「口を塞いで!」


「我死せり、生者死者に触るるは即ち禁忌なり。如何にかこの者達我に触るる(あた)うや?」


 フィリアの言葉を影達が実行する前に、影達は吹っ飛んだ。これで影達は暫くデッドに触る事はできない。


「然れど愛は人に非ず。如何にか愛我に触るるべからざるや?」


 そこまで言って、デッドは自慢げにフィリアの方を見た。


「これで僕には君以外は触れない。そうだろう?」


「っ、セッちゃん」


 フィリアは呼びかけるも、何も変わらない。今回はデッドの方が正しいという事だ。


「これで僕と話す気になったろう?」


「……えぇ、そうね、少し」


 デッドは勝ち誇ったかのようにニヤニヤと笑う。大変気持ちが悪い。


「で? 何を話したいの?」


「そうだなぁ……ぁっ!?」


 元々用事らしい用事は無かったのか、今になって顎に手を当てて考えるデッドだったが、そこに何か大きなものがぶつかってきてよろめいた。


「くっ、何だよこれっ」


 乱雑にどけて見れば、それは影の一人⸺の死体だった。胸からは血をドクドクと流している。


 フィリアはジェスチャーか何かで、影に一人を殺してデッドに攻撃するよう命令したのだ。


「僕を排除するのに愛する者を殺す事も躊躇わないのか、よくそれで愛を名乗れるな!!」


 完璧だと思った策を突破された事が癪に触ったのか、死体をドシドシと踏み付けつつ怒鳴るデッド。


「えぇ」


 フィリアはその言葉を肯定した。


「私は彼を愛していたし、彼も私を愛していたの。だからこれぐらい当然だわ」


「し、死んでいるんだぞ!!」


「私達の愛に命の有無は関係無いの。私達の愛の深さを、重さを見くびらないで」


 次々と、デッドに向かって死体が投げられる。


「やめろ! 重い!! 我が論を聴け、(エウレ)むっ」


 死体に潰されて身動きの取れないデッドにフィリアが歩み寄り、手でその口を塞いだ。


「セッちゃん、この人は悪い人だから、もうこの人の言う事を聴いちゃダメよ」


 そう言い付けてから、手を離す。


「ぷはぁ、貴様っ、僕に逆らったらどうなるとっ」


「あら、逆に聞くけど、どうできるの? 今の世界は貴方の言う事を聴かないのに」


「ッッフィリアああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」


 デッドは叫ぶが、それで何かが変わる訳でもない。


 死体の上に生きた影が飛び乗って、間接的にデッドを押さえ付ける。これでデッドは死体の山から抜け出す事ができない。体の弱いデッドに物理的にどうこうする力がある訳もなく、これで決着が付いた。


 フィリアは立ち上がって、


「放置しちゃってごめんなさいね、もう一度お話しましょう」


 トイレ男の方に歩み寄ったかと思えば、彼に手を差し伸べた。




     ◊◊◊




 ⸺⸺⸺⸺ぁ。


 思考を取り戻す。痛みが部分的に退けられ、脳は思考のスペースを取り戻す。


 果たして喚いている間に何があったのか、鼻は濃厚な血の匂いを捉えた。これは自分の血だろうか。それとも他の⸺


「気分はよくなった?」


 正気を疑う発言が聞こえて、トイレ男は何言ってんだコイツと思った。そしてすぐにフィリアの声であると思い出し、アイツなら仕方無いかと思った。


「実は少し気分が変わってね。貴方を痛みから解放してあげる」


 …………!?


 突然何を言い出すんだと思えば、本当に痛みが無くなったのであった。


「……………………」


 もう声も出ない。五感は正常に動いている。眼には水路の天井が映り、鼻にはお馴染みの悪臭と血の匂いが、耳には誰か男の喚く声が、舌には口に入った水の味が、皮膚には濡れた服の張り付く感触が感じられた。


「こっちに来て?」


 フィリアの言う事に従わない方がいいとは思った。


 だが、逆らえばまた先程の地獄に落とされると思うとあまりにも恐ろしくてそうする気持ちにはなれず、床を這い摺って移動した。


「あれを見て」


 フィリアの指差す方に頭を向けた。


 ⸺瞬間、後悔した。


 まず認識したのは『赤い川の流れる黒い山』だ。そしてすぐに、それが山ではなく人が積み重なったものであるとわかる。一番下に居るのは酷く痩せこけた男で、何か言葉を喚き散らしている。その上に載っているのは⸺死体だ。黒い服を着た人物が、仰向けになって男の上に載っている。フードが捲れて顔が見えており、白目を向き舌をだらんとさせた死相が丸見えだった。それが複数、重なっている。一番上に居るのは生きた人のようだが、それでも死体で男を封じているという事実は変わらない。血の匂いは、死体の胸から流れる血から漂っているようだった。


「ッッ!!」


 吐いた。胃の中の物が逆流した。


「どう? これが私達の愛の証」


 フィリアの言葉は咀嚼する気にもなれないぐらいおぞましかった。


「私達は協力して、あの忌まわしい男を封じ込めたの。素晴らしい愛の力ね」


「何が愛の力だぁ! こんな、人を殺めてっ……」


 男の叫びはフィリアには届かず、またトイレ男にも意識されなかった。


「どう? 貴方もあの中に加わってみない? そうして愛の力を実感したら、貴方も私の愛を受ける気分になると思うの」


 気持ち悪い。吐き気がする。吐けないのはもう胃が空っぽだから。


 上に載っていた一人がそこから降りて、トイレ男の方に歩み寄った。そしてその手のナイフを掲げる。


「やっちゃって」


 フィリアが言う。


 ⸺刹那、感じたのは浮遊感だった。

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