07th.12『黒い影と少女』
「…………、!」
水路を走っていたやさぐれ女は一旦足を止め、耳に意識を集中する。何か音がした気がしたからだ。そしてそれはアタリであり、誰かが走るような音が耳に届いていた。それも、大きさ的にここからかなり近い位置で。
やさぐれ女はその方向へ駆けた。そして十字路に差し掛かった時、
「はァ、はァ、」
と酷く疲れた様子で走る子供と、それを甚振るかのようにゆっくりと追う二人の大人が目の前を通り過ぎた。
「……………………」
どうやら足音の主はトイレ男ではなく彼らだったらしい。
子供が大人に襲われるのは路地裏ではよく見る光景だ。知らない子供だし、別に助ける必要も無い。譬えあれがどっかの要人の子供だったとしても、やさぐれ男が見殺しにしたという事はバレまい。やさぐれ女=やさぐれ男であるという事を知るのは組織のメンバーだけなのだから、やさぐれ女の顔を捨てればいいだけだ。また仮釈放或いは義務貢献処分として上手い具合に衛兵の下に入り込むのは骨が折れるが、トイレ男を探す方が優先だ。
そう思ったやさぐれ女であったが、ふと違和感に気付いた。
子供を追っていた二人の大人だが、彼らからは足音がしなかった。勿論足音を出さない方法というのは幾つか存在する。気になったのは足音の無い理由ではなく、足音を出さない理由の方だ。
『追っている』という行動だけを見れば、足音を消す事には標的に自分達の位置がバレないようにするという利点がある。だが、彼らはもう子供から二、三歩も無いような場所まで来ていたのだ。足音が無くてもそこまでの至近距離であれば気配でわかるので、その利点は消える。彼らが子供を甚振っているかのように追っている事から足音を消す事で子供を不気味がらせようとしているのではという予測もできるが、今一つピンと来ない。追うついでに練習……というには練度が高い。
「……………………」
気になって、子供と影が消えた方向を見た。
直後に、黒い影に顔面を殴られた。
↗↗↗
「ッ!!」
やさぐれ女が全力でバックステップをすると、先程まで彼女が居た所を黒い拳が通り抜けた。
「……………………」
冷や汗が落ちる。殴られてからの記憶が無いという事は、あの一撃で死んだか、意識を落とされた後目醒める前に殺されたという事だ。
「……………………」
拳を空振った暗い影は、攻撃の失敗を悔しがる事もなく次なる打撃をやさぐれ女に浴びせんと殴りかかってくる。
やさぐれ女はランプをその辺に投げ、今度は横にヒラリと舞ってそれを避ける。しかし黒い影はそれを予想していたかのように勢いの向きを変えまたも拳を向けてくる。
(何だコイツ?)
それを屈んで回避しながら思う。
移動中も全く足音がしない。最初の奇襲ならともかく、それ以降については足音を消す事は無駄に集中を乱す事にしかならない。なのに影は足音を出さない。縛りプレイだろうか?
やさぐれ女は影の拳が頭上を通り抜けた直後に腰を上げ、影の顎に向かって拳を突き出す。影は避けようと上を向いて顎を上げたが、やさぐれ女の拳は喉に直撃し却って本来よりも痛い攻撃になってしまった。後ろに引っ繰り返る影。
(戦闘の技術は無い、力だけ)
そう判断したやさぐれ女は袖からナイフを取り出し影に向けつつ、もう一つの影を探す。それはすぐに見付かった。意識が無いのかぐったりとしている子供を抱え呆然とこちらを見ている。やさぐれ女が片割れを倒したのが意外らしい。
先に倒した方の影1が起き上がろうとしていたので足をナイフで斬り付けつつ、呆然としている方の影2に問う。
「貴方達、一体何なんですの? 急に襲ってきたりして」
痛みに慣れていないのか、悶える影1の隙を付いて腱を切った。これで影1は戦闘不能と言っても過言ではない。
とはいえ得体の知れない奴らがらどのような隠し玉を持っているかなんて知れないので、移動して影1と2を同時に視界に入れられるかつ影1が復活しても挟み撃ちにされないような位置に移動した。
「……………………」
影2は答えずに、ただ子供をその場に落として、ジリジリとこちらに寄ってこようとする。
「……………………」
やさぐれ女は後ろに下がって影2の動きを見てみる事にする。
すると影2は素早く影1の下に寄ったかと思うと、彼を掴んで引き摺りながら下がる。そして十字路まで戻ると、角を曲がってどこかへ消えた。
「……………………」
帰った……のだろうか?
とはいえ安心はできない。仲間を連れて復讐しに来るかも知れない。敵の正確な狙いが不明な以上、次にどう来るか予想する事は難しい。
「……………………」
水路に落ちたままの子供を見た。
影2も子供が窒息死しては困るのか、子供は鼻と口が上を向くように落とされていた。とはいえボサボサの髪とボロボロの服はビショビショだし、顔も酷く汚れている。辛うじて、その子が女の子だとわかるぐらいだ。「…………」、孤児だろうか?
普通に考えて、最もいいのは彼女を置いていく事だ。見た目からして要人に縁がある子供という線は消せるし、あんな得体の知れない不気味な奴に狙われる子供なんて助けるメリットも無い。また奴らが襲ってきた時に人質程度にはなるだろうが、それだけだ。そしてやさぐれ女は人質を必要としない。
そういう訳で、やさぐれ女は子供を置いたまま、ナイフを戻してトイレ男探しに戻る事にした。
が。
「……ん、んん…………」
子供がそう唸ったので思わず振り返ってしまった。見れば、丁度起き上がろうとする所である。
「?」
彼女はキョトンとした顔で辺りを見回し、やさぐれ女を見付けた。
「おじさん、誰?」
「……………………」
今はやさぐれ男ではなくやさぐれ女である。
「おじさんじゃありませんわよ、おばさんですよ」
「??? おじさんなのに、おばさんみたいな見た目だし、おばさんの声がする????」
「……………………」
どうやら彼女はやさぐれ男の女装を見破ったらしい。
仕方ないと溜息を付き、やさぐれ女改めやさぐれ男は「そうだよ俺はおじさんだよ」と言った。
「やっぱり、おじさんで合ってた。おじさんはなんでおばさんの格好なんてしてるの?」
「……色々あるんだよ」
「色々って?」
「……大人の事情って奴だ」
大人だけが使える便利な言い訳を使うと、少女は気に入らないのかぶーと頬を膨らせた。
やさぐれ男は奴らの情報が得られるかも知れないと思い、少女の下まで歩き屈んで視線を合わせた。質問タイムだ。
「あの黒い影……足音のしない人達は何だ?」
「……教えない」
「何でだ」
「子供の事情って奴」
「……………………」
小賢しい子供である。
「それよりも、あの人達はおじさんがやっつけてくれたの?」
「……まぁ、そうだ」
「どうして?」
「……俺も襲われたからだよ」
後でまた『子供の事情』を使われてら堪らないので正直に答えた。
「ふぅん……ありがと。おじさんって強いんだね」
「別に強かねぇよ。アイツらが弱かっただけだ」
やさぐれ男は同年代の一般的な男性に比べれば格闘ができるが、それだけだ。それ以外はちょっとしたズルができる程度の普通のおっさんだ。
「うそー」
そう言って少女は立ち上がったかと思えば、やさぐれ男の袖を掴んだ。
「……何だ?」
「私を助けて」
「何もできねぇおっさんだぞ」
「あの変な人達を倒すぐらいはできるでしょ」
「……………………」
否定せずに居ると、少女はもう離さないと言わんばかりに袖を握る力を強くした。
「あの変な人達の事も教えるから」
「……………………」
その手が震えていれば、流石に見捨てるのは心苦しかった。
やさぐれ男は溜息を吐いて、「俺がほんとはおじさんって事は誰にも言うなよ」とだけ言っておいた。




