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07th.05『微妙な気持ち』






「……………………」


「何よ完全に存在を忘れていた相手に話しかけられたみたいな顔して」


 みたいなもなにも完全にその通りである。優男の衝撃が大き過ぎて黒女とそれに纏わる記憶は全て脳内の気が付かない所に追いやられていた。


 ……否、『追いやっていた』というのがよいのだろう。


 気が付けば嫌悪すべき存在と馴れ合っていた⸺それ程までに気味が悪く、忘れてしまいたい事は無い。


「……………………」


「どうしたの? 早く昨日はどこに居たのか言いなさい」


 思えば、優男に襲われた事はともかく、時間が戻った事自体はいい事なのかも知れない。突然相手から逃げ出した事による気不味さは、相手にその記憶が無いという事により緩和される。「…………」、それでも一方的な気不味さは消える訳ではない。


「……………………」


「……ツァーヴァス」


 巨女が頭を寄せてきて名前を耳打ちされた事で、トイレ男は衝撃の世界から戻ってきた。無意識に、トイレを抱く力を上げる。


「あ、アンタ」


 黒女はそれで漸く巨女の存在に気付いたようで、彼女の方を見てそう漏らした。


「……一応マエンダ氏から君達の処遇は聞いている。すぐにとっ捕まえてやりたい所だが……」


「はぁ? アンタなんかに捕まる訳無いし、もし譬え万が一億が一があったとしてもすぐ逃げ出してやるわ」


「……………………」


 巨女の苦虫を噛み潰したような顔から吐かれる言葉に、無意識下で煽りを返す黒女。「…………」、この二人は相性が悪そうだなぁ、と思うトイレ男であった。


「で、どうする?」


「……………………」


 どうするも何も、どうしようもない。


 黒女は組織から付けられた監視役である。一晩彼女の監視から離れた事は茶男にも伝わっている筈で、彼がトイレ男はどういう意図で監視を逃れたのかを思うかは明らかだった。


「……………………」


 後で顔を出しといた方がいい。昼休み辺りにでも行こう。トイレ男はそう結論付けた。


「何よ二人とも、さっきから顔が近く……あ、キャッヤダお二人さんそういう事なの!?!?」


 巨女が思案するトイレ男に顔を寄せている様子を暫く見させられていた黒女が、何を勘違いしたのか紅く染まった頬に掌を当て、イヤンイヤンと腰をくねり始める。


「…………?」


「何なんだ?」


 それを見た二人は、彼女の妄想する所がわからずに顔を見合わせるのであった。


 そこへ。


「あれ、アーニちゃん。てっきり今日は来ないもんだと思ってたよ」


「へー、これが母さんの言ってたアーニちゃんかぁ。かわいー」


 娘を引き連れた店主が戻ってきた。


「何よアンタ、初対面の癖して馴れ馴れしいわね」


「あ、私はマリス。マリス・マリア・ターコスです。宜しくね」


 娘の方は黒女の方に意識を奪われたらしく、屈んで視線を彼女に合わせつつ自己紹介を始めた。


「……でツァーヴァスくん、その人は?」


「リーフィア・モーヴ・エーだ。ここまでツァーヴァスを送ってきた」


「そうなのかい……狙われてるって話、本当なの?」


「本当だ」


「…………、ありがとうね」


 先程までは見えなかった人物に誰何する店主。相手の素性を知り、ついでにトイレ男以外からも信じがたい情報を肯定され、やや肩を落としつつも感謝の言葉を述べておいた。


「私はマリア・リーネ・キート、ツァーヴァスくんの雇い主だよ」


「わかった、覚えておく。それでは、私も仕事に行ってくる。そうだな、夕方ぐらいには迎えに来れると思うから待っていてくれ」


「……………………(頭を下げる)」


 トイレ男が感謝の意を示すと、巨女は満足そうにして去っていった。


「ねぇ、迎えに来るって何? やっぱり二人ってそういう?」


「え、ほんと!? あのツァーヴァスさんに彼女が!?!?」


 姦しく騒ぐ二人をスルーし、トイレ男は今度は店主の方を向いた。


【ありがとうございます】


「私にも礼をするだけでいいんだよ。じゃあマリス、ツァーヴァスくんを頼んだよ。私は少し出てくる」


「はーい」


 店主も去り、後にはトイレ男と店主の娘、そして黒女だけが残った。


「早くアーニちゃんのエプロン姿見たいなー♡ ほら、ツァーヴァスさんも裏行こ?」


「……………………(頷く)」


 ワクワクを抑えられない様子で黒女の背中を押す娘と一緒にバックヤードに入る。無邪気で居るように見えてトイレ男が視界から外れないような位置取りをする彼女は有能だった。


「……にしても、変わりましたねぇ、ツァーヴァスさん。母から話だけは聞いてたんですけど、いざ目にすると、こう、何か……」


【気持ち悪いならそう言ってもいいよ】


「書くスピード速いですね!」


「……………………」


 気を使ったつもりが気を使わせてしまった。彼女との間ではこれが頻繁に起こる。


 トイレ男は一旦トイレを床に置き、ロッカーを開けてエプロンと木の板を着用すると再び抱え上げた。この間、僅か数瞬である。


 一方店主の娘は、自分が着る前に黒女にエプロンを着せていた。


「自分でできるのに……」


「大人アピールするアーニちゃんかわいー♡」


「……………………」


 可愛いか?


 しかしトイレ男は、こういう場合頭脳の差関係無しに男女の間に深い溝がある事を知っている。なので突っ込まない。


「……はぁ……」


 黒女は店主の娘のしつこさに既に疲れてきているようであった。


 黒女を着替えさせ終えた店主の娘はその後も「かわいー! 死にそう!!」「眼球に焼き付けていつでも見れるようにしたい」「私の娘になってアーニちゃん!!」などと騒がしくし、漸くエプロンを着たと思ったら既に開店時間間近であった。慌てて表に出て『営業中』の看板を立てる。トイレ男はレジに立ち、女子二人は売り場に出た。


「……………………」


 トイレ男は足元にトイレを置いて、よしと頷いた。


 それからはいつもと変わらない……否、いつもよりかは楽な仕事の時間だった。トイレ男は商品とお金を交換するだけでよく、その他の接客は全て黒女か店主の娘がやってくれる。楽だ。レジから離れないでいいので、カバンが無くてもトイレから離れなくていいという点が特にいい。いつもより客が入ってから出るまでの間が短いので、いつもより若干ながら人気が少なかった。


 そうして出来た、客が殆ど居ない暇な時間。店主の娘がトイレ男の隣にやってきた。


「あの、一応訊くんですけど……誰に狙われてるか、っていうのは……」


【言えない】


「ですよねー」


 言わないのは別に秘密主義ではなく、彼女の身を案じてだ。これまで必死こいてその本性を隠していた優男が、それを第三者に知られたと知ったらどうするか⸺それは想像にかたくないだろう。


「そんな危険人物なら、学校で皆に広めておこうと思ったんですけど」


「……………………」


 いや、知られたのが個人に対してならともかく、大勢に対してなら問題なんじゃないか? 大勢を始末するのは幾ら優男と言えど簡単ではない筈だ。


 トイレ男は少し考えて、首を振った。別に風貌以上を教える理由も無いのだ。万が一優男が暴挙に出ないとも限らない以上、必要の無い危険を冒す必要は無い。


 でも顔は知っていてもらった方がいいので似顔絵を書いて見せる。


「お絵描き上手なんですねー。でもこんな優しそうなイケメンが同性をストーカーとか……やっぱ人は見かけによらない」


「……………………」


 ストーカー。


 まぁ、間違ってはない。


 トイレ男はこの話題をこれ以上掘り下げられないように話題を変えた。


【急に来てもらってごめんね】


「いやいや、別にいいんですよ。暫くツァーヴァスさんと会えてなかったし、今日は学校も休みだし、何よりアーニちゃんに会えたし」


 客に精一杯果物の値段を伝える黒女を見てまたも「かわいー!!!!」と小声で叫ぶ店主の娘。黒女がしっかり計算を間違えたので、店主の娘はフォローにトイレ男の隣を離れた。


「……………………」


 黒女の隣に屈む店主の娘を見て、思う。


 彼女に黒女の本性を、黒女は安易に人を殺せる人物であるであるという事を伝えるべきか。


 それは不可能だ。"約束"がある。店主の娘に黒女の素性を伝える事は、遠回しにもできない。やってしまえば、一〇〇〇本の針を飲まされて一万発殴られてしまう。


 でも、あんなにも黒女を可愛がる店主の娘が、後から彼女の正体を知った時に受けるダメージと比べたら、そんなの小さいものではないか。


「……………………」


 トイレ男は頭を振ってそんな馬鹿げた考えを追い出し、計算がちゃんとできて店主の娘とハイタッチする黒女を視界に入れないようにしながら、商品を持ってきた客の会計をした。

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