07th.03『対策』
「……! !! !!!!」
「? どうし……まさか記憶が戻ったのか!?」
「!! !!!!(何度も頷く)」
記憶が戻った事を伝えようにもどうやら紙とペンを詰所に忘れてきてしまっていたようなので、全身で渾身の『記憶が戻った』ジェスチャーをする。最初は何じゃそりゃと首を傾げた巨女であったが、すぐにトイレ男の言わんとする事に気付き慌てて紙とペンを探した。
漸く見付けたグシャグシャの紙とインクがほとんど無いペンをトイレ男に手渡す。
【僕を襲ったのはアイレックスさんです】
握ったペンの軽さでインク残量を察したトイレ男はそう簡潔に書いた。
「アイレックスが……? 何故??」
巨女は思い当たる節が無いというように首を傾げた。
トイレ男は参った。彼の動機⸺あの途轍も無く重い感情はこの量のインクで書けるものではない。いや感情そのものを書く必要は無いが、ちょっとした一文を書けるかどうかすら怪しい程度のインクでは足りない。
トイレ男は少しの逡巡の挙句、
【インクが足りません】
「あ? あ、あぁ、探してくる」
最後の文字が少し掠れたが、何とか書けた。
巨女が奥の寝室に入り、幾ばくかの時を経てから戻ってくる。その手にはインク壷があった。
トイレ男はその壷を受け取り、キャップを取ったペンを壷の上部に付いた突起に挿し込む。そして回してペンと壷の上下を入れ替えた。壷の中のインクがペンに注がれる。ある程度入ったと思った所で九〇度傾けて水平にした。そして一気に⸺折る。壷に付いていた突起が取れて、ペンと壷は別れた。壷を机に置いて、ペンに挿さったままの突起を抜き壷に付ける。最後にペンにキャップを戻せばインク補充は完了だ。
ずっしりと重く……そんなに変わってないが、それでも多少重くなったペンで以て、トイレ男は書く。
【アイレックスさんはどうやら貴方に並々ならぬ感情を抱いているようで】
「……………………」
【前回、僕は貴方に夕食に誘われてたんですけど、それを快く思わなかったみたいで】
「…………成程、理解した。アイツ、何回か突っ撥ねたからもうとっくに諦めたと思ってたんだが……」
どうやら巨女には心当たりがあるらしい。
「アイツについて話しておこう。アイレックスは元は盗人だったが、私が捕まえて衛兵に突き出した。私からすればその程度の関係性だが、向こうにとっては違ったようでな……『貴方の忠実なる下僕でございます』とか『奴隷にしてください』とか言い出したんだ。流石の私も我慢できずぶん殴って、以降言わなくなったからてっきり諦めたものかと思ってた」
【彼の態度に怪しい所とかは無かったんですか?】
「私から見ても無かった。半釈放っていう扱いになってる事からして、恐らくマエンダ氏も彼をじっくりと見極めた上で問題無いと判断した筈だ」
どうやら優男は人を騙すのが上手いらしい。
「……となると、昼に来た時に君がここに居る事に勘付いている可能性も……あーいや、直接君を見たかも知れない。ドアを開けていたから」
【昼に来たのはアイレックスさんだったんですね】
「あぁ。今思えば詰所で様子を見に来たのも、君をどうにかしようとしてだったのかもな……。君がアイレックスに襲われたのはいつぐらいだ?」
【暗くなって少ししたぐらいなので、今から少し前ですね】
「場所は?」
【貴方の家の前です】
「そんな所でやってたのに私が気付かなかったのか……大声で呼んでくれれば、あ、いや済まない。喋れないんだったな」
巨女が謝るのにトイレ男はいえいえと言うように首を振った。
「取り敢えず、そういう事なら彼はまだ私の家の近くに張り込んでいる可能性がある。そうだな……今日はウチに泊まっていけ。明日の朝家まで送ろう」
トイレ男は頷いた。彼女の好意に甘える事以外に状況を切り抜ける方法を思い付かなかったのである。
「それで今日は切り抜けるとして……問題は三日後だな」
「……………………(頷く)」
三日後。
それは衛兵達による、壷売り残党のアジト攻撃の日だ。
「明日明後日は私と一緒に居ればいい。平時なら君を守れる。だが、作戦中は流石に難しい」
巨女は歯噛みするような表情で言う。
【マエンダさんに相談したらどうです?】
「……微妙だな。確かに、私は彼と強い信頼関係を築けていると思う。だが、かと言って私の言う事を頭ごなしに信じてもらえる訳でもない。証拠が無いと本格的な行動はしてくれないだろう。普段なら証拠探しにも協力してくれるだろうが、今は時期が時期だ。彼もとにかく忙しい。何かしてくれるとしたら、精々君とアイレックスを別の班に分けるぐらいだろうな」
「……………………」
頼みの綱の衛兵も期待できないと来た。
「まぁ無いよりはマシだから言っておく。明日と明後日は私から離れないでくれ……は流石に厳しいな。一人にならないでくれ」
「……………………(頷く)」
巨女にもトイレ男にも仕事がある。三日後だけならともかく、急に三日間休みます! は通らない。
それから二人は暫く、優男対策について話し合った。
一通り案も出し尽くしたと感じ始めた所で、巨女はふぅと溜息を吐いた。
「そろそろ遅いし寝るか?」
【僕は床で寝ます】
トイレ男はお泊まりの時の定番の台詞を書く。
「あ、いや、その事なんだが……」
しかし巨女は「自分から言い出しておいて何なんだが」と繋ぎ、
「実は、我が家に布団は無い」
「…………!?」
無いの!? お布団が!?!? 全人類に安らぎと安心と温もりを与える全人類の母お布団様が!?!?!?!?
トイレ男は衝撃のあまりトイレを取り落としそうになった(落としはしない)。
「いや、あるにはあるが、タオルケット一枚しか無い。どうにも柔らかい布団は慣れなくてな……いつも床で寝ているんだ」
巨女はそれを証明するように寝室のドアを開く。成程、確かに棚や調度品はあれどベッドは無い。
「ちゃんと床は毎日掃除して綺麗にしてある。だから不潔ではないんだが……」
「……………………」
トイレ男は反応に困った。そしてトイレを持っている自分を見た人の反応もこんなのなんだろうなぁと思った。
【床でも大丈夫ですよ】
「そうか? ではタオルケットは使うといい」
【一枚しか無いんでしょう? 僕はいいですよ】
「いやいや、私は体温が高いから大丈夫だ」
【夜は冷えますよ】
たった一枚のタオルケットを譲り合う二人。
やがて埒が明かないと感じたのか巨女が或る提案をする。
「ならもう二人で使わないか?」
【いいですね】
トイレ男は賛成した。
二人で寝室に移動し、床に寝そべる。巨女がタオルケットの半分強をトイレ男に渡し、トイレ男は多い分を巨女に返した。
元々、一人用のタオルケットである。とはいえ大柄な巨女の肉体がすっぽり入る程度の大きさなので、横にすれば少し余りが出る程度の余裕はあった。膝は出てしまうが。トイレ男はトイレを抱き抱え目を閉じた。
「じゃ、おやすみ」
「……………………」
巨女の言葉に頷いて答えながら、トイレ男はその意識を闇に沈ませた。
◊◊◊
「……………………」
トイレ男が完全に眠りに落ちた事を感じ取ると、巨女は彼を起こさないようにゆっくりと起き上がった。
そのままリビングに移動すると、トイレ男とドアと全ての窓を視界に収められる位置に付く。深夜に優男が侵入してこないとも限らないので、その見張りをするのである。
この事をトイレ男に話さなかったのは、彼に気を使わせない為だ。深夜に優男が侵入してくる恐れがあると言えば、彼は断固として眠らないと言うであろう。夜のチンピラ狩りで徹夜に慣れている巨女ならともかく、そうでないトイレ男が徹夜すれば確実に明日に響く。そうして集中力が落ちれば優男に隙を突かれる可能性も上がる。彼に気を使わせずかつ安全を確保する、その為の最善策がこれなのだ。
「……………………」
闇に慣れた目でトイレ男の寝顔を見詰める。
安らかに眠る寝顔からトイレ男ニウムを摂取した巨女はパチンと頬を叩き、ドアと窓の監視を始めた。




