リュシエルの目覚め
リュシエル・アスコット伯爵令嬢。弱冠十六歳。
親族すら居ない物寂しい教会で、二十も歳上の辺境伯との結婚式を迎えた美しい娘である。
リュシエルは美しい純潔の白さを誇るウェディングドレスを身に纏い、厳かな雰囲気で誓いの言葉を読み上げる牧師の穏やかな声音をベール越しに聞いていた。白く透ける向こう側がやけに遠く感じるのはリュシエル自身、この結婚がリュシエルの幸せを願われて行われたものではなくて辺境伯に首輪をつけるためのものだと理解していたからだ。
——辺境伯さまもお可哀想に。わたくしのような美しいだけの小娘を娶ることになってしまって……まあ、わたくしの方がずっと可哀想ですけれど。
ふと、隣が気になって伏せ気味にしていた視線を持ち上げた。そっと、隣に立つ逞しい身体でカチリと立つ辺境伯を……リュシエルの夫になる男を窺い見る。
軍人の立ち姿だ。流石、交易を行いながら国防も担う辺境伯といったところか。
「新郎、アダム・オネスト。貴方は……——」
「……誓います」
品のいい、響かせるような低音だ。リュシエルはほう、……と、微かに吐息を吐いて「顔はともかく、この声だけは好ましいわ」と満足そうに口端を上げた。
ほんとに素敵。これまでの人生でここまでの声音はアニメとかの声優さんでしか知らない、……あにめ、? せいゆう、……? なあに? あら? そういえばこの横顔を、私は見たことがあるわ。何故? わたくしは、この方をここまでそばに見たことなんて……、……
「新婦、リュシエル・アスコット。貴女は……——」
「……」
「新婦?」
「……ちかいます」
ええ、そう。この厳しい雰囲気と、淡いひかりの寂しい結婚式。それから訪れる悪夢の結婚生活。美しいだけの伯爵令嬢の傍若無人に疲弊した彼は、王城からの帰り、穏やかな愛らしさをした聖女と、明るい教会の賑やかな孤児院で出逢って、……恋を、し、……て、…………
——『約束の白薔薇』だわ。乙女ゲーム約束の白薔薇の、アダムルートの過去回想!
「……誓いの口付けを……、……」
ベールがあげられる。隔たりが無くなった視界いっぱいに、端正な美貌が近づいてきて、……冷たい唇のやわさだけを残してまた離れていった。
リュシエルを見ても頬を染めたりしない、にこりともしない気に入らない顔。ちがう。精悍でよく見れば優しい眼差しをしている顔じゃない。友だちはおじさんといっていたけどわたくしは好きだった。画面越しですら男性らしい色気が逞しい身体と武骨な手の表現から伝わってくるようで……そんな手はさっきわたくしの腰を抱いてたわ……、……
——アダムはこれから顔だけ女に振り回されて、やつれるばかりか健康な精神をすり減らしていくのよ。哀れだわ。聖女の清らかさに癒されて、いけないとわかっていても惹かれてしまう、アダムルートはそんな大人の恋愛を、……あら? まって? 顔だけ女って、傍若無人の伯爵令嬢って!
ああ、そんなまさか!
「わたくしだわ……」
口の中だけで噛み殺した絶望の吐息は、さいわい誰にも届くことなくリュシエルだけのものだった。