20.首を突っ込む影勝(1)
札幌で観光と買い物を楽しんだ影勝らは旭川に戻ってきた。戻って来て早々に葵に持ち帰った餃子を渡す。本当はすぐにでもダンジョンの奥へ行きたいところだがこちらも放置できない問題だ。もどかしさを感じるがぐっとこらえる。
「見た目は普通の餃子だけど、そうねぇ……麻薬成分が含まれてるわね」
「「麻薬!?」」
餃子を目の高さにあげ凝視した葵の言葉に影勝と碧の驚愕が重なる。
「細かく切ってあるから野菜と区別がつかないけど、食べた人の体質によっては強い中毒性を持ちそうね」
葵は不愉快そうに眉を顰めた。それは碧も同じことで、憤慨やるかたなしに「むむむ」と口を曲げている。薬師としては大麻を食品に使うことなど言語道断だ。
「ゆ、ゆるせないね」
「ほんとだよ」
怒れる碧に影勝も同感である。学校ではたびたび薬物への注意喚起が行われている。クラスメイトにいたわけではないが、風のうわさ的に被害が耳に入ることもあった。歌舞伎町や渋谷、場違いと思われがちだが秋葉原も酷いと聞いていた。底辺風俗と化したメイド喫茶の裏側では何が取引されているか不明だった。
「餃子が入ってる段ボールにはアマテラス食品って書いてありました。あと、以前ですがダンジョンの三階で大麻畑を見つけました。これってもしや」
「十中八九つながってるわね。昔からダンジョン内で大麻栽培はされていたけど、こんな形の薬物被害は初めてね」
葵が大きくため息をつく。
「大昔からダンジョン内に大麻畑があったんですか?」
「ダンジョンが発生して、中に大麻が自生してるのがわかってからすぐだったと聞いてるわ」
「そんな昔からあって、捕まらないんですか?」
大麻畑という動かぬ証拠があるのに捕まえられないはずはないと、影勝は思う。何のための警察なのだと。
「ギルドも把握はしてるけど、薬物犯罪は、基本的に現行犯でないと捕まえられないのよ。自宅に隠し持っているのが発見されたとかあれば別だけど」
「現行犯……つまり、大麻畑だけだと罪にならない?」
「誰が栽培しているかがわからなければ自生していたと言い張れちゃうのよね」
「……釈然としない」
影勝は無意識に腕を組んだ。イライラするのか指をトントンしている。
マジックバッグがあるおかげで違法薬物を運ぶ敷居もだいぶ低くなっている。ダンジョンで収穫した大麻を外に運ぶことも簡単だ。ギルドに荷物検査はないし、その権利もない。遺体を運ぶこともでき、犯罪を助長していることもある。ダンジョンの負の面である。
「まったくそうなんだけど、ダンジョンって国内かどうかが微妙で、必ずしも日本の法律が適用されていないのよ」
「そうなんですか?」
探索者講習ではそんなことは聞いていない。犯罪を犯したら物理的に首が飛ぶ、程度には脅されたが。
「日本の法律を適用したら探索者は銃刀法違反ですぐに捕まっちゃうわよ」
「それは、そうだけど」
「魔石発電が電力の大部分を占めてるから探索者をあまり縛れないってのもあるのよ。昔の炭鉱夫と同じね。そもそもモンスターと戦わなきゃいけない探索者は命懸けだし。ダンジョン外でも探索者が得る職業のメリットが大きくてね。あと政治的にいろいろと」
「わかるようなわからないような。やっぱわからないな。犯罪者は捕まってくれないと」
葵の説明を受けての納得できない影勝だ。犯罪を犯したら罰を受ける。当然だ。
「影勝君の気持ちはわかるけどね。そのアマテラス食品って調べたらアマテラス製薬の子会社ね。畑違いの関連会社を持つのはよくあることだし」
「会社のこととかよく知らないけど、そうなんですか?」
「化学調味料の会社が半導体で必要案資材を作ってたりするのよ?」
「なんで!?」
「本業では役立たない研究成果も他業種では垂涎のものだったってことよ。よくあることね」
葵の言葉は影勝には難しかった。高校でそんなことは教えてくれなかったし。
釈然としない影勝は佐原武具店に矢を取りに行った。頼んであった鉄の矢ができがった。矢は何本あってもいい。ついでに追加注文もしようと考えて門前町を歩いていると、向こうから天原が歩いて来るのを見た。スラックスに白いワイシャツと手持ち鞄のビジネスマン風だ。お供のふたりを連れているが、以前感じた圧はない。もはや影勝のほうが強くなってしまっていた。そのこともあって、影勝は声をかけることにした。
「天原さん、ちょっと話があるんですが」
天原も影勝には気が付いていたが声を掛けられるとは思っていなかったので、一瞬だが表情が固まった。護衛のふたりがやや前に出て天原をかばう位置に入る。
「これはこれは森のエルフ殿に声を掛けられるとは思っていませんでしたが、僕に何の御用でしょうか?」
慇懃に挨拶をする天原。だが影勝は怯まない。
「アマテラス食品が作ってる餃子についてです」
「餃子……? ふむ、確かに関連会社のアマテラス食品は色々製造していますので、餃子も作って入るでしょうが、それが何か?」
天原はバカにするふうでもなく、顎に手を当て影勝の真意を探っている。天原は、碧が全幅の信頼を置いている影勝が適当なことを、関係して利のない自分に難癖をつけてくる必要がないことはわかっている。であるならば、わざわざ目の前に現れたということは、少なくとも碧にとって利がなく、自分にとって良いことではないのだろうと察しがついた。だからこそ、話を聞かねばならない。
これがきっかけで彼女と信頼関係が結べるかもしれませんし。
天原の中でソロバンが弾かれ、影勝の誘いに乗ること利だと判断された。
天原は顎から指を離し親指を背後に差す。
「関連会社のことならば副社長である僕は話を聞く義務がありそうですね。どこか落ち着いて話ができるところに行きましょうか。ふたりは事務所で待っていてください。あ、大丈夫です、彼が何かしようとしたら僕らでは抗いようがないですから」
「し、しかし!」
「彼も荒事は避けるでしょうし。僕は大丈夫です」
護衛にふたりは渋々といった顔で門前町に消えていった。
「さて、行きましょうか」
天原が案内したのは、門前町の外れにある古びた喫茶店だった。度重なる塩カルの被害だろう、錆が目立つ看板には純喫茶【田園】という文字が消えかけていた。影勝はその寂れ具合に顔を引きつらせている。彼くらいの年齢では純喫茶など存在すら知らないのだ。
「ここは僕がお世話になった人がマスターをしています。珈琲豆もこだわって自身で現地まで行って品質のチェックをするほどのマニアですので、味の保証は致しますよ」
天原はそんな影勝を見て、大人の余裕として笑って見せた。影勝は少しイラっとしたがここで炒ら突きを見せる方がかっこ悪いと思い平静を装う。
小さなガラスが多数埋め込まれたドアを開ければ、クラシック曲で静かに満たされた空間と濃密な珈琲の匂いに包まれる。木枠のガラス窓が目立つ、古めかしいソファ席が五つほどとカウンターがあるだけの、小さな喫茶店だ。客もいない。
壁にはお世辞にもうまいとは言えない絵画が飾られており、影勝はここの古めかしいセンスと寂れ具合をみて心配になった。
「お邪魔しますよ」
「……おぉ坊ちゃんじゃねえか」
カウンター裏でコーヒーミルを回している初老の男性が応対した。バーテン風にビシっと決めた服装だが、風貌は悪役幹部の様だった。短く清潔にまとめた髪型だが片目をつぶすような大きな傷があり、正直コワイ。
「田畑さん、これでも僕は三十路近いんです、坊ちゃんはやめてください」
「期待の息子としてブイブイ言わせていた頃が懐かしいなぁ」
田畑と呼ばれた強面のバーテンがニヤニヤしだすと天原は苦い顔になる。小さいころ方の付き合いの様で、一方的に遊ばれていた。
「見ての通り客がいないので話をしやすい場所です」
「おいおい坊ちゃん、たまーにだが客は来るんだぞ?」
「先週僕が来た時から客は来ましたか?」
「あいにくと皆様は忙しいみたいだぜ」
天原の反撃に強面の田畑が肩をすくめる。事情を知らない影勝は口を挟めず聞いているしかできない。そもそも田畑の顔が怖い。
「坊ちゃんはいつものとして、あんちゃんは何にする? ここは珈琲がおススメの店だが評判がいいのはクリームソーダだ」
「え……喫茶店なのに珈琲じゃないんだ。じゃあ、ホットコーヒーで」
面食らった影勝だが田畑におススメと言われては頼むしかない。珈琲を頼むと田畑は強面を崩しにやりと笑う。笑い顔もコワイ。
「坊ちゃんが連れてきた客にまずいもんは飲ませらんねーし、いっちょ本気で炒れてみるか!」
「……僕が飲んでいた珈琲は本気でなかったと?」
「坊ちゃんはすぐに分析しちまうから面白くねーんですよ」
珈琲二丁まいど!とひとさし指と中指を揃えピっと軽く振った田畑がカウンターに戻っていく。
「ああいってるますが味は保証します。若干酸味が強くて飲む人を選びますがミルクを少し入れるととてもマイルドになるんですよ」
天原がフォローする。なんだかんだんで珈琲含めてこの店は彼のおススメのようだ。