19.平穏なふたり(6)
部屋を一覧したふたりはリビングに戻った。ヒートしてしまった頭を冷やすのと、あの中華料理屋の餃子を葵に相談するためだ。碧がローテブルにスマホを置き、葵にビデオ通話をかける。葵はすぐにでた。
「もしもーし、何かあったの?」
「おかあさん、あのね、今日札幌で餃子が有名なお店で食べたんだけど、その餃子がおかしかったの」
「餃子がおかしい? どんな風に」
「うーん、なんかこう、違うなーて味があって、うまく説明できないんだけど、あ、これ!」
碧は説明を諦めてポシェットから実物を取り出した。むき出しなので影勝は慌ててリュックから紙皿を出し碧に渡す。
「見た目は普通の餃子だけど、ちょっと待ってね……うーん、一般的な餃子の食材ではない何かが入ってるのはわかるけど、目の前で見ないとだめね」
葵が皿の上の餃子を見つめるが、遠隔では詳しい情報はわからないようだ。
「隣の席の客が「病みつきになる」って話してた餃子で、俺も食べたらダメだって感じたんですよ」
「あら影勝くんまで。それは引っかかるわね。碧、それを持って帰ってきて。現物を視たいし、わからなければ検査に出すわ」
「うん、ありがとう!」
「用事はこれだけ? その部屋は、あの宿でしょ? あなたが生まれる前によくお父さんと泊った宿よ。静かでふたりっきりでしっぽりするにはいいところでしょ? ゆっくりしてらっしゃい」
意味深な笑みを浮かべて葵との通話が終わった。ダブルベッドと露天風呂を思い出して無言になってしまうが、そんな空気を打破するために影勝は口を開く。
「記憶の主が言うんだからよほどだと思う。あいつ、見たことない植物とか知るために食ってたらしいから。そんな奴が食うなっていってるってことは、相当だと思うんだよ」
「わたしも気がついたし、わたしの中にいるリコも危険だって」
「うーん、かなりヤバそうな感じだけど、何がヤバいのかわからないから怖いな」
碧がしれっと職業の名を呼んだが影勝は触れなかった。別に知らなくてもいいと思ったのだ。自分が知るべきは碧であって、記憶の持ち主ではない。碧さんこそ至高である、とちょっとおかしな方向に走り始めた影勝である。
「そろそろ夕食の時間だ。麗奈さんたちにも声をかけないと」
通話の終わったスマホに表示された時間を見た碧が立ち上がる。部屋の鍵を閉めて麗奈たちの[碧郷]に向かう。
「れ、麗奈さーん、夕食ですよー!」
「……今行く」
障子越しに碧が声をかけるとややあって中から返事があり、浴衣姿の麗奈と芳樹が出てきた。長身の麗奈でも足が出ない赤い金魚の柄の浴衣と紺を基調とした風鈴柄の芳樹の浴衣で、どうやらペアルック的な浴衣のようだ。赤い金魚が赤い髪の麗奈と良く似合っていて、立ち姿を切り取れば雑誌の表紙のようだ。
「わ、きれい! 浴衣いーなー、部屋にあったのかなー?」
碧が両手でパンと音を立て影勝を見上げる。
「いや、見なかったけど」
「壁にワードローブが隠されてたんだ。偶然触ったら扉が動いてわかったんだけどね。螺旋階段の登り口の脇にあったよ」
「まじっすか。後で探してみます!」
葵との通話で時間を取られて隠しワードローブには気がつかなかった。舞い上がっていたのもあるだろう。碧が希望するなら見つけねばならない。どちらかというと影勝が見たいだけだが。
俺のはどうでもいいけど、碧さんのは緑のベースの浴衣で絶対に似合うデザインなはずだ間違いない、と勝手にハードルを上げていた。
「ゆ、夕食はあっちだって」
影勝の左手を確保した碧を先頭に廊下を歩く。純和風の廊下の両壁がガラスの通路に変わり、離れに塚がっている。離れの入り口には[碧亭]の看板がある。すべての部屋に[碧]がついているのは目の前が森だからだろうか。
グラスなどがセットされたテーブルがあるのでその席に着く。景勝と碧が隣り合い、レナト芳樹がふたりの向かいに座る。前菜とともに食前酒も運ばれてきた。富良野産のスパークリングワインだ。
「俺まだ未成年なんだけど」
「ひとくちくらい、飲んでもいいと思う」
「うーんどうしよう」
このメンツで未成年は影勝だけでまだ飲酒の経験がない。父親がいなかったことに加えてバイトが忙しく、友人とあまり遊んでいなかったせいもある。もちろん金がなかったのも理由の一つだ。
その影勝に、碧は勧めている。褒められた行動ではないが、一緒に飲みたいのかもしれない。
うーんとうなっていた影勝だが一口くらいならいいかなと思い直した。受け入れないと碧が寂しそうな顔になりそうだったし。
「では、かんぱーい」
碧の音頭で夕食が始まった。影勝はグラスのスパークリングワインを一口飲んだ。目をつむり顔をしかめて。
「すっぱッ!」
影勝は思わずグラスを遠ざけた。彼にはまだワインは早かったのだ。すかざす碧が彼のグラスを手元に置く。碧のグラスはすでに空で、影勝が一口だけ口をつけたワインをごくごく飲んでいく。割と蟒蛇なのかも、とちょっと怖くなった。
乾杯を確認したからか刺身の舟盛が運ばれてくる。貝、カニ、各種刺身が山盛りの大船だ。口直しとばかりに影勝が手を付ける。
「うっま。何の貝かわからないけど、コリコリでめっちゃうまい」
「えっとね、エゾボラだって」
「初めて聞いたなその名前。こっちの魚もうっま!」
「つぶ貝だって。その刺身はハッカクだよ。おいしいよね!」
「ハッカクって初めて聞いた。どれもうますぎで全部食べちゃいそう」
「わたしにも残しといてー」
影勝と碧がわちゃわちゃしている。その向かいにいる高田のふたりだが、麗奈が芳樹に酒を勧めている。
「このワイン、おいしい」
「確かにおいしい。度数のわりに飲みやすいね」
「芳樹兄さん、飲んで」
麗奈が自分の食前酒も芳樹に渡している。いや大丈夫だからと芳樹がやんわり断るが麗奈はめげない。そんな空気も関係なく料理は続く。影勝はひたすら食べ、碧は健啖家な影勝を見守りながらにこにこと酒を飲んでいる。ワインの次はビールだ。札幌に来て飲まないわけにはいかないとメガネの奥の瞳を輝かせて解説したので仕方ない。麗奈は芳樹のお世話に徹し、芳樹は困惑しながらも妹からの世話を受けている。ままごとの延長な気分なのかもしれないが麗奈は本気だ。
「くったー、くいすぎたー、おいしいのが悪いんだー」
食事を終え部屋に戻った影勝はソファにダイブした。碧がその横に腰掛け、影勝の頭をももにのせ頭をなでる。ふへへと蕩けるる笑みを浮かべており、碧もだいぶ酔っていた。
「うちで食べる時よりたくさん食べてたねー。遠慮してたー?」
「遠慮は、してたかもしれないけどどっちかってーと緊張かなー」
「うちで暮らすんだから慣れてねー」
碧が影勝のほっぺをむにゅむにゅする。既定路線っぽく語るが了承した記憶は、影勝にはない。婿にはいれば同じだとか悪魔がささやいているが聞かなかったことにする。未成年だし。
「そろそろお風呂かなー」
部屋の時計で時間を確認したのか、碧が膝枕中の影勝をチラチラ見やる。だが食ったすぐの風呂は危険だ。鉄圧が下がりやすく消化不良も起こしやすい。若いとはいえよろしくない。正直、食べ過ぎでおなかも苦しい。
「もう少しだらだらしてても罰は当たらないとオモイマース」
この膝枕をまだ堪能していたいと影勝は遅延工作に走る。碧は程よい肉付きなので寝心地が極上だ。
「可愛い碧さんの膝枕サイコーデース」
ダメ押しをすれば碧も「うふふ」とにやける。こうして三〇分ほどだらだらしたところで夜は短いことに気が付き、風呂に入る雰囲気となる。よっていい気分の碧は「おっふろー」と緊張もなく絶好調だ。
碧がもぞもぞと腿を動かして風呂を催促するので影勝も折れた。マジクバッグ方着替えを出して三階に向かう。脱衣所に入るがふたりはここで固まってしまう。視線を逸らしつつもお互いの行動を監視している。
ここまで来たら全部食べるしかねーよなー。