19.平穏なふたり(5)
歩くこと一〇分ほどで時計台についた。ビルに囲まれ、ちんまりと佇む時計台だ。
「小さいな」
「小さい」
「思った以上に小さいんだね」
影勝、麗奈、芳樹の感想だ。札幌時計台は有名で写真も多く、見たことはあるが実物は知らない人が多い。三人も例に漏れない。でも来たのだからスマホを構えて写真は撮る。麗奈と芳樹は並んで自撮りだ。
「しかたないよね、周りのビルが高いんだもん」
「東京タワーも高さは抜かれてるしな。有名な入谷の鬼子母神もすごい狭いし」
「そうなんだ」
そういいつつ影勝は碧と一緒に自撮りする。実は、碧とのツーショット写真はこれが初めてだ。
「そろそろ宿に行かないと」
碧が時間を気にし始めた。と同時にスマホをポチポチしだす。現在時刻は十五時ちょっと前。数分後に黒塗りの高級ミニバンが目の前に止まった。碧が手配したハイヤーだった。
「ここから遠かったりする?」
影勝が乗りながら尋ねる。宿などはすべて碧が手配しており影勝は全く知らないのだ。
「うーん、四〇分くらいかな。定山渓にある旅館なんだ。おかあさんもよく泊ったって言ってた」
「旅館。うん旅館ね」
影勝は納得顔で頷くも頭では「椎名家が言う旅館ってのは俺が知ってる旅館じゃないよな、間違いなく」と考えていた。どんだけ高級なんだか、と身構えてしまう。
「碧おススメの宿」
「椎名さんおススメとは楽しみだねぇ」
「楽しみ。すごい楽しみ」
麗奈と芳樹が窓の外の札幌市街を見ながらそんな会話をしている。ただ、麗奈の顔は笑っていなかった。
車は札幌市街地を南に向かい、豊平川沿いの国道を上流に走る。山間を入ると定山渓の看板が目に入った。山間の温泉街だがれっきとした札幌市だ。
車は温泉街から外れ川に向かう。民家も少なくなってきたあたりで森を裂くような巨大な建物が見えてきた。大きな一枚板に「碧渓」と書かれた看板がある。車止めにから降りれば女性従業員が待ち構えていた。いらっしゃいませとロビーに案内されソファに腰を下ろす。建物の規模に比べれば小さなロビーだが影勝が見ても高そうだなと思ってしまうテーブルなどの調度品が並ぶ。
「チェックインしてくるから」
「麗奈も」
女性陣が行ってしまい影勝と芳樹が残される。
「部屋ってどうなってるんだろ。男女で別れるんじゃないの?」
「たぶんですけど、俺と碧さんで一部屋だと思います」
「なるほどなるほど、そっかそっか」
芳樹はにやにやしている。だが、驚くのは彼の方だと影勝は内心でにやにやし返していた。
チェックインも終わり、荷物は全てマジックバッグなので手ぶらで仲居さんに案内してもらう。純和風の廊下のいたるところに花が活けられており、殺風景になりやすい廊下を文字通り華やかにしている。片側の壁全面がガラス窓になっていて、柔らかな陽と森の若い緑が目に優しい。歩くだけで癒されそうだ。
「当宿は全五部屋でございますが本日は椎名様のみとなっております。束の間ではございますが、現をお忘れになるにはちょうど良いかと」
「ラ、ラッキーだね!」
視線を泳がした碧がそううそぶく。さては無理を言って貸切ったな。影勝はジト目で碧を見た。
「全部屋スイートとなっておりまして、内階段で二階、三階へ移動できます。二階は寝室、三階は露天風呂になっております」
「「二階に三階!?」」
影勝と芳樹の声がハモル。庶民な男ふたりはおおよそ行動も同じだ。
「はい、室内にエレベーターもございますが、階段には定山渓の四季の風景写真が飾ってございまして、皆様階段をご使用になられます」
「それは、階段を使うしかないね。実は鹿児島から出たことがなくってね、知らぬ土地の景色はぜひ見たいと思ってたんだ。」
芳樹が目を輝かせる。どうやら東風らと同じく、生まれ故郷を出たことがなかったようだ。今回の北海道も急ではあったが楽しみにもしていたのだろう。なんとか楽しんでほしいな、と影勝は思う。
「こちらの[碧厳]は椎名様のお部屋となっております。ふたつ先の[碧郷]が高田様のお部屋となっております」
障子の前で仲居が止まり説明を始めた。
「基本的に我々が中に入ることはございません。御用の際はお手数ですが内線でお呼びくださいませ。お食事ですが、皆様ご一緒とのことで、碧亭にてお待ちしております」
仲居さんは一礼するとロビーに戻ってしまった。ゆっくりおすごしください、ということなのだろう。
「碧、あとで」
「うん、麗奈さん頑張って!」
碧と麗奈は肩てハイタッチで別れた。碧は影勝の手を、麗奈は芳樹の手をすかさず確保だ。まるで逃さんと言わんばかりの行動に影勝は苦笑いだ。芳樹の顔には「何で?」と書いてある。
「俺は逃げないって」
「わ、わたしが逃げそうだから逃げないように手をつないでるの!」
よくわからない理由を強調する碧はだいぶ緊張している。もちろん影勝だって心臓が全力疾走している。BPMが三〇〇程だ。どうしてなのかなんて分かりきっている。ふたりっきりでのお泊りで何もないとはお互いに考えていないからだ。
「じゃあ碧さんを逃がさないようにしないと」
影勝が碧の手を引き右手で肩を抱き寄せれば彼女が「ひゅぁぁ」と情けない悲鳴を上げる。影勝だって緊張しているが年下とはいえここはリードしなければいけない場面だ。頑張らねば。
碧が「よよよし、いくぞー」と震える腕で障子を開けるとそこには凝った意匠の鉄の扉があった。旅館らしく土足禁止らしい。防火戸を兼ねているので鉄なのだ。重厚な扉を開ければ、玄関と上がり框があり、その先が二〇畳ほどのリビングになっていた。
ゆったりしたソファセット、目立つ場所に置かれたレコードプレイヤー、ひっそりと置かれた冷蔵庫、そして上階への階段。階段は木製の螺旋階段で三階迄つながっている 影勝はぽけーっと階段を眺めている。
「すげえな、ホテルの部屋の中の階段なんて雑誌の写真でしか見たことない」
「凄いよねー」
感心しながらふたり一緒に階段を上る。ちょうどふたりが並んでも狭くない幅なのがニクイつくりだ。二階は同じく二〇畳ほどの空間だが、一階と違うのは、そこにはキングサイズのダブルベッドと丸テーブルがあるだけだった。よく見れば壁と同化するような冷蔵庫もあるが、見方によってはラブホテルだ。
「ダダダダダダブルベッドなんだね……」
「俺、寝相悪いかも」
「わわわたしも」
顔が熱くなっているふたりはベッドを見たままだ。恥ずかしくてお互いを見れないのだ。
「上、上の露天風呂を見に行こうか」
「そそそうだね!」
これ以上ここにいると気まずくなりそうだと感じた影勝が提案する。対処は後の自分に放り投げた。がんばれ、後の俺。
階段を上った三階は、六畳ほどの脱衣所になっていた。先にガラス戸があって、景色と湯船が見える。脱衣所には洗面台と竹でできた棚しかない。休憩はリビングということだろう。
碧がガラス戸を開けるとぶわっと空気が入り込んで、爽やかな森の香りに包まれた。思わず深呼吸してしまう。
「森の匂いがする!」
碧が嬉しそうに微笑む。
露天風呂は、洗い場がひとつと、三人がはいれるくらいの檜の浴槽がある。壁も檜で、天井は太い梁に支えられたガラス張りだ。
三階だからか森の木のてっぺんも見え、空も広い。壁に照明器具があるので夜も入れるし、夜空も見れるだろう。
「星空も綺麗だろうなぁ」
「これは、夜中に入るしかないね!」
影勝が天井を見上げてつぶやくと隣の碧から反応が返ってくる。眼鏡の奥の瞳は期待でキラキラ光ってる。
「……一緒に?」
「ももももちろん一緒に……」
「そ、そっかー」
影勝と碧はそこで黙ってしまった。あんなことこんなことと色々妄想してしまうのは若いからである。
「おおー、いい景色だ」
「芳樹兄さん、一緒に入る」
「いやいやそれはマズいって」
「ベッドも一緒」
「俺はソファで寝るから大丈夫だって」
少し遠くから麗奈と芳樹の声が聞こえた。あっちはあっちでバトル中だ。
麗奈さんは譲らないだろうから芳樹さんも大変だろうなぁ。夕食の時にあれこれ言われそうだ。そんなことを考えていた影勝は碧が「麗奈さんも頑張ってるからわたしも」と持ち直したことには気がつかなかった。