19.平穏なふたり(3)
困ったら経験者に聞け、というわけで影勝と碧は昼時を外した十五時ころ、儀一の店を訪ねた。儀一は現役の時は綾部と同じパーティーで魔法使いだった。薙刀使いだった綾部が【巴御前】、拳で殴りながら魔法をぶっ飛ばす儀一は【ステゴロ使い】と呼ばれ有名だった。ちなみに、綾部の夫は儀一の兄で教師で儀一の妻は看護師だ。なれそめはまた別の機会に。
空いているがふたりはカウンターに並んで座る。話をしたいときはカウンターに限る。
「おう、影と碧ちゃんの組み合わせは珍しいな」
夜の仕込み中なのか、スキンヘッドに汗びっしょりの儀一が注文を取りに来る。そういえばふたりで来たことはなかったかと思い至る。朝晩は椎名堂で食べるし昼はダンジョンだ。そりゃないな。
「えっと、コーラで」
「メロンソーダアイス乗せー」
「あいよ。綾部が持ってきたチーズケーキがあるから出してやる」
「わーい!」
さっき泣いていた碧はどこへいったやらだが、持ち直していることに影勝は安堵する。
「んで、この時間に来るってのは、なんかあんだろ?」
コーラとメロンソーダとチーズケーキの皿を持ってきた儀一が問う。察しがいいのは探索者と店の経営で培った経験からだろうか。頼れる兄貴として相談も多そうだ。
「そろそろ泊りがけでダンジョンに潜ろうかと思ってるんだけど、何が必要かなって」
「わたしも一緒に」
「碧ちゃんも一緒って」
「一緒に行きます!」
「……そうか……」
儀一が何か言いたげに影勝を見るが肩をすくめるしかできない。碧の意志は固く、もし置いていったら金輪際口もきいてくれないだろう。そんな気配がした。
「俺の情報は一〇年くらい古いが、まぁそんなに変わってねえだろう」
儀一が探索者を引退してこの食堂を始めたのが一〇年前だ。
「俺が現役だったころは、頑丈な鉄製の小屋を持ち込んでた。休憩は必ず七階だ。七階はでかい湖があるだけであとは草原になってる。モンスターも空を飛ぶ奴は鉄の壁を抜けねえし、狼が群れでいるが同じく鉄を抜けねえ。夜はモンスターもあまり動かねえしな」
「だとすると、大容量のマジックバッグ所持が最低ラインかー」
「ね、わたしがいれば解決だよ?」
「そうだけどさぁ」
碧が一緒にいるメリットが積みあがる気配がする。小屋があればその場で調合も可能だ。ということはヒール草があれば傷薬ができ、リニ草があれば万能毒消しができる。一番は碧成分の補給が無制限ということだ。誰にも邪魔されずイチャイチャもできる。デメリットは椎名堂の補給が止まるということか。
「問題は、その手の小屋を作ってるのが北海道だと札幌にしかねえことだな。容量のでかいマジックバッグがあれば登山でも不便な土地での調査もかなり楽になるからダンジョンよりもそっちの需要のほうがでけーんだよ」
チーズケーキを用意しながらも話は止まらない。
「札幌か……買い物ついでに温泉にでも行きたいな」
影勝がそんなことをぽろっとこぼすとストローでメロンソーダを楽しんでいた碧の顔がキラキラ光り始める。お泊りのことが頭に浮かんでいるのだろう。
「調理器具も考えとけよ? キャンプ用品でもいいがちゃっちいのはすぐにいかれるぞ?」
「その手の商品も札幌、ですかね」
「旭川でもあるけど、種類を求めたら札幌だろうな。最近だと超小型魔石発電機とかあるらしいぞ?」
「電気があると便利ですか?」
「電子レンジとか炊飯器を持ち込むやつもいるとは聞いてるな」
「うわぁ、ダンジョンに引きこもりもできちゃいそうだ」
「近い将来そんな奴も出るだろうさ。魔石はモンスターを倒せば手に入るしな。おらチーズケーキだ」
カウンターにチーズケーキがおかれる。綾部がわざわざ東北の牧場から仕入れたものでおすそ分けだ。
「いただきまーす」とフォークを構えた碧がいざ尋常に勝負だというタイミングで店のドアが開いた。
「たっだいまー」
勢いよく入ってきたのは制服姿の儀一の娘だ。ベリーショートの活発そうな中学一年生の女の子でめぐみという名だ。まぶしい笑顔が魅力的で儀一とは似ていない。
「あ、碧さんと、えっと彼氏さん? こんにちは!」
「おうおかえり。手ぇ洗ってこい」
「わ、ケーキだ! これ、巴叔母さんから?」
「手を洗え!」
「はーい!」
影勝はびっくりした目でめぐみを見ている。
「儀一さん、お子さんがいたんですね」
「影はこの時間には来ねえからみたことねえだろーな」
「かわいいですね」
「妻に似たからな。やらんぞ?」
「碧さんがいるんで」
「お? いっちょ前に惚気か?」
ったく、と儀一が舌打ちしたと同時にエプロンをつけためぐみが戻ってきた。トコトコとカウンター裏に入りケーキの皿を持って儀一の横に立つ。
「娘のめぐみです。影勝さんって東京から来てるんでしょ! いーなーネズミの国に行きたいなー」
「影は金持ちだから集っとけ」
「ぜひぜひ連れてってー!」
距離感がバグってるのか真横に立ってぐいぐい来る。碧は威嚇のつもりか影勝の腕を抱きかかえた。それを見ためぐみがは「お熱いですなー」と笑う。
「碧ちゃんをいじるな。食ったらさっさと仕込みに行け」
「ぶー、交渉はこれからなのにー」
「おら、行った行った」
ぶーたれためぐみは儀一に追い払われた。
「やっぱガキはな、東京に憧れるんだよ」
「テレビでよく映りますしね」
「ハラジュクに行きたいだのシブヤに行きたいだの、せめて高校生になってからにしろってな」
「まぁ、機会があれば一緒に行きますよ。俺が住んでたところはだれも住んでない空き家ですし」
影勝が苦笑いで答えた瞬間「言質、言質とったりー!」とめぐみが厨房から顔をのぞかせた。ジト目の碧に腕を掴まれたのは言うまでもなし。
儀一から情報を仕入れたふたりは椎名堂に戻り葵と相対する。札幌買い物お泊り旅行の交渉である。鹿児島はふたりで行くことは禁じられたが電車で行ける近場の札幌なら許可が出るだろうと見込んでだ。あれだけ煽っているのだから諸手で賛成してくれるはずである、と影勝は考えている。
「なるほど。で、ふたりで札幌に行きたいのね」
「うん、ダンジョン用の道具とか買いたいから」
葵の説得は碧の仕事だ。ダンジョン連泊のための有用な道具だと説明する。葵なら当然知っている知識だろう。
「必要なのはわかったけど、碧、いま旭川には誰が来ているのかしら?」
「あ!」
「麗奈ちゃんをほっといて札幌に行くのはどうかと思うのよ、おかあさんは」
「そ、そうだよね……」
「わかったら誘ってらっしゃい」
「はぁい……」
撃沈である。正論なので反論すらも許されない。
影勝と碧はそのままギルドに向かい、高田製作所旭川支店を訪れる。客はいないが麗奈は依頼だろう何かを錬成していた。
「椎名さん、もう少しで終わるから待っててもらえる?」
芳樹が麗奈のフォローをする。待っている間、支店内を見渡すことにした。剣や盾がいくつか置かれており、杭のようなものも見えた。何に使うんだろうと首を捻っていると麗奈から声がかかる。
「ごめん終わった」
「仕事中お邪魔してごめんね。あのね、札幌に買い物に行こうと思ってるんだけど、麗奈さんも行く? あ、温泉もあって泊まろうかと思ってて」
「行く。兄さんもいい?」
「もちろん! それでね……」
碧と麗奈が顔を寄せ合ってひそひそ話を始めた。そこに入れない影勝はパソコンで作業をしている芳樹の近くに行く。
「旭川はどうです?」
「いやー。姶良もいい感じな田舎だけど、ここも負けてないね。探索者も遠慮してるのかあまり来ないし、のんびりやってるよ」
外に探索者の姿はあってちらちら覗いているのがわかるが高田製作所というブランドにビビッて訪れてこない。来てくれていいのにね、と芳樹がこぼす。
「確かに、閑古鳥は鳴いてないけど開店休業に見えちゃいますねー」
「あはは、メールでの依頼はガンガン来るから暇はないんだけどね。そうそう札幌に行くって聞こえたけど?」
「連泊用の小屋とか探しに行こうかと思って」
「なるほど、近江君はもうそこまで行ったんだね。流石だなぁ。でも麗奈に言ってもらえれば作ると思うけど」
「お金を落とす意味でも札幌で買いたいんですよ」
「あー、そうだよね。ある意味、高収入探索者の義務だもんねぇ」
影勝も芳樹も内緒話をしている碧と麗奈を気にしながら半分上の空で会話をしていた。
翌日、札幌での宿が確保できたと碧から伝えられたので即出発になった。早すぎませんかね、という影勝の独白は北の空に消えたのだ。