17.採取指南する影勝(1)
その夜は何もなかった。いや、何もできなかったのだ。
北海道に戻って緊張の糸が切れたのか、ふたりは風呂の後すぐに寝てしまった。影勝が目覚めて時間を確認すればすでに八時を回っている。
「寝坊したなぁ」
布団から起き上がりリビングに向かう。階段含めて電気が消えている。碧はまだ寝ているようだ。
「碧さんは朝が弱いからな」
影勝は静かに台所に入る。昨晩のカレーはあるが朝からはきつい。
「ま、目玉焼きにでもするか」
ごそごそとフライパンを探していると階段から「おかあさんごめーん、ねぼうしちゃったー」と碧の叫び声が聞こえた。と同時に慌ただしくトトトトと降りる音がしたと思えば台所に現れた。目は眠そうに半分閉じていて、頭は寝ぐせで爆発している。寝巻だろうかわいいキャラクターがプリントされただぼだぼTシャツからは肩がのぞいている。影勝と目が合った碧がピシと音が聞こえるくらいに固まった。
「碧さんおはよう。寝ぐせもかわいいね」
「ひゅぁぁぁぁそうだったぁ影勝くんがいるんだったぁぁぁやだぁぁぁ!」
碧は叫びを置いてけぼりに脱兎のごとく階段を上っていった。自室に逃げ帰った碧は鏡で髪をセットしながらふぇぇぇと涙目だ。
「顔も洗ってないのにぃぃぃ」
髪は縛って誤魔化したが化粧の時間はない。眉は剃っていないのでお化けではないが彼氏の前では綺麗な顔でいたいと思う。鹿児島ですっぴんを見せてるし泣き顔も見せているしいまさらなのだがそんなことは関係ない。朝食の味がしなかった碧である。
食後、薬草類を採取するためダンジョンに向かう影勝を見送る碧は。
「お水とか持った? 怪我したら薬を使ってね? ゲート出たら連絡してね?」
オカンのごとく影勝にぴったりくっついている。ついていきたいと顔に書いてあるが店の掃除やたまった洗濯などがあるのでお留守番である。ちなみに、店は閉めたままの予定だ。
「うぅぅ、心配だよぅ」
「ひとりで留守番の碧さんも心配だよ」
いっそ連れ去りたい気持ちの影勝だが今日は薬草採取で動き続けるつもりなので碧だと体力的に厳しい。店の中でおとなしくして欲しいと頭をなでる。
「わたしはおねえさんなんだよ? 四つもね?」
と抗議を受けるが寝癖が直りきっていない碧の頭を堪能する。至福の時間である。
いつまでもこうしていたいがお仕事だ。
「行ってくるよ」
「うー、早く帰ってきてね」
不安そうに瞳を揺らす碧に見送られ、うぐぐと胸が痛む。今日はソッコーで帰る絶対だと強く心に誓う影活である。
ゲートを潜りダンジョンに入った影勝はギルドをスルーし、三階の森に来た。蒸し暑く、違法なダンジョン大麻畑があった森だ。
「ここでもヒール草はとれるし、なんならリニ草もいけるか?」
影勝はスキル【影のない男】を発動し歩きなれた森に突入した。あっちだあっち、とイングヴァルに誘導されヒール草を採取していく。薬草レーダーでも搭載しているのかと疑いたくなるほどイングヴァルは正確かつ的確に薬草の生息地に誘う。さすが植物オタクとほめておく。ドヤ顔がうるさい。
森を歩くこと二時間。影勝は以前見つけたリニ草の群生地、つまりダンジョン外の森と草原の境界にたどり着いた。地平線まで続く草原では見たことがない雑草類が風に揺れている。なお、イングヴァルが雑草というので影勝も雑草と思ったので他意はない。食べても苦いだけだそうだ。
遠慮はしたが半分以上採取したはずのリニ草はこれでもかと見せつけるように青々と茂っている。なんなら範囲が大きくなった気がしないでもない。
「生命力強すぎんだろ……ありがたくいただくけどさ」
一束がいくらになる、など考えない。考えると頭を抱えたくなるだけだ。
もうお金は沢山あるので追加で必要とはしていないが病気の人たちを助けるための薬の原料を持ち帰ると勝手にたまっていくのだ。赤十字や孤児院に寄付したほうがいいのかもしれない。
ナイフを地面に刺し、リニ草の周囲を切り取るように土ごと採取する。採取してはリュックに入れを繰り返す。
「ふぅ、しゃがんでの作業は汗をかきやすいな」
少し汗ばんできた影勝はスキルを解除して風にあたることにした。スキルを解除した瞬間、草原を駆け抜けた冷たい風が首元を撫でていく。濃い草のにおいが鼻をくすぐり、東北に住んでいた祖父の家を思い出す。
「割と気温が低いんだな。気持ちいいくらいだ」
影勝が肩の力を抜いて小さく息を吐いたとき、空からピーヒョロロという鳴き声が聞こえた。
「トビ、のわけないよな」
ここはダンジョンだし、と見上げた先には、ちょっとしたジェット旅客機ほどの大きさの鳥が、まさにトビのように羽を伸ばして気持ちよさそうに滑空していた。鋭いくちばしのまさに猛禽類という顔をしている。
「ラ・ルゥだ。ちょっと大きいけどただの鳥だ」とイングヴァルが言う。ウソつけこの野郎めっちゃ凶悪な面してるだろがと影勝が毒づく。
「でっかーーーってこっち見んな!」
ほへーと眺めていた影勝とその巨大な鳥の目が合った。体を傾けて旋回したラ・ルゥは影勝めがけて滑空し始めた。影勝の視界に鋭いかぎ爪が見える。
「やべ、俺、餌かよ!」
「キョーー!」
ラ・ルゥの叫びに影勝は無意識に弓を手に取った。
「死にたくねーっつの!」
影勝が叫びながらリュックから取り出したのは火龍から作られた矢だ。スキルで隠れてもあの巨体で突入されると避け切れない可能性がある。そして足元にはリニ草の群生地。ここは譲れない。
ならば、打ち倒すのみ。
彼我の距離はまだ五〇〇メートル以上ある。爆発の巻き添えは食らわないだろう。
「本当はあんまり使いたくないんだけど!」
弓を引き絞った影勝は【貫通】【加速】【誘導】スキルを併用する。通用しなかった場合、巨体アタックが待っているので全力だ。
イングヴァルの弓から放たれた矢はレーザーのように直線に飛び巨大な鳥の眉間に突き刺さり、大爆発した。しかし爆発の規模が大きすぎた。大気を押しつぶすような可視化された衝撃波が影勝を襲う。
「マジかぁぁぁぁ!」
しゃがみこんだ影勝は無意識に【影のない男】を発動させた。草原を走る衝撃波は森羅万象から拒絶された影勝を素通りする。リニ草を激しく揺らし、森の木々をなぎ倒していく。
そして数舜遅れて電柱の太さの羽がドスドスと何本も地面に突き刺さった。うまい具合に影勝を避けているが、至近に突き刺さるものがあり、「うわぁぁぁっぁあ!」と叫んだ。
「死んだ、俺死んだ。絶対に死んだ! 碧さんごめぇぇぇぇん!」
人生で初だろう絶叫だ。
衝撃波のあとに爆音が轟いた頃、草原が静かになり、影勝はようやく自分が生きていることを感じた。
「お、おおお俺生きてる!??」
がばっと立ち上がった影勝は、広範囲になぎ倒された木々を見た。根元から折れている、もしくは根ごと倒れている木々に唖然とした。
「な、なんじゃこりゃぁぁぁ!」
叫ぶしかなかった。
「落ち着け俺、落ち着け。そうだ水だ」
リュックから水を出しひと口含んで大きく息を吐く。少し頭がクリアーになった気がする。
「しかし、すげえな……」
ようやく落ち着いた影勝は周囲を見渡した。草原にはラ・ルゥの亡骸が転がっていて、自身の周りには長さが三メートルはあろうかという茶色の羽が何本も地面に突き刺さっている。「ラ・ルゥの風切羽だ、なかなか貴重だぞ」とイングヴァルが言っている。風切羽とは、羽ペンとして使われるアレである。
何だそれと頭に疑問を浮かべれば、魔力を流すと風が発生すると答えが返ってきた。羽に乗って空を飛べるとも。魔女の箒のようなものかもしれない。小学生くらいの女児と大人な女児にバカ売れしそうだ。
「貴重なら持ち帰るか……」
ざっと見ただけでも一〇本以上の風切羽がある。電柱ほどの太さがある風切羽を地面から抜き取ると、かなり軽いことに驚く。一キロもないかもしれない。入るかなとリュックに差し込めばするっと入った。容量としてはごくごく小さいようだ。
「なんだあれ?」
風切羽を回収していた影勝は、ラ・ルゥの死骸に群がる白いもふもふを見つけた。成人男性ほどの大きさの、ウサギのように耳が長いもふもふが死骸を喰っていた。
死肉ウサギだ食うと旨いぞとイングヴァルが言ってるが、血で真っ赤に染まった口の中にサメのような獰猛な歯を持った姿に影勝の背筋に悪寒が走る。その数はどんどん増えていく。本能的が逃げろと訴えていた。
「やばい、あれはやばい」
影勝は一も二もなく、ズタズタになった森に逃げ込んだ。影勝は森を速足で進む。以前あのリニ草の群生地に来た時に、草原に入らなかったことは正解だった。あの時のレベルでアレの群れと戦闘になるなど今ですら考えたくもない。数は力だぜ兄貴だし、肉食のうさぎ怖い。
「こ、ここまでこればもうダンジョンだろ……」
頭上をキラービーが通過していったことでダンジョンに戻ってきたと判断した影勝は地面にへたりこんだ。




