15. 鹿児島ダンジョントリプルデート(4)
渓谷の空気は冷えているが湿度も高いので少し動くだけで汗ばむ。
「たくさん採れたよ」
額の汗をぬぐう、やり切った碧の笑顔のまぶしい。汗で前髪がくっついているのも色っぽくてよい。とても良い、と影勝は心で叫んだ。
ちなみに、碧が気が付かないうちに退治したモンスターは五匹だ。大きさ的に極小の魔石だろうから放置している。
「東風も休憩しようぜ」
「オッケー。香織、休憩だぞ」
「やったー、労働後のおやつは最高なんだぞー」
東風に促された香織も笑顔だ。堀内が準備した休憩スペースにあつまりめいめいがおやつタイムだ。自然と三つのペアに分かれる。なお、片岡はあれからずっと何かを食べている。イケイケモードの堀内が甘やかしている可能性が高い。
「ギルドの売店で買ってきた」
「あ、かるかんだ」
「ギルド長のおすすめだってポップもあったし」
「お茶は冷えてるほうがいいよね」
碧がポシェットから冷えたお茶が入っている水筒を取りだす。お湯も持ってきているが汗ばんでいるので冷たいほうが良い。
かるかんとは鹿児島の郷土菓子で、見た目はふわふわした白い饅頭だ。ほんのりした甘さで食べる手が止まらない魔性の菓子である。
「いただきまーす」
碧が小さい口ではむはむ食べていく様子を影勝は横目で見ている。いつもは縛った髪を肩から胸にふんわり落としているが、今は汗ばんでしっとりしているから肌に髪が張り付き、可愛さよりも色気が強調されて影勝のハートを打ち砕いているのだ。若いんだからしょうがない。
おいしいはずのお菓子をあまり味わえていない影勝がお茶を飲んで鎮めようとした。無理だった。
「わたしはビニール袋一つ分だけど、影勝くんはどれくらい採れた?」
二つ目のかるかんのパッケージを剥いている碧が尋ねた。
「袋四つ分くらいは採ってると思う」
「すごいねー、やっぱり影勝くんはすごいなー」
多く確保できたうえに影勝の採取のうまさを実感した碧はニコニコが止まらない。ビニール袋いっぱいで、ざっくり一〇〇錠になる。碧と影勝で五〇〇錠になる計算だ。
椎名堂は痛み止め一〇錠を二〇〇〇円で販売している。一錠で二十四時間効果が続くので生理痛用だとしても月二〇〇〇円で済む。余れば翌月に回せばよい。これでも原価割れ寸前利益なしの価格である。金にはならないが苦しんでいる人の緩和になればと売っている薬だ。
陣内は自分用に採取しているので、あとで碧が調薬して渡す予定だ。
「あーおいしかった!」
「ギルド長おすすめだけはあるな」
「ねー」
ふたりしてお茶を飲めば会話も止まる。毎日話をしていればネタもなくなるものだ。ぼんやり崖を眺めていた影勝だが、ふいに「この上はどうなっているんだ」という疑問が浮かんだ。高さ一〇〇メートルならまだダンジョン内だろう。
「崖の上って何があるのかなあ」
影勝の視線を追ったのか、碧がそんなことを言う。影勝の頭にピコーンとベルが鳴った。
「さっきも言ったけど、魔法で上に行ってみる?」
「え、いいの? いくいく!」
影勝が誘えばもろ手を挙げて賛成する碧。初めて会った時に比べると段違いに素が出てきていた。そもそもは明るい子なのだ。
「魔法は俺にしか効果がないから碧さんは抱っこしていくけど」
「だだだだだっこ!?」
「そこまで動揺しなくても」
旭川ダンジョン一階の時はおとなしくお姫様抱っこされてたのに、と影勝はショックを隠せない。麗奈さんもそこは碧さんの指定席だと言ってたのになーと、少し寂しい。
「だだだだって、みんなが見てるし……」
「あ」
突き刺さる視線を感じれば、おやつを食べ終えた四人が影勝をニヤニヤ眺めている。
「碧っちがんばー!」
「いってらっしゃーい!」
片岡と陣内にあおられ、碧は「わわわかりましゅた!」と噛んだ。影勝は思わず鼻を押さえて悶えた。鼻血が出るかと思った影勝、本日二度目のノックアウトである。
ともあれ、見られている緊張でカチコチの碧を何とかお姫様抱っこすると外野から黄色い声援が飛ぶ。言外に「けりをつけろ」という圧に感じてしまう。実際そうなのだが。
「それじゃいくよ」
合図として碧に声をかけたところ、彼女が影勝の首に腕を回してきた。白衣に隠された果実が押し付けられ、影勝のボルテージが上がる。
「おお落ちると思ってないけど、念のためね。みみ密着する絶好の機会とか思ってないからね」
顔を隠すように俯く碧。ごちそうさまですありがとうございますと心で絶叫する影勝。いいからはよ登れと醒めてるイングヴァル。
カオスだが影勝は魔法のために深呼吸で気を鎮める。碧を抱える以上、失敗など絶対にあってはならないのだ。
「今の身体能力だと三メートルは余裕なはずだ」
影勝はギルドに行く前に葵に自身のレベルを見てもらっていた。火龍を倒したからだが、そのおかげかレベルが三十八まで上がっていた。ここまでレベルが上がると身体能力は常人の数倍だ。
影勝は空中を凝視し、三メートルの段差の階段があると念じる。視界にうっすらと巨人用の階段が見えた瞬間、影勝は跳躍した。およそ五メートルほどの高さに空中に降り立つ。
「わ、すごい、本当に空中に立ってる!」
楽しいのか碧が足を小さくパタつかせる。足元からは「おおおお!」と歓声が上がる。手ごたえをつかんだ影勝は段差が三メートルある階段を飛ぶように駆けあがっていった。
「わ、高い! 速い! すごぉぉぉぉい!!」
秒速五メートルほどで目線が上がっていく最中、碧が嬉しそうに叫んでいる。故下にいる東風らの姿は米粒くらいになっていた。
「もうちょっとで崖の上が見えそうだなっと」
影勝が最後に大きく跳躍すると崖の上よりも目線が上になった。崖の上が見えるまで駆け上がるのに要した時間は一分。こんなもんだろう。
崖の上は森になっており、その先には巨大な山が連なっていた。間近で見る富士山よりも大きい。山のない方角は地平線まで緑一色だ。渓谷は山を縫うように続き、その地平線にある湖に続いていた。
吹き付ける風がふたりの髪を乱していく。
「おおおお」
「わぁぁぁ」
ふたりの口からは感嘆の叫びしか出てこなかった。
「崖の上は森で見通しも悪いし、もう少し上まで行ってみるか」
崖の上を見る予定ではあったがそこは鬱蒼とした原生林で歩くのも苦労しそうだった。森なら旭川でも堪能できる。ならば上空へ行くのだ。
「わ、なんかでっかい恐竜みたいのがいる!」
碧が指さすほうには、森の木々よりも背が高い首長竜のような生物がのそりと動いている。森からはギャーギャーと鳴き声も聞こえる。まるで恐竜時代のようだ。
「あれもモンスターなのかなぁ」
あの恐竜がいるのはダンジョンないだろうか。それとも外だろうか。倒したら魔石になるのだろうか。もしかしたら火龍のように遺体が残るのだろうか。あまり深くは考えたくない問題だ。
「ダンジョンって、広いんだねー。別世界みたい」
碧が何気なくつぶやいたが、それは影勝も思っていることだ。
「ほんと、広いよな……」
ふたりはそれっきり、景色に見入ってしまう。
五分はそうしていたろうか。ふいに碧が影勝の顔を向ける。強い意志がこもった碧の瞳に、影勝も見つめ返す。
「あのね、影勝君が霊薬の材料をそろえられたら、わたし、調薬しようと思うの」
「……大丈夫、完成品を探すから」
「違うの。病院でね、わたしがハイポーションを増やしたから、救えた人がたくさんいたの。それが嬉しかった。もし、霊薬を作れたら、たくさんの人を救えるんだなって」
碧は影勝と目を合わせたまま、静かに語る。影勝は彼女が言いたいことを終えるまで黙っていることにした。
「ほんとはね、失敗するのが怖いんだけどね、でもね、やらないよりは、全然いいんだ。やらなければ失敗はないけど、救える可能性もないんだよね。わたしが動けば、失敗するかもしれないけど、可能性はゼロじゃないんだって。だからね、やってみようかなって」
言い終えたのか、碧は俯いてしまった。ふたりっきりで話せるこの機会を狙っていたのだろうか。碧の精一杯に影勝は答える義務がある。
「碧さん、失敗して怒られるなら逃げちゃおう。絶対の成功を求めるのは間違ってるよ。俺も一緒に逃げるからさ。どこまででも一緒に。あの地平線の向こうまで逃げちゃおうぜ。見つからないで逃げ切る自信はある」
「……どこまでも?」
「そう、どごまでもね」
「絶対?」
「絶対に。いつまでもどこまでも一緒にいるよ」
影勝は言い切る。安心させるためではなく本心からの言葉だ。碧は顔を上げ、そして笑った。
「ふふ、プロポーズみたいだね」
「あ」
並べた言葉は、そう取られてもおかしくないものばかりだった。だが、影勝は否定するつもりはない。
「あの、俺、年下だけど、碧さんのそばにいたくてさ。その、好きだから付き合ってください!」
逃げられない状態で告白など言語道断で男の風上にもおけないが、このふたりに限ってはそうではない。碧も予感はしてきたはずだ。
その証拠に、碧は目に涙を浮かべながらも満面の笑みだ。
「よよよよろしくおねがいしましゅ」
「……噛んだ。ぷぷ」
「ふぇぇぇ大事な時にいい」
「そんなところも好きだな」
「うううう」
碧は顔を真っ赤に染め、影勝の頬を掴むのだった。