10.オークションに参加する影勝(6)
影勝が弓をリュックにしまうと葵はさっさと通路を歩いていく。後に続く影勝には、会場からの好奇の視線が刺さる。遠くに外人の姿が見えるが、遠巻きにしているだけで手は出してこない。そのまま会場を出た三人は階段を上がり昨日と同じ部屋に入った。
部屋には八王子ギルド長の金井がかったるそうに椅子に腰かけていた。その横にはクラン【三日月】のふたりもいる。他のギルド長らの姿はないが、ギルド関係者と思われる人らは一〇人ほどいた。
「おっとー、会場を沸かしまくった椎名堂のお出ましじゃねーか」
「こんにちは金井ギルド長。これは、今後のために必要にな投資ですよ?」
「……弓がかぁ?」
「えぇ。ちょうどいいわね、影勝くん、それを引けるのかしら?」
葵が確信に満ちた笑みを向ける。
「やってみます」
影勝が返答すると、部屋中の視線が彼の挙動に注がれる。影勝はリュックから弓を取り出し、左手で持ち右手の親指と人差し指を弦に添えた。弓がほんの少し、震えた。
懐かしい。
触れたこともない弓だが、握りの部分がしっくりくる。何万、何十万回と握った跡が少しへこんでおり、そこに影勝の指がぴったり当てはまる。
軽く息を吸い止め、右腕をぐっと背に引く。ギギギと悲鳴にも嬌声にも似た音を奏で、弓が絞られる。左手に力を籠めると、弓が緑に煌めいた。
影勝の頭に、イングヴァルの記憶が流れ込んでくる。相棒であるこの弓と旅した記憶だ。未知の植物を求めた旅を邪魔するモンスターやドラゴンなども打倒してきた相棒だった。影勝の目から一筋の涙が零れ落ちる。
「おいおいおいおいどうなってんだこれ! そーゆーことかぁ?」
金井が驚愕の顔で立ち上がった。出てきたのは八王子ダンジョンで、金井は実物に触れ、弓を引くことができなかったことも経験済みだった。葵は当然だというどや顔だ。
影勝は静かに弦を戻して小さく息を吐いた。
「影勝君、かっこいいね! すっごく似合ってた!」
「碧さん、落札してくれてありがとう」
「影勝君の大事なものなんでしょ?」
影勝は小さく頷いた。
「よかったぁ」
碧が向けたのは。これ以上ないくらいのまぶしい笑顔だった。
昼食も終われば部屋のざわつきも落ち着く。影勝は碧に声をかけ、クラン【三日月】のふたりの元に向かった。ふたりに気が付いた相川代表と家永副代表が顔を向ける。
「あの、近江影勝といいます。昨日はありがとうございます」
「ししし椎名堂の碧です。昨日はありがとうございました」
ふたりが揃って頭を下げると、相川が「ご丁寧にありがとね」と返す。
「まぁでも、こっちも依頼で動いてるからさ」
「そうそう、気にしないでくれたほうが気が楽ってもんだ」
相川と家永が、金井を見ながら手で金のマークを作る。依頼主へのアピールだ。
「でも、かなりの人数がいました。あれだけの人数を動かすのは大変だったと思います」
「うちは人数が売りだからね。数なら他に負けないのさ」
相川がカラッと笑う。
「ま、人数だけはな」
「その人数だけのクランばかり使い倒すのはどこのギルド長なんだかねぇ」
「あっはっは、俺っちだな!」
「ちょっとは悪びれてくれてもいいんじゃないかい?」
金井と相川のやり取りに家永は苦笑するばかりだ。いつもこうなのだろうが、それは金井からの信頼でもあるのだ。
「まぁ、そういうわけで、気にしなさんな……それだけじゃないって顔してるようだけど他にもあるのかい?」
相川にズバリ言われた影勝は小さく頷く。影勝は傷跡消しの薬を一個しか落札できなかったことでかなり気落ちしていたのが気になっていた。
「傷跡けしの薬のオークションでの様子を見かけてしまいまして」
「あー。あれはね、仕方ないさ。他のクランだって欲しいのさ」
「その、そこまでして欲しがるのが気になって。怪我ならポーションなりで治療すればいいんじゃないのかなと」
「んーそっか。君はまだ新人なんだっけね」
相川が苦笑した。影勝は、自分は変なことを言ったかなと反芻するが、思い当たらない。
「ついでだ、教えてやれって」
金井が言うと、相川が「いい機会だからね」と影勝と碧に椅子に座るように指で示す。
「探索者は普通の人よりは強いけど、年を取るのは一緒なんだ。あたしみたいにババアになれば体力的にも精神的にもきつくなる。若くても精神的に病んじまうとかもいるさ。そうすりゃ引退となるんだけどね。ただ探索者ってのは怪我と友達でね。特に若い時に負った怪我は残ってるもんなんだよ」
「治療はしなかったんですか?」
「そりゃ金があればポーションを買って治せるだろうけど、駆け出しの探索者にその金はないだろ?」
「あぁ、ありませんね……」
そう言われた影勝は東風らを思い出した。彼らは両親を探索者に持つダンジョン孤児だ。もちろん影勝も金はなかった。弓や防具を買い、宿の支払いをしたら残金は二万円だった。そこで怪我を負ってもポーションを買う金はない。
「強くなれば今度は必要なものも高額になっていく。傷跡消しは後回しになるんだ。歳を食って引退を考えた時に金があれば傷跡くらい消さばいいさ。でもさ、その歳でうちにいるようじゃ余裕はないだろ。普通の人間に戻って社会に復帰するって時に顔に傷でもあったら、相手はどう思うよ」
「人となりは別としても、驚くか怖がるか、ですか?」
「人間中身が大事だって言っても、最初の印象は絶対なんだ。だからね、送り出す時くらい、きれいな体にしてやりたくってね」
相川は小さく息を吐く。傷跡消しにこだわるのは、彼女なりの親心なのだろう。人数が多ければ送り出す人も多い。数が必要なわけはこれだった。
「そうだったんですね……」
新人ではあるが考えが及ばないことに影勝は恥ずかしくなる。自分は恵まれているのだと、改めて思い知らされた。
「ま、落とした分で何とかするのがあたしの腕前さ」
相川が自分の左腕をバシンと叩く。
できることできないことがある。できることをやればいい。
葵の言葉が影勝の頭に響く。
やれること、自分にやれることは。
「あああの、商品の品質を確認、さささせて貰っても、いいいいでしょうか!」
黙って横に座っていた碧が声を上げる。
「品質って、椎名堂の品質を疑うなんてありえないさ」
「今までだって買ってるけど、不良品なんて一つもなかったぜ?」
「そそそれでも、確認したくて」
相川と家永が訝しむも碧はなお食い下がる。碧が何かをしようとしていると感じた影勝は「お願いします」と頭を下げた。
「製作者本人に言われちゃ断れないねぇ。はいこれだ」
眉をひそめた相川がカバンから出した樹脂製の軟膏入れを碧は受け取る。くるくるとふたを開けると、白濁した軟膏が現れる。
「影勝君、チェックしたいから、あれを出してもらえる?」
碧の顔は笑顔だった。影勝はその笑顔ですべて理解した。
「あぁ、あれね。どれくらい?」
「一滴あれば」
「難しいなそれ」
ふたりのやり取りを黙ってみていた金井が身を乗り出し、葵は「仕方ないわねぇ」とため息をつく。相川と家永は何をするのやらと首をひねっていた。
碧がポシェットから取り出した小さじを受け取った影勝はリュックに差し入れほんの少しだけ精霊水を掬う。小さじにはごくごく小さな水たまり。それを碧に渡した。
「うーん、これでも多いね」
と呟きながら小さじを傾け、ほんの一滴だけ、軟膏に垂らした。碧は軟膏に蓋をし、手を載せる。
「【配合】」
碧がスキルを発動すると樹脂の容器が明滅と振動を始め、数秒で収まった。
「……できた」
碧が会心の笑顔を影勝に向ける。
「……碧、それじゃ濃すぎるわ。相川さん、それを使用するときはワセリンで五倍に薄めてください」
じっと見ていた葵から待ったが飛んでくる。
「え、おかあさん、そうなの?」
「最低でも五倍。できれば七倍くらいが使いやすいかも」
葵の【見通し】にはそう視えるのだ。
「五倍に薄めないとだめなのかい?」
「えぇ、ちょっと強すぎるみたいなので。こちらの作製ミスで申し訳ありません」
「強すぎるって……」
「申し訳ありません」
葵が相川に深々と頭を下げると碧も続く。
「五倍にしたら効果が少なくなりやしないかい?」
「いえ、五倍にしても通常のものより効果が強いです」
「はぁ? なにかい、つまるところ、効果が上がって量が五倍になるってことなのかい?」
「えぇ、そう受け取っていただいて結構です」
「どどどどうすんだいギルド長ぉぉ」
慌てた相川が金井に顔を向ける。助けてと顔に書いてあるようだ。
一〇〇グラムで1千万円だった薬が五〇〇グラムに増量されたがお値段そのままだ。効能は強化されてすらいる。詐欺だとしても慌てるだろう。
「相川、落ち着けって。葵ちゃん、つまりなんだ、それがあれか」
「はい。当方の信用問題にもなりますので、口外は避けていただければ」
「あーーーわかったわかった。口外するとこっちがやべーやつだな! よし相川、ありがたく受け取っとけ! 絶対に表に出すなよ? 襲われても知らねーぞ?」
「「えぇぇぇぇ!」」
相川と家永が目を大きく開けて絶叫した。さすがに影勝も、やっちまったなこれ後で説教だな、と身震いする。
やはりというか、午後のオークション参加は取りやめで影勝と碧はホテルに強制送還となり、そこで九〇分にわたるお説教の末にいろいろとわからされたのだった。
午後のオークションが始まる前、椎名堂の空の個室の前には、マイケルと部下ふたりが立っていた。付近の個室からは奇異の視線が注がれている。
「午前中はいたはずだ」
「弓を落札してましたな」
「逃げられたか?」
「少佐、大使には悪いが拉致ったほうが早いのでは」
「明日、駐日大使と日本政府の役人が会談すると聞いている。相手に有利になる拙策は不味い」
「病で死を待つ軍人が何人いると思っている。彼らを見殺しにはできん。今日は引き上げる」
「イエッサ」
名残押しそうに無人の個室を睨んだマイケルは、そのまま会場を後にした。