9.母親に会う影勝(3)
「うおっ!」
引き寄せられ体勢を崩された影勝は、麗奈に抱き付かれた。影勝は離れようとするが鉄に挟まれてるようで微動だにしない。普通の人の三倍ほどの身体能力の影勝が完全に抑え込まれていた。
「え、ちょ、離れ、すげえ力だ」
「うん、いい胸板」
「れれれなさん、何してるの!?」
「彼氏のボディチェック」
ひとしきり締め付けて満足したのか、麗奈は影勝を解放した。凄まじい力で締め付けられた影勝の体が悲鳴をあげている。
「しなやかな胸筋。弓使い。合格」
麗奈が口許に弧を描く。碧は影勝の体をペタペタ触り、ポシェットから傷薬を取り出した。
「碧さん、なんともないから」
「ででも」
「とても良い彼氏。裏山。お詫びにこれを」
麗奈はつなぎの後ろポケットから一握りの四角い金属を取り出し、掌に載せた。
「【錬成】」
掌の金属はぐにゃりと溶けだし、蠢く様に形を変える。ゆっくり人型になっていくそれは、やがて白衣を着、眼鏡をかけた碧に変化していった。薬草を手にし笑顔の碧を模った小さな像になった。控えめに言っても可愛い。超かわいい。
「大事にして」
影勝の手にその像を置いた麗奈は「では明日」と言い残して廊下を戻って行った。影勝は碧そっくりの像に見入ってしまう。お守りにしよう。
「相変わらず個性的ねぇ」
背後にいた葵がため息をつく。そこにいたなら助けて欲しかったと思ったが碧が腕にしがみついて来たので影勝は思考を止めた。持っていた碧の像もとられた。
「あの人は一体」
「麗奈さん。鹿児島ダンジョンの錬金術師で高田製作所の人だよ」
「高田製作所!? めっちゃ有名な武器職人でしょ!?」
影勝は驚いた。高田製作所がダンジョン産の鉄を使って強力な武器を作る武器職人だとは知っていたが、本人はあまり表に出てこなかったのだ。メイドバイ高田製作所の武具は探索者垂涎の一品だった。
「そうなんだよ、すごいよね。二年前くらいかな、麗奈さんが突然すごく気分が悪くなって、それが一週間ずっと続いた時があって、わたしが気つけの薬とか持っていったら治って、それ以来の友達なんだ」
「有名人の知り合いはやっぱり理有名人なのか」
住む世界が違うな、と改めて実感する。
「麗奈さん、あー見えておっぱい大きいの」
「突然何を……それをわかる余裕はなかったよ。死ぬかと思った」
「わたしも、負けないよ?」
「碧さん、張り合わなくていいからね? あとその像返してね」
「あらあらアオハルねえ」
高級ホテルの廊下でやることではない。
気を取り直した一行は最上階のロイヤルスイートに入る。エントランスに入った影勝がひとこと。
「玄関が俺の泊まってるホテルより広くね? 奥にリビングがあって寝室は別とか、おかしくね?」
一般ピーポーな影勝の怨嗟の声でもある。金持ちの感覚にはついていけないのだ。
「無駄に広いよね」
「お金を使わないといけない立場の人もいるのよ」
椎名母娘はこの感想だ。
リビングに入った影勝は、自分が泊っているホテルの部屋の何倍あるんだと驚き、風呂がふたつもありトイレもふたつあることを知り、呆れて悟りを開くまでになった。こんな世界は知らなくっていいや。
「さて、夕食の前にお風呂ね。温泉があったはずだから、そこに行きましょうかね」
葵の号令で三人は着替えをもって温泉の大浴場へ。部屋に露店風呂はあれども温泉ではない。富裕層ならゆっくり浸かれる部屋風呂なのだろうが庶民派な一行は温泉を優先する。
「あー、いい湯だったぁぁぁぁ」
温泉に浸かりほかほかになった影勝は大浴場脇の休憩スペースでマッサージチェアに埋もれていた。もちろん全て無料である。金持ちはコインなど持ち歩かないのだ。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
二十歳にもなっていない若者がおっさんのようなうめき声でマッサージチェアのなすがままになっていた。
「む、碧の彼」
「あ、高田さんんん、先ほどぶりですぅぅぅぅ」
湯上りで髪がしっとりの麗奈が赤いつなぎ姿で大浴場から出てきた。湯上りで火照った色気に目を奪われると思いきや影勝はマッサージチェアの魔力に抗えないでいる。
「麗奈でいい。碧は長風呂」
「そうなんですねぇぇぇぇ。じゃあぁぁ、ゆっくり待ってようかなぁぁぁぁ」
部屋の鍵は葵が持っており、ふたりが出てこないと部屋には戻れないのだ。マッサージは時間つぶしでもある。
「碧が楽しそう」
「そうですねぇぇぇぇ、初めて会った時よりぃぃぃ、明るくなったきはしますねぇぇ」
「たぶん、君のおかげ」
「そうだと嬉しいなぁぁぁ」
碧の悩みの原因は予測はしてるが、本人が話したくないのなら聞かない。話すことで楽になるかもしれないが、逆なこともある。それは当人にしかわからないのだから、影勝は待つことにしている。
「碧、出てきた。早い」
緑に染まった白衣姿の碧と葵が揃って出てきた。こちらも服装は変えないつもりらしい。
「れ、麗奈さんー、ま、また影勝君にちょっかい出してる」
「邪魔者は去る。では明日」
麗奈はすすっと廊下へ消えた。影勝はマッサージをオフにし、立ち上がる。碧はトトトと歩いてきて影勝を見上げた。
「なにを話してたの?」
「碧さんは長風呂だって」
「……そんなに長くないよ? ウチだと、九〇分くらいだよ?」
「分に直しても長いものは長いよ?」
「お風呂で本を読むのが好きなんだもん」
ぷぅと膨れる碧。影勝は頭をなでる誘惑に勝てず、碧の頭に手を載せなでる。なでる。
「わたしがお姉さんなのに」
「可愛いものをなでたくなるのは真理だよ?」
「可愛い……可愛い……」
「はい往来でイチャコラするのはそこまでにしなさいね、湯冷めしちゃうから部屋に戻りましょう」
葵に促され、そそくさと部屋に戻るのだった。
椎名堂の面々が温泉を堪能しているころ、防衛省に向かった綾部は、他ギルドのギルド長らと会議を行なっていた。市ヶ谷の防衛省ないにある地下会議室にギルド長五人と迷宮探索庁長官の六人が円卓についている。
「今回は旭川は椎名堂がメインですか。二年ぶりですね。巴さんから聞いている物が楽しみですね」
この中で一番年嵩と思われるストライプのスーツ姿の男性が声を発する。鹿児島ダンジョンギルド長の玄道 道久五十五歳だ。だ。一見するとサラリーマン風だが現役の探索者だ。スキル【岩を砕く男】を持つ、名持である。
「新人探索者に椎名堂と相性の良い名持がいましたから」
綾部が引き継ぐ。東京で温かいはずなのだがマフラーは外せないようだ。
「噂に聞いたけど、巴っちの中の人の知り合いみたいじゃん?」
長髪でチャラそうな男性が人差し指をピッと綾部に向ける。八王子ダンジョンギルド長の金井 誠四十五歳だ。チャラそうな人物で実際にチャラい。スキル【風を掴む男】を持つ、やはり名持である。
「未踏エリアに到達したと聞いたぞ。ワシのところにもほしいのぅ」
ブランド物のスーツに身を包み、見事な金髪を誇る男が顎をさする。金沢ダンジョンギルド長の加賀 秀俊五〇歳だ。加賀百万石を現世に復活させようとたくらむ土地の名士でもある。スキル【天翔る男】を持つ、名持だ。
「本当かどうか疑わしいですけども」
和服を着こなす女性が扇子で口元を隠しながら綾部に流し目を送る。高知ダンジョンギルド長の坂本 真弓四十三歳だ。神経質で綾部をライバル視する女傑で何かとケチをつける。スキル【未来を知る女】を持つ、名持だ。
日本にあるダンジョンのギルド長はすべて名持となっていた。
「その件については、今日は議題に致しません。後日でお願いしたく」
紺のスーツ姿の初老の男性が両断した。防衛省迷宮探索庁長官 二瓶 崇継六十三歳だ。官僚出身のいわゆる背広組だ。一応探索者の職業は持っているが、一般人と変わらない程度でしかない。会議における彼は、暴走しがちなギルド長の言動を法律と照らし合わせて可能かどうか、不可能であれば立法もしくは法改正を働きかける存在だ。
「明日のオークションだろー? 俺んところは職員に投げっぱなしだから俺よく知らねーんだよなー」
八王子ギルド長の金井が椅子の背もたれに体重をかけへらっと笑う。
「自分のところの出し物くらい把握しておきなさいよ」
高知ギルド長の坂本は苛ついているのか、手のひらでペンをもてあそんでいる。
「鹿児島からは【鉄と遊ぶ女】が来ております。珍しく気分がいいそうですので、荒れるかもしれません」
「ふむ、彼女が来ているのか。それは騒ぎになりそうだ」
「巴さんのところからは椎名母娘が揃ってきているではないですか。しかも新人男性探索者を連れまわして。鹿児島薬師会は大騒ぎですよ」
「あぁ、彼こそがうちのメインの出し物だ」
鹿児島ギルドの玄道と綾部がやりあっている。
「皆さんの自慢はわかりますがそこそこに抑えてほしいですな。さて明日からのオークションですが、未来は見えますかな?」
二瓶が高知ギルド長の坂本に水を向ける。彼女のスキルは未来視だ。五年後までかつ映像ははっきりしないという制限はあるが、非常に優れたスキルだった。
「わたくしの未来視では、会場は無事ですわね」
「会場は、ですか」
「在日米軍がオークションに参加するってーのは聞いたぜー。急に参加を申請したってなー」
「防衛省のほうへ正式に打診がありました。たまには参加しないと、というのが理由のようですが」
「たまにの参加を緊急でぶち込んでくるはずがないでしょう。何を企んでいるのか」
「まさか国内で重火器をぶっぱなすとかねーよなー?」
「ワシのとこも何人か呼んでおいた方がよいかのぅ」
「現地で不審者がいればわたしが見つける」
ギルド長らは探索者なのでわりとパワーで解決しようとするきらいがある。それを止めるのが二瓶の役目なのだが。
「自衛隊との関係を考えれば無下に断ることもできません。お目付け役として通訳に隊員をつけ、会場警備に特戦群を充てる手はずにはなっています」
「アメリカもダンジョン探索は滞っていると聞きます。突破口的なブツを探しに来ている可能性もありますね」
「それが人でなければいいがのぅ」
加賀の一言で場が静まる。アメリカにも当然ダンジョンはあり、踏破は日本よりも進んでいる十六階だ。圧倒的な武装で踏破していたが戦線が長引くにつれ補給に難儀していた。十六階ともなれば、怪我人を地上に送るだけでも一苦労で、重症ならば死亡もありうる。ダンジョン病もほぼ軍属のみで、その数は探索者比率でいうと日本の倍以上で、患者数も二〇〇〇人近い。
軍事で特化したため民間の探索者はあまり強くなく、その代わり兵站を支えるための生産職が強い。日本とは異なった環境になっていた。
ギルド長が集まっているこの中でも綾部が一番危機感を抱いていた。影勝はアメリカが望む、まさにそのスキルを持っているのだ。薬草オタクのイングヴァルにアメリカの薬草ダンジョンという餌をぶら下げた場合、そちらに引きずられる可能性も否定できない。
今のところは母親と碧の存在がもやいになっているが、母親のほうは妖精の秘薬で解決に近づいてしまった。碧は影勝になついており、彼が出国した場合ついて行ってしまう恐れすらある。
近江君と米軍の接触は避けなければ。葵さんに相談だな。
参加者全員がおもむろにスマホを取り出しどこかに連絡を入れる。
「夜中にチャーター機を飛ばせばこれるのではない? 費用については目をつむっていいわよ」
「石川からだったら夜通し走ればこれるであろう? バスでもトラックでも」
「首都防衛のための八王子っしょ? 全員会場で俺っちと握手。アンダスタン? ダンジョン? とりま忘れとけって」
「高田君ですか? 後ほど打ち合わせがしたいので時間をとってほしいんです」
「綾部だ。葵さん、明日についてなんだが……」
その様子を見ている二瓶の額には、玉の汗が見えていた。