9.母親に会う影勝(1)
ギルドでの打ち合わせ後、儀一の店に行き、残ったドカン茸を納品し昼時に臨時のキノコ祭りが開催された午後、影勝は再びニ階にいた。ヒール草を取りに来たのだが、カラスに嫌がらせされているパーティを見つけ、体が動いてしまった。
「あのカラス、撃ち落としてもいいですか」
「お、いいぞ!」
「たすかる、頼む!」
「おねがい!!」
影勝が声をかけると、拒否するパーティはなかった。みなカラスには辟易しているのだ。
ヒール草を採取しつつ助っ人をやっていたら夕方になってしまっていた。
「助かったぜ! 困ったことがあれば声をかけてくれ」
「ねえ、よければうちのパーティにはいらないか?」
「弓ねえ、私たちも視野に入れようかしら」
帰り際のギルド内で、二階で会った探索者から声をかけられた。意図してやっているわけではないが、影勝の顔は知られたようだ。
影勝が三階の森の奥を探索していたある日、偶然にもリニ草の群生地を見つけてしまった。ゲートから歩くこと四時間ほどの場所で、森が途切れれ草原が地平まで続いている。
「ドカン茸がないのにリニ草が大量に生えてる? なんでだ?」
リニ草は草原と森が途切れる堺に群生していた。青く茂る草たちを押しのけるように一帯を陣取っている。夜露なのか、リニ草がキラキラと輝いて見えてさえいた。
「そんことより、森が終わってる……」
影勝は森を振り返り、そしてまた草原を見た。何度も同じ動作を繰り返したが、森と草原はそこで別れている。ダンジョンの境界の外なのは間違いなかった。ギルドの冊子にも五階までは探索し尽くされていると書かれていて、三階は全て森だと確認されていた。
「ダンジョン外、かよ」
影勝は恐ろしさに草原に足を踏み出せなかった。出たが最後戻れなくなるのでは、という恐怖が本能を支配したのだ。
「リニ草を取ったら帰ろう」
リニ草を三〇株ほど採取したが群生地の一割にも達しない。見えているだけでどれだけの金額になってしまうのか。影勝は恐ろしくなってしまった。尻尾があるならば股の間に挟んだであろう。
逃げるように、ギルドにすら寄らないで椎名堂に駆け込んだ。碧が絶叫したが、それも仕方がないことだ。
「大麻畑が消えてるな。どこに逃げたんだ?」
「あの精霊がいる泉はここじゃなかったか。いまいち覚えてないんだよな」
三階の大麻畑を探したり、一階の森の奥にある泉の場所を確定する作業をしているうちに、影勝のレベルは十五を超えた。あのカエルがいる泉は見つけたがどうやら彷徨う泉らしく、ひとつの場所にあるわけではないとのことだった。精霊水は遠慮したが周囲の薬草類はありがたく採取した。
ギルドに納品するとヤバいと判断して薬草類は全て椎名堂に納入していたが、魔石の納品額だけで五〇〇万を超えた。椎名堂に売却した分を合わせれば間違いなく三級探索者になっている。持ち帰った薬草類でオークションに出品できる薬が増え、葵もニッコリである。
綾部には伝えていないが妖精の秘薬の量当初のは一〇倍になっている。おおよそ二万人分は確保できたことになる。ただ、それでも二万人でしかない。需要を満たすには全く足りない。
「よし、この薬草を書けばとりあえず終わりだ」
薬草辞典は、影勝がホテルでコツコツ書いた甲斐もあって世界でただ一つのダンジョン産薬草の指南書となった。写真と乾燥させた実物を添え、採取法まで網羅している。まだ見つけていないが知識としてある薬草類は文字だけにとどまっているがそれは仕方がない。
影勝が作り上げた薬草辞典は、もはや値付けは不可能なものになっていた。
「影勝君ありがとう! 宝物にするね!」
辞典を胸に抱き、花が咲きそうな笑顔の碧は家宝にすると宣言した。
そうして迎えた四月末、影勝は旭川空港のラウンジにいた。椎名母娘とギルド長の綾部と一緒だ。残念ながら工藤はお留守番である。
椎名母娘はいつもの緑に染まった超高級高性能白衣で、影勝はジーパンにパーカーと軽装で、綾部だけがビシッとスーツなのだか首にはふわふわマフラーだ。
「ラウンジって初めてなんだけど、このパンは食べていいんだ。うわ、うまっ!」
「影勝君、あっちに飲み物のあるよ。お酒もあるし」
「お酒はちょっと」
「じゃあジュースだね。持ってくるよ」
「いや、自分で取りに行くって! ちょっと碧さんってば!」
ラウンジ内で影勝と碧がわちゃわちゃしているのを、葵はニヨニヨして眺めている。影勝と話す時だけ、碧のどもりが消えるようになっていた。毎日毎晩話をしていればそうもなろう。
「これなら椎名堂は安泰ね」
「安泰ではなくより発展の間違いでは?」
「ふふ、早く孫の顔が見たいわね」
「そうすれば旭川ギルドも安泰だ」
葵と綾部は顔を寄せている。悪だくみしているように見えるが、まさにその通りである。
「そろそろ出発時刻ね。そこのおふたりさん、そろそろ行くわよ」
葵が腕時計を見ながら声をかける。時刻は午前一〇時を回ったところだ。羽田には昼過ぎに到着予定になっている。
ラウンジを出た一行は送迎のワゴンにのり空港の中ほどに止められている小型ジェット機に乗り込む。
機内は一〇席のシートと搭乗員が二名。ふかふかのシートに腰を沈めた影勝か居心地悪そうに身を縮める。隣に座っている碧は影勝が作成した薬草辞典を開いて読んでいる。
「影勝君、どっしり構えてていいのに」
「碧さんは慣れてるだろうけど一般人の俺はびくびくしちゃうって」
「うーん、慣れて!」
「……最近の碧さんは容赦がないな」
機体は滑走路に滑るとすぐに離陸し、空に消えていった。
羽田空港に着陸したのはちょうど十二時だった。持ち込んだ料理を機内で食べたので、ホテルにチェックインした後、小金井の国立難病センターに行くことになっている。
市ヶ谷にある防衛省に向かう綾部と別れ、空港から手配していたハイヤーに乗り、文京区にある五つ星ホテルに到着した。日本庭園が素晴らしい高級ホテルで影勝は入り口ですでに圧倒されている。
「ここ知ってる。すっげー高いホテルだ」
「高いだけあってセキュリティも万全なのよね。警備員が元探索者で固められてるし」
「な、なるほど」
エントランスに入れば着物姿の従業員がそっと寄ってくる。
「椎名様でいらっしゃいますか?」
「えぇ、三人ね。行くところがあるから先にチェックインだけお願い。帰ってくるのは夜になるかもしれないわ」
「かしこまりました。お部屋は最上階のロイヤルスイートとなっております。お荷物などはございますか?」
「みなマジックバッグに入れてるから、ないわね。ハイヤーをお願いでいるかしら?」
「ただいま手配いたしますのでロビーでおくつろぎください」
特徴的な白衣で誰だかわかるのだろう。スイートに三人と聞いて影勝はぎょっとした顔になるが碧に手を引かれロビーのソファに座らされ、彼の意見は黙殺された。
すぐに珈琲と茶請けのクッキーが運ばれ、影勝の目の前に置かれる。一般ピーポーな影勝にとって非常に居づらく、腰がむずむずする。
「年に一回くらいしかないから楽しんだほうがいいわよ、影勝くん」
「年に一回でも多すぎますって」
「影勝くんはここに泊まるのが当然なくらい稼ぐんだから、慣れたほうがいいわよ」
「絶対に慣れない自信がありますよ」
葵に揶揄われているうちにハイヤーが到着したようで、先ほどの従業員が呼びに来た。
「当ホテルにお帰りになるまでの手配となっておりますので、ご用事中は近くにて待機しております」
「ありがという。ほらいくわよ」
葵の号令で移動を開始した。ワゴンタイプのハイヤーで、運転席とは完全に隔離され、プライベートな空間になっている。座席も対面式でテーブルと冷蔵庫もあった。
初老男性が運転手のようだ。会話はスピーカー越しである。
「運転をさせていただく久能と申します。本日はよろしくお願いいたします」
「小金井の国立難病センターまでお願いね」
「かしこまりました」
車は首都高の都心環状線から四号線に入る。窓に流れる見覚えのある景色を影勝はぼんやりと眺めていた。
北海道に行ったのにすぐに戻ってくるなんて、思いもしなかったな。
「影勝君のおかあさんって、どんな人なの?」
隣に座る碧がじっと影勝を見つめている。
「近江千恵。母さんは探索者で魔法使いなんだ。父さんは同じパーティにいたみたい。妊娠した時に、母さんは探索者を引退したって言ってた。割と細かいことで怒られてた記憶があるけど、俺が中学の時に父さんがダンジョンから帰ってこなくなって、それからまた母さんは探索者に戻った。それからはあまり会うこともなくなっちゃって、俺が高校に入った時にダンジョン病だって発覚して、すぐに意識がなくなって、入院になってた。生活のために探索者に戻ったんだろうけど、そこでダンジョン病になっちゃったんだろうな。俺は高校生で、働けなかったし」
影勝は自分の思い出を整理するように、とつとつと語る。不思議と悲しさはない。碧に聞いてもらうことで、影勝自身が区切りをつけようとしているのかもしれない。
「そっか……妖精の秘薬が効くといいね」
「もしかしてとは思うけど、期待しすぎると反動も大きいから。効かなくても俺が霊薬を探せれば問題ない」
不安と期待を胸に秘めた影勝を乗せ、ハイヤーは難病センターに到着した。
難病センターは病院と形容するよりは研究所と口に出すほうがしっくりくる外観で影勝が何度も通った場所だ。
勝手知ったる影勝が受付に行く。
「あら近江君。探索者になるって聞いたけど……」
受付にいる中年女性は影勝もよく知っている医療事務員だ。彼女は影勝の背後にいる葵に視線をやる。
「椎名堂の椎名葵と申します。病院長の瀬田先生にアポを取っていたのですが、ご在院されておりますでしょうか」
「し、椎名堂様でしたか、大変失礼しました。瀬田をお呼びしますので少々お待ちください」
受付の女性はカウンターに備えつけの受話器を取り、どこかに連絡をした。