8.階下を目指す影勝(4)
「金額に関しては綾部ちゃんと相談しましょうか。これについては色々話もあるし、明日にでもギルドに行くわよ」
影勝を置いてけ堀に話は進んでいく。正確には、影勝がついていけないからなのだが。
「もちろん影勝くんも行くのよ? 今日もうちで晩御飯食べていきなさいね。腕によりをかけて作っちゃうから。あ、ドカン茸は使ってもいいのかしら」
「あ、はい……」
操り人形のようにカクリと首を縦に振る影勝である。なお、ドカン茸のバターソテーは絶品だった。茸とは思えぬ濃厚な味がバターと絡み合い、口の中でとろけていくのだ。碧ですらご飯を三杯食べてしまうくらいには、美味だった。
翌朝早く、妖精の秘薬を瓶につめ、三人はゲートをくぐりダンジョン内のギルドに向かっていた。まだ朝日が低く、影が長く伸びている。その影法師を、影勝はぼんやりと眺めていた。
なんでどうしてこうなった。
探索者になったのが四月の初めで、いまはまだ四月の中旬に差し掛かろうというあたりだ。二週間も経っていない。それなのにギルド長の部屋に行くのは何度目だろうか。
霊薬が欲しいだけなのだ。その霊薬のためには碧の協力が不可欠で、彼女と巡り合って仲良くなったのは僥倖以外の何物でもなく、そこは非常にラッキーだった。霊薬の原料のひとつである精霊水も見つけた。順風満帆といえばまさにそうだった。
「それがこんなことに……」
影勝の前には、ソファーに座り妖精の秘薬を手に矯めつ眇めつ眺めている綾部がいる。目の下に隈が目立つのは、おそらく影勝と碧が持ち帰った映像が原因であろう。
綾部が大きなため息をつき、妖精の秘薬をテーブルに置いた。
「またヤバい物を……さすが殿下というべきだろうか」
綾部が遠い目をしている。ご愁傷様である。
「わたしの【見通し】では妖精の秘薬だけど、ギルドの鑑定でもお願いしたいのよ」
「もちろんそれはするが、まぁ覆ることはないだろう。葵さん以上の鑑定は日本には存在しないからな」
綾部はまたため息をついた。そして影勝をチラ見する。
「イングヴァルには自重していただきたく、とエルヴィーラが申しておりますが」
「すみません、俺に言われてもですね」
「そうだろうな」
綾部はソファの背もたれに寄り掛かった。言うだけ無駄だと悟ったのだろう。あれは植物オタクで暴走するのだがブレーキは存在しないのだ。
「半分をギルドが買い上げて国と効果の検証の打診をしてみる。半分はオークションだな。それしかあるまい」
「国で検証してもらえるなら助かるわね。わたしたちは薬師であって医者じゃないもの。薬を投与して経過観察なんてできないわ」
「有効な薬を作ってくれるだけでもありがたいのだがね。さて買取金額だが、ちょっと国と相談させてほしい」
綾部がそう切り出した。ここでいう国とは民間団体であるギルドを実質的に束ねる防衛省迷宮探索庁のことである。
「それは問題ないわね。薬の材料には困ってるけどお金に困ってるわけじゃないし」
「それと、これをあとどれくらい作れる?」
「そうねぇ」
と言った葵が影勝を見る。「え、俺なの」と困惑を隠さない影勝。
「葵さんの見通しの効果があるなら、世界がこれを求めてくるのは明らかだ。今ある量だと二〇〇〇人分しかない」
「世界、ですか? いきなりスケールが大きくなりすぎてちょっと話についていけないんですけど」
「ダンジョンは世界中にある。そしてギルドも世界中にある。我々が抱えている各種問題は世界にもあるのだ」
「ダンジョン病で苦しんでいる人たちは世界中にいるってことですか」
「国内で二〇〇人程度だが世界で四万人を超えると言われている。アルコール中毒や薬物中毒に苛まれている人たちは数知れん」
「……ですね……」
影勝はそれ以上言葉を発せなかった。考えも及ばなかった自分が恥ずかしい。
「げ、原料があれば、スキルを待つ薬師なら調合できます」
「その原料が問題なのだが」
「精霊水は一トンありますし、これを作るために使ったのは一〇CCくらいなので、リニ草の方が問題ですかね」
「現状、ドカン茸を爆発させないでリニ草を採取できるのは近江君だけだしな」
「俺としては、霊薬を探したいんですけど」
「うむ、その事情は理解している。週一回で良いのでリニ草を持ち帰って欲しいのだが」
「ドカン茸を見つけたらリニ草は採取しますよ」
「頼む。で、オークションについてだが」
綾部が姿勢を正し影勝に向く。何やら神妙な気配に影勝はごくりと唾を飲んだ。
「来月に東京で開催されるのだが、椎名堂として参加してみないか?」
「えっと、その、オークションってどんなのですか?」
「むぅ、そこからか」
影勝の予想外の返事に綾部の肩が落ちる。
「そうか、君は新人だったな。ついうっかりベテラン探索者を相手している気になっていたよ」
気を取り直した綾部が説明を始める。
「オークションとは、日本にある五つのダンジョンの各ギルドが、それぞれダンジョンで手に入れた素材やアイテムなどを出品するものだ。ダンジョンからは極まれに武具や魔法アイテムなども発見される。大抵は見つけた探索者が使用するが、扱いに困るものが出品されることもある。参加は自由だが出品はギルド関係者に限られる」
「そうすると、俺は参加者として、ですかね」
「いや、出品者としてだな。もちろん参加しても良いが」
「俺はお金ないんで、見てるだけですよ?」
資産のある椎名堂とは違い、影勝は普通の新人探索者なのだ。その日暮らしを脱しているだけで余裕などない。
東京か。かあさんの見舞いに行けるかな。病状が進んでなきゃいいんだけど。
病状か。
「あの、一つ、お願いがあるんですが。妖精の秘薬を、母に投与することは可能でしょうか」
「可能、だと思うが。葵さん、どうだろうか」
「そうねえ。影勝くん、お母さんが入院していらっしゃる病院はわかる?」
「小金井にある国立難病センターです」
「あ、そこなら話はつけられるかもしれないわね」
「何か伝手でもあるんです?」
「私の母真白が霊薬を送って患者に投与したのがそこなのよ。そこは日本のダンジョン病を扱える数少ない研究機関でもあるし、今でも椎名堂から薬を送ってたりしてるのよ」
「そうなんですか!?」
驚く影勝に、綾部はやれやれといった顔をする。
「近江君、アサヒカワのシイナドウという名は、世界で通用するほどだからな?」
「マジですか!?」
和菓子屋みたいな古い店構えなんだけど、とかなり失礼なことを考えた影勝。
「霊薬をも調合可能、そして調合した薬の効能を間違いなく鑑定できる薬師がいるのは椎名堂くらいしかないからな」
【薬草を愛でる女】の碧と【見通す女】の葵。最強の母娘だった。
そう言われて影勝は椎名母娘を見る。もしかして自分はすごい人に関わってしまっている?と今更ながら戦慄していた。
「そこに影勝くんの【影のない男】が加われば、敵なしね」
にっこり微笑む葵に影勝は「何を企んでるんです?」と胡乱な視線を投げかけるも、にっこりと小さく頷く碧が視界に入り、え、確定事項なの?と混乱する。
碧さんがいるならそれはそれで、いや、霊薬を探さないと。
影勝の思考はどんどん逸れていく。
「オークションは五月三日から五日の三日間、東京の丸の内で開催される。出品等の手続はこちらでやるが、他に出すものはあるかい?」
「あ、あの傷跡消しの傷薬と妊娠促進薬を出します」
「ほう、妊娠促進薬の原料が手に入ったのか」
「か、影勝君が持ってきてくれたので」
碧がちろりと影勝を見る。うんうんと頷く葵。こっちに振るの?と慌てる影勝。
「すでにいいチームワークを築いているようにも見えるな。近江君も何か出すかい?」
「俺ですか!? 何って言われても……精霊水は出しちゃうと大騒ぎになりそうだし、リニ草は鮮度が大事って言うし……」
「すなまい、精霊水は勘弁してくれ。あれが1トンもあると知れた日には、私でもかばいきれなくなる」
「デスヨネー。俺でもあれはヤバいって思いますもん。あとは……イングヴァルの知識を借りて薬草辞典を作るとか」
「やや薬草辞典! わわわたしが欲しい!」
「碧さんが欲しいならコツコツ書いて渡すけど」
「いいいいいいの? 欲しい欲しい!」
碧は影勝の手を取りぶんぶん振る。ここにもブレーキの壊れた薬草オタクがいた。
「うむ、近江君は君自身が機密の塊のようになってしまっているから出品は厳しいかもな。珍しいものを出そうとすると、今までの常識が覆されてしまう」
「リニ草なら、隠形系のスキルがあれば採取できそうな気がしますけど」
「ドカン茸に隠形系のスキルは通用しないんだ。生命体にだけ反応するあたり熱感知でもしていると考えられる。どう隠れても、近寄るとドカンだ」
綾部は上に向けた手を開いて爆発のジェスチャーをした。影勝の中の記憶の主もそうだと頷いている、様な気がする。
「だから二〇年以上も出てこないのよね。それを取ってこれちゃう、かつ薬草の知識もあって完ぺきな採取をしてくる影勝君の価値は、天井知らずよ?」
「そんな、俺を買いかぶりすぎてません?」
「そうでもないぞ。近江君のスキルがあればモンスターと戦わずしてダンジョンの先へ行けるんだ。正直、他のダンジョン、ましてアメリカなど他国に情報が洩れたらと思うと……まぁ、今回のオークションでばれるだろうな、間違いなく」
綾部が難しい顔になる。
「椎名堂が今まで得ることができなかったリニ草を入手したこと。その時期に変化があったのは新人探索者がダンジョンに入ったこと。その人物が歴代最速でランクアップしてかつ椎名堂と懇意にしていること。これくらいは調べればすぐだろう」
「うへぇ」
色々述べられ、影勝はうんざりした。霊薬を探したいだけなのだが、実はそれが大それたことであるのを影勝は認識できていない。
「まぁ、リニ草を見つけて、碧さんに万能毒消しを作ってもらって出品くらいはできそうかなって」
「それならば妖精の秘薬の方が助かるのだが。だが、それくらいなら有名クランでの争奪戦になるくらいで済むか。
「それも大事になりそうですね……」
「探索者の命が救われるものだ。あるに越したことはない」
ここ葵がパンパンと手を叩く。
「難いお話はここまでにしましょう」
「そうだな……葵さん、東京での宿はどうする?」
「知り合いのところがあるからそこに頼むつもり。会場にも近いし。あ、影勝くん、羽田にはプライベートジェットで行くからチケットは無用よ」
「は!? プライベートジェット!?」
「きゅ、きゅうに他のダンジョンに呼ばれることもあって。旭川空港は便数が少ないから」
「結構使ってるからVIP待遇よ?」
予想を超えるセレブっぷりに開いた口が閉じない影勝である。そして本日から、来月のオークションに向けて、影勝は薬草集めに奔走することになる。