8.階下を目指す影勝(3)
「平岡さん、どうしました?」
「こいつが飛んできた」
仲間が寄ってきたので平岡と呼ばれたリーダーが皮を見せた。
「森を荒らす者は許さない、だぁ?」
「文はどうでもいい。こいつを投げたやつが近くにいる」
「なんだと!? おい細川、田沼、探して捕まえろ!」
四人の探索者はダンジョン大麻の採取を止め、武器を手に大麻畑からでてくる。影勝はそれを見届けると、その場を離れた。今の場面も録画してある。名前と顔があれば探しやすいだろう。
影勝は彼らが足しげく通ったであろうけもの道を見つけ、そこをたどって二階へのゲートに辿り着いた。そしてそのまま一階に抜け、ダンジョンを出ていく映像をギルド長に見せたいところだが影勝側も勢いで事をせいては良いことがないだろうと、いまは見送った。その足で椎名堂に向かう。
影勝がギルドに辿り着いた頃、椎名堂ではちらちらとスマホの画面をチェックしてはため息をつく碧がいた。店舗奥にある調合室で乳鉢を片手に今もまたスマホをチェックしている。
「影勝くんなら大丈夫よ」
「そそそそそうだよね!」
「我が娘ながらわかりやすいわねぇ。そんなに心配ならついていけばいいのに」
「わたしが行っても、邪魔になるだけだから」
「そうかしらね? あら、影勝くんがゲートから出てきたみたいね」
「ほんと?」
碧が目を大きく開いた瞬間、ピコンとスマホが鳴った。碧は慌ててスマホを取り、着信を確認する。碧の顔が喜色満面になった。
「いまゲートを出たから、こっちに向かうって!」
「ふふ、よかったわねぇ」
葵のスキルで、影勝が無事にギルドに着いたのは見通せていたのだが、ばらしてしまうと面白くないと黙っていたのだ。それに、娘のスマホに着信があってから確認した方が安心もひとしおだろうという親心的なものもあった。
「お土産があるって!」
「あらあら、今度は何を見つけたのかしらねぇ」
「なにかなー、楽しみだなー」
尻尾があればぶんぶん振り回しているだろう碧を見て、葵は頬を緩める。娘が誰かの帰還を楽しみに待つのは、亡き夫以来のことだ。
あの人のお墓に報告しに行かなくっちゃ。
葵がそんなことを考えていると、店の方から「お邪魔します」と影勝の声が。
「わ、もももうきちゃった!」
「碧、寝ぐせが酷いわよ」
「えぇぇ、だって、今日は、会う予定はなかったから、お化粧もしてないよ!」
「予定がなくても寝ぐせくらい直しなさい。バツとして今日はそのまま会いなさい」
「えぇぇぇぇぇぇえ!!」
絶叫する碧を、葵は容赦なく引きずって店内に戻った。そこにはリュックと弓を背負った影勝が佇んでいたが碧のすっぴん顔を見て、そして寝ぐせの付いた髪をみて、ふふっと笑った。
「わわわわ、おかえりなさい、その、あまり見ないでぇぇぇぇ」
碧は頭をおさえへたり込んでしまう。
「いつもはちゃんとしてるんだけどね」
「あ――――そうなんですね。その、ただいま戻りました」
「はい、おかえりなさい。無事で何よりだわ。お茶の用意をしてるから、碧、話を聞いておきなさい」
「ふぇ、ふぇぇぇぇぇ」
情けない声を出す碧は、葵によって強制的に立たせられ、影勝の目の前に押し出された。いつもは肩から胸元に落とされている髪は、やや爆発気味だ。ただ、そんな碧も可愛いなと思い始めている影勝もいるのだ。
「今日は三階を探してて、色々見つけたんだ」
影勝はそう言いながらリュックから今日の成果を取り出していく。
「あ、ソマリカの実だ。あれ、これ、ド、ドカン茸!? あれ? これ、もしかして……」
「リニ草だ」
「そそそうだよね、リニ草だよね!」
碧の顔がぱぁっと明るくなる。
「すごい、すごいよ影勝君、すごい! リニ草なんて、もう二〇年以上出てきてないんだよ! おかあさん、ちょっと来て! 来て!」
「はいはい、気を利かせて二人にしたのにあんたって子は……」
「リニ草! 影勝くんがリニ草を持ち帰ってきたの! それも根っこごと一〇株も!」
よほど嬉しいのか、碧は両手にリニ草を持ち興奮しっぱなしだ。
「リニ草!?」
碧が持つリニ草を見て、葵も顔色を変えた。葵の【見通す女】は遠方や人物だけでなく、アイテムも見通す。その彼女のスキルが本物だと告げていたのだ。
「ちょっと、すぐに店を閉めて調合するわよ。リニ草は鮮度が命なんだから」
「わかってる、すぐ調合にはいる」
葵は入り口に走り看板を閉店に替えカーテンを閉めた。碧は嬉しさ爆発の顔から薬師の顔に変わり、乱れた髪をゴムでひとつにまとめた。影勝は、そんな碧の変貌に見惚れ、ぼけっと見つめている。葵は影勝を見てくすっと笑った。
「影勝くん、丁度いいから調合を見ていく?」
「いいんですか? 俺、邪魔になりません?」
「碧のかっこいいところを見ていてちょうだいな」
「えっと、お言葉に甘えます。何か手伝えることってあります?」
影勝が腰を浮かせると、凛とした顔の碧が振り返る。
「影勝君、わたし、精霊水を使ってみたい。リニ草と精霊水を調合してみたらって、スキルが教えてくれたの。もしかしたら、ダンジョン病に効果があるかもしれない」
碧の言葉に、影勝はわかりやすく動揺した。碧を疑うつもりはないが、霊薬の代わりがこんな簡単に見つかるはずはないという疑心と、もしかしたらという希望がないまぜで感情が発露できなかったからだ。
「……あ、そ、そうだ、な」
ぎこちなく再起動した影勝はリュックの口を開けた。
「どこに出せば」
「調合室に容器があるから、ついてきて!」
碧はすっと店の奥に消えた。
影勝は慌てて後を追う。狭い廊下を通り、台所の手前にある扉に碧は入っていく。調合室は、ステンレス製の流し、頑丈そうな長テーブルがひとつと椅子がいくつかあるだけの六畳もない狭い空間だが、壁がすべて棚になっており、そこにはガラス製の容器や加熱用の魔石ランプなど各種器具が所狭しと置かれている。
「えっと、どれにしようかな」
碧が棚に置かれているビーカーの大きさを決めかねていた。大きければいいというわけではなさそうだ。
「えっと……うん、そうだね。そんなに量はいらないんだね」
碧から誰かと会話でもするかのような独り言が漏れてくる。もしかしたら、影勝のイングヴァルに相当する何らかの人物の記憶と会話をしているのかもしれない。碧の職業も人物の名前なのだから。
碧は一番小さな一〇CCのビーカーを手に取った。
「このビーカーに半分くらい入れて欲しいの」
「わかった」
完全に薬師の顔になった碧に言われるがままビーカーを受け取り、リュックに突っ込む。影勝が取り出すとビーカーのちょうど真ん中あたり迄液体が入っている。それをテールに置いた。
「ありがとう!」
碧は流しでリニ草を洗っている。土ごと持ってきたので葉の裏や根の一本一本まで丁寧にだ。
「リニ草以外の要素は入れたくないの」
碧が洗ったリニ草をテーブルの上のまな板に載せていく。一〇株すべて洗い終えると、テーブルの引き出しからは菜切包丁を取り出した。ザクザクと荒く切ってガラスのボウルに入れていく。
一〇〇CCのビーカーをテーブルに載せ、ボウルの中のレニ草を掴んた手をビーカーの上に持っていった。
「スキル【抽出】」
碧が呟くと、手の隙間から緑色の液体がビーカーに滴下する。碧の手には何も残っていない。スキルですべてが要素として抽出されたのだ。碧がボウルに入っている刻んだリニ草をすべて抽出するとビーカーには一センチ程の若緑な色の液体が溜まっていた。碧がビーカーを揺するとドロッとした挙動で、粘性の高さがうかがえる。
「うん、このままでも万能毒消し薬なんだけど、今日はこれに精霊水を加えるの。スキル【配合】」
碧は精霊水の入った小さい方のビーカーを取り、大きいビーカーに入っている万能毒消し薬に注いでいく。
注ぐほどに濃緑な液体が透明に変わっていき、すべて入れ終えた瞬間、淡く輝き始めた。エメラルドグリーン色の液体が木漏れ日のような生命を感じさせる光に包まれている。神々しさと美しさに、影勝はその液体の宝石から目が離せないでいる。
「……できた。配合もばっちり。お母さん、できたから視てー!」
碧が大きな声を出すと「はいはい、母親使いが荒いわねぇ」とすぐに葵が調合室に入ってくる。廊下に待機していたのか。
葵は、笑顔の碧が手に持つビーカーを凝視する。
「……妖精の秘薬。ほぼ全ての状態異常から副作用なしに回復させる。石化、呪い、アルコール麻薬など各種中毒や依存症、アルツハイマー症からも回復させる。魔素中毒から回復させるかまでは視えないわね」
「すごい効能だね。妖精の秘薬……初めて聞く薬だ」
「原液だと濃すぎて悪影響にしかならないから一〇〇〇倍に薄めて使用するとこを推奨、だって」
「一〇〇〇倍? これが一〇CCくらいだから、薄めると一〇リットルになるのかな?」
「一度に投与は、ひと匙くらいでいいみたいよ?」
「えっと、そうするとこれで何人分になるんだろ」
碧と葵がビーカーで輝いている妖精の秘薬を、困惑顔で見つめている。ひと匙が五CCとするとおおよそ二〇〇〇人分に相当する。
影勝としては、精霊水から作ったのに妖精なんだと要らぬツッコミではなく、ダンジョン病に効くのかどうかが気になっていた。
自分が持ち帰ってきたもので、母親が回復するかもしれない。完全に治療するには霊薬が必要かもしれないが意識を取り戻すくらいは可能なのではと期待してしまう。
「これ、いくらにしようかしら……」
葵が額に手を当て天井を仰ぎ見る。薬の値付けは薬師側がするのだ。もちろんギルド側との価格折衝はあるが、今回のような完全新規かつ効果が高いものは必然的に高価になる。
「効果を考えると、一回分で一〇万円とかなあか?」
「安すぎるわね。ハイポーションで五〇万よ?」
「え、でも、あまり高いと使って欲しい人に届かないよ?」
「それなのよね。探索者なら高価でも買う人は買うのだけど、普通に病で苦しんでいる人たちは簡単には買えないものね。うーん、どうしようかしらね」
困り顔の碧と葵が影勝を見る。え、なんで自分を見るの?と影勝も困惑だ。
「この妖精の秘薬は影勝くんの存在なしには作れない薬なのよ。値付けの権利は十分にあるのはわかる?」
「っていっても調合したのは碧さんだし、碧さんなしではできない薬では?」
「あ、あのね、これは多分、薬師なら調合できると思う。わ、わたしがこの組み合わせをわかったのは職業が特殊だからと、そのものが揃ってたからだもん……」
「えぇぇぇ」
葵と碧に詰められる形の影勝。仮に一回五〇万として二〇〇〇回分でと考え。
「一〇億!?!? そんなに?」
「仮に二〇〇〇人の命と考えたらバーゲンセールよ?」
「そ、そりゃそうですけど、一〇億て、想像がつかない」
「ちなみに言うと、椎名堂としての資産は一〇〇億を超えてるけど?」
「えぇぇぇぇ!?」
「碧が着てる白衣もダンジョンの植物から繊維を取って作った特注品だし、異常耐性とか打撃軽減の効果もあって、一〇〇〇万円以上するのよ?」
「はぁぁぁぁ??」
「私が着てるこれも碧のよりは劣るけど、五〇〇万じゃ買えないのよね」
「マジか……」
影勝は項垂れた。防具の金額を見てショックを受けていた自分は何だったんだろうと、影勝は床に膝をつく。
そんなお金があるのにこんな狭い店構えをしているのはどうしてだ。そんな疑問が浮かぶが理由があるのだろう。
「取り分としては影勝くんとうちが九:一ってところかしらね? 本当はうちはゼロでもいいくらいなんだけど、碧もそれでいいでしょ?」
「うん、だって両方とも影勝君が持ち帰ってきたんだし。妖精の秘薬は素材がすべてで、わたしはちょっと調合しただけだもん」
「金額に関しては綾部ちゃんと相談しましょうか。これについては色々話もあるし、明日にでもギルドに行くわよ」
影勝を置いてけ堀に話は進んでいく。