7.森デートする影勝(6)
「あらおかえりなさい。寄り道せずに帰ってきたのね」
椎名堂についたふたりは、葵にこう迎えられえた。なぜ寄り道せずにというか寄り道前提なのはどうして。
「ただいまー」
「無事に帰ってきました」
てててと店の奥に行く碧の背中を見ながら影勝はぺこりと挨拶をする。後をつけていた気配は店を通り過ぎていった。気にしすぎだったのだろうか。ともかく無事に帰ってこれてよかった。
「森はどうだった? 奥まで行けたのかしら?」
「えぇ、まぁ、奥といえば奥なんですが」
探るような笑みを浮かべる葵に、影勝は言葉に詰まってしまう。あのカエルのことを話してもよいものか、と。
「そう、よかったわ、碧を守ってくれる人がいて」
葵の言葉に、影勝は胸に針が刺さったような痛みを感じた。碧が霊薬を知っているとわかってしまい、影勝も彼女を追い詰める側の人間だったのだ。
「スキルを使って隠れていただけなんですけど」
「それでも、よ」
謙遜する影勝に、にこりと微笑む葵。
碧に求めるだけの人間を多く見てきた彼女にとって、影勝は誠実かつ新鮮に映るのだ。年下彼氏とかいいわよね、という性癖は別として。
「そうだ、薬草を持ち帰ってたら買い取るわよ。ギルドに納入したものがうちに来るんだし。ギルドよりも安くなっちゃうのは申し訳ないけど、鮮度がいいほうが薬効が高いものが多いのよ」
本来なら薬師の直接卸したほうが高くなるのだがそうするとギルドに薬草が集まらなくなり、さらに特定の薬師に薬草類が集まってしまうこともあり、協定として直接買い取る場合は安くしているのだ。
「そうなんですか。だったら明日ギルドに納入するよりもこちらに売りますけど」
「ありがとうね。足りない分は碧の体で支払うから。いつでも連れ出していいからね?」
「ちょちょちょちょっとおかあさん!」
「いいじゃない。碧も影勝くんといて楽しかったでしょ?」
「そそそうだけど」
非常に居ずらい雰囲気に影勝はスキルを使って逃げたかったが碧がちらちらと見てくるので森でのことを思い出し、お姫様抱っことかだいぶやっちまってるな俺、と頭を抱えたくなった。
「ほら碧はさっさと着替えてきなさい。その間に薬草の買取りをしておくから」
「ああああの影勝君とおばあちゃんの日記を見るって約束してて」
「……あらあらあらあらそうなのねえ、じゃあもう店じまいしなくっちゃ。影勝くん、晩御飯はうちで食べていきなさいね」
すすっと動いた葵は店の扉の鍵をかけカーテンで閉ざしてしまう。影勝が口をはさむ隙すらなく、お母さん実は凄腕探索者では?と影勝が思ってしまった。
「これでヨシっと。さて薬草を見せてもらおうかしら」
「アッハイ」
いやヨシじゃないと心でツッコミつつも影勝はリュックから薬草類を取り出しカウンターに並べていく。
「あら、エテルナ草があるわね。水辺にしか生えないはずなんだけどってダンジョンニンニクもあるの!? あらやだカッサの実まであるじゃない! 採取の仕方も丁寧! いいわぁ~」
カウンターに並べられていく薬草を見て葵は歓喜の声を上げた。影勝の中にいるイングヴァルがどや顔している気配がするので「さすが植物オタク」と感謝しておく。
葵はカウンター内部から算盤を取り出し、薬草と見比べながらパチパチと弾いていく。
「うんうん、これだけあると、このくらいかな」
「算盤、習ったことがないんで」
葵が算盤を見せてくるが影勝は見方がわからない。
「今の子はスマホでできちゃうからね。五十二万三千円だから、五十三万にしちゃおうかしらね」
「五十三万も!?」
「ギルドで売ったらもっと高いのよ? これだけ新鮮なんだもの、妥当でしょ? これを薬にすると、ざっと五〇倍くらいの売り上げになるし。主に調合するのはあの子だけどね」
「いやそれでも……」
影勝は唖然とするしかない。日給五十三万である。高校時代のバイトからは考えられない金額だ。しかも、精霊水という特大の爆弾は出していないのだ。
精霊水と同等なハイポーションが五〇万なので、それが一トンとなれば如何程だろうか。影勝は身震いしてしまう。
もし、この精霊水で霊薬を作ったらダンジョン病で苦しむ人をすべて救えるのではないか。昔からダンジョン病の患者数はあまり変化がない。罹患する探索者と亡くなっていく患者の数がほとんど一緒だからだ。
今後もダンジョン病に罹患する探索者は出るだろうが確実に霊薬を作ることができれば。
そうと思い至り声を上げそうになったが、それは碧を苦しめることだと気が付き、深呼吸で昂ぶりを抑えた。いろいろ過去にあったであろう碧に負担はかけられない。
「早速下処理しないとね」
葵は鼻歌交じりで薬草類を水で洗浄し専用の冷蔵庫や入れ物にしまっていく。その背中からは、自分の娘が過度の期待を背負わされているという不満などは感じられないが、心の奥底に潜めているのだろうかと影勝は思う。
やはり自分で探さないと。あくまで自分のために。
「着替えててきたよっておかあさん先にずるいぃぃ! わわたしだって楽しみだったのにぃぃ」
部屋着だろうスェットの上下に装いが変わった碧が叫んだ。
「あなたは影勝くんとお部屋でイチャコラするんでしょ?」
「ししししないってば!」
「後でおやつを持っていくからね?」
「……いやこっちを見られてもですね。いかがわしいことはしませんけど」
「あら、即答されるのもツライわね」
頬に片手を当てふぅとため息をつく葵。娘を心配しなさい自分は悪い虫かもしれないのに、と気分は父親の影勝だ。
「ほら、さっさと行きなさい。夜遅くになったら影勝くんはうちにお泊りよ?」
葵が碧の肩を掴み、くるっと向きを変え影勝に向けた。影勝と碧の目が合う。
「あああの、おばあちゃんの日記、みみ見よ?」
「そそそうだね」
「へ、部屋はあっちだから」
碧が小さく奥を指さす。影勝は横歩きで狭いカウンターに入り碧の後をついていく。
「若いっていいわねぇ」
葵がこぼす独り言が影勝の背中にポコっと当たった。
椎名堂は縦長の建物になっていて、間口は狭いが奥はかなり伸びている。店内から出るとすぐに廊下と階段があり、奥は台所などの見回りになっている。碧は階段を登っていく。わりとフィットしたジャージが碧の身体の線を強調するので影勝は上を見ないように後に続く。お姫様抱っこ時にわかったのだが、碧の女性としての発育は素晴らしいものだった。
「えっと、ここ」
二階にある碧の部屋は八畳ほどの広さで窓以外の壁が本棚になっており、図書館めいた空間になっていた。ただし、畳に竹製のベッド、和箪笥、押し入れにちゃぶ台と古風な印象で、女の子の部屋というよりは古民家的たたずまいだ。影勝は東北にある祖父の家を思い出した。築一〇〇年を超え、ダンジョンよりも高齢な家屋だった。
「かかわいくなくってごめんね」
「いや、懐かしい感じが落ち着くよ。畳も、じいちゃんの家以来だ」
影勝はそっと畳を撫でた。イ草の感触が幼少のころを思い起こさせてくれる。記憶の主も「知らない植物だ」と歓喜している気配がする。植物オタクめ。
「そそそう、よかった」
ホッとした笑みを浮かべた碧。影勝にはどうしても彼女が保護すべき小動物に見えてしまい、思わず手が伸びそうだったがこぶしを握ることで事なきを得た。別な意味でいかがわしくなってしまうところだった。アブナイ。
「えっとね、おばあちゃんの日記はね」
碧はとととと本棚に歩くと、紐で綴じられた和紙の束を取り出す。表紙も背表紙もない紙の束だが、そこには日付とあったであろうことが書かれていた。最初のページには昭和四十四年の五月八日と記されている。
「こ、この年におばあちゃんは霊薬を調合したんだ。日記にはそれが書いてあるの」
「霊薬を……」
「えっと、ここだ」
碧は大事そうに紙をめくっていく。亡くなっている祖母との唯一の繋がりだ。めくられた紙には八月十五日と書かれている。碧がちゃぶ台に日記を置き、並ぶように座布団を用意したので影勝は隣に正座した。胡坐だと碧に触れてしまう。気安く触れてよい関係ではない。いまさらだが。
「おばあちゃんは、この時はまだ二〇歳で、わたしよりもふたつ年下だったんだ」
「俺のふたつ上か。今更だけど碧さんのほうが年上なんだなって」
「ふふ、ちょっとだけお姉さんだ。碧おねえさんて呼ぶ?」
「ぐふ」
碧がにへっと笑うので、影勝は撫でまくりたい衝動を抑えるのに苦悶した。この娘は無自覚な罠が多すぎる。
「おばあちゃんと一緒にダンジョンに入ってた人たちの中におじいちゃんもいたんだって」
「おじいさんも探索者だったんだ」
「みんなからヒグマって呼ばれてたんだって」
「めっちゃ強そう」
「素手でヒグマと戦って巴投げしたって自慢話を聞いたことがあるよ」
「プロ作家みたいなことする人が実在するとは。探索者のレベルが高ければやれそうな気もするけど」
「おじいちゃん、引退するときにはレベル五〇になってたって聞いたよ」
「すごっ! 俺がそこまで行きつくのに何年かかるやら」
「すごいよねー」
日記を読むはずがただの雑談になってしまっている。ただ、こうして話していると碧のどもりが消えていることに影勝は気が付いた。何かが彼女をそうさせているのだろう。それは過去にあったことか、優秀だった祖母の職業を引きついたことのプレッシャーか。その両方か。心が安まっているならば雑談も価値がある。
「それでね、おばちゃあちゃん達って、実は十三階まで行ってたんだって。公式には一〇階までしか到達してないって言ってるけどね」
「は? 十三階」
「うん、ここに書いてあるんだけど、『先週からの探索で十三階に到達した。ここには今まで見なかった泉がある。自らを精霊と語る白いカエルの姿があり、ここが精霊の泉だと言う。また別な場所にはデト食獣草もあった。これも霊薬の原料のひとつだ。もしかしたらこの階で霊薬の原料が揃うかもしれない』って」
「あのカエルかどうかは不明だけど、霊薬の、原料……」
影勝の目は日記に吸い寄せられた。無意識に添えた人差し指が文字を追う。
「うん。精霊水とデト食獣草とテルマの木の実が霊薬の原料なの」
碧の言葉に、影勝は彼女を見た。泣きそうな顔が見えた。