7.森デートする影勝(4)
容量の限界まで詰め込んだリュックを背負い、まだ寝ている碧を静かに抱え、影勝は「ありがとうございました」と精霊に礼を言い、泉を後にした。ハンディカムは碧のおなかに載せた。電源は入りっぱなしなのでずっと録画はされているようだ。
影勝は、とりあえず来た方角に向かった。スキルを発動させると薄い膜に覆われたような感覚になる。大木がひしめく暗い森をひた歩く。
「無事に帰れるといいんだけどな」
影勝も不安を隠せない。絶対にダンジョンではない場所に行ってしまったのだ。自分はともかく、碧だけは返したい。
ポケットの中にあるあんパンの袋が「あれは現実なんだ」と語っているが、信じたくない気持ちもある。あんな生物が、いや精霊がいてたまるか。
碧に枝が当たらないように屈んだり茂みに背中から突っ込んだりしているうちに胸元から「うううう」とうなる声が聞こえた。起きてしまいそうだと歩みを遅くしたが碧の目が薄くあいてしまった。まだ目の周りが赤く痛々しい。胸が軋む。
「森を出るまで寝てていいよ」
「わ、わた、え、だ、なん、えぇぇ?」
「まぁいろいろあって帰り道」
混乱で言葉をまとめられない碧に、影勝は普通に接した。影勝が慌てたら碧は余計に混乱してしまう。
「もう昼も過ぎてて、帰らないと夜になっちゃいそうだし」
「え、あ、わ、わたし、寝ちゃってた?」
影勝が小さく頷くと碧は「ふぁっ?」という口をした。
「ごごごめんね」
「謝ることはないって」
「おおおおおおもいでしょ?」
「羽みたく軽いんだけど」
影勝が腕の力だけで碧の体をふわっと浮かせると、碧は「おおおちるぅぅぅ」と大げさに騒いで影勝の首に抱き着いた。浮かせたのは少しだけなので、すぐに腕の中に納まる。
「ああああまたごめめめんなささぁい」
碧はぱっと影勝の首を開放する。影勝的には肉付きの良い感触とか髪の毛のいい匂いなどの色気よりも小動物的な「愛でたい」という感情がふつふつと湧き上がる。先ほどの餌付けをも思い出すがそれを封印して冷静に努める。
「俺ももうレベル八だし、腕力も人の倍以上あるから」
「そそそれでもびっくりだよぉ……あ、カメラ!」
おなかの上に置かれているカメラに気が付いた碧はそれを左手に装着した。
「あ、ちゃんと録画が続いてる。よかったー」
「ちゃんと映ってるってことは、あのカエルも映ってるってことだよなぁ……」
「あ……」
あれは映ってはいけないUMAなのでは、という沈黙が訪れた。あれは精霊であって生き物ではないという突っ込みもあるが。
「か、帰ったら大変だなぁぁぁ」
碧は大きなため息をついた。帰れればいいなと影勝は思ったがそれは黙っておく。不安にさせていいことはない。行けたのだから帰れるのだ、と前向きに考えているほうが気も楽だ。折しも出会った精霊はカエルなのだから無事にカエルのだ。
「あの泉の周りにはいろいろ薬草があったから採取してきたよ」
「え、えぇぇぇえぇいーーなぁぁぁぁわたしも採りたかったぁぁぁ!」
影勝の予想通りに、碧は残念がった。
「いいいずみに戻ろう?」
「いや、いったん帰ろうよ」
「せせせ千載一遇のチャンスがぁぁぁ」
「遠足は家に帰るまでが遠足です」
「がぁぁん」
碧の顔が絶望に染まる。生きて帰るほうが優先だと思うのだが。
薬草マニアのイングヴァルも碧の意見に激しく同意している気配は感じるが生きて帰ってこそだ。
「また行けるって」
「そそそれは影勝君と一緒ならでしょ? わわたしの都合で振り回すわけにはいかないよ」
「碧さんとなら楽しいからぜひ行きたいくらいだけど?」
「わわわ。モモモテ男のセリフだ」
「普通でしょこれくらい」
「そそそんなとこだよ!」
いろいろ言いつつも碧は影勝に抱かれたままである。そうして歩いていると脇の茂みがごそごそ動き、ジャイアントラットが顔を出した。影勝らの前を横切っていく。
「もしかしたらダンジョンに戻ってきたかもしれない」
影勝は頭上に顔を向けた。そういえば小鳥の声も聞こえなくなっている。
「ほ、ほんと?」
碧が影勝を見上げた時、「ドン」と木に何かが当たる音がして探索者が叫ぶ声が聞こた。ふたりの意識はそちらに向かう。
「恵美、そっちに行ったぞ!」
「木が邪魔ー! ハンマーが枝に当たるー!」
「恵美どいて! サンダーアロー!」
「ブフッ!」
「あまり効いてない。さすがに体力がありますね」
「うわわこっちくんなしっていったぁ! かすった、牙がかすったってば! 血が、血がぁぁ!」
「香織、恵美の治療!」
「任せて!」
どうやら東風らが牙イノシシと戦っているようだ。茂みの隙間から影勝がのぞくと、森の少し開けた場所で牙イノシシに立ち向かう東風の姿が見えた。
「あいつら一階の森に来たのか。森だと長物は不利だぞ」
「し、知ってる人?」
「同じ日に探索者になった、なんていうか、同期?」
「あ、あの日にいた人たちなんだ。大きな怪我じゃなければいいんだけど……」
薬師の矜持からか碧の顔が不安をあらわにした。てこずっているようなので影勝は手伝おうかと思ったが碧を抱えている。
「もももう大丈夫だから降ろしてもらっていいよ」
影勝の表情から察してくれたのか碧がそう言ったので彼女を降ろした。
「矢を射るけど、念のために俺の体のどこかを触っていて」
「う、うん、じゃあ」
碧はしゃがんで影勝の左足にしがみついた。いやなんでそこ?と大いなる疑問がわくがそれよりも矢を射ねばと短弓を構える。枝の矢は大きく右に曲がるラインだ。ちょうどいい茂みがあるのでそこを突っ切るルートで矢を射る。すぐに『ブモフ!? ブモモモ!』と咆哮が聞こえた。
「あいつの意識がそれた。スラッシュ!」
『ブモォォォ……』
ドシュと重量のあるものを深く斬った音と断末魔の声が聞こえ、あたりが静かになる。牙イノシシは東風がとどめを刺したようだ。
「ふぅ、倒せたな。香織は皆の怪我の確認と治療を」
「やったぁ、お・に・くー!」
「恵美、怪我をしてるのに踊らないでください。騒ぐとモンスターが寄ってきてしまいます。それに血が止まりませんよ」
「お、あれー勇吾ー。これって矢だよねー? なんか枝っぽいけど」
片岡が矢を拾い上げ東風に見せる。
「確かに矢だな。この前、近江が同じような矢でツインクロウを撃ち落としてたな」
「あ、あのすごーく曲がって刺さった矢だ!」
「近江君、いるのか?」
東風が声を張り上げた。どうやら木を削った矢を見て影勝だと気が付いたようだ。だが影勝に姿を見せる気はない。ここで出てしまうと分け前の問題も発生してしまう。このまま立ち去ろうとした時、碧が影勝の上着を引いた。
「け、怪我してるみたいだから、せ、せめてこれだけでも」
おずおずとだが碧は影勝を見上げる。彼女はポシェットから傷薬を取り出し影勝に差し出した。小さな樹脂製の容器に入った軟膏だ。患部に塗ると痛みを抑え、ゆっくりだが治癒していく薬だ。
片岡が躍っていることから大した怪我ではないと予想はできたが碧の使命感に燃える瞳を見て、影勝の気が変わった。
「渡しに行くか」
「う、うん!」
碧は強くうなづくと立ち上がった。スキルを解除してわざと音を立て彼らの前に出る。少し開けた場所に四人はいた。あちこち泥だらけでだいぶ汚れているが片岡の腹がひどく赤い。かなりの出血のようだ。
「久しぶりってほどでもないか。傷は大丈夫か?」
「お、影っちだ! やっほー! ってそちらは彼女さんで?」
「恵美! まだ傷がふさがってないってば!」
「これくらい、お菓子を食べとけば治っちゃうって!」
片岡と陣内がわちゃわちゃしているが、片岡の太ももあたりまで血が流れている。
「こ、これ、うちで作ってる薬だけど、使って!」
碧が傷薬を持ってふたりに近寄る。片岡ではなく陣内が受け取った。
「ありがとうございます。あ、この傷薬、椎名堂のだよこれ!」
陣内が驚きの顔で碧と薬を見比べている。
「古い傷跡も消えるって噂でオークションでしか見かけない超レア品なんだよこれ!」
「えー、まじー!? もらっていいのー?」
「くく薬は、使うためにあるから……」
「超ラッキーじゃーん! ありがとー!」
「恵美! だから暴れない踊らない!」
「わわわちち血が噴き出しちゃってる」
「ほら恵美はじっとする!」
女性三人が姦しい。陣内が片岡の前にしゃがみ、服をめくりあげる。血だらけの肌が見え、影勝はぎょっとしてしまう。
「かか影勝君は見ちゃダメ」
碧に言われた影勝は視線をそらした。初めて怪我をまじまじと見た影勝は、自分は探索者であのように大怪我をする可能性が高いのだと、思い知らされた。スキルで感知されないことで勘違いをしていたことを痛感した。
「わ、すごい、塗っていくところから傷がふさがっていくよ!」
「おなかが湯たんぽみたいにあったかーい。気持ちよくて寝そうぐー」
「恵美、どこでも瞬時に寝られるのがあんたの特技だけどここで寝ちゃダメでしょ」
「えー、さいっこうに気持ちいのにー」
「ちょっと賢一、何とかしてよー」
「僕に振られてもねぇ。恵美、そこまでにしておきましょう」
「しょーがないなー」
ちなみにカメラは影勝が持っていて、この場面も録画されている。ここで録画を止めるわけにはいかないのと、公開するわけではないのでいいだろうと軽く考えた結果である。
「近江君ありがとう、恩に着る」
「ありがとうございます。さっきの矢もそうなんですよね」
東風と堀内が影勝に近づいてくる。
「大したことはしてない。森から帰ろうとしてたら聞いたことのある声が聞こえたんだ。そりゃ気になるだろ」
「そうはいっても、あの矢で牙イノシシの意識がそれたからスラッシュで一撃で倒せたんだ」
「恵美の怪我まで治療していただいてすみません」
「あー、あれは碧さんがどうしてもって」
「へぇ、碧さん」
「ずいぶん親しそうですが、そこは内緒にしておきますね」
「いや違うんだ、これにはいろいろ訳があって」
「老舗の一人娘さんですし。でも近江君は手が早いんですねぇ」
「賢一も見習ったらどうだ?」
「それは勇吾も同じでは?」
自分たちこそガールズトークのようで、影勝は高校時代を思い出した。これはこれで楽しい。パーティを組むほうがいいのではとも思うがやはり目指すものが違う。彼らは生活のために探索者をしているが自分はひたすら霊薬を探すたけだ。稼ぎは生活ができる程度なら問題はないが、彼らはその先を見据えている。羨む気持ちはあるが、今は封印だ。
影勝は何度目かのソロ決意をし直した。




