30.運命の日/高知防衛線(3)
緑色の建物に入ると、そこはすぐにロビーになっていて武装した探索者でひしめいていた。
「戦える奴はカウンターに集まれ!」
「魔法を打てるやつは先に行け」
怒号が飛び交うロビーで、ふたりは立ち尽くしてしまう。
「何があったんだ」
「まさか、ダンジョンで?」
「ともかく、坂本ギルド長にあって話を聞かないと」
ふたりがカウンターに向かおうとしたとき、アナウンスが流れる。
「ダンジョンの壁崩壊まであと五分! ここを突破されたら高知のみならず四国が終わるわよ! 死ぬ気で止めなさい!」
坂本の声で檄が飛んでいる。
「「壁崩壊まで五分!?」」
ふたりの声がきれいにハモった。
「わたくしも出るわよ!」
ギルドのカウンター内側から坂本が出てきた。
漆黒のドレスにつば広の魔女帽子。二メートルほどの木の杖を持ち、ハイヒールを鳴らしながらロビーを歩いていく。【魔女】坂本真弓だ。
後ろにはローブ姿の女性が続く。坂本親衛隊の魔女たち十五名。
「坂本ギルド長!」
影勝が探索者を押しのけながら駆け寄ると坂本も気がつく。コツんと杖で床をついて止まった。緊張でこわばった坂本の顔が影勝を捉える。
「ギリギリ間に合ったようね」
「お久しぶりです。何が起きたんです?」
「ダンジョンの壁の崩壊が起きるのよ」
坂本の言葉に影勝の心臓が大きく跳ねる。展開が早すぎる。
「確定、ですか?」
「未来視で視えてしまったわ。各ギルドにも通達したわよ。防衛省にもね」
「……俺がやれることは何かありますか」
「時間がないから歩きながら説明するわ」
坂本が歩き始めるとモーセの海割りのように探索者が退いていく。影勝と碧はすぐ後ろをついて歩く。
「誰だあれ」
「片方は椎名堂だ」
「ってことは、あれがエロフか」
「でかいな」
ひそひそ声だが聞こえてしまう。いい気はしないが気にする暇もない。
「高知は生産職が多いのよ。戦闘職は全体の四割くらい。そのほとんどが魔法職ね」
高知ギルドはおおよそ二〇〇〇人の探索者が所属しているがその多くは生産職だ。高知ギルドの最高戦力は【坂本親衛隊】。魔法使いオンリーの集団で坂本の後ろを歩く彼女らがそうだ。
これは高知ダンジョンの特性があった。
主なフロアが海、渓谷、湖、沼、砂浜。海洋性モンスターもおり、物理近接は不利な環境だった。
「近接職はいないんですか?」
「あまりいないわね。魔法で何とかしてみせるわ。と言いたいところだけど、ちょっと厳しいわね」
坂本は苦しそうに口を歪める。
魔力には限りがある。魔力回復ポーションもあるが飲める限度もある。そして、魔法攻撃が途絶えるとモンスターの攻撃をもろに受け、総崩れになってしまう。
「ダンジョン外モンスターも分かっていない。近接タイプが来ると劣勢に立たされてしまうわね」
坂本の声が硬い。魔法に耐性のあるモンスターは存在する。そんなモンスターは近接攻撃を仕掛けてくる。
彼女も覚悟はしているのだろう。影勝は自分が何をできるのか考える。
「あの、俺って高知ダンジョンを知らないんですけど、一階でどんな環境なんですか?」
影勝の返答が意外だったのか坂本がピタと固まる。顔だけ振り返り影勝を見た。
「一階は海辺ね。高知ダンジョン自慢のビーチが続くわ。こんな時でなければ満喫してほしいくらいの、ね」
「海、ですか。ってことはモンスターも海からですか?」
「主なモンスターは魚とか亀とか、もっと下の階だけどマーマンなんかもいるわね」
「水棲系が主体ってことですか。そいつらって陸に上がると、どうなります?」
「陸に上がった魚状態ね」
「なるほど……」
影勝は少し考える。海としてつながってしまうとダンジョン外モンスターが出てきてしまう。これもダンジョン外モンスターが水棲であるならば、だ。巨大なサンショウウオのような両生類だとひたすら倒すしかなくなる。
一網打尽にするしかないか。できなくもないが被害のほどが想像もつかない。
「ゲートの位置も海ですか?」
「ゲートは高台にあって、そこから下っていくと砂浜になるわ」
「高台って、どれくらいの高さがあります? ストレートに聞いちゃうと、どれくらいの津波に耐えられそうかなって」
「津波? あなたは一体何をするつもりなのかしら?」
ゲートをくぐる寸前で坂本が止まる。振り向いた彼女の顔が魔女のような迫力を帯び始め、体からもオーラのような禍々しい何かが立ち昇る。だが影勝は怯まない。
「最悪は……海諸共モンスターを吹き飛ばします。多分その余波で、大きな波ができちゃうはずなんで」
「……そう、あれね。そうね……」
「ゲートから水が出てこなければ、何の問題もないんですけどね」
「楽観視は危険だわ。最悪を想定しましょう。行くわよ」
坂本がゲートに向き直ったその時。ロビーに女性の金切り声が響く。
「旭川から連絡! ダンジョンの森から巨大な竜型のモンスター出現! 応戦中とのことです!」
「金沢ダンジョン、泥状の巨大な人型モンスター! 交戦開始とのこと」
「八王子より通達。巨大な鳥型モンスターによる雷攻撃を受けているとのこと」
「防衛省より各ダンジョンに緊急通達。未知の巨大モンスターを確固撃破されたし」
坂本はすうっと大きく息を吸った。
「全探索者に次ぐ、高知を防衛しなさい!」
実際と脳裏に、同時に声が響く。これは坂本の魔法だ。
「巨大モンスターってなんだよ! そんなの聞いてねーぞ!」
「やべえって! 逃げないとやべえって!」
「うるさい! お姉さまの言うことをお聞き!」
「俺は死にたくねぇ!」
「俺は行くぜ! 町には娘の幼稚園があるんだよ!」
ゲート前は騒然とし始めた。出口に殺到する探索者がいる一方、中に飛び込む勇敢な者もいる。それぞれがそれぞれの事情を抱えているのだ。
「俺もちょっと行ってくるよ。碧さんは表に避難してて」
「ダメッ! わたしも行くもん!」
碧がセミのように影勝のおなかに抱き着いた。背中はリュックがあるのでやめたのだろう。
「けが人がいたら治して回らないと!」
「イデデデデデ!」
碧が力の限りで抱き着くので影勝が悲鳴を上げる。こうなったらテコでも動かないのが碧だ。
「貴方たち、こんな時に何をしているのかしら?」
坂本があきれ顔だ。
「わ、わかった。けが人を見つけても独断専行しないようにね」
「うん、努力する!」
碧は元気よく返事をするが、「あーこれ無理げーっぽい」と影勝は早々にあきらめた。そんな窮地に陥る前に片づけてやる。そう思うことにした。