28.悪意と戦う者たち(4)
「その反応は、何かしらの良くない事象が発生すると考えても良いのでしょうか?」
「……そこは、私もエルヴィーラからの伝聞という形でしか説明できないが、彼女は言うには――」
「待ってください、スピーカーにします」
二瓶が慌てて金井に視線を送る。外部へ漏れる音を遮断して密室にしたいのだ。面倒くさそうに「わーったぜ」とスキルを発動させるのを確認した二瓶が綾部に「どうぞ」と先を促す。
「あの弓は世界樹の願いでもあるのだ。滅びを迎えた世界のパンドラの箱ともいえる」
「ろくなもんじゃねーなーおい。希望があるっつっても災いがたんまりじゃねーかよ」
「黙って聞け金井。この世界にダンジョンができた時点で趨勢は決まってしまったのだ。この世界があの世界に同情でもしたのだろう」
「巴ちゃんよー、周りくどい言い方は好きじゃねーぜ」
「相変わらず気が短い男だ。あの弓は、外界を旅する殿下が持ち歩き見知らぬどこかで芽吹くことを期待した、世界樹の遺言なのだよ」
「あんだよそれ。当てのないどこかの世界に行きたいって世界樹のわがままじゃねーかよ!」
「端的に言えば、そうだな」
「そうだな、じゃねーぜ巴ちゃーん!」
金井が壊れかけている。壊れかけのRadioならぬ金井、だ。だが壊れかけも理解できる状況だ。
「金井、お前もうすうすはわかってはいたんだろう?」
「……まーな。俺っちの中の奴の記憶があまりにも鮮明でなー。だけどそれが現実に起こるって思うほど夢想家じゃねーぜ」
「私とてそんなことは思いもしなかったさ。あの弓が見つかるまではな。あれが発見されたと知ったとき、悟ったよ。もう戻ることは出来ないんだとな。あれが見つかるまでが、猶予だったのだよ、世界の統合の」
綾部の独白の後、部屋は沈黙が支配した。影勝はあの夢を思い出した。あの時イングヴァルは「エルは来ないの? 世界はじきに終わるよ?」と言っていた。世界の終わりを確信しているようだったと。
「ふむ。となると、由々しき事態ですが、国としてはどう動けばよいですかね」
沈黙を破ったのは二瓶だった。ギルドは半分民間組織だが迷宮探索庁は政府機関だ。避けられぬものなら対処を考えねばならぬ。
「高知の坂本が見たというモンスターが現実を歩く、という状況に対して何をすべきか、だな。現実のダンジョン化、いや、あの世界になるということに対してだ」
「ダンジョン外で見た、あの化け物たちが?」
影勝は思わず口をはさんでしまう。間近で見たおぞましさを思い出したのだ。
「うむ、近江君の配信で映ってしまったあれだ。あれがダンジョンから、もしくはどこからか出てくるのだろう」
「ダンジョンから出てくるなら出口は決まってっけど、それ以外だと見当もつかねーな」
金井は飽きたのかビールサーバからジョッキにビールを注いでいる。どこまでもマイペースな男だ。
「わざわざダンジョンに壁まで作ってあるのだ、おそらくはダンジョンのゲートからしか出られないだろうな」
「ってことは、ギルドが出口を固めてればなんとかなりそうだなー」
「探索者で対応できるか、モンスターたちのデータが欲しいところだが……」
綾部が言いよどむ。それが可能なのは影勝だけなのだ。
データがあれば、例えば三級探索者程度で対応可能なのか、それとも二級でないとだめなのか。もしくは現代兵器で対応できるものなのか。
現在、各ギルドには自衛隊の駐屯地が併設されている。一番近い駐屯地が立川だが、ここ八王子ギルド内には連絡員が駐屯している。現代兵器で撃退できるのなら、対応可能な人員はぐっと増える。
影勝は一瞬だけ碧を見て、挙手した。
「俺、やりますよ。先に手を打てれば、それだけアドバンテージが持てるんだし。俺の母さんはまだ完治してないから非難も厳しそうだし。俺がやらないと」
「わ、わたしもいくからね。わたしがいかないと拠点がないんだから!」
決意に染まったふたりの顔を見た二瓶が、苦り切った表情になる。
「……ふたりのご意志はありがたいのですが。本来は我々大人がやるべき仕事です。自衛隊員を壁の向こうに連れて行っていただければ、調査も可能とは思います」
「でも、壁の向こうに、どうにもならないくらいのモンスターがいた場合、生きて帰ってこれますか?」
影勝の質問に二瓶は言葉を返せないでいる。その場合、自衛隊員は犠牲になるしかない。連絡手段がないダンジョン内で救援をも求めることは不可能だし、壁の向こうには行けないのだ。
影勝は一人しかおらず、複数の場所でそのような事態が起こった場合、どこかは見捨てなければならない。
「俺しかいないんじゃないですかね」
またも部屋は沈黙が支配する。誰も反論できない。
「また殿下はおひとりでいかれるつもりかと、エルヴィーラが申しておりますが」
「綾部ギルド長、今回は碧さんがいるんでひとりじゃないです。心配性だなぁ、僕のスキルならどこまででも逃げられから大丈夫ってイングヴァルも言ってますし」
「エルヴィーラが盛大に溜息をついている。止められないと悟っているのだろう。近江君、すまないが、モンスターの強度を調べてくれたまへ。葵さんと近江君のご母堂へは私から説明しよう」
「わかりました、よろしくお願いします」
「というわけで二瓶さん、迷宮探索庁のは調査計画の立案をお願いします。できれば、彼に銃火器の訓練も」
綾部が二瓶にボールを投げた。かなりの剛速球だ。
「銃火器ですか……そうですね、モンスターの強度調査と現代兵器で対応可能かどうかは実際に試さないとわからないことではありますが……ありますが、軍人でもない若いふたりを死地におくるようで、私としましては忸怩たる思いです!」
二瓶は拳を握りしめた。二瓶は立場的にダンジョンに入るわけにはいかず、見送ることしかできないのだ。
「護衛でもつけてーとこだけどよー、いたら邪魔なんだろ?」
ビールジョッキ片手の金井が口をはさむ。影勝に気配を気取られない程の手練れはいるのだ。だが。
「そうですね……俺と碧さんならどこまででも逃げる自信はありますけど、一緒にいる人の面倒までは無理ですね」
「二級のつえーやつでもか?」
「ジェット旅客機と同じくらいのデカい鳥が普通に飛んでる世界に対応できるなら、ワンチャン」
「あー、あの鳥かー。はっはっは、無理だな」
ダンジョンは五キロ四方の空間でしかないので巨大なモンスターはいない。即座に未知の巨大モンスターに対応することは難しいだろう。影勝ならば逃げの一手で、そのあとに観察するなりすればよい。
「……銃火器の訓練は自衛隊と調整します。近江君、時間がないので明日からでよろしいですか?」
「ああああの、わたしも一緒に訓練をさせてもらっても、いいですか?」
「し、椎名さんもですか!?」
「ちょちょ調査するならふたりでやるほうが、こここ効率が良いです! こここれでも二級探索者なんです!」
碧の大きな爆弾に、さすがの二瓶も口を開けて固まってしまう。
椎名堂の跡継ぎで世界にふたりといない薬師で、その価値は計り知れない。そのお嬢様をむさくるしい軍の訓練にぶち込むのはさすがに憚られる。まかり間違って挫折でもされたら二瓶の首は物理的に飛ぶだろう。
二瓶は言葉には出さないが表情で難色を示す。
「わ、WAC(Woman's Army Corps)だっているじゃないですか!」
碧は食い下がる。このままついていっても調査の手伝いすらもできない。影勝は何も言わないだろうが、自分が納得できない。影勝とは対等でありたい。
碧の意志は固い。
「ぐっ……調整します」
二瓶が折れた。