28.悪意と戦う者たち(3)
姿を消した西向は、ダンジョンを出た八王子駅から少し離れた公園の茂みいた。エランバッシオが書として収納していた中には魔法書もあり、そこには転移魔法もあった。
魔法は、魔法を扱う職業ならば職業に沿った魔法を習得する。もちろんレベルが上がればの話だ。
ではそれ以外の職業が習得できないかというと、違う。魔法自体はだれでも習得ができるものだ。ただ、詩人に覚えることはない。ではどうするかといえば、そのための魔法書だ。現に影勝は空中歩行の魔法使っている。
ただし、技術と同じで得手不得手は存在する。苦手な人は全く習得できない。だが西向は会得できた。
かの御仁が残した魔法書は膨大だった。その中には西向が習得できない魔法もあったがそんなことは気にしていない。役に立つものがいくつかあれば事足りる。
転移の魔法は、使いこなせるならばあらゆる場所に転移が可能だが西向では最大でも五〇〇メートル以内にしか行けなかった。だがそれでも繰り返すことで長距離を短時間で移動可能だ。ダンジョンの一階からはゲート前、そこから地上に体を出した瞬間に転移した。
西向は一粒の種を取り出し指でつまむ。世界樹の種だ。
「こいつの目を覚ますには数千数万の命が必要とは。まったく欲張なヤツだぜ」
西向は楽しそうに嗤った。
配信も切り、誰もいなくなったダンジョンを後にした影勝と碧はギルドに戻った瞬間に拿捕された。正確には聴取のための身柄確保だ。こっちです、と案内されたのはギルド長の部屋。またか、と口をへの字にする影勝。自分がやらかしたことは棚上げのようだ。
中に入れば、いるのは金井と防衛省迷宮探索庁長官の二瓶だった。金井はすっかり回復しており、アロハシャツも着替えたらしく新品になっている。二瓶は夏にもかかわらずグレーのスーツでピッシリ決まっている。
ふたりがついている席にはビールジョッキが置かれており、事情長聴取とは一体?と影勝も碧も首をひねった。
「よぉ、さっきぶりだな。まぁ座れや」
ビールジョッキ片手に金井が手を挙げる。思いがけず飲み屋で知り合いに会った時の反応だ。二瓶は眉をハの字にして脱力しきっていた。いつものことなのかもしれない。
「すみません、あいつを逃がしてしまいました」
影勝が頭を下げると碧も続く。どちらも悪くはないのだが。
「あー、それは俺も察知できた。千載一遇のチャンスだったけど、まー仕方ねえ。治療費はビール一年分で我慢してやる」
「ビ、ビールっすか……」
治療費がビールと聞いて影勝の体から緊張が抜ける。オマエェェェと叫びたいところだ。
「それよりもなー、あいつの負傷具合はどうだったかわかるか?」
打って変わって金井の雰囲気が変わる。ギロリと睨まれ、影勝の背が伸びた。
「火龍の矢を使いました。爆炎で焼け焦げてて、右手と左足がなくなってました」
「なるほど。あまりにも広範囲な爆発には対応できねえんだな。これなら殺せるな」
「金井さん、公に物騒なことを言わないでください。法に照らし合わせた処罰が必要なんですから」
「二瓶のおっさんの立場だとそうかもしれねえけど、結局は殺すじゃねえか」
「それはそうですが、手続きってのがあるんですよ」
目の前であっけらかんと繰り広げられる殺伐とした会話の内容に、影勝と緑の頬が引きつる。人の生死を決めてしまう会話など、日常ではありえない。
「殺す方法を見つけられたのはラッキーだった。あいつのことだ、手足なんざポーションで治すだろうし、絶対に何かやるぞ」
「何か、ですか?」
「あいつがわざわざダンジョンに入ってきたんだ、なんかの目的があったのは間違いねえ。それがわからねえけどろくなことじゃねえのは確かだ」
金井の強い口調に二瓶も頷いている。
「えっと、俺がよく知らないだけなんですけど、あの人って甲斐って人の後ろにいた人ですよね」
「あー近江はしらねーか」
金井がぺしっと自分のおでこを叩いた。二瓶も「説明をしていなかったですね」と同調した。説明していないのなら影勝は知る由もない。
「あいつは、西向は探索者だった妹が冤罪で自殺してな、それで探索者とギルドに恨みを持ってて、破壊しようとしてんだ」
「は? マジですか?」
「……冤罪で自殺……酷い」
「chimeraって反社組織を作っていろいろな犯罪を起こし続けてる。札幌のダンジョン大麻入りの餃子なんてお前らが絡んでるぞ」
「あ、あれですか!」
「えぇぇぇ!!」
「あの時に捕まえた探索者を殺したのもあいつだろーな」
「そ、そんな……いくら冤罪で妹さんがなくなってしまっても、だからと言ってほかの人に八つ当たりしても、妹さんは悲しむと思う……」
碧は悲しげに目を伏せた。敵討ちは理解できるが、その相手が無関係な人なんて無意味だ。理由なき暴力はただのテロであり、そこに正当性はない。
「西向は探索者だ。当然、厳罰に処される。とどのつまり、死刑だ」
「死刑……」
探索者が犯罪を起こせば、それは一般人が起こしたものよりも罪が重くなる。処刑も当たり前に起きる。これは、影勝も探索者講習で工藤に言われていたことだ。
強すぎる力を持つ者こそ、その力の使い方を考えねばならない。
これは、レベルが上がり人外の力を持つに至った影勝も思うことだ。影勝が本気で一般人を殴れば殺してしまうだろう。圧倒的な膂力で脅すこともできる。影勝の場合そのスキルで多様な犯罪を起こすことも可能だ。
そんな危険人物が野放しなのは、ひとえにおとなしくしているからだ。
調子に乗った影勝が一般人に対して暴力をふるえば、金井も綾部も、容赦なく取り締まり、裁きにかけるだろう。そこに情を差し入ることはできない。
「そこは、仕方がないですね」
影勝と碧は小さく頷く。刑法に照らし合わせても、西向のやったことは許されることではないのだ。
「手足がなくなる負傷なんてなーあっけなく治すだろう。あいつの組織にはそれなりに有能なやつがいるみてーだしな」
金井が苦い顔で吐き捨てた。探索者が西向に協力しているのは確実だ。それは離反するきっかけを作ってしまったギルドの失態でもある。ギルド長として思うことも多いだろう。
「彼の動向は掴めていませんが、わざわざ八王子ダンジョンに姿を現した以上、何かしらのアクションを起こすでしょう。それもかなり良くない方向で」
二瓶も眉根を寄せている。西向を捕まえようとしているが捕まえらない苛立ちもあろう。
「そういえば、あいつ、俺の弓を拾てましたね」
「なんだとッ!? おい近江、それは確かか?」
「え、ええ、遠めですけど、弓をいじってるように見えました」
「世界樹の枝……あいつ、何を企んでやがる」
金井はビールジョッキを机にたたきつけた。ここは飲み屋ではないのでお静かにしていただきたい。
「この弓が世界樹の枝からできてるのは知ってますけど、特に変わって感じはしないですよ?」
影勝が弓を取り出し、手のひらで撫でる。イングヴァルから発言がないので影勝にもわからない。エルヴィーラたる綾部なら何か知っているかも。
「綾部ギルド長はこのことを知ってます?」
「いえ、今初めて聞いたことですので。伝えておきます」
「この弓を一番知っているはずなので」
「わかりました、ちょっと失礼して今連絡します」
二瓶がスーツの内ポケットからスマホを取り出し綾部にかけた。
「綾部だ」
「迷宮探索庁の二瓶です、いまよろしいですか?」
「問題ない。近江君のことか?」
「えぇ、彼の弓について確認したいことがありまして。西向があの弓を手に取っていたらしいのですが、何か心当たりはありませんか?」
「なんだと!?」
二瓶のスマホから綾部の叫ぶ声が聞こえた。