23.八王子のふたり(5)
「おいおい、なんか騒いでるな」
「まーた覇王だよ」
「あいつらも運がねえな」
周囲からはそんな声も聴かれた。こんな騒ぎを日常的に起こしてるのだろうことが察せられる。野次馬もいるがスルーする者も多い。
「一億払えなかったら、そこねーちゃんでもいいぞ」
「あ゛?」
背後に隠れている碧を指さす甲斐の言葉に影勝は即反応した。ヨシ、処そう。
やる気になった影勝の肩に亮の手が乗せられた。亮の顔には焦りが浮かんでいる。
「今この瞬間も配信されている。こっちから手を出せばギルドから処罰されるぞ」
「それは、俺がやったと判明した場合ですよね?」
「は?」
予想外の返答に亮は鳩が豆鉄砲を食らった以上に驚いた顔になった。それはそうだろう。予想した答えの真逆を言っているのだ。
影勝は甲斐の方に振り向きざま、彼のみに全力の圧を飛ばした。額に筋を浮かび上がらせた満面の笑みで。
「ック、なんだこれは」
影勝の本気の殺気を受けた甲斐は半歩下がる。足が勝手に動いていた。甲斐も今まで感じたことがない恐怖に襲われていた。
影勝はメンチを切ると同時に鮨屋から拝借した爪楊枝を右手から落とした。【誘導】と【貫通】によって爪楊枝は暗い地面を這うように飛行、曲線を描いて甲斐のふくらはぎに突き刺さる。
「なん、だ?」
甲斐はふくらはぎに痛みを感じたが、影勝から発せられる殺気にかき消された。
だが刹那、甲斐の目の前が真っ暗になった。平衡感覚が失われ、地面の感触もなくなり、そして倒れた。倒れた拍子に爪楊枝はぽろっと落ちて地面を転がった。
楊枝の先には強烈な睡眠効果のあるダンジョン産の薬草エキスが塗られており、それが直接注入されていた。
「あれ、どうしたんですか? いきなり倒れちゃいましたけど」
影勝はすぐに圧を引っ込め、わざとらしく動揺して心配するような声を出した。
「「「リーダー!」」」
「あれ、ちょっと甲斐さんー?」
慌てて駆け寄るクラン覇王の面々とダンエクの三人。何が起こったのか全く分からず立ち尽くすストライカーズ。影勝に全幅の信頼を寄せているので動じない碧。三者三様だ。
抱きかかえられた甲斐だがピクリとも動かない。
「い、息はある!」
「て、てめぇ、リーダーに何したんだ!」
「魔法か!?」
「いや何もしてないけど」
影勝は両手を挙げて困惑した表情を作る。やらかした本人なので余裕だ。
「甲斐さん、起きてください!」
「ちょ、何が起こってるのー? 甲斐さーん?」
それでもダンエクはカメラを回している。その映像がなんらかの証拠になると考えてだが、それは影勝の無罪の証拠にもなりうる。なにせ配信中で加工は不可能なのだから。
「救急車を呼びましょうか?」
「て、てめぇふざけんな!」
影勝がスマホを取り出すと覇王の若い男が突っかかってきた。影勝の胸ぐらをつかんで右腕を振りかざす。正当防衛成立である。影勝は右手に追加した爪楊枝をその男の手首に刺した。影勝の顔にこぶしが当たる前に、その男が崩れ落ちる。
「ウワーコワイナー」
影勝が超棒読みで叫び、後ずさる。それでも碧は背中に隠し続ける。なんとなくだが影勝が何かしたと察し始めたストライカーズの面々は顔を見合わせた。そして亮が前に出る。
「俺らはクラン三日月のもんだが、三日月はこのふたりの世話と護衛をギルド長から依頼されててな。これ以上やるなら正当防衛を主張するぞ。三日月を敵にするつもりか?」
「うちの社長、怒ると怖いんだよね」
亮が一歩前に出ると舞も追従する。暴力行為は御法度の探索者だが正当防衛の権利はある。相手が探索者だった場合に限るが、今はそれが当てはまる状況だ。
さらに三日月は八王子最大のクランで所属する探索者は三〇〇人を超える。八王子の探索者の一割に当たる人数だ。
「なめてんのかゴルァ!」
「この人数で勝てると思ってんのかぁ?」
それでもイキり始めたクラン覇王の男たち。野々山はビビッて「ひゃぁぁ」と悲鳴を挙げながら小田切の背後に逃げた。
「あなた男でしょう、前に行きなさい!」
「僕、ひ弱な魔法使い! 喧嘩なんてできないってば!」
「へたれてんじゃないわよ!」
盾にされた小田切がぶち切れ、スパーンと野々山の頭をはたいた。めちゃくちゃだ。北崎はふたりのじゃれあいにやれやれ仕草をしているが視線は絶え間なく周囲を見渡していた。スカウトされるほどの能力はあるようだ。
「く、くそ……」
寝ていたはずの甲斐が起き上がった。耐性能力はそこそこあるようで、足が震えているが立とうとしている。
「甲斐さん!」
「てめえら、どけぇッ!」
覇王の連中が支えようとするが甲斐はそれを手で追い払う。仲間すら寄せ付けない、まさに暴君だ。
「こんな、やつに、やられっぱなしで、いいわけ、ねえだろッ!」
甲斐は震える口調でそう叫びながら、ズボンのケツポケットからロングソードを取り出した。ズボンを魔法カバンに改造しているのだ。
「リーダー、さすがに武器はまずいっす!」
「うるせえぇぇ!!」
甲斐は覇王の男たちの諫めもきかず、ロングソードを振り回し始めた。周囲のやじ馬も悲鳴を上げて逃げ始める。ブレーキなんて存在しない暴力機関車になってしまっている。
「ちょっとー、これはまずいよねぇー」
ダンエクの三人もやばいと感じているがここから逃げるということは甲斐の危険性を肯定していることにもなる。どうしようどうしようと動けずにいる。
「さすがにヤバイ。近江、逃げるぞ!」
亮が影勝に声を飛ばす。二級探索者が暴れるとなると被害が大きすぎる。スキルを使われたらさらに被害が拡大する。だが影勝に引くつもりはなかった。碧に害なすものはすべて処さねばならない。
「これはもう正当防衛でいいよな?」
影勝はとてもいい笑顔でダンエクの三人に圧をかけた。初めて影勝の圧を浴びた三人はたたらを踏んだ後にぺたんとへたり込んでしまった。五級でしかないダンエクの三人は人が発するガチの殺気など知らない。カメラも地面に落としてしまい、ガタガタ震えるのみだ。
「おおおお俺たちは、知らない! 知らない!」
「ぼぼぼくだって知らないもん!」
「あああええ!」
ダンエク三名のうち黒髪ポニテのケンタは言語すら怪しくなってしまっている。偶然、カメラはそんな様子を映し出していた。
「よそ見してんじゃねぇ!」
おぼつかない足取りだが、甲斐が切りかかった。気配で察していた影勝はリュックからイングヴァルの弓を取り出しロングソ-ドをいなした。逸らされたロングソードはアスファルトを激しく削る。そこそこに良い剣らしい。
「避けんじゃねぇ!」
「いや避けるでしょ」
理不尽なことを叫ぶ甲斐に、影勝は冷静に突っ込んだ。コントじゃあるまいし、当たってやる必要はない。
「碧さんはみんなの方へ」
「う、うん、負けないでね」
「ぶっ飛ばすから大丈夫」
影勝は碧を舞の方へ押しやる。舞が碧を確保したのを確認した影勝は甲斐に向き合う。ロングソードを構える甲斐に対し影勝は手首のひねりで弓をくるくる回す。
「おいおい、弓なんかだしても折られるだけだろ」
「弓かよ!」
「でも剣をいなしたな」
「もしかしてやるんじゃ?」
聴衆が騒ぐ。なめられたと感じた甲斐は「ふっざけんな!」と叫んだ。
「うらぁぁぁあ!!」
甲斐はロングソードを振り回す。まだ睡眠薬が効いているのか大振りだが当たれば大けがどころではなく死ぬだろう。影勝は迫るロングソードを数回いなした後、剣の側面を弓で強く叩いた。
バキン。
鋭い音でロングソードの刃が根元から折れ飛ぶ。
「剣を折ったぁ!?」
「はぁ!? 弓で!? なんで!?」
亮と舞が同時に叫んだ。
「ありえねぇ! クソがぁ! クソクソクソクソ!!」
うまくいかず癇癪を起す甲斐。エルヴィーラからもらった世界樹の枝の弓がそんなちゃちな剣で折れるわけないだろう、とイングヴァルはどや顔だ。
「お前ら! おとなしくしろ!」
「動くな!」
どやどやと警官のような制服姿の男たちが駆けつけてきた。大きな盾を持ち、胸には八王子ギルドと刻まれたバッチが光っている。影勝は素早く弓をリュックに入れ、碧のそばに駆け寄り、確保した。やばそうなら連れて逃げる気満々だ。
「八王子ギルド警務部の三島だ。探索者の暴力行為は禁止だと知っているな?」
三島と名乗った男は影勝と甲斐を見据えて鋭く叫んだ。
警務とは、探索者の監視や拘束の許可を持つ、軍でいう憲兵に当たる部署だ。探索者は人外の力を持つものが多く一般人の警察官(元探索者もいるが)では太刀打ちできないのでギルドが警察権の一部を行使できるように法律が定められている。
「俺たちは何もしてませんけど?」
「それを決めるのはこちらだ!」
影勝は冷静に答えるが三島は興奮気味だ。ちょっと落ち着いてほしい。
「チッ警務だ! 逃げろ!」
「甲斐さんを担げ!」
「離せてめえら! まだ終わっちゃいねぇ!」
「どけっ、邪魔だ!」
覇王の男たちは甲斐を担ぎ上げると人ごみの中に逃げてしまった。見事な逃げ足だ。
残されたのは影勝らと生まれたての小鹿のように震えるダンエクの三人だけだった。警務が来たので亮たちもおとなしくしている。
「逃げられちゃったな」
影勝はのんきにボヤいた。
そのころダンエクの配信先では。
:まてまてまてまて
:弓で剣を折ったぞ?
:最強武器が塗り替えられた!?
:強すぎんだろあの新人!
:か・え・り・う・ちwww
:覇王ダッサw
:武器を折られたリーダーさん大丈夫?www
:ケンタ、ちびってなかったか?
:なんか、アスファルトにシミが広がってるな……
:やっちゃったなw
:あの近江ってやつ、旭川だと森のエルフって呼ばれてんのな
:どこ情報だよそれ
:エロい人助かる
:なんか邪悪そうなエルフだなww
:あのエロフ、ちゃっかり椎名堂のお嬢様の身柄は確保してんのな
:エロフ?
:エロフ!!
:強いなエロフ!
:エロフ最強説きたな
なぜかエロフが連呼されていた。