100階建てタワーマンション
そのニュースを目にした男は思わず身を乗り出し
テレビ画面、そのテロップを凝視した。
そのため折り畳みテーブルに膝をぶつけ、缶ビールを倒したが
まったく気にはならなかった。瞳から脳へ文字が焼き付く。
『100階建てタワーマンション。格安で入居可。抽選会近日実施』
夢のような話であった。そうそうない超高層マンション。しかも新築で格安。
それが仕事場からも近いのだ。しかし、抽選。どうせ俺なんて……と思うより先に
新たな情報が飛び込んできたことにより、男はますます興味を抱いた。
『年齢と同じ階数に住むのがルール』
つまり、男の年齢、28歳ならば28階。
単純なルールではあるが気になることがいくつかある。家族で住む場合だ。
が、その疑問もアナウンサーが原稿を読み上げたことですぐに解消された。
『一人暮らし』限定。なるほど単純明快。いいぞ。応募者は限られてくる。
もしかしたら自分が……。
と、夢見ていたら、まさかの当選である。男は小踊りし、すぐに引っ越しをした。
そう、引っ越し。煩わしいことに年齢を重ねるたびに
上の階へ引っ越さなければならない。
一年ごとにいちいち面倒だと男は思ったが、まあ一階上がる程度だ。
それにマンションのスタッフが迅速かつ丁寧に梱包、荷物を運んでくれるので
仕事から家に帰った時にはもうそっくりそのまま引っ越しは済んでいるという手際の良さ。
そう、このマンションには常にスタッフが複数名、常駐しており
無論、可能な限りではあるが入居者のあらゆる要望に応えてくれる。
歳を取り、老人となれば買い物も掃除も億劫だ。その不安を解消してくれるということ。
もはやマンションというよりホテルに近いかもしれない。
その理由をもう一つ挙げるなら施設の充実具合である。
当然、1階もそうだが、まさか2歳、3歳児などが一人暮らしできるはずもない。
ゆえに居住スペースは20階から。
それより下の階にはスーパーやコンビニ。スポーツジム、プール、大浴場
シアタールームに歯医者や美容室など娯楽施設等充実。
ワンフロアに十八室で六角形の形をしたこのタワーマンション。
一人暮らし専用という事で部屋は広くないが、文句も出るはずがない。
綺麗なのはもちろんなこと、機能面も優れている。
便座が自動で上がったことに感動を覚えた男は入居したその日
用もないのに何度もトイレに入ったほどだ。
他にもセキュリティの面か喧嘩、騒音などのトラブル、風紀の乱れを懸念してか
客人を招いてはいけないなどルールはあるがどうという事はない。
自分は相当運がいい。男がそう思う理由。
年齢が一個上がるごとに引っ越さなければならないのなら
上に階にいる住人とうまい具合に誕生日で組まれているということだ。
その組み合わせに自分が選ばれた。これを幸運と言わずに何と言うか。
男はひとり、広々とした部屋で笑った。
男はマンションでの新生活を大いに気に入った。
職場。自宅に帰ることを想像するだけで笑みが零れる。
そんな様子を見て同僚から遊びに行きたいと言われたが頑なに断った。
それを言い出した相手が意中の女性社員の時は
さすがに意志が揺らいだが、それでも断った。
なぜなら、早々にルールを破り、自宅に客を招き入れた住人が
即刻退去させられたという噂が流れたからだ。
男がそれを知ったのはマンションのスポーツジム仲間から。
脅かすためのちょっとした冗談などと笑ってはいられない。
尤も、結婚のために、転勤、転職など
数年も経てばマンションから離れていく住人も出てきた。
だが男はずっと住み続けようと考えていた。
結婚は自分には向いていない。友人も多くはない。
もし会社から転勤を命じられることがあっても断ろう。
このマンションの家賃はかなり安い。たとえ逆らい、会社を辞めることになっても
近場で新しい職を見つけることはできるだろう。離れるものか、絶対に……。
男がそう考えたのは何も住み心地の良さだけではない。
住むことにより、ある疑問がまた一つ湧いたからである。
最上階の100階は100歳の者が住むとして……では101歳は?
マンションのスタッフに聞いてみても、さぁどうでしょうね、と笑顔ではぐらかすばかり。
一生住むつもりなのだ。嫌われたらと思うと強くは聞けない。
それに単純に知らないのかもしれない。
尤も、100階は100歳以上が住むということで101歳だろうが102歳だろうが
そこに含まれるということなのかもしれない。
そもそも平均寿命からして100階に到達する者はそう多くはないだろう。
しても病院暮らし。そこまで想定していないのかもしれない。考えるだけ無駄。
マンションの入居は20代から30代までと年齢が固まっていたので
すでに100歳の者が入居したとも90代が100階に達したという話は聞いたことがない。
……ならば、自分が最初に100階に到達してみせる。
いつしかそれが男の生きる目的となった。
何年も過ぎた。昇進、別の支社に栄転という話も断った。
マンション仲間が結婚や同棲で引っ越してもただ見送るばかりだった。
淡々と、淡々と日々を過ごし、年齢を重ねた。
ルールを守り、健康を第一に考え、ストレスになるため後悔をも抱くことをせずにただずっと一人で。
そして……ついにその時が来た。
100階に到達である。
景色は一個下の階とそう変わりはないが、いまや老人となった男はいたく感動した。
自分だけだ、この頂に昇ったのは。
寿命か引っ越しか、上の住人も横もいつからかいなくなっていた。
無論、新しく入居してきた者がいるが、それも遥か下の階。
老人は若い連中からマンションの長とも仙人とも呼ばれていた。
そして、いよいよ疑問の答えを知る時。
101歳からはどこに住むか。誰に聞けばいいのか。マンションの経営者だろうか。
尤も、そう大した答えは期待していない。ジョークを言われるだけとも思っていた。
どうでもいい。それはあくまで副賞。ここまで生きた。ここまで昇った。
ただこの達成感が心地良い。仙人と呼ばれるだけあって悟りの境地。
が、そんな老人もここにきてまさか新たな疑念が湧くとは思わなかった。
ドアである。それも梯子付きで部屋の天井に。
テーブルには鍵が置かれていた。これで開けろということだろう。
老人は震える体で梯子を上り、鍵穴に鍵を刺した。
震えは老体であるからだけではない。興奮だ。
深呼吸を何度かし、ドアを開け外に出た老人は息を呑んだ。
そこは澄み渡った青空。そして花畑。思わず天国を連想したのは言うまでもない。
そして、そこに一人の男がいた。
「おめでとうございます」
男はそう言ってニコッと笑った。
黒髪短髪。黒のスーツ。額は広い、50代だろうか。
神というよりかは悪魔のような印象を受ける。
男はまた深呼吸したかったが男の手前、それはやめ
ゴクンと唾を呑むだけに留め、そして訊ねた。
「あ、あんたは……?」
「このマンションを造った者ですよ。ま、正確にはそのうちの一人といいますか」
「そ、その、なんでここに、いや、101歳からはどこに住むんだ?」
老人は餌を我慢できない犬のように、鼻息荒く、以前からのその疑問を口にした。
すると男は笑い、こう言った。
「このマンションは100階まで。つまり、101歳からは……死んでもらいます」
「ひぇ!」
「冗談です。ちょっと言ってみたくなったので」
男は腹に手をやり笑い、老人は心臓をさすった。
「おっかない冗談はやめてくれ。歳なんだ。心臓が止まることもあるかもしれん」
深呼吸をする老人を見て男がくすりと笑う。
「ふふふっ、失礼しました。そうやって健康に気を使ってきたからこそ
ここまで昇り詰めることができたのですね。大したものです」
「当然だ。100階に住むのが目標だったからな」
「結婚もせず、一人孤独で」
「ま、人それぞれ生き方があるという訳だ。割と早い段階で気にはならなくなったよ」
「素晴らしい。あなたは生まれつき、孤独に強いようで」
「ふぅー、褒められているのかわからんね」
「それに寿命も長い。実に素晴らしい」
「どうも。それで、教えてはくれないのか? 101歳からはどうなるか。
またジョークでもいいから用意していたものを聞かせてくれよ。何もないのか?
実はあんたは神様で、マンションのスタッフは天使。
100階に到達した者は天国行き決定とかな」
「ふふふっはははは! それはいい! ははははは!」
「あんたのほうがこっちの冗談で笑うのかい……」
「いや、ははははは! なるほど。
確かに、あなたはマンションの規律を守り、勿論、法も守って生きてきた。
このマンションは善人を見極めるための場所ですか、ふふふふ。
当たらずとも、というやつですね」
「うん? どういうことかな」
「ああ、101歳からはどこに住むか、ですね。
世界中のどこでも、というのはどうでしょうか? もしくはそう、宇宙になりますかね」
「宇宙? ははは、それは冗談か?」
「いいえ。あなたは孤独に強く、寿命が長く、規律を重んじる性格の持ち主だ。
今進めている宇宙事業、その計画にピッタリの人材なのですよ」
「あ、え、本当に宇宙に!? いやいやいやこの歳でそれは……訓練とかも……」
「ええ、勿論。なのでクローンですよ」
「クローン……わたしのか?」
「そう。是非、あなたのクローンを作らせていただきたい。
その報酬は大金と住む場所などええ、望むとおりに」
「ふふ、ははははははは!」
「これは冗談じゃありませんよ?
ここはその人材を発掘するために作られた場所なのです。
私の祖父の代からの取り組み、願いでして」
「いやいやいや、はははは! すまんすまん。信じているよ。
しかし、ふふふ。クローンというと私の子供みたいなものだろう?
結婚もせず、何も残せないと思っていたのに、ふふ、ははははは!」
「では、了承していただけるんですね?」
「ああ、するとも。それでなんだが……」
「ええ、望みがあれば何なりと」
「住む場所はやっぱりこのマンションがいいな」
老人は笑った。男も笑った。
笑い声は澄み渡る空に流れる雲と共に溶けていった。
いつしかその遥か上、宇宙でもきっと老人は笑うであろう。