(4)
沙夜は休みだというのに、朝早く家を出た。
鞄にはパソコンで調べた地図のコピーと颯の住所を書いた手帳が入っている。
颯の家は県の中心市の郊外らしい。
学校までバスと電車を乗り継いで通っている。
来てみて、沙夜は改めて知る。
颯がなぜ沙夜の倍の時間がかかる青陵高校のような家から遠い学校を選んだのか。
誰も過去を知る人のいないようなところを選んで、やりなおすつもりだったのだと。
でなければ近くの、学校も多い県の中心市を通り越して、わざわざ県の端の市にあるような学校へは入学しなかっただろう。
沙夜は地図を見ながら、本多の表札を探す。
思ったよりあっけなく颯の家は見つかった。というより周りの家よりワンランク大きかったから見つけやすかったのだ。
(もしかして本多くんちって、お金持ち?)
なのになぜ非行に走ったのか、沙夜には理解しがたかった。
とにかく門で立っていても仕方ないので、インターホンを鳴らす。
(いなかったらどうしよう)
少し不安がよぎる。
午後だとその可能性が高いと思い、午前中に来たわけだが。
なかなか返事がない。
(留守なのかなぁ)
もう一度鳴らしてみてそれでも返答がなければ諦めようと、インターホンに指を近づけた時。
「和泉か? どうしてうちに?」
突然聞こえてきた声に沙夜はビックリした。
「なんで私って分かったの? ……あ、カメラ付きのインターホンなんだ」
思わず自問自答してしまう。
「ちょっと待ってて」
インターホンの切れる音がして一、二分後、玄関を開けて颯が出てきた。
初めて見る私服姿に鼓動が一瞬高まる。
「何か用?」
颯は見当がついているかのように聞いてきた。
「聞きたいことがあるの。学校とかじゃ人がいて話せないと思って家まで来ちゃった」
「家に入るか? 今、俺以外誰もいなくて、それでもよければだけど」
誰もいないのは好都合だが、二人きりで家の中という状況に沙夜は戸惑った。
昔、愛してもいない女の人を抱いたことがあると言った颯の言葉を思い出した。
(昔はそうでも、今は違うよね)
「いいよ。二人きりで話がしたくてここまで来たんだもん」
恐れず見つめてくる沙夜に、颯の心は彼女に惹かれずにはいられなかった。
そんな心を悟られまいと冷静を装う。
「じゃあどうぞ」
颯の後ろについて門をくぐり、家の中へ入っていく。
「本多くんちって立派なんだね。私、ビックリしちゃった」
キョロキョロ家の中を見渡しながら沙夜が言った。
「資産家だったらしいよ。まあ義父親が医者ってこともあるのかもしれないけどね」
「今日お父さんは?」
「昨日から宿直でまだ病院」
「お母さんは?」
颯は一瞬黙り込んだ。が、何事もなかったように再び口を開く。
「いない。義父さんと二人暮らしなんだ」
その答えに、沙夜は聞いてはまずいことを聞いてしまったのかも……と思った。
(お母さん、亡くなったのかな。それとも離婚したとか)
その後はリビングに着くまで二人とも無言だった。
颯は沙夜をソファーに座らせると、
「何か飲むか? お茶かコーヒーくらいしかないけど」
と言って部屋を出ていこうとした。
「待って! 何もいらないから本多くんも座って」
これから話をする内容を考えると、とても悠長に何か飲んではいられないと思ったのだ。
沙夜の思いを察してか、颯はそれ以上は何も聞かず言われた通りソファーに座った。
「私調べたよ、新聞」
そう言って沙夜は鞄から一枚の紙を取り出した。何度も読み返してシワだらけになった用紙を。
「この記事で合ってる?」
沙夜は広げて颯の向きに合わせてテーブルの上に置いた。
覚悟していたのか、颯の表情に変化はなかった。
「合ってる。……これで分かったろ? 俺がどんな男なのか。それなのに今さら何を聞きたいんだ?」
自分を殺人者と認める颯を前にしても、沙夜は彼に対して恐怖心を抱かなかった。
「理由を知りたいの。どんな理由があろうと、人を殺してしまうことはいけないことだって分かってる。でも本多くんが軽はずみなことで殺人を犯すなんて考えられないの。正当防衛ってこともあるし……」
颯は、まだ自分を信じようとしている沙夜の思いを嬉しく感じていた。
記事に書いてあることだけを鵜呑みにせず、こうして自分と向かい合って訳を知りたいと言ってくる沙夜の存在は、颯の心の扉を押し開いていった。
彼女にはすべてを話してしまってもかまわない。
それで彼女が自分から離れていってしまっても彼女を恨んだりはしない。
颯はそう思った。
「和泉は俺のうち、裕福だと思ったろ?」
「……うん」
「経済的にはそうでも、家庭内は崩壊してるんだ。俺は母の連れ子で、俺が六歳の時本多の義父と再婚したんだ。でも母は三年後、俺を残して蒸発してしまった。義父も翌年の頃から新しい女と付き合い始めたんだ。それが誰だと思う?」
突然過去を話し始めた颯の話に聞き入っていた沙夜はいきなり質問されて言葉に詰まった。
(お医者さんなら普通……)
「か…看護師さん、とか」
それだったらまだ良かったといった感じで颯は首を振った。
「当時の俺の担任教師。付き合いがバレてからは当たり前だけど、世間の風当たりが厳しくなったよ。母は蒸発、義父は夫ある教師、しかも息子の担任と不倫……だもんな。発覚後も何年かは関係が続いていたし。教師は退職したけど、俺にとって学校は針のむしろだった。家にも学校にも居場所がなかった俺は非行に走った。毎日の気まま暮らしが俺にとっては救いだった。義父も教師も俺を恐れて近づこうとはしなくなっていった。そうこうしているうちに月日は流れて、この事件が起こったんだ」
* * *
十月十七日夕方。
とあるビルの屋上。
この廃屋ビルは颯のいるグループがよく使っていた。
この日は颯の見た限りで、まだ自分とリーダーの宮城洋介しかいなかった。
洋介に声をかけようとした颯は、一瞬我が目を疑った。
颯が目にしたのは注射器を手にした洋介の姿だったのだ。
それだけではない。彼の足元には違法な錠剤を飲んだ残骸がいくつも残っていた。
「宮城さん、何してるんだよ!」
颯は駆け寄って注射器を取り上げようとした。
洋介は颯にとって兄貴同然だった。
洋介も特に颯をかわいがって、いずれはリーダーを彼に継がせようとさえ考えているくらいだった。
「離せよっ!」
洋介は颯を突き飛ばす。
「宮城さん!」
洋介はユラリと立ち上がった。
「俺は破滅したんだ。もう生きてちゃいけないんだ」
ヨロヨロとフェンスに近づきそれを乗り越えようとする洋介を、颯は必死に止める。
「いやだ、行かせないっ! 何があったか分からないけど、死んだらなんにもならないじゃないか!!」
ドラッグで正常でないはずの洋介が肩越しに颯を振り返った時、真顔で微笑んだ。
「お前は俺みたいになるなよ」
力で上回る洋介は再び颯を突き飛ばした。
颯が起き上がると同時に、洋介の姿が屋上から消えた。
「いやだーっ! 宮城さんなんでだよ!!」
フェンスに駆け寄り下を見た颯は絶叫し、フェンスを握り締め泣き崩れた。
後日、颯は洋介が死を選んだ理由を警察で知ることになる。
十六日夜。
洋介は父に殺されそうになり、逆に殺してしまったのだった。
女の人に生活させてもらってる、いわゆるヒモもような父だったが、いつかは父と子として向かい合う日がくることを願っていた洋介。
『いつかおやじと一緒に酒が飲める時が来るといいのにな……』
その思いを知っていた颯は愕然とした。
受け止めきれない現実をドラッグで麻痺させ、死への恐怖心さえ拭い去ったのだ。
だが警察はそんな内情は知らない。ただ洋介が父を殺したことで自殺の可能性もあるという見解があるだけ。
颯が捕まったのは、彼のことを好意的に思っていない仲間からの目撃証言があったからだ。
彼らは本当は見ていなかった。だが颯を陥れたかったのだ。
警察は颯の言葉を信用せず仲間達の目撃証言を信用した。
何度も殺していないと言ったが無駄にすぎなかった。
颯はもう誰も信用できなくなっていた。人間不信になるには充分だった。
そしてもう一つ事件が起こる。
洋介の恋人が自殺を図ったのだ。
事実を知らない彼女は、遺書に颯への恨みを書き連ねていた。
幸い命だけは取りとめたが、彼女の恨みは彼女の心に根深く残ってしまっていた。
次々と襲いかかる出来事に、十四歳の心は死んでしまった。
喜怒哀楽、どの感情もすべて失っていた。
双眸にくっきりと漆黒の闇を湛え、自分の周りに厚い壁ができていた。
結局証拠不十分で無罪にはなったが、颯は今度はグループ内にも居場所をなくし、一人で今まで以上に事件を起こし、補導され、少年院に送られることになったのだった。
* * *
「俺を人間に戻してくれたのは、保護司の中川さんだ。少年院から出た俺を、半年間自分の家に招いて家族愛ってものを与えてくれた。高校へ行くことを勧めてくれたのも中川さんなんだ。義父にも高校くらいは出てもらわないと困ると言われたけど、それは世間体でしかない。中川さんは俺の将来への可能性を広げるには、高校へ行って色んなことを見て感じ取ってみるのがいいと言ってくれたんだ。中川さんは俺にとって父親も同然の人だ」
颯は自分の過去をすべて沙夜に話して聞かせた。
隠していることはもう何もない。
沙夜は颯の無実が何より嬉しかった。
しかし他の犯罪が事実であることに変わりはない。
颯もそれを知ってか、口を開く。
「俺には少年院にいた経歴と、誤りであってもこの記事が一生付いてまわる。俺と友達になるってことは、俺の過去のせいで和泉まで辛い思いをするってことなんだ」
颯は俯いて膝の上で組んだ両手をグッと握り締めた。
「もう俺に近づかない方がいい」
颯は声を押し殺し告げた。
傍にいて欲しい思いとは裏腹に、沙夜のことを思えばこその言葉だった。
沙夜は無言で席を立つ。
その気配を感じて颯は沙夜が去っていくと思い、込み上げる感情を押さえるように目を閉じて俯いていた。
沙夜は静かに颯に近づいた。
すぐ横に沙夜の気配を感じた颯は、信じられない思いで彼女を見上げた。
沙夜は颯の頭を包み込むように、そっと彼を抱き締めた。
「和……泉?」
一瞬颯は何が起こったのか分からなかった。
だが沙夜の温もりが颯の心に染み込んでいく。
「本多くんは過去の罪を一生償わないといけないのかもしれない。私はそんな本多くんを守っていけるようになりたい」
辛い思いをすると颯は言った。
でも二人一緒なら乗り越えていけそうな気がした。
沙夜はこれまで以上に颯の存在を近くに感じていた。
この上なく愛しい人だと思った。
「本多くんの傍にいたい。私の心を熱くさせるのも切なくさせるのも、本多くんだけだってこと分かったの」
沙夜の想いを知り、颯の胸は高まった。
すべてを受け入れ自分を愛してくれる人など誰もいないと諦めていた。
ましてや自分の愛した人が愛してくれることなどありえないと思っていた。
颯は沙夜の温かな愛情に、思わず涙をこぼした。
「好きになってもいいのか……?」
颯の言葉を聞き、沙夜は腕を解き、彼を見つめる。
愛しさが募り、沙夜の瞳にも涙が滲んだ。
「私も好きになっても……いい?」
今度は颯が沙夜を包み込む。
「ありがとう」
颯はきつく沙夜を抱き締め、囁いた。
(彼女を守りたい。守れるよう強くなりたい。もう二度とあやまちを繰り返したりしない)
颯は痛切に願った。
二人は長い間、そのままお互いの気持ちを感じ取るように抱き合っていた。
* * *
その日の夜。
沙夜は峻一の携帯に電話した。
そして事の次第を打ち明けた。
自分のことを心底心配してくれている彼にだけは、本当のことを知らせるべきと思ったからだ。
付き合うことになったと告げた時、峻一の心は複雑な思いにかられた。
殺人が無罪なのは分かった。
だが前科があるのは本当のこと。
そんな人と付き合うと、沙夜への風当たりが強くなるのではないだろうか。
今はまだ颯の過去を知る者はほんのごく僅か。だが、自分のようにいつか彼の過去を知ってしまう者が出るかもしれない。
もし周りに広まってしまいでもしたら……。
そう考えると沙夜に「よかったな」とは言ってやれなかった。
だが沙夜の声から思いは伝わってきた。
颯のことを過去を含めて受け入れようとしていることに。
そしてその過去によってもたらされるだろう辛さから目を背けず、立ち向かっていこうとしている姿勢を。
だから峻一は言った。
「頑張れよ」
と。
この先も今までと変わらず、沙夜の力になりたいと思いを込めて――。




