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(3)

 日々日差しが暑さを増してくる。


 入学から一か月以上が過ぎていた。


 沙夜と峻一、そして沙夜と颯の関係は何の進展もないままである。


 そんなある日の夕方、学校帰りに峻一は沙夜を地元のファミレスへ連れていった。


 返事を聞かせてくれという話だったらどうしようかと沙夜は困った。


 もう一か月待たせているのだから早く返事をしなくては……という思いはある。


 だがまだはっきり自分の心が分かってはいない。


 沙夜はもう逃げることだけはしてはいけないと肝に銘じる。


 注文を済ませると、峻一は水を飲んで喉を湿らせた。


「迷ったけど、やっぱりお前には言っとかなきゃと思ってさ」


「何を?」


「本多のこと」


 予想外の話題で、しかも颯の名が出たものだから、沙夜は動揺した。


「本…多くんがどうかしたの?」


 沙夜の様子に峻一は淋しさを感じつつも、これだけは伝えなくては…と強く感じた。


「沙夜が本多のこと気になってるのは分かってる。だからこそ伝えなくちゃいけないことなんだ。取り返しがつかなくなる前に。ただこれだけは分かってくれ。俺の方に振り向いて欲しいから言うんじゃないってことだけは」


 峻一のあまりに真剣な顔に、沙夜はゴクリ…と喉を鳴らした。


(何を言うつもりなの……?)


 ただ良くない話であることなのは感じ取っていた。


 だから不安になる。


「沙夜は本多が俺達より二歳上だって知ってるか?」


「………えっ?」


 沙夜は耳を疑った。


 沙夜の硬直した様子を見て峻一は付け加える。


「本多は今年十八歳。高校を二年遅れて受験したらしい。別の高校を退学して入り直したわけでもない。どうしてだと思う?」


 沙夜の頭の中は混乱した。


 帰国子女ではないか、とか。


 青陵に合格するのに三年かかった、とか。


 まずそれはないとすぐ否定する。


 青陵は名門でもなければ有名な進学校でもない。程度は県でも中間レベルの高校だ。


「どうしてなの?」


 知りたいが、沙夜はその答えを恐れていた。


 峻一はしばらく言うのを躊躇った。


 その間に注文したアイスコーヒーとアイスティーが運ばれてくる。


 躊躇ったのは、知った後の沙夜の様子が気がかりだったからだ。


 でもいずれ沙夜も知るのだろうから、まだショックの少ない今のうちに告げるべきだと躊躇いを絶ち切る。


「本多が二年遅れたのは、………少年院に入っていたからだよ」


(少年……院?)


 沙夜は「うそだ」と叫びそうになった。


 颯が犯罪を犯したなんて信じられなかった。


「信じ……ない、そんなの。誰が言ったの、そんなこと!」


 峻一は動揺する沙夜をこれ以上追い詰めたくはなかったが、すべてを話すことが沙夜のためだと更に口を開く。


「中学の時の部活の先輩が青陵の三年生にいるんだけど、その先輩の友達が本多と同じ小中学校だったんだって。その人から聞いたんだ。本多の中学からだとあまり青陵を受ける人はいないらしいよ。過去を知る人がほとんどいないから青陵に入ったんじゃないのかな。中学時代、かなりの不良だったそうだ。補導なんて当たり前の」


「何やって少年院に……」


 沙夜は震える両手をグッと握った。


「具体的にはその人も知らないらしいよ。でも何の罪を犯したってあいつならやりかねないと思わせるくらいの人物だったそうだよ、本多は」


 それでもまだ沙夜には信じられなかった。


 そんな沙夜の脳裏に、入学式で本多が言ったことが浮かぶ。


『俺は大人っぽいんじゃない。俺は本当は……』


(二つ年上なんだって言おうとしたの?)


 沙夜は出逢った瞬間の本多の姿を思い出す。


(漆黒の双眸にある深い闇は、過去の罪への報いなの?)


 真実を知りたかった。


 間違いであって欲しいと願わずにはいられなかった。


「私、明日本多くんに確かめてみる」


「そんなことしない方がいい。何されるか……」


 沙夜は首を横に振った。


「今の本多くんは何もしないよ、……絶対に」


 その一言に、峻一は目を見張る。


(……もう遅かったみたいだな)


 沙夜の自分でさえまだ気づいていない颯への想いの強さを知り、峻一は心が痛んだ。


 ただ願う。


 少しでも傷が小さく済むように……と。


              *     *     *


「本多くん、……聞きたいこと、あるの」


 放課後、沙夜は彼が教室で一人になるのを待って声をかけた。


 彼はいつも下校するのは夕方遅く。


 部活をしているわけではないが、教室や図書室で時間を潰している。


 沙夜はそれを知っていた。


「何?」


 予習をする手を止め、颯は傍に立つ沙夜へと目線を上げた。


(本当に彼が少年院にいたの……?)


 沙夜は颯から視線を外す。


「和泉?」


 いつもと様子の違う沙夜に気づいた颯は、席から立ち上がるが、どうしたらいいのか持て余すばかり。


「どうかしたのか?」


 沙夜は目を閉じ、深く一呼吸すると颯を見つめた。


「私、聞いたの。本多くんが……」


 一瞬言葉が詰まる。真実を知るのが怖かった。


「俺が…?」


「本多くんが……少年院にいたって。本当なの? 嘘……だよね?」


 沙夜の言葉はまるですがるような言い方だった。


 しかし沙夜は目にしてしまった。


 ――少年院と聞いたとたん、颯の表情が凍りつくのを。


「嘘……なんでしょ? ねえ本多くん、嘘だって言って!」


 沙夜は颯の両の二の腕を掴んで問いつめる。


 颯は唇を噛み締め沙夜から顔を逸らした。


「……それとも本当のことなの? 私、真実が知りたいの。過去に一体何があったの? お願い、教えて!」


 颯は沙夜の手をどけ、背を向ける。


 聞こえてきたのは感情を押し殺した低い声。


「本当のことだ。十五歳の時、少年院に入った」


「何……して?」


 沙夜は震える声でそれだけ言うのが精一杯だった。


 颯が沙夜に向き直る。


「色々やった。喧嘩や恐喝なんて日常茶飯事だった。気を紛らわせるのに愛してもいない仲間の女を抱いたこともある」


 沙夜は信じられない思いで颯を凝視した。


 颯が沙夜の頬に触れようをそっと手を伸ばす。


 ビクッと沙夜は肩をすぼめた。


「俺が怖いか?」


「当たり前だな…」とでも言うように颯は言った。


(本多くんのこと、……怖いの?)


 沙夜は怖いというよりも、まだ現実を受け入れられずにいるのだった。


 沙夜はすがるように颯を見上げる。


「私は本多くんと、友達でいたい」


 今度は颯が驚く番だった。


 自分の過去を告げてなお、この自分を真っ直ぐ見つめてくる者など今まで誰一人存在しなかった。


 嬉しくもあり、彼女の存在をこの上なく愛しく感じた。


 そしてまだこの自分にも人を愛する心が残っていたことに驚いた。と同時に、汚れきった自分の傍にこれ以上彼女を置いておくわけにはいかないと思った。


「まだそんなこと言うのか。ならば四年前の十月十八日の新聞を調べてみるんだ。それを見ればもう俺と友達でいたいとは思わないはずだ」


 それだけ言うと、突き放すように颯は荷物を片付けて教室を出ていった。


 最後にたった一言、


「さよなら」


と言い残して――。


              *     *     *


 次の日の放課後。


 沙夜は県立の図書館へ足を運んでいた。


 颯の言った記事を確かめるために。


 パソコンの画面を食い入るように見つめ、過去の記事と向かい合う。一つの内容も見落とすまいと慎重に。


 沙夜の喉は緊張感から渇いていた。


 新聞に載るほどの事件なのだから、よほどのことなのだろうと覚悟はしている。


 知ってしまうことの恐怖心がないといえば嘘になる。


 知ってしまったら颯への態度も気持ちも変わってしまうのではないか、と。


 でもそれ以上に本当のことが知りたいとも思っていた。


 瞳に宿る闇の正体を知りたい、と。


「沙夜っ」


 ポンッと肩を叩かれ、沙夜はビックリして振り返る。


 そこには神妙な顔つきで峻一が立っていた。


「本当にここに来てたんだな。で、見つかったか?」


 沙夜は無言で首を横に振った。


 沙夜は峻一に今日図書館へ来ることを教えていた。


 昨日の夜峻一から携帯電話に電話が入り、颯に真相を聞いたのか尋ねられた。


 沙夜は颯が少年院にいたと言ったことを伝えた。


 そして新聞を調べるよう言い残したことも。


 峻一は一度は止めた。


 少年院にいたことが事実である以上、もう沙夜を颯に関わらせたくはなかった。


 自分のほうに振り向いて欲しいからではない。これ以上関わって、沙夜の純粋な心に傷がついてしまうのではないか、彼女が危ない目に合ったりするのではないかと心配だったのだ。


 でも沙夜は峻一に言った。


「真実から目を背けたりしたくない。そんなことをしたら本多くんと本当の友達になれないから」

と。


 峻一はそれ以上止めることはできなかった。


 ただ心に決める。


 どんな結果が待っていようと、沙夜を守っていこうと――。


「こ……れ……」


 その時、ふと沙夜が放心状態のような呟きを漏らした。


 沙夜の呟きを聞いて、峻一もパソコンの画面を見つめる。


「うそ……だろ」


 一瞬見間違いかと思った。


 そうであってほしかった。


『グループのリーダー殺害か』


 太字で書かれた見出しに息が詰まる。


「人を…殺した……の?」


 信じられない呟きが思わず口をついて零れる。


 颯の名前が出ているわけではない。未成年だから名前はふせられている。


 だが他のどこを探しても、十月十八日で颯の関わっていそうな事件は載っていなかった。


 記事の内容は、グループの一人が八階建てのビルの屋上からリーダーを突き落とし殺害したらしいこと、目撃者が同じ不良グループ内にいたこと、犯人はその場で捕まったことが主に書かれていた。


 沙夜はその部分を印刷し、何度も何度も読み返した。


 動揺を隠しきれない沙夜を見かねて、峻一は沙夜を支えるようにして図書館を後にし、家まで送っていった。


「沙夜、大丈夫か?」


 門のところまで来て、今だ平常心を取り戻せないでいる沙夜を気遣う峻一。


「私…信じたくない。本多くんが人を殺したなんて……。新聞に載ってること、全部真実ってわけじゃないよね?」


 すがる思いで見つめてくる沙夜の頭に峻一は優しく手を置いた。


「忘れた方がいい。本多のこと、ゆっくりでいいから忘れるんだ。彼はただのクラスメート、そう思うんだ。いいな?」


 沙夜は肯定も否定もできなかった。


 颯の罪が信じられない。


 颯を嫌いにはなれない。


 しかし事実が明らかになった今、峻一の心配する気持ちもよく分かる。


(でも……、でもあの出逢いも何もかもなかったことにしたくないよ)


「わ…、私は……」


 言葉が何も浮かばない。


 代わりに颯との出逢いから昨日のことまで、色々なことが頭の中を駆け巡っていた。


 胸が潰れそうだった。


 切なかった。


「私は……」


 沙夜の瞳から大粒の涙が零れ落ちた。


「沙……夜?」


 戸惑う峻一をよそに、沙夜は溢れ出る想いが何なのかようやく気づいた。


「松岡くん、ごめんね」


「何急に謝って……」


「私、やっと気がついたの。誰が好きなのか」


 峻一は一瞬驚いたが、沙夜の心を知ってか、寂しそうな瞳で沙夜を見つめた。


「本多だろ。分かってたよ」


 思いもよらない峻一の言葉に、沙夜は目を丸くする。


「ホント、沙夜は鈍感だよな」


 少し笑いを含んだ言葉に、沙夜の心はわずかに軽くなった。


「ごめんね」


「いいさ、人の心はどうしようもないもんな。でも本多のこと、あれが事実なんだ。これ以上傷つく前に、その想い忘れてしまった方がいい。同じクラスで毎日顔合わせなきゃいけないから難しいだろうけど、ゆっくりでいいから……な」


(忘れなきゃいけないのかな……)


 この胸に熱く込み上げる想いを捨てたくないと思った。


 颯のことをただの知人としてかたづけたくはなかった。


 自分の想いに気づいた今、気づく前より一層そう感じていた。


「忘れたく……ない」


「沙夜!?」


 沙夜は真っ直ぐ峻一を見上げた。


「傷つくかもしれない。苦しむかもしれない。それでもいい。忘れたくないの、捨てたくないの。自分の気持ち、大切にしたいの!」


 沙夜の真剣な眼差しに、峻一は反論できなかった。


 初めて見る沙夜の表情に、その内に秘めた頑なな心を感じ取っていた。


 今まで沙夜はどちらかといえば、萌子の影に隠れているような内気でか弱い少女だった。


 だが今目の前にいるのは、一途な心を持つ、真っ直ぐな瞳をした少女。そこにか弱いイメージはなかった。


「そこまで沙夜が言うならもう止めない。俺にできることがあったら協力するよ。ただ危険な目に合いそうになったら逃げるんだぞ。自分のこと、まず大切にしろよ」


 沙夜はコクリと頷いた。


「心配かけてごめんね」


「謝るなよ。ほら、もう家ん中入りな」


 峻一の穏かな笑顔が沙夜を和ませる。


「うん。じゃ…バイバイ」


「またな」


 そうして沙夜は峻一と別れ、家の中に入っていった。


 ――その夜。


 沙夜はベットの中でなかなか眠れずにいた。


 落ち着いたら知りたいことが浮かび、気がかりだったのだ。


(本多くんが人を殺めたのが本当だとしても、その訳が知りたい)


 カッとしたからとかムシャクシャしたからとかいう理由で人を殺すような人ではないはずだと思った。


 それに彼は十五歳の時、少年院に入ったと言った。


 事件が起こった時、彼はまだ中学二年だった。


(少年院に入るまでそんなに時間がかかるものなの? 確かに日本の裁判は長いけど……。それともこの事件が直接の原因じゃ……ない?)


 そんなことがありえるのだろうか、と疑問に思う。


 沙夜は確かめようと思った。


 人目につくところでできる話の内容ではない。


 明日は休み。


 颯の家まで行こうと決め、沙夜は部屋の灯りを消し目を閉じた。


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