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(10)

 辺りが夕焼けに染まり始めた頃、二人は帰ってきた。


 沙夜が自分の家のドアを開けたとたん、両親がそろって飛び出してきた。


 沙夜は父親までもいたことに驚いた。


(お父さん、会社休んだの?)


「お父さん、お母……」


 沙夜が口を開きかけたとたん、父親はいきなり沙夜の隣に立つ颯を拳で殴りつけた。


 軋むような音が沙夜の耳にも届く。


 颯は避けもせず、父親の怒りを受け止めたのだった。


「きさまがうちの娘をたぶらかしたのか!!」


「お父さんやめて! 颯は悪くないの!!」


 二人の間に割って入った沙夜を、父親は今度は平手打ちする。


「高校生が男と外泊するなんてまだ早い!」


 沙夜を叱り始めた父親に、颯が立ち塞がる。


「沙夜を叱らないで下さい。連れ出したのは俺なんですから!」


「違う、二人で決めたの。二人で過ごしたかったの。離れたくなかったの!」


 自分を庇った颯の腕にしがみつき、沙夜は父親に言い放った。


「………沙夜、お前」


 二人で決めたこと。


 二人で乗り越えようと誓ったこと。


 沙夜のその思いを知り、颯は逆の手で沙夜の自分にしがみつく手を握った。


 交わる視線に、互いの思いが交錯する。


 二人ですべてのことを分かち合っていこう。


 その思いに二人は無言で頷いた。


「とにかくもう帰ってくれ。二度と来るな!」


 父親は沙夜を颯から引き剥がすようにして腕を引っ張った。


「お前も家に入ってなさい!」


 未練を湛えた瞳で自分を見つめてくる沙夜に、颯は握っていたその手に一瞬力をこめ、そっと離した。


 颯のしっかりと前を見据えた瞳に、沙夜は力を分けてもらった気がした。


「また、学校でな」


「うん」


 沙夜は母親と共に颯を残し家の中に入った。


 ドアが閉まると、父親は威厳を湛えた目で颯を見据える。


「もう娘に会わないでくれ。うちにも来るな、いいな!?」


 颯は背筋をピンと伸ばす。


「沙夜さんとの付き合いを認めてもらえるまで何度でも通います」


「認めることはない」


「どんなに時間がかかっても俺達のこと分かってもらえるまでは諦めません。沙夜さんと約束したんで

す。二人でどんなことも乗り越えていこうって」


 父親は目の前の男と、そして娘の固い決意を突き付けられた気がした。


 二人を諦めさせるにはどうすればいいのか。その答えがわからず父親は、


「とにかく帰ってくれ」


というのが精一杯だった。


 颯は昨日の今日で何を言っても父親の怒りを買うばかりだと思った。


「……今日はこのまま帰ります。でもまた来ますから」


 颯は深々と一礼すると、沙夜の家に背を向け歩き出した。


 父親は家の中に戻ると、沙夜をリビングに呼んだ。


「沙夜、もうあの男に会うな、いいな!」


 これまで以上に父親が怒っているのを沙夜は感じていた。


 けれど「はいそうですか」と受け入れることなど到底できなかった。


 二人一緒にいられるために、今ここで逃げ出すことはできない。


 颯も父親と向き合ってくれた。自分も父親ときちんと話をしなければ、前に一歩も進めない気がしたのだ。


「お父さん達がどんなに反対しても颯とは別れない。たとえ転校させられたって、私達の想いは変わらない」


「あんな男のどこがいいんだ。まだ高校一年の娘を連れ出して外泊するなんてとんでもない男だ」


「あんな男って、それは颯が少年院にいたってことを言ってるの? それとも外泊したことを言ってるの?」


「両方だ」


 少年院イコール性質の悪い不良。


 それが沙夜の両親の頭にインプットされているイメージ。


 そんなイメージがあるから、何をしても「あいつは……」みたいな蔑んだようにしか相手を見ることができないのだと沙夜は思う。


「お父さん、お母さん、私もっと颯のこと知って欲しい。上辺だけじゃなくて、人間的なこととかどうして少年院に入ることになってしまったのか全部知って欲しいの。だから私の話、聞いて」


 沙夜の嘆願に、両親は仕方ないかといった表情だった。


 聞くだけ聞いてやる。そんな両親を前にして沙夜は語り出した。


 颯に過去何があったのか。


 両親のことに始まり、不良グループにいた時のこと、兄と慕った人の殺人の濡れ衣を着せられ人間不信になったこと。少年院に入り、保護司の中川さんと出逢い、愛情を知ったこと。高校受験を決めたこと。そして自分との出逢い。


 その中で生まれた愛するがゆえの苦悩。一度は過去のせいで別れを選んだこと。そのために新たに生まれた苦しみ。


 そして二人でどんな思いも分かちあおうと誓ったこと。


「颯は自分の過去とずっと戦っているの。『一度道を踏み外した者は、二度と元には戻れない』。そんなことを言われてもずっと堪えて頑張ってる。とても内面の強い人なの」


 沙夜は昨日の颯の大きく包み込んでくれた深い愛を思い出した。


「昨日も私、颯とならどうなってもいいって思った。でも颯は私を抱かなかったの。私達まだ一線越えてないんだよ」


「そんなはずは……」


 沙夜の言葉に信じられないといったように父親が呟いた。


 いかにも遊びなれていそうな男が、何もせず一晩女と過ごすはずはない。特に娘のような、その手のことには無知の女の子を騙すことなど容易かっただろうと考えていたのだ。


「颯はね、私のことすごく大切にしてくれてるの。私自身も私の周りもすべて大切に思ってくれてる。だからお父さん達が認めてくれるまで、私を抱くことはできないって言ったんだよ。私それ聞いた時、すごく愛されてるんだって感じた。高校生にもなれば関係を持つのが普通のご時世なのに、そこまで考えてくれる人なんて高校生じゃなかなかいないと思う。私、颯ほど誠実な人いないって思ってる」


 そう言った沙夜の表情を見て、両親は内心驚いた。


 いかにもまだ子供だと思っていた娘が、大人の女性の表情を垣間見せたからだ。


 手のかかる子供が親離れした瞬間とでもいうべきか。


 いつの間にか成長した娘を見て、淋しさがふと横切った。


「お前の言い分は分かった。……後で峻一くんと萌子ちゃんに連絡しておきなさい。二人ともお前のことずいぶん心配していたんだからな」


 父親に言われ、沙夜の頭に二人の自分を心配する顔が浮かんだ。


「……うん」


 二人には今回何も言わずだったから心配かけただろう。


(昨日、うちの親が何か知ってるかって連絡したのかもしれない)


 突然二人で消えたのだから充分ありえることだった。


 沙夜は椅子から立ち上がり、自分の部屋へ戻った。


 そして部屋の子機から二人に電話を入れたのだった。


        *        *        *


 次の日。


 学校に行くと何だかいつもと様子の違うことに沙夜は気づいた。


(何かジロジロ見られてる気がする)


 自分を見る視線がやけに気になる。


 クラスの中でも割りと話したことのある女子が近寄ってきた。


「和泉さん、本多くんが少年院にいたってホント? で、親に反対されて駆け落ちして連れ戻されたって皆言ってるんだけど……」


 聞きずらそうに、だが噂が本当なのか確かめてみよう、そんな興味津々な感じだった。


 沙夜は何て言ったらいいのか分からなかった。


 颯の過去が知れ渡っている。それだけでもショックだった。


 事実なのだから認めてしまえばいいのだが、噂が真実だと分かった時の、皆の反応が分かっているからこそ怖かった。


 しかも二人して学校を休んだことが、駆け落ちという噂にまで発展してしまっている。


(どうしよう。……どこまで話していいの?)


 どこまで皆、自分達の思いを分かってくれるのだろうか。


 沙夜が何も言えずに俯いていると、今度は男子生徒が近づいてきた。


「和泉って見かけによらず大胆なんだな。実はそっちの経験豊富だとか?」


 皮肉的な笑みで言った男子生徒を、沙夜は眉をひそめて見た。


「本多も女に不自由してなさそうだよな。なんたって少年院にいたくらいなんだ。遊び慣れてるんだろうなあ」


「………どうしてそんなこと言うの?」


 自分達のことを何も知らないのに、そんなことを言われて悲しかった。


 興味本意で茶化されるのが辛かった。


 何よりあの日の約束が汚された気がした。


「駆け落ちしようとしたんじゃない。ただ一緒にいたかった。それだけなのに……」


「それで一緒にいてどうだった? やっぱり上手かったか?」


 真剣に聞こうとしない男子生徒に、沙夜はもう何も言えなかった。


 自分達のことを話題にして楽しんでいる様に苛立ちを感じた。


 何を言っても無駄。


 この人達にとっては束の間の退屈凌ぎでしかないのだ。


「ねえ否定しないってことは本多くんが少年院にいたって噂、本当なの!?」


 クラスの女子が再び聞いてきた。


 見ればクラスの人達が、遠く近くに沙夜を取り囲んでいた。


(この人達に事実を言ったところで、また茶化されるだけ)


 虚しさが胸に広がる。


「おはよっ」


 明るい声に、一斉に教室にいた生徒が反応する。


「えっ……何?」


 峻一が登校してきたのだ。


 いつもと違うクラスの様子の中心に沙夜がいるのを見て、彼の頭に学校に広がる二人の噂が浮かんだ。


「沙夜、皆に何か言われたのか?」


 峻一が近づいてくる。


 だが沙夜はクラスの人達から逃れたくて、教室から飛び出した。


「沙夜!?」


 振り返りもせず走り去ってしまった沙夜を追いかけそこなった峻一は、クラス中を見渡した。


「お前ら、沙夜に何言ったんだよ!」


 その怒りの声に、教室中が静まり返る。


 最初に沙夜に聞いてきた女子が、おずおずと峻一に事と次第を話した。


「そんなこと言ったのかよ!」


 峻一は原因の男子生徒に詰め寄る。


 その時、颯が教室に入ってきた。


 峻一は男子生徒を責めるのを中断し、颯に駆け寄った。


「本多、沙夜を捜してくれ!」


「沙夜がどうかしたのか!?」


 切羽詰まった峻一の言葉に、颯は声を低くして答えた。


「お前が少年院にいたこととか、二人が駆け落ちしたとか噂になってたんだ。それを興味本意に茶化して下世話な言葉であいつを傷つけたんだよ。あいつ、教室飛び出してったんだ」


 噂の標的にされ傷つけられたと知り、颯の胸に熱い怒りが湧き上がった。


(もう少し早く俺が学校に来ていれば)


 颯は拳を握り締める。


(一人で心細かっただろうに)


 沙夜の心を思うと、颯は自分にも腹を立てずにはいられなかった。


 どんなことからも守りたりと思っていた。


 それなのにまた傷つけてしまった。それも自分のことのせいで。


「……俺のことは何と言われたって構わない。少年院にいたってのも本当のことだ。だけど沙夜を傷つけるのだけは許さない。俺のせいであいつを傷つけるのはやめてくれ!!」


 颯は叫ぶと、鞄を放り出し教室を出て行った。


 颯の声に皆言葉を失っていた。


 今まで聞いたことのない颯の迫力のある大声。


 感情をこれほどまでに露にしたのは、クラスメートの前では初めてのことだった。


「皆、もうあいつらのことそっとしておいてやってくれないか?」


 峻一が静寂を遮った。


「本多の過去のことで、本多も沙夜も悩んで、それでも一緒にいることを選んだんだ。俺、近くであいつらを見ていて思ったんだ。あんなにお互いがお互いのことを思っている二人を見たことがないって。あんなに純粋に一途に相手のことを思っているヤツ、俺は他に知らない。……この中で誰かいるか? 自分のすべてを捨ててまで一緒にいたいってほど人を愛したことのあるヤツ」


 峻一の言葉に、峻一と目が合う人合う人、すべてが俯くように目を逸らした。


 誰もいなかったのだ。自分の何もかも捨てるほど人を愛したことのある者が。


「俺は一人でもあいつらを祝福するよ。あいつらの力になってやりたいって思う。俺はあいつらと友達になれたこと誇りに思うよ」


 峻一の言葉に反論する者はいなかった。


 クラスメートは思った。


 誰かを二人のように愛してみたい。愛されてみたい……と。


 二人をひがむ思いがあったのかもしれないと反省する者もいた。


 噂に踊らされていたのは自分たちの方かもしれないと思った者もいた。


 ―――クラスの空気が変わり始めていた。


        *        *        *


 沙夜は屋上で手すりにもたれ、景色を眺めていた。


 屋上の扉を開ける重い音が、沙夜の耳に届く。


 今は人に会いたくない。


 そう思っていた沙夜は、その場に思わず固まってしまった。


「沙夜?」


 聞き覚えのある優しい響き。


 沙夜の緊張が解けた。


「颯、ここだよ」


 ドアから顔を覗かせ辺りを見渡す颯に、沙夜は声をかけた。


 颯は沙夜の居場所を知ると駆け寄った。


「ごめんな。お前一人辛い目に遭わせてしまって……」


 沙夜は苦笑いで首を横に振ると、颯の肩にそっと寄り添った。


「…………颯」


 名を呼ぶ沙夜の肩を、颯はそっと抱いた。


 沙夜は傍らの温もりを愛しく思いながら口を開く。


「私、今本当に颯の気持ち分かった気がする。話を聞いてもくれない虚しさとか、言っても無駄だって人を信じられなくなるような思い。颯はずっとこんな気持ち味わってきたんだね」


 淋しそうに語った沙夜の気持ちを察して、颯は両腕でしっかり抱き締めた。


「俺といることでお前にまでこんな思いさせて……。この先もっとお前を苦しめるんじゃないかって思うと、本当は俺なんかがお前の傍にいない方がいいのは分かってる。だけど俺はもうお前を手放せないんだ。お前の気持ちが俺から離れない限り、俺、お前とは別れられない。ごめんな、沙夜」


 言葉通りに強く沙夜を抱き締める颯。


 沙夜は颯の瞳を見つめた。


 颯が今まで経験した思い。


 それを体験することで本当に知ったことは、沙夜にとってはよい経験だった。


 しかしもたらされた思いは少なからず彼女の心に傷を残した。


 だからこそ願う。


 いつも颯が傍にいてくれることを。


 彼がいてくれるのなら、どんな言葉を浴びせられようと堪えられると思った。

 

 沙夜は切なく微笑んだ。


「私を離さないで、颯」


        *        *        *


 颯と沙夜が遊園地へ行く前の、親の監視下に置かれた生活に戻り一週間が過ぎようとしていた。


 この一週間で、沙夜達の学校での生活は徐々に変化していた。


 あの沙夜がクラスから飛び出していった日の峻一と颯の言葉で、クラスの二人を見る視線が変わったのだ。


 以前は二人にはあまり関わりたくないと、遠巻きに眺めていたクラスメート達。


 彼らが自分達から颯や沙夜に声をかけるようになってきていた。


 クラスメート達にもようやく分かり始めたのだ。


 颯が昔少年院に送られるようなことを起こしたことは確かなことだが、颯がその過去を背負いながらも立ち直ろう、己の足でしっかり人生を歩んでいこうとしているのを。


 そんな彼を傍で懸命に支えようとしている沙夜の純粋な想いを。


 そしてそんな彼女を懸命に守ろうとしている颯の深い愛情を。


 クラスメート達は思った。


 颯の何を怖がっていたのか。


 なぜ二人に関わりたくないと、必要以上に近寄らなかったのか。


 事実を確かめようともせず見た目の印象だけで判断していた、その間違いに気づいたのだ。


 反省したクラスメート達は、少しずつ沙夜達に話しかけるようになった。


 今では高校生になって初めて、沙夜にも名字ではなく名前で呼び合える友達ができるまでになっていた。


 颯も、峻一とは親友と互いに感じるほどに友情が深まっている。


 それ以外の人とでも普通に話し合えるようになっていた。


 二人は高校生活を、入学して初めて満ち足りた穏かな思いで送っていた。


 だが沙夜の家族に関しては相変わらずであった。


 再び颯は毎日、沙夜の両親に会いに家まで通っている。


 両親はあの日以来一度として颯に会っていない。いつも玄関先のインターホン越しに追い帰すだけである。


 そんな中でも二人の絆は強かった。


 家の外と中と隔てていても、思いはあのデートの日以前よりも通じていた。


 諦める気も、悲観する思いもなかった。


 いつかきっと分かってくれる。その日が来ることを信じていた。


 再び日曜日が訪れた。


「……はい」


 インターホンの音に母親が応答した。


「本多です」


「何度来ても会うつもりはありません」


「お願いします。会って下さい」


 懸命に訴える颯の声を、沙夜は近くで祈るような思いで聞いていた。


 その時休日で家にいた父親が、母親をどけるようにして代わった。


「お父さん?」


 突然現れたいつもと違う様子の父親に、沙夜は不安になった。


 父親が強い口調で颯を追い帰すのではないかと思ったからだ。


「……今、玄関を開けるから待っていなさい」


 沙夜は父の言葉に目を見開いた。


「お父さん、颯に会ってくれるの?」


 父親が歩み寄ってくれたことに、沙夜は状況が少し前進した気がした。


「話を聞くだけだ。許したわけじゃない」


 淡々と父親は言ったが、それでも沙夜の心に光が灯った。


 少しずつでもいい。両親が自分達のことを見てくれるのなら。


「あなた、本当に会うんですか?」


 突然の父親の行動に母親は戸惑ったように言った。


「ああ。相手は何が何でも諦めないようだし、それならば会って話してけりをつけた方がいいだろう」


 父親はあくまでも許す気はないらしい。


(お父さん、どうして颯と会う気になったの? 早く諦めさせるためにだけ……なの?)


 沙夜には父親の本心が分からなかった。


 父親は沙夜が颯の過去を話した日から、ほとんどと言っていいほど彼の話には触れなかった。


 生活は何も変わらないのに、沙夜にも諦めろとも別れろとも言ったりしていない。


 話をしなかっただけなのか、それともわざとその話題を避けていたのか。


 それは沙夜にも分からなかった。


 父親は自ら玄関へ向かい鍵を開けた。


 颯は出迎えた父親に一礼して玄関を入る。


「来なさい」


「お邪魔します」


 背を向けリビングに歩き出す父親の後を追い、颯も靴を脱ぎついて行く。


「そこに座りなさい」


「はい」


 父親に指された通り、颯はリビングのソファーに座った。


 沙夜もリビングに入り颯の隣に腰を下ろす。


「お父さん、私も当事者だからいてもいいでしょう?」


「好きにしなさい」


 自分達のことなのに颯一人を父親に向きあわすことなど沙夜にはできなかった。


 颯と父親がどんな話をするのかは分からない。けれどどんなことになろうと、きちんと自分の目でしっかりと見届けたかった。


 沙夜は颯と目を合わせた。


(心配いらないから)


 颯の瞳がそう訴えているのを沙夜は感じた。


(大丈夫。まだ第一歩を踏み出したばかりだもの。ここを越えなきゃ何も変わらないんだから……)


 沙夜は毅然として父親のいる正面を向いた。


 颯も真っ直ぐに父親を見た。


「沙夜さんとの付き合いを認めて下さい。お願いします」


 颯は深々と頭を下げた。


 沙夜も共に父親に願うように頭を下げる。


 その時母親がお茶を運んできた。


 それぞれの前に湯のみを置くと、母親は父親の隣に座った。


「君のことは詳しく娘から聞いた。昔に色々あったようだが、今はどうなんだね? 今は義理の父親と暮らしているそうだが、上手くいってるのかね?」


「昔のことをすべてなかったことにできないのは分かってます。自分はそれを一生背負っていかなくてはいけないと。ただ昔の仲間とはすべて縁は切れていますし、少年院に入ってからは偶然に一度会っただけです。俺はたとえ昔の仲間に何を言われようと、過去のろくでもない自分に戻ったりはしません。絶対にないとここで誓えます」


 臆せずはっきりと答える颯。


 父親もまたポーカーフェイスを崩すことなく颯と向き合っていた。


「君がいくら頑張っても、君のその過去がある限り君を認めない人間もいるだろう。君には普通の人の人生より、険しい道が待ちうけているだろう。例えば就職するにしても、君は経歴だけで落とされるかもしれない。娘をそれに巻き込む覚悟……あるのか?」


 日本はまだまだ学歴重視志向にある。


 学歴の中に少年院が含まれれば、それだけで人事の人間はその人間をどう捉えるか。


 学校名だけで人間を絞る企業すらある世の中で、その経歴がどう響くか。


 そして一緒にいれば、近所の人は沙夜すらその目と同じ目で見るかもしれない。


「俺は将来、本多の家を出ようと思っています。お聞きの通り、俺と義父の関係は恐らく好転することはないでしょう。義父は世間体と金が大事な人です。そんな人の家を、血も繋がらない俺は継ぎたくありません」


 それは沙夜も初めて知ることだった。


 二人の仲を認めてもらうにはどうすべきか。そのことばかり考えていて、将来の具体的なことまで話

していなかったのだ。


「家を出てどうする?」


「家を出るのは大学を出てから……と思っています。義父も大学へ行くことは反対していません。奨学金を得ることができればいいのですが、それが無理でも将来義父には何らかの形で感謝をしていこうとは思ってます。血の繋がらない俺を、愛情がなかったとはいえ家に置いてくれていたのですから。でなければ俺は施設の預けられ、高校にも行けなかったかもしれません。大学へは将来の自分のために行きたいんです。法学部に進んで司法試験を受けようと考えています。俺は将来、検察官か弁護士か、もしくは警察関係の仕事に就こうと思っています」


 沙夜は颯がそこまで自分の将来を決めていたことを知り、驚くとともに尊敬した。


 自分が将来何になりたいのか。何がしたいのか。


 沙夜はまだ何も決めていなかったのだから。


「なぜその関係の仕事を選んだのかね?」


「俺は昔、補導された時も少年院へ送られる時も、自分の心を分かってくれるような人に出会えませんでした。それどころか話もろくに聞いてもらえませんでした。俺は俺と同じような思いをする人を、一人でも助けられたら……と思ったんです。少なくとも話だけでも聞いてやれる。自分の罪を償っていくことを考えていた時、痛切に自分が何をしていきたいのか悟ったんです」


「そうか……」


 父親は呟くと、お茶を一口飲んだ。


「君は娘のどこが気に入ったんだね?」


 颯は沙夜を見た。


 視線が合った時、沙夜の鼓動が跳ね上がった。颯の瞳が熱っぽかったのだ。


 颯はもう一度父親に向き直った。


「沙夜さんは俺の過去を知る前も知った後も、変わらず俺を真っ直ぐに見てくれました。その純粋な瞳が俺を捕らえて離さなかった。一緒にいると汚れた俺の心が清められていく気がしました。それに温かく優しい心根のある人です。自分の痛みよりもまず人の痛みを優先してあげられる心。一緒にいるだけで俺の心まで温かく穏かにしてくれる。……俺にとってとても大切なかけがえのない人なんです。どうか付き合うことを許してください」


 颯は再び頭を下げた。


「お父さん、私からもお願いします。認めて下さい」


 颯の誠実な思いに、沙夜も父親にお願いした。


 自分達の思いはすべて話した。


 それに両親はどう答えてくれるのだろうか。


 父親はしばらく考え込んだかと思うと、おもむろに立ち上がった。そしてそのままリビングを出て行ってしまった。


「………お父さん」


 沙夜は小さく呟いた。


 自分達の思いは通じなかったのだろうか。


 落胆する沙夜の手を、颯は励ますように握った。


「必ず思いは届くよ」


「…………うん」


 すると父親がリビングに戻ってきて、再びソファーに腰を下ろした。


「沙夜」


 父親は名前を呼ぶと、テーブルにある物を置いた。


「お父さん、これ……」


 沙夜は驚くように呟いた。


 テーブルに置かれたのは沙夜の携帯電話だったからだ。


 父親は自室までそれを取りに戻っていたのだ。


「それは返そう。……それと転校の話はなかったことにする」


「お父さん!」


 沙夜は目を丸くして嬉しそうに父親を呼び、颯と目を合わせた。


 颯も微笑んだ。


 父親はなおも続ける。それは二人ともまだまだ先になるだろうと思っていた言葉。


「二人のことは認めよう。ただし門限は七時だ。外泊も許さん。いいな?」


「はい。ありがとうございます!」


 颯は立ち上がって最敬礼した。


「ありがとう、お父さん!」


 沙夜も満面の笑顔で言った。


 条件付であったが、何より親が認めてくれたことが二人とも嬉しかった。


 もう誰にもはばかることなく、いたい時に一緒にいられる。


「あなた、本当にいいの?」


 母親が意外な展開に戸惑い言った。


 嬉しそうにお互い微笑み合っている姿を父親は見つめた。


「いい瞳をした青年だよ、彼は。沙夜を何よりも大切に思ってくれている。この先、普通の人より辛い思いをするのは二人とも覚悟の上だろう。私達に心配かけまいと親の言うがままに生きてきたあの子が、彼と出逢ったことで自分の意思を持つようになったんだ。……あの二人を見てごらん。あの子のあんな幸せそうな顔、見たことないだろう?」


「そう……ですね」


 母親も納得したように頷いた。


 子離れの時期が来たのかもしれない。


 親から離れ自分の考えで歩き出した娘を、父親も母親も大きく包み込むように、一歩離れたところから見守ろうと心の中で思うのだった。


        *        *        *


 ―――月日は流れ。


 二人は高校の卒業式を迎えた。


 颯は県内でも難関の大学の法学部へ。


 沙夜は県内の私大の英文科へ。


 それぞれ進学が決まっている。


「颯、みごとにボタン全部なくなっちゃったね。ネクタイまであげちゃったの?」


 クスクス笑いながら沙夜は言った。


「何だか断れなくて……」


 困ったように颯は言った。


 颯は女子生徒に好かれるようになっていた。同級生・下級生を問わずに。


 もちろん颯の過去のことは皆知っている。


 だが皆今の颯を見て、好意を持ってくれたのだ。


 もう誰も颯を恐れたりしない。男子も女子も。


 颯も普通に声を出して笑うようになっていた。


「俺が人から好かれるようになるなんてな。みんな沙夜と、そしてこの高校のおかげだな」


 二人は校門を出る時、校舎を振り返った。


 この高校がすべての始まりだった。


 出逢い、恋をし、悩み、別れ、そしてすべてを分かち合って生きていこうと誓ったあの日々。


「そうだね。ここが私達の生き方を変えてくれたんだね」


 悩み苦しんだ分、得たものは大きかった。


「でもまたここから始めよう」


「うん。ここからが始まり……だね」


 二人は手を繋ぎ、高校に別れを告げ歩き出した。




【終わり】


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