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あさがお

作者: 某千尋

 小さい頃に読んだ絵本の中のお姫様。

 不遇な環境にいても、持ち前の美しさと性格の良さで素敵な王子様に見初められて幸せを手に入れる。

 幼い私は自分もいつか王子様に見初められるんだって思っていた。

 まあ、そんなふうに思っていたのはほんの一瞬のことなのだけれど。

 すぐに気付いてしまったから。私はお姫様になれないって。

 私は美しくないし、周りを妬まない清廉な心も持っていない。


 ◇ ◇ ◇ ◇


 うだるような暑さに負け、室内に籠る日々。

 夏休みだというのに外に出る気は起きない。窓に映る外の景色はアスファルトから立ちのぼる陽炎で揺れていて、見ているだけで気が滅入る。


 必死に子孫を残そうとするセミの鳴き声と、暑さをものともしない子供たちの笑い声をBGMにベッドに寝転びながらお気に入りの恋愛小説を読む。

 私のお気に入りは、何の特別もない平凡な女の子が、魅力的な男の子と結ばれるお話。


 平凡な女の子と自分を重ねて、夢を見ている。

 きっと、私みたいに自分がお姫様になれないと知っている人たちがたくさんいて、そういう人たちが夢を見るためにこういう作品を読むのだろう。


 そう、夢であって現実ではない。

 現実はどこまでも現実で、私の夢は何一つ叶わない。


 主人公の女の子が、ライバルの美しい女の子と好きな男の子が2人で親密にしている様子を目撃して逃げるように去って大泣きしているシーンを白けた気持ちで読み進める。

 この後主人公を追って駆けつけた男の子は誤解を解いて主人公を抱きしめるのだ。


 何度も何度も読んだシーン。美しい女の子ではなく平凡な女の子を選んだ瞬間。そこには確かにカタルシスがあった。1番好きな場面だった。


 でも今日は一切気持ちが浮上しない。だって知っている。

 現実でそんなことありえない。現実は美しい女の子と親密に見えるのは本当に親密だからで、片思いしていた平凡な女の子はやっぱりただの片想いで、男の子は平凡な女の子に見向きもしない。


 いつもなら本の世界に入り込めるのに、今日は現実に留まったまま。集中できなくて読むのをやめようと思ったら誰かの訪問を告げるチャイムの音が響いた。

 両親は小学生の弟にせがまれてプールに出かけている。家には自分しかいないので仕方なく部屋を出てインターホンで訪問者を確認すると、そこには私の唯一の友人が映っていた。


「真弓。どうしたの」


「とりあえず家入れてよ。暑くてたまらん」


 慌てて玄関を開けて友人を招き入れる。幼なじみでもある友人の家は隣なのに、額には玉のような汗が浮いていた。


「今日予定なくて暇だから来ちゃった。夏休みって言ってもこうも暑くちゃ外に出る気も起きない」


 真弓が差し出したお菓子の入った袋を受け取り部屋に向かう。真弓はこう言っているが、実際は私を心配してきてくれたことを知っている。


「あー涼しい!生き返るわー。一瞬外出ただけで汗だくだよ」


 冷たい麦茶を机に用意してベッドに腰掛けると、真弓がちらりと私に目線を遣す。その目線の意味はわかっている。


「もっと落ち込んでると思ってた?」


 私が問うと真弓は少し目を見開く。


「その様子だとそうでもないのかな。まあ、予想はついてたよね。佐江と山下くんずっといい感じだったし」


 昨日の夜にクラスメイトから流れてきた情報を思い出す。


 佐江ちゃんは隣のクラスの女の子で、多分学年で1番可愛い子。あまり話したことはないけれど、声も可愛いし、仕草も何もかもが可愛い。私とは違ってお姫様になれる子。


 その佐江ちゃんが、私たちのクラスの山下くんとデートしている姿がクラスのお調子ものに目撃された。

 都会でもないこの土地で遊びにいく場所なんて限られている。2人は手を繋いで映画館に消えていったそうな。


 私は山下くんが好きだった。山下くんは、派手ではないけれど整った容姿をしていて、優しくて頭が良くて、私にとって王子様みたいな存在だった。


 私は彼を見て一瞬で恋に落ちた。彼を知るにつれ、その気持ちはどんどん膨らんでいった。見た目も中身も、私の理想の王子様だった。


 何も言わずに俯いて黙っている私を見て真弓はため息を漏らす。


「……落ち込むなら、誰かに取られる前にせめてアタックするなり何なりしておけばよかったのに」


 真弓の言葉にカッとなる。


「何言ってるの。佐江ちゃんが選ばれたなら、私が何したって無駄だったでしょ。私には何一つ彼女に勝てるところなんてないじゃん」


「勝つも何も、あんた好かれる努力なんて何一つしてなかったじゃない」


「努力って……無理したところでボロが出るよ。そもそも顔も違うし」


「ボロって……努力って自分を偽ることじゃなくて、自分の魅力を磨くことだと思うけど」


 飲んでいた麦茶を置いて徐に立ち上がった真弓は窓際へと歩いていく。窓から見える庭を見下ろしてから私に視線をよこした。


「ほら、見てみなよ。優太の夏休みの宿題のあさがお」


「あさがお?何急に……」


 いきなり話題が変わって訝りながらも促されるまま真弓の隣に立つ。見下ろすと弟が観察日記をつけているあさがおが目に入る。

 ガサツな弟はたまに水をあげることを忘れるため、あさがおは少し萎れている。


「優子はね、あれよ」


「は?何どういうこと」


「佐江が薔薇だとすると、優子はあさがお」


「何?地味って言いたいの」


 自分が地味なのはわかっているけれど、人に指摘されると気分が悪い。思わずムッとする。


「優子はあさがおを地味だと思ってるかもしれないけど、世の中には薔薇よりあさがおの方が好きな人もいるのよ」


「……山下くんは薔薇の方が好きだったんでしょ」


「何言ってるの。それ以前の問題じゃん」


 真弓の言いたいことがわからず困惑する。

 真弓は手を伸ばして私の髪を掬ってため息を吐く。


「ぱさぱさ。枝毛まである。ちゃんとトリートメントしてないでしょ」


 いきなり髪質を貶され羞恥で顔に血が上る。


「ねえ、リップクリーム塗ってる?唇もカッサカサじゃん」


「放っといてよ。私のことなんて誰も見てないよ」


 いたたまれなくなって真弓から離れる。髪の毛は毎日洗っている。でも親が買ってきた市販のシャンプーとコンディショナーを漫然と使うだけで自分の髪質に配慮したことなんてない。リップクリームも気まぐれに使うことはあるけど、頻繁には使わない。


 でも、それが一体なんだというのだろうか。


「だから、誰にも見てもらえないんでしょ」


「もうっ何なの真弓。そんなのわかってるってば」


「そうじゃなくて、優子はさ、見てもらう努力をしてないって言ってんの」


 何だかわからずに真弓を見る。見てもらう努力?何を言っているのだろう。


「頑張ったところであさがおは薔薇にはなれない。でもさ、そもそも優子はさ、あのあさがおみたいに萎れちゃってんの。うちの妹の育ててるあさがおと全然違う。うちの妹のは艶々してるから。あんな萎れたあさがおじゃ、たとえあさがおが好きでも惹かれないでしょ。私はそういうこと言ってるの」


「……磨いたところで薔薇と比べたら薔薇の方がいいってなるでしょ」


 山下くんみたいに……という言葉は飲み込む。最初から高望みだったのだと思うと惨めで泣きたくなってくる。


「さっきも言ったけど、薔薇よりあさがおが好きな人もいるでしょ。そりゃどっちが人気かと言ったら薔薇かもしれないけどさ。でも薔薇がぶっちぎりなんだとしたら何で花屋にはあんなに何種類も花が売ってるのさ。」


「でも……山下くんは……」


「そう、山下くんはもしかしたら薔薇派なのかもしれない。けど、萎れたあさがおとぴかぴかの薔薇じゃ比べるべくもないよね?仮にあさがおも好きだなーって思ってても、萎れたあさがお選ばないでしょ」


「…でもじゃあ艶々のあさがおだったら選ばれるの?」


「そんなのはわかんないよ。けど、艶々のあさがおになって初めてぴかぴかの薔薇と並べるんじゃないの。それでも薔薇が選ばれることの方が多いかもしれないけどさ、私が言ってるのはそういうこと」


 理屈はわかる。でも、私の髪の毛がさらさらになって、唇がぷるぷるになったところで、凡庸な顔は変わらない。人見知りで内向的な性格も変わることはない。私が男なら、私なんかじゃなくて佐江ちゃんを選ぶ。


「私は……私は薔薇になりたかった…………」


 結局はそうなのだ。私はお姫様になりたかった。そのためには草臥れていても薔薇でなければならなかった。けれど私はあさがおだった。そもそもお姫様になる資質がなかった。


「そんなのみんなそうでしょ。私だって薔薇になりたいよ。けど違うんだから仕方ないじゃない」


 わかっている。私だけが薔薇でないわけではない。それでも、薔薇でありたかった。美しく気高く、見た人が思わず足を止めるような。


「でもさ、薔薇ってさ、トゲがあったり育てるのが難しかったりするわけじゃん。その点あさがおは優太の適当な世話でも咲いてくれるわけよ」


「お手軽ってこと……?」


「なんでそう悪く受け取るかねぇ。何事も一長一短ってことよ。見た目は薔薇の圧勝でも、薔薇に欠点がないわけじゃないし、あさがおが優れているところもあると思うよ」


「……山下くんは……」


「そうね、山下くんは薔薇を選んだね。でも、もしかしたらあさがおも好きだったかもしれないじゃん。萎れてたから目に留まらなかっただけかもしれないじゃん。薔薇は華やかで美しいかもしれないけど、あさがおに魅力がないわけじゃない。薔薇に憧れるのはわかるけど、薔薇じゃないことを理由に自分を貶めるのは違うんじゃないの。最初から諦めてるんだもん。そりゃぴかぴかの薔薇に太刀打ちできるわけないよ。……ほら、泣くなら泣いちゃいなよ」


 昨日山下くんと佐江ちゃんが付き合っていることを知ったとき、衝撃を受けたけれど泣くことはできなかった。ああ、そりゃそうだよね、っていう諦めが先に来て、あんな素敵な人と私が釣り合うわけない、悲しむことすらおこがましいって、そう思った。


 私なんかに好かれたって嬉しくないだろうし、私を好きになってくれるはずないって。佐江ちゃんなら敵うわけがないから、仕方ないって。


 けれど、もし私が艶々のあさがおだったら、少しは可能性があったのかもしれない。結局はぴかぴかの薔薇を選ばれてしまったかもしれないけれど、少しは目に留まったかもしれない。


 ああ、私は彼の物語の登場人物にすらなれていなかったのだ。それに気付くと悲しくなってきてとめどなく涙が溢れてくる。


「真弓は……私を泣かせにきたの」


「もちろん。失恋したときは大いに泣いてすっきりするのが1番だもん。けど多分優子は相手が佐江だってわかったら悲しむのもおこがましい……みたいに思ってるだろうなあって」


 図星を突かれて涙が止まる。まさにそう思っていた。


「……だから、そもそも土俵にすら上がれてないって言って泣かせにきたの」


「うん。私流の慰めかた」


「全然慰めてない。もっと優しくしてほしかった」


「どんなふうに?何言ったところで私なんて……どうせ……とか言うだけじゃん。ってかまたこの小説読んでたの。好きだねぇ」


 真弓はベッドの上に放り出された恋愛小説を手に取る。

 私と同じ平凡な女の子が主人公の恋愛小説。けれど、真弓の話を聞いてそうではないと気付く。確かに彼女は平凡な見た目で何か特段優れたところがあるわけではない。けれど、何事にも懸命に取り組むし、恋心を自覚してからは髪型や服装にも力を入れていた。少なくとも、私みたいに最初から諦めることはしていなかった。


 彼女はちゃんと艶々のあさがおだった。


「私……薔薇じゃないからって最初から全部諦めてた」


 ぽつりと呟く。お姫様になれないから、王子様は現れないし、王子様に選ばれることはないと思っていた。真弓は何も言わずに私を見ている。


「だから、平凡な女の子が幸せになる小説ばかり読んで、せめて物語の中だけ夢を見ようとしてた。でも現実で、こうなって、やっぱり現実は物語みたいにうまくいかないってわかった気になって、夢を見ることも止めようとしてた」


 でも違った。私は薔薇じゃないことを言い訳に何もしないで悲劇のヒロインぶっていただけだった。物わかりのいいふりをして。


「艶々のあさがおになったら、私を見てもらえるのかなぁ」


「……私無責任なこと言うの嫌いだから、それはわからないとしか言えないよ。けど、ぶっちゃけ私は薔薇よりあさがおの方が好きだし、そういう人は結構いるんじゃない」


 真弓を見ると照れたように頬を染めている。私はこれが素直じゃない真弓にとって最上級の慰めの言葉だということを知っている。


「じゃあさ、私よくわからないから一緒にトリートメント買いに行って欲しいんだけど」


 私が言うと、真弓は少し目を瞠り、嬉しそうに微笑む。


「任せてよ。でも今日は暑いから勘弁ね」


 言いたいことは言ったから、と言って真弓は帰っていった。


 1人になった私はお気に入りの恋愛小説を本棚にしまう。

 私は何も変わっていないはずなのに、何だか晴れやかな気持ちだった。


 もう一度窓に近づいて弟のあさがおを見下ろす。萎れたあさがおからは物悲しさを感じる。確かにあれがぴかぴかの薔薇と並んでいても見向きもしないなと思う。


 私は薔薇になりたかったけれど、私は薔薇じゃないから、せめて少しでも艶々になろう。そうすれば、小説のように上手くいかないかもしれないけれど、少しくらい自信を持つことができるかもしれない。


 もう少し涼しくなったらあさがおに水をあげよう。

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[良い点] ∀・)純粋な女の子の物語ですね。キュンとなる感じといいましょうか、とてもよくその感じがでてました。なんでしょうね~原点になるものの底力というか、素敵な力作のように感じます。 [気になる点]…
[良い点]  書き始めにしてはとても良く出来てると思います。評価5。  主人公は、多くの人に当てはまることですね。初めから無理だと諦める。恋愛だけでなく、何かのプロを目指す場合でも、そりゃあ無謀だと言…
2021/04/23 20:33 退会済み
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