愛しの彼に催眠をかけようとしたら手違いで私がひょっとこフェイスになった話
※過去作と同じ登場人物が出てきますが単独で読めます。「転生したら美少女に生まれ変わったので前世の自分を愛します」の後日談的小話です。
「う~!最近急に冷え込んで来たな~」
駅前の商店街を早足で歩く私の名前は鳴上綾音、今をときめく高校一年生だ。ありがたいことに順風満帆な人生を歩んでいるつもりだけど、強いて悩みをあげるとすれば愛しの彼がもう付き合って大分経つのにまだキスをしてくれないことぐらいかナー。
今日は年越しを恋人や友人たちと一緒に過ごそうということで、その準備のために買い物へ来ている。
「年越しそばの材料でしょ、クリスマスに会えなかったから七面鳥でしょ、イブにも会えなかったからケーキでしょ」
年末に忙しくてバタバタしていた分、色んなイベントをまとめて楽しもうということであらゆる要素を圧縮している。楽しめれば何でもヨシの精神だ。
「う~ん…大体必要なモノは買い終わったけど、一発芸のネタは何にしようかな」
気心が知れた仲間内だけの集まりなので何でもいいといえば何でもいいのだが、今年は彼と越せる最初の年なのでせっかくなら凝ったものをしてみたい。帰り道に興味本位でジョークグッズ店へと立ち寄ってみる。
「手品セット、びっくり箱、ウソ発見器…う~ん、どれもいまいちだなぁ」
もう少しインパクトがあって、参加している皆がおったまげるような面白いものがいい。だが置いてあるのはどれも子供騙しのおもちゃばかり、いまいちピンとくるものが無い。
「ううん…もうめんどくさいから例年通り股に肩を通して四足歩行するいつもの奴でいいか」
だが諦めかけて店を出たその時、向かいの古本屋に置いてあるとんでもない文字が目に飛び込んで来た。
『これで酒池肉林も世界征服も思い通り!誰でも簡単にできる催眠術 ~古代呪術から現代催眠療法まで~ 実践編』
「これは!?」
急ぎ手に取ってパラパラとページをめくってみる。鈍器を名乗れそうなぐらい分厚い本だが、催眠術を行うための方法が事細かに記されているようだ。
『この本を手に取るということは貴方には悩みがある筈です。一度でいいからムカつく上司を黙らせたい、気になるあの人の心を落としたい、世に生まれ落ちたからには人々を従えて覇道を成し遂げたい…そうですよね?この本には人の持つ精神や意識についての仕組みと、それを自在に操る為の方法が書かれています。まず人の意識とは思考を可能にする顕在意識と、非論理的な思考を司る潜在意識に分かれていて―――』
ポップな見出しの割には専門的な、それでいて分かりやすい説明が図解付きで解説されている。これなら私にも出来るかも!
「すみません!これ幾らですか!?」
「ん?ああその本ね。何故か売れても必ず手元に戻ってくるから気味が悪いんだよね。100円でいいよ」
「やったぁ!!」
本を握りしめてふへへと笑う。これで彼に催眠をかけてキスさせてやろう。幾らシャイな彼でも、みんなの前でキスをさせれば既成事実が出来上がって否が応でも関係は進展するはず!今まで止まっていた時計の針を催眠の力で解決するのだ!!
―――
――
―
それからというもの、私の熾烈な催眠修行の日々が始まった。
「催眠!オラッ!!催眠解除!オラッ!」
「クゥ~ン」
夜な夜な本を読み漁り、そこに書かれている知識を身に着けていく。まとめられているとはいえ知識は実践が肝要、今日は学んだ内容を家で飼っている愛犬ポチへと試してみることにする。
「ポチ!かかったか!?今は催眠状態の中にいる?!」
「ワン!」
「おぉ~!いい返事だァ…これは間違いなく催眠が成功したようね」
「…ワン!」
「姉さんポチを知りませんか…?おや、ここに居たのですかポチ」
「ワン!」
妹がドアを開けて部屋に入ってくると、ポチは尻尾を振って行ってしまう。むぅ、今いい所だったのに。
「姉さん、こんな遅くに何をしているんですか?いつもなら寝不足で肌が荒れるとキスが遠のくと言って寝ている時間ですよね?」
「フフフ…実は私、催眠術を覚えて仁君にキスをさせる予定なんだ」
「……なんて?」
「ワン!」
私が修行の成果を見せてやろうとポチに向かって手をかざす―!
「ポチ、お座り!」
「ワン!」
「ポチ、伏せ!」
「ワン!」
「ポチ、3÷3は?」
「ワン!」
やったやった!催眠の力でポチを思い通りに操ることが出来たぞ!!しかも犬に割り算をさせるなんて、ひょっとしたら私には催眠の才能があるのかもしれない!!!
「ウチのポチは元から芸が仕込まれてますよ。それにポチは賢いから、きっとアホなことをしてる姉さんを憐れに思って合わせてあげただけなんだと思います」
「…クゥ~ン」
この催眠の力を侮るなんて!でも大丈夫。もう年末は近いし、目の前で人を相手に実演すればきっとこの力のことを理解してくれるはず。
「もしも彼の心が手に入ったらついでに世界征服するから、その暁には世界の半分をあげるね」
「別に要らないです」
私はニヤニヤしながらまた本を開き、修行を続けることにした。
「催眠!ハァッ!!催眠解除!!しゃあッ!!」
「恋は人を狂わせる…怖いね、ポチ」
「クゥ~ン…」
―――
――
―
そんなこんなで年末当日、親友と妹、そして彼との4人で過ごす時間がやって来た。
「年越しそば、北京ダック、ショートケーキ…和洋中揃っててカオスな食事だったわね」
「ちょっと食い合わせが悪いってレベルじゃなかったですね…お腹の中でちょっとした異文化交流が行われてますよ」
「なまじ一品一品が美味しくできてるからなお冒涜的だよね」
思い思いに好き勝手言いながらくつろぐ3人。私は頃合いを見計らってクラッカーを鳴らした。
「いえ~!一発芸大会の時間だァ~!!いぇ~い!!」
ぽかんとする二人と察するような表情で一人がげんなりしている。前の二人はきっと何故私がこの時間を待ち望んでいたのか分からなくて呆気に取られているのだろう。
「アンタねぇ…どうせまた股に肩を通して四足歩行で走るアレをするんでしょう?なに、去年は僅差で犬に負けたから今年はリベンジでもするの?」
「ち、ちがうよ!そんなはしたない真似はしないよ!!仁君、これ冗談だから真に受けないでね!!」
「え…何、股に肩…え?どゆこと…?」
余計なことを言われる前に秘蔵のアレを内蔵させたスマホを皆の前に出す。
「じゃじゃ~ん!催眠アプリ~!!」
「「「…?????」」」
いや、そんな3人揃って何言ってるんだこの女はみたいな顔されても。これは古来の知識と現代技術が融合した凄いものなんだぞ。
「このアプリは優れモノ!なんと私が固有の呪文を唱えながら発動させることで相手を意のままに操ることが出来るのだ!!」
「へぇ、面白そうじゃない。仁、ちょっとこの馬鹿なアプリの実験台になりなさいよ」
「嫌だよそんなの…。あと綾音さん、さっきから思ってたんだけど目の下のクマが凄いよ。さっさと寝て正気を取り戻してよ」
馬鹿だの正気を取り戻せだのほんと容赦がないなこの二人は。これでも無二の親友と私の彼氏なのか?この力の威力を見せてやる。
「催眠アプリーッ!発ど…。……」
「…?どうしたの固まって?」
よく考えたらみんなの前で彼にキスさせるのはちょっと恥ずかしいかもしれない、主に私が。人目を避けようと親友と妹にちょっと席を外すように頼むと、散々ぶーすか文句を言いながらも外してくれた。
「ゴホン、では気を取り直して…」
「いや、この流れで何されるの僕。ちょっと怖いんだけど」
「大丈夫だよ、大丈夫大丈夫。とにかく私の必殺技を見てよ仁君」
「うん、必殺なら僕死ぬんだけどね」
催眠に関する呪文は相手に強烈な印象を持たせることが重要なのではっきりとした断定口調と、被術者に対する深い愛情を注ぐために親愛さを込めて唱えなければならない。つまり、呪文は以下の通りになる。
「催眠アプリ発動ーッ!!オラ催眠ッ!常日頃お世話になっております♡だから催眠で労わってあげるねッ!!仁君大好きだよ♡催眠にかかれやオラッ!!チッスしろ!!私のほっぺに優しくチッスしろ!!」
「おっ、おおっ…!?」
もわもわとスマホから発せられる高周波によって意識が混濁していく仁君。トドメにスマホ画面を見せてスイッチを押す。
―パシャリ―
「あ…」
やべ、催眠光線はカメラから出ることを忘れていた。これ向ける方向逆だわ…。
―――
――
―
「ギャーッ!!」
私の悲鳴を聴いてなんだなんだと部屋に戻ってくる外の二人。だが私の顔を見るなり腹を抱えて笑い出した。
「あーはっはっはっ!人に催眠かけようとして間違えて自分にかけた?!それもキスさせようとしたから自分の口で自分の頬にキスするように暗示がかかってひょっとこフェイスになったですってっ!!?」
「笑い過ぎだよ、アキ」
ゲラゲラ笑いながら涙を流している親友。妹である響も顔を背けながらプルプル震えている。
私はどうにか顔を戻そうとアプリを弄ったり、鏡に向かって催眠を解除しようとしているのだが一向に上手くいかない。
「どうしよう…顔が戻らない。私一生このままなのかな…?」
「ひっひっひっ…!そのふざけた顔で真面目なこと言ってもギャグにしか聞こえないわ。てかどうやって喋ってんのよそれ…!」
「仁さん、家の姉がいつもすみません」
「いえ、もう慣れましたから。それよりも綾音さん、その催眠アプリどこで手に入れたの?アプリの製造元とかに問い合わせれば解決方法が分かるかもしれないよ」
仁君は淡々と解決策について考えてくれるのだが、私はそれに胸を張って答えることが出来ない。何故なら…
「無いよ…製造元なんて」
「えっ?」
「このアプリ催眠術の本を読みこんだ私が自作したものなの…。それに作っていく上で原理が分からないまま組み込んだ技術とかもあるから、これを作った私自身再現性があるかと言われれば自信が無いの」
今度こそ呆れたといった顔で仁君はあんぐりと口を開けた。ひぃ、彼が見たことも無いような目をしている!
「プッ…ククク、賢い馬鹿ってこういうことを言うのね…その技術と行動力をもっと別の形で生かしなさいよ」
「仁さん、家の愚姉が…本当にすみません」
「いえ、もう慣れ…慣れたくないけど慣れましたから」
「うわーん!!」
不安になって彼の足に縋りつく。このままでは見捨てられるのではないのかと思ったのだ。
「仁君、こんな馬鹿な私をどうか嫌わないで!!勝手に催眠アプリ作ってごめんなさい!邪な心で催眠術使おうとしてごめんなさい!!」
「別にこれぐらいのことで嫌いになったりなんかしないよ…そんなことよりどうすれば解決するか考えよう」
「ホントに!?優しい!!ところで今抱き着いてるけどちょっとはドキドキした?!」
「怒気怒気はしてるけどね」
「ひぇ…っ」
反省した私は解決する方法を探るため、皆に今回の経緯を打ち明けた。催眠術の本を偶然見つけたこと、寝る間を惜しんでそれに熱中してしまったこと、数日でアプリが開発できてしまったこと。
「ふぅん、話を聞く限り催眠っていうのはとどのつまり暗示なのね。だったらその暗示の根拠を無くしちゃえばいいのよ」
親友のアキがそうハッキリと口にする。
「でも根拠を無くすなんてどうすれば…一度知っちゃったことは簡単に忘れられないよ」
「今頭の中にある知識はその本から得たものなんでしょ?なら本を燃やして覚えた知識そのものを否定すればいいのよ」
「そ、そんな無茶な…それに本には解決につながるヒントが書かれてるかもしれないよ?」
「それなら私達が中身のコピーを取ってから燃やせばいい。ホラ、まずはその本を見せて見なさいよ」
「ううう…大丈夫かなぁ」
だが他に解決法が思いつかないのも事実。アキに急かされて自室へ向かい、本を探す。だが…
「なっ、なんで!?私間違えなくこの机の上に置いておいたのに!」
肝心の本が何故か見つからない!4人で手分けして見つかりそうな場所は全て調べたが、影も形も無くなっていた。絶望した私はがくりと崩れる。
「うっうっ、うぅぅ…!私一生このままなんだ…。このままひょっとこフェイスで盆踊りの季節にしか大切にされなくなるんだ…!もう海に潜ってタコとして生きよう…!!」
「…いや、諦めるのはまだ早いよ綾音さん」
もう日も暮れて、絶望しかけた私にそう声を掛けてくれるのは仁君だった。
「…もとを正せば、綾音さんがこんなに苦しんでるのは僕のせいだ。そもそも僕が中々キスをせずに君を悩ませていたのが事の起こりなんだから」
「そ、そんな…違うよ!ただ私がバカでマヌケなだけで…!」
「うん、それもそうなんだけどね、やっぱり僕にも責任の一端ぐらいはあると思うんだ。だからさ、僕に責任を取らせてよ」
「えっ…?そ、それって…?」
「キスをしてほしいっていう元の願望を叶えれば、この暗示も解けるんじゃないかと思う。だから…」
そう言って口を頬に近づけて来る彼。真剣な目をしていて、耳に暖かい吐息がかかってこそばゆくて、そして―。
「うおおおおおおおっ!!」
私は目が覚めた。
―――
――
―
「はぁ~折角彼にキスしてもらえると思ったのになぁ」
憂鬱な朝。夢の中では年が変わる直前だったが、現実ではまだ12月の中旬で冬季休業まではもう少しある。今は登校するだけの時間なのだが、酷く足が重い気がする。
(でもやたらリアルな夢だったな~)
夢の中で得た質感や思考が非常にクリアで起きてから時間が経った今でも割と思い出すことが出来るほどだ。逆に現実と違った部分はどんなに忙しくてもクリスマスは彼と祝う気であるとか、夢の中とはいえ私の気が狂いすぎだろとか、そのぐらいだ。
「ん…?おはよーアキ。朝から本を読んでるなんて珍しいじゃない」
教室に着くとアキが黙々と何かの本を読んでいた。活発な彼女にしては珍しいことだ。
「おはよ綾音。いやさ、行きの道で気になる本見かけちゃって。普段は絶対こんなことしないんだけど衝動買いしゃったんだよね」
ますます珍しい。どんな本だろうと思って手元を覗いた時、私は絶句した。
「これで酒池肉林も世界征服も思い通り!誰でも簡単にできる催眠術~古代呪術から現代催眠療法まで~実践編。我ながらくさいタイトルの本買ったなぁと思うんだけど、これが読んでみると中々面白いのよね」
だってその本は夢の中でどんなに探しても見つからなかったあの本だったから。