宿屋での日常
レイジはその日、疲れた体と喜びに満ちた心を落ち着けるためにゆっくりと宿屋で休んでいた。そして日も落ちて辺りが夕闇に包まれた時間に昆布はレイジに聞いてきた。
「ねえ兄貴、ネネのことをどう呼ぶつもりでござるか?」
「な、なんだよ。急に...」
レイジは何の前置きも無しに質問してきた昆布に戸惑いつつも言った。昆布はレイジとは対照的に、いたって普通の態度で話した。
「いや、兄貴ってそういうのはこだわるタイプなのかなーって思っただけでござるよ。」
昆布の質問にレイジは恥ずかしそうに眼をそらしながら考えた。
「呼び方か...まあ、正直考えたこと無かったけど...」
レイジはそう言って考え込んでいた。するとそこに昆布が提案をしてきた。
「『ハニー』って呼ぶのはどうでござるか?」
「ハニー!?」
レイジは目玉が飛び出るほど驚いた。昆布は平然とした様子で淡々と話した。
「あれ?外国の人はみんなカップルでハニー、ダーリンって呼び合うって聞いていたでござるけど、違うんでござるか?」
「まあ、違うな。違うけど...ありなのか?」
レイジは自問自答した。そしてレイジは色々と考えた結果一つの答えにたどり着いた。
「...ハニーか。なんだか、少し恥ずかしいが、それもありだな。なんというか、今までの関係を超えた感じがしていいかもな。...まあ、ネネに聞いてみないと分かんねーけどな。」
レイジは昆布の提案に意外としっくり来ていることを実感していた。昆布はその反応に戸惑った。
『兄貴が絶対に嫌がると思って冗談で提案したでござるが...意外と刺さっているでござるなぁ。やっぱり兄貴って面白い人間でござるなぁ...もっと知りたいと思うでござるねぇ。』
昆布はレイジに対する興味がさらに高まった。そしてレイジはゴゴにも聞いた。
「なあゴゴ、一応お前の意見も聞きたいんだが...」
レイジは天井に足をくっつけて逆さになっているゴゴに聞いた。ゴゴは腕を組みながらレイジの方を見た。
「ん?呼び方か?そんなもん何でもいいんじゃないか?筋肉が育つわけでもないし...」
ゴゴは心底興味なさそうに答えた。レイジは乾いた笑いが出た。
「はは...まあ、ゴゴはそういうタイプだろうな。」
レイジは期待通りのゴゴの言葉に逆に安心した。そしてレイジは少しの間考えて昆布に言った。
「...まあ、明日ネネに聞いてみるよ。断られそうな気はするが...」
「へへへ。意外とネネも乗り気になるかもしれないでござるよ?ネネってなんか、ちょっと自信なさそうでござるからね。強く否定はしないと思うでござるよ?」
「そうか...でもさすがにハニーダーリン呼びは嫌がるんじゃないか?」
「まあまあまあまあ!それは明日聞いてみたらいいでござるよ!とにかく、今日はもう寝るでござる。さすがに兄貴も疲れたでござろう?」
「...そうだな。正直もうクタクタだ。今日の所はもう寝るか。」
そう言ってレイジたちはベッドに入り布団にくるまって眠った。ゴゴはそんな2人を見てボソッとつぶやいた。
「疲れた...か。俺も眠ってみたいなぁ。やっぱりこの体は普通じゃないんだな。まあ、闘いをどれだけやっても疲れないのは兵士にとっては素晴らしい事なんだろうな。...でも、正直うらやましいよ。普通に生きられるってのはな...」
ゴゴはそういうと窓を開けて夜の闇の中へと消えていった。
レイジは目が覚めると窓から気持ちのいい風と朝日が流れ込んでいた。窓際にはすでに目を覚ましていた昆布が外の様子を見ながら気持ちよさそうに風を感じていた。
「ああ。兄貴、起きたんでござるか?」
昆布はレイジが眠たそうな眼をこすりながら体をグーッと伸ばしているところを見て言った。
「...ああ。あれ?ゴゴは?」
レイジはまぶしい日の光にまぶたをうっすらと開けながらも部屋の中を確認して言った。昆布は肩をすくめ、両手をあげながら答えた。
「さあ?拙者が起きたときにはもういなかったでござるよ?でも、騒ぎは起きてないから街で暴れてるって事はなさそうでござるね。」
昆布は街の様子を窓から見ていた。街の人々はまさに平和な様子で、楽しそうに過ごしていた。レイジはまだ頭がボーっとしていたが、ゆったりと体を起こしてベッドから起き上がった。そして大きなあくびをしながら答えた。
「...そうか。まあ、あいつはいずれ帰ってくるだろうしな。...って!いててて!!ま、まだ傷が完全に治ってねーな。」
レイジは胸に手を当てながら苦しい表情で言った。昆布は心配そうにレイジの顔を覗き込んだ。
「大丈夫でござるか?やっぱり、昨日ブレイブと闘った傷がまだ治ってないんでござるねー。」
「まあな。俺はあんこや姉御に比べて傷の治りは速い方だったが、さすがに昨日は無茶しすぎたな。こりゃ数日は痛みそうだな...」
レイジは迷惑そうな表情で自身の痛むところを見ていた。そしてレイジは気を取り直して昆布に言った。
「まあいいや。とりあえず姉御たちの元へ行こう。...そのー、ネネに確認もしないとだしな...」
レイジは明らかに目を泳がせながら言った。昆布は一瞬キョトンとした表情を浮かべて、ハッと理解して笑った。
「あれれー?兄貴ィ?なんだか乗り気でござるねぇ!?正直拙者は忘れていたでござるよ。」
昆布はレイジをからかった。レイジは顔を赤らめて必死に言い訳をした。
「い、いや!?別に乗り気って訳じゃねーよ!?ただ...まあ、聞くだけ聞いてみてもアリかなーって感じでな?」
レイジは身振り手振りを使って必死に言った。昆布はへっへっへと笑った。
「悪かったでござるよ!兄貴。ちょっとからかっただけでござる。さ!一緒に行くでござるよ!」
昆布はそう言って元気よく扉を開けた。レイジはなんだかモヤモヤしながらもこれ以上何を言っても言い訳にしかならないと思い、弁明をしようとせずについて行くことにした。
レイジは部屋を出てそのまま外に出た。すると少し先の建物の近くで姉御たちが話をしている姿が見えた。
「おはよう、姉御。あんこ。ネネ。...あれ?ヤミナは?」
レイジは片手をあげて挨拶した。姉御たちもレイジの存在に気づき姉御が手を挙げ、あんこが大きく手を振って返事をし、ネネが恥ずかしそうにチラチラとレイジを見ながら小さく手を挙げた。
「遅いよー!レイジ―!ヤミナちゃんはまだ寝てるー!それでね!いま姉御ちゃんとネネちゃんとレイジの話をしてたとこなんだよー!?」
あんこは大きな声でレイジたちを呼びながら話しかけた。レイジは適当にうなずきながら姉御たちの元へと歩いて行った。
「そうか、寝てるか。...俺の話をしてた?いったい何の話なんだ?」
レイジはまだ寝ぼけている脳みそにあんこの言葉がようやく耳に入って来て姉御たちに聞いた。するとあんこがニコニコ笑いながら答えた。
「へへへー。姉御ちゃんがね!『レイジは初めての恋愛でかなり不慣れな所が出てくると思うから、あたしたちがサポートするんだよ?』って言ってたの!ねえねえ!何してほしい?」
あんこはレイジの顔を覗き込んで純粋な笑みを浮かべながら言った。レイジは少し顔をひきつらせた。
「お、俺のサポート!?い、いや、いらねーよ。恥ずかしいから放っておいてくれよ。」
レイジは少し引き気味な様子で言った。あんこは「えー!?なんでー?なんでー?」と不服そうにレイジの腕をブンブンと振り回した。レイジはフフッと笑ってあんこの頭を撫でた。
「気持ちはありがたいが、一旦は俺のやり方でやらせてもらいたい。もし助けが必要ならその時は頼らせてもらうからさ。」
レイジはあんこの頭を撫でながら優しい表情で言った。あんこは撫でられて嬉しそうな表情をしながら答えた。
「そっかぁ!?うん!じゃあ見守ってるね!?」
あんこはニッコニコで言った。レイジは『なんて騙しやすいんだ...』と内心思った。そしてレイジはネネの方を見た。
「あー。ネネ。そのー、話が、あるんだけど、いいか?」
レイジはほほを人差し指でかきながら恥ずかしそうに言った。ネネはレイジに名前を呼ばれてドキッとしながらもなんとか平静を保ちながらうなずいた。そしてレイジとネネは2人で少し歩いて姉御たちに聞こえない位置まで来た。
「あー、話ってのは、さ。まあ、そのー、俺たちの呼び方?なんだけど...『ハニー』『ダーリン』って呼び合うのは、どうかな?」
レイジは眉毛を八の字にしながら困ったような笑いを浮かべて言った。ネネは何を言われるのかとドキドキしていたが、レイジの言葉があまりにもおかしくてつい笑ってしまった。
「フフフッ。なにぃ?それ?」
ネネは嬉しそうに、そして少しからかうように言った。レイジは先ほどよりも一段と挙動不審になりながら言い訳をした。
「いや!別にー、そのー、バカみたいだって思うのは分かるんだが...でも、ちょっとそういうラブラブな関係ってやつ?には憧れててな...もちろん!イヤだって言うなら別にいいけどさ...」
レイジはネネの反応をうかがいながら慎重に聞いた。ネネはそんなレイジの様子が本当に自分のことを大切に思っていることが伝わって来て心の底から嬉しくなった。
「じゃあ、私がレイジの事を『ダーリン』って呼んだらいいの?」
ネネはレイジの目を見ながら首をかしげて言った。レイジはそのネネの仕草にドキッと心臓が跳ね上がりながら自然と笑みがこぼれてきた。
「あ、ああ!そうしてもらえると嬉しい!」
レイジはドキドキと心臓の高鳴りを感じながら心底嬉しそうに言った。ネネはそんなレイジの嬉しそうな顔を見て自身も嬉しくなっていた。
「じゃあ、今日からレイジの事は『ダーリン』って呼ぶからね?ダーリン?」
ネネは嬉しそうに微笑んで言った。レイジは強くうなずいた。
「ああ!ありがとうハニー!」
2人は朝からラブラブな会話をしていた。それを建物の陰から姉御とあんこと昆布がじっと見ていた。
「ハニーダーリンって、あんたの入れ知恵かい?昆布?」
姉御は昆布の方を見て言った。昆布はへへへと笑った。
「そうでござるよ。でも、拙者は兄貴が絶対嫌がると思って言ったでござるが、意外と兄貴も乗り気でびっくりしたでござるよ。」
昆布の言葉を聞いて姉御はフーンと言った。
「レイジにそんな願望があったなんてねぇ...やっぱり子供の時からあたしの横で恋愛ものの映画を見ていたせいかねぇ。」
姉御はレイジの新たな一面を見て意外だと思った。それはあんこも同じだった。
「うんうん!レイジって絶対そういうのバカにするタイプだと思ってた!へー!やっぱり人って見た目じゃわかんないんだねー!」
あんこは感心したようにうなずきながら言った。昆布も同じようにうなずきながら言った。
「そうでござるねぇ。まあ、拙者はそんな兄貴も大好きでござるけどね!」
昆布は自信満々に言った。あんこは昆布の顔を見て聞いた。
「昆布って本当にレイジの事が好きだよねー。なんでそんなに好きなの?」
あんこは純粋な疑問を昆布に投げかけた。昆布は一瞬驚いた様子であんこを見ながらフッフッフと不敵に笑った。
「そりゃ!兄貴は拙者にとって憧れっていうか、必要な人っていうか、なんというか一緒にいて一番楽しいんでござるよ!兄貴にだったら一生ついて行きたい!って思える何かがあるんでござるよ!」
昆布は嬉々として語った。あんこは「へー。」と淡白な返事をしてから言った。
「昆布って、なんだかおもしろいね!普通レイジに憧れる人なんていないと思うよ?だってクズだもん!」
「へへへ!確かに!そこは拙者も同意見でござるよ!兄貴は頭がいいうえに他人を助けようとはしないでござるからね。でも!そこがいいんでござるよ!そのわがままを通している生き方が!拙者には憧れるポイントなんでござるよ!」
昆布は鼻を高くして言った。あんこはまたまた「ふーん。」と淡白に返事をしてから言った。
「変なの!?あたしはレイジのそういう所がキラーい!でも、レイジってあたしとか姉御ちゃんとか、身近にいる人には優しいんだよねー。どうしてその優しさを他人にも分けてあげられないのかなーっていっつも思うんだよねー。」
あんこはレイジに対して思っていることを言った。昆布はそれを聞いてあんこに言った。
「なるほど!あんこは誰に対しても優しい子なんでござるね!?それはとっても素敵な事だと思うでござるよ!?ただ、兄貴はどちらかというと現実的な考え方をしているでござるからねー。全人類を救う事は出来ないって思ってるんじゃないでござるかねー。だからせめて自分の大切な人だけは絶対に守ろうって考えだと思うでござるよ?」
昆布の考えを聞いてあんこは少し考えてから答えた。
「うーん。そうなんだろうねー。それは分かってるんだけど、でも!もう少し手を伸ばしてもいいんじゃないかなーってあたしは思うんだよねー。」
「あー。確かに、そうでござるねぇ。兄貴にはそれが出来る実力があるにもかかわらず面倒くさがってやらないだけでござるからねぇ。」
「そうでしょ!?だからあたしはずっとモヤモヤしてるんだよねー。」
あんこと昆布が盛り上がっている途中で姉御が2人に注意した。
「ちょっと2人とも!すこし声のボリュームを下げて?気づかれちゃうでしょ?」
姉御が注意すると同時にレイジが姉御たちの姿に気づき近づいてきた。
「お、おい!姉御!あんこ!昆布!お前ら聞いてたのかよ!?」
レイジは姉御たちに向かって言った。姉御は「ああー!?やっぱり見つかったー!?」と残念そうに言った。そして三人はそそくさと逃げて行った。それを見てレイジはため息をついてからネネに言った。
「...まあ、じゃあ、とりあえず、あの三人を追いかけようか?ハニー?」
ネネはレイジにそう呼ばれてまだ少し違和感があるがフフッと笑って「ええ。ダーリン。」と答えた。