謎と手がかりと
王宮は相変わらずの慌ただしさだった。なにせずっと討伐をしていた騎士団が事実上消え、国内には魔物の出没は増え続けていたのだから。ここに来てようやく、貴族たちは現在起こっていることを理解しはじめた。それぞれの領地の被害から、かなりの大事だと認識し始めたのだ。以前より大変な事態が起こると言いまわっていた占星術師の発言が真実味を帯びてきた瞬間であった。それに気付いた貴族の中には、安全なところに逃げてしまおうと突然消えるものや、魔物に恐怖して一切領地から出てこなくなるものもいた。貴族のあり方に誇りを持つものやこれを機に王宮内での力を増そうと考える者たちが中心となり、被害にあったものたちへの避難先の確保や、騎士団の代わりとなる魔物の討伐団などを新たに作るなどの対応に追われていた。
けれど、それは中央での話。学園は少し不安で浮足立つものもいたが、概ね平常通りであった。それは親である貴族たちが学校という王宮に近い安全な場所に大事な子どもたちを一所に集めていたほうが守りやすいと判断したためであった。そもそも学校の中は外界との接触が薄く、外の流行からワンテンポ遅れて話題になる。そのため学生たちにとっては、今季はクラスメイトの数人が領地に帰ってしまった、といったその程度の非日常感を味わうだけだった。
そんな、学校外よりも穏やかに過ごせる学生たちはというと…アリアの周りだけは、平穏とは言い難かった。カインに一方的に婚約破棄を言い渡された後、どうやら学校中に噂が広まったらしい。『婚約者の恋人に嫉妬して虐めた挙げ句、その婚約者に婚約破棄を言い渡された悪女』だと。
エレオノールは今まで以上にアリアの傍にいようとしたが、学年が違うためなかなか難しい。そうなると、一人でいることが多いアリアは格好の的だった。嘲笑と嘲り、そしていじめの。
覚えのない悪事をしたのだと噂されても、やってないことの証明は難しいし、何よりその噂する貴族たちはアリアの話を聞かない。たとえ噂されているうちの一つもやったことがないと言っても言い訳なんて醜いわ、しらを切るなんてひどい人、ティファナが可哀想、やったことの大きさにも気づかないなんて最低な人間ね、等の言葉が帰ってくるだけだ。なにせ噂に便乗しているものたちにとってただの暇つぶしだ。アリアが本当に「した」かどうかなんて彼らは興味がなかった。
ただアリアは虐げていいことをしたような人間、そんな認識でしか無かった。
アリアと授業でペアになったことのあるものや、世間話をする程度の交流があった者たちは噂に違和感を抱いていた。けれど、それだけ。この流れに逆らえるほどの勇気など持ち合わせていなかったし、そこまでアリアにしてやる義理もない、そんな認識だった。
学園での空気は、夜会にも伝播した。アリアはあのデビュタント以来一度も出席していなかったが、話題はアリアで持ちきりだった。
そうなると当然、婚約を申し込もうとした第一王子の耳にも入る。
あまりの噂の広まり具合に作為的なものを感じでいたものの、この調子でアリアが婚約破棄され、そして皆から倦厭されればライバルが消えて、自分が狙いやすい。慰める人間も一人でいいだろう、そう考えて噂を放置した。貴族の噂は広まりやすく消えやすいと知っていたから。
それにここでムキになって自分が否定したところで、アリアが王子を誑かした!なんて言われてしまえばそれこそどうしようもないことも知っていたというのもある。
けれど、傷ついているであろう惚れた女に何もしないでいられるほど朴念仁ではない。
自分の名前ではなく、名前をもじってつけたニックネームでアリア宛に時々手紙を送っていた。両輪の態度や、そして手紙からにじみ出る気配から、送り主の正体に気づきながらも、まるで普通の貴族の友人とやり取りするような気安さを装ってアリアは返事を返していた。
『大丈夫かい?随分酷いことを言われているようだったから。君はそんなことをする人間ではないと僕は知っているよ、アリア。どうせ貴族なんて噂好きの暇人だ。すぐに君のことなんて忘れる。それまで気を確かに持つんだよ。 アーサーより P.S. 僕は君にかしこまられるのは嫌だな』
『ありがとうアーサー。かしこまらないで、なんて難しいことを言うのね。でも心配してくれてありがとう。私は大丈夫よ。知らない人になんて言われようとなにも傷つかないんだから!それより貴方のほうが大丈夫なの?なんだか国が大変なようだと噂されているけれど…貴方の負担のほうが心配だわ。体には気をつけてね アリア』
そんな他愛のないやり取りはしばらく続いた。
アリアも薄々気付いていた。第一王子である彼が手紙を書いたりしてこんなにも気を使ってくれるのか。
「…夜会での言葉は、本当だったのね。」
脳裏に蘇るのは、あのデビュタントでの記憶。
ーー君を、好きになったようだ。もしきみが傷ついたり悲しい思いをしたときは必ず慰めにいくよ。…今はまだ、君のなかには彼という先約がいるようだから。君が弱っているときに漬け込もうと思う。
なんて冗談めかして笑ったっけ、と手紙をそっと手でなでつつ王子のことを思い出す。けれどそこにはときめきや甘酸っぱい気持ちなどなく。ただ、次の王としての重責を背負っている彼を臣下として応援したいという気持ちしかなかった。
今も昔も、面影を思い出すだけで胸が高鳴るのは…カインだけだった。
魔物の被害により畑が荒れ、食料が不足しはじめた。
食料を買い占めねば、と保身に走る貴族よりも早く動いていた者たちがいた。それは事実を見ようとしなかった王宮より遥かに前に、大きな事件が起こると踏み、食料を買い占めていた商人たちである。彼らは稼ぎ時だとゆるやかに価格を釣り上げ、気づけば国内は食料に困窮する人たちが増えはじめていた。
王宮内では必死に占星術師が部下とともに過去の文献を漁り、魔物対策についてを調べ続けていた。
現実逃避のあまり、ことの重大さをなかなか受け入れようとしない王に代わって、ある日第一王子が占星術師の後ろ盾になった。そして有能だから、と第一王子が子飼いしている貴族たちを貸してくれたのだ。彼らが優秀だったおかげで、効率も上がり、だんだんと今起きていることの情報集めや、過去の文献の読み解きもだいぶできるようになってきた。
「どうだ?なにかわかったか?」
「おっ、王子!」
「毎回そんなかしこまらなくていい。それよりも君のその慧眼から真実を探すことに専念してくれ。」
「は…はい。」
こうしてふらりと王子はやってくる。王位継承権第一位の尊きお方は、あまり跪かれることが好きでないようだ。政治の場では一切の私情を見せない彼は、この王宮の一角にある、過去の書物や禁書を封じてある塔では年齢相応に振る舞う。
「で?報告ではなにか手がかりがあったとか。」
「ええ。こちらは400年ほど前の占星術師の第一位が書いたと思しき手記です。今と同じように魔物がだんだんと増えはじめていた時期があったようです」
「そうか!その時はどういった対応を?」
「それが・・・その時にしたはずのことが、途中から全く書かれていないのです。当時の占星術師の手記には一言、『血で結び直した』、『なんておぞましい事をしてしまったのか』とだけ」
「おぞましい…?」
「それと、そもそもの、この魔物の出没の原因を調べていたのですが…どうやらこの魔物の出没は、結界の弛みから来るようです」
「結界?…竜のか?あれはおとぎ話だろう」
「いいえ、あれは現実に起こったことです。」
みてください、と占星術師が書類の山から1つの古い本を取り出した。
それは表紙も、そして中のページも今にも破れそうなくらい古い本だった。崩れ落ちてしまいそうなページをそっと捲り、書いてある文字を追ってゆく。
「魔法に竜に、そして祝福…本当にこの国に実在していたのか。」
「その手記を書いた王家に連なる者を最後に、魔法を使えるものはいなくなっているようですね。それ以降パッタリと消えてしまっています。」
「使えるものがいなくなればおとぎ話へと変わってゆく…か。」
この国には魔法はもう存在しない。おとぎ話に語られる程度にしかない。近隣国もそうだ。遠く離れた小さな島には魔法使いの末裔の住む王国があるらしいとの噂は聞くが、どことも外交を行っていないらしいと聞いた。たしかにそれでは魔法は空想上のものになってしまうのも一理ある。
「けれど少し引っかかるのです。この本は禁書庫の棚の隙間から運良く回収できたからよかったものの…同時代、あるいはその前の、魔法がまだ合った頃の国についての本はあるはずでしょう?なのに記述されている本が全く見当たらないんです。」
それではまるで、ちゃんと棚に収まっていたはずの書物の一部が消された可能性もあるということではないか。数万にものぼる書物が集められているこの塔には常駐する監視者はいない。けれど、ここの鍵を持つことができるのは王族のみ。代々普通の人間は入れない場所なのだ。
「…情報操作、あるいは事実の隠蔽?記録を消さなければならないようなことが合ったのか。」
「その可能性はありますね…国の歴史書も途中、なんだか新しい巻に差し替えたかのようにみえる部分があるので不都合が起き、それを隠すために本を焼き、そして歴史書もかきかえたのかもしれません」
歴史書も書き換わっているのならばもはや黒に近いグレーだ。国の歴史書の改ざんなど王族であっても本来ならば重罪だ。
「…だが、なんのために?」
「まだわかりませんが、唯一の手がかりであるその本を失うわけにはいかない、といったところでしょうか。何度も触ると崩れそうだと判断し、複写を進めています。終わり次第、そちらをつかって読みすすめることにします。」
「頼んだぞ」
また謎が増えてしまった。王家のものが残した日記でも探して読んでみるかと考えながら塔をあとにしようとする。
「あの、王子。」
「なんだ?なにか言い忘れたことでも?」
「いっいえ…いえ、はい…あの…」
足を止め振り返る。言いよどむ占星術師に、言葉の先を促すように腕を組んで待つ。
「王子…は、その、婚約者様は…」
「居ないな。」
「こっ婚約者にしたいとお考えの方…は…」
「いるな。アリアという令嬢だ。ブライト家の」
ブライト家、の名前に占星術師が反応を示した。そして、また逡巡するように視線をさまよわせる。
「ブライト家がどうかしたか?たしかかなり古い家柄だったようにも思うが。」
「その、さきほどの書物に、出てくるのがブライト家なのです。」
「ほう?」
「竜に愛され、そしてこの地に祝福をもたらした少女の名は、ステラ・ブライト…その、アリア嬢の祖先です。」
「なんだと?…国の始まりでもあるし、祝福を受けたものが王家の者だと思いこんでいたが…たしかに金の瞳、竜の血の証はブライト家にしか出現しないな。」
「王となったのはステラの弟、アーサーという者だと書かれていました。」
「遠い血の繋がりはあるのか。…それが、どうかしたのか?」
「…あの、あくまで私の予想なのですが…竜の瞳を顕現した、アリア嬢なら竜の結界のほころびを直せるのではないか、と」
「成程。だがブライト家から今の所そのたぐいの話は上がってこないな。侯爵は誠実な臣下だ。重要な情報は必ず報告するはずだが…」
「ブライト家は、女系なんだそうです。この国の決まりである以上、男しか爵位は継げません。けれど、重要なことは女達が口伝で語り継ぐ、と。」
「…その話、本当か。」
「はい…その、以前にも魔物が出た時期があった、と報告しましたよね?ちょうどその事件の前後、あの手記に頻繁に出てきているのです。ブライト家の名が。何を話したのかの話は一切書かれていませんでしたが…指示を仰いでいたのではないか、と。差し出がましいようで恐縮ですが…そう推測します。」
占星術師の男は頼りない表情のまま、しかし目に力を宿させて言い切った。これまでの経験からもこの男の考えは信用に値する。
「そうか。おまえが言うのなら間違いないだろう。一度ブライト家に行こうと思う。貴重な情報感謝する。引き続き調べてみてくれ。」
「御意。」
早くアリアに会おうと廊下を急ぐ。この国の次代の王たれ、と教えられてきた彼にとって、一人の人に傾倒しすぎるのは良くないことはわかっている。けれど、どうしても気になってしまうのだ。
ーーこれが恋、というやつか。
これまで完璧と名高い評判を上げてきた彼にとって、理想と離れたことをしたことはなかった。自らを律して国を導くことが最善だと、そう教えられてきたし、何より自身で理解していた。だからこその王の器なのだ。
その彼が、心を揺らしている。それがどれだけ大きく重大なことなのかを、当のアリアは知らない。
久しぶりにアリアに会える口実ができたと心が弾む一方で、今の流れている噂やなにより今回のこの件については嫌な予感しかしない。ひどくいやで、そして重大な決断を迫られるような、そんな予感を感じていた。
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