デビュタントと新しい出会い、そして崩壊
アリアのデビュタントの日がやってきた。
「ねえ、エリー。このドレス可笑しくない?ちゃんと令嬢に見える?」
「もちろん。アリー、自身を持って。今日のパーティーで一番綺麗なのは貴女よ。」
「エリーはいつも私のことを褒めてくれるもの…エリーのほうがとっても綺麗なのに」
「まあ、ありがとう。でも私、本当のことしか言わなくてよ?」
デビュタント当日、アリアはエレオノールに付添いを頼んでいた。この国では年長者にデビューを監督してもらい、会場に二人で入ってからそれぞれのパートナーである婚約者のもとへと行き、踊る。このデビュタントが終われば、少女たちは正式に貴族令嬢として認められ、一人前のレディとされる。つまりは結婚ができるようになる。
ーデビュタントを成功させて、カインと結婚するんだ。そのためにも今日は頑張らなくては。
恋に必死なアリアの脳内にはそれだけだった。
他の令嬢はどれだけ可憐な自分を作り、そして王子の目に留まれるかに全力を出している中で一切その素振りを見せていなかったのはアリアだけだった。婚約者がいる令嬢であっても、だ。親から王子の目に留まるように、と囁かれたのもあるだろうが、もっとも大きな理由はこの国の第一王子であり王位継承権代位一位の持ち主でもある彼があまりにも魅力的すぎるからであった。王族特有の黒の髪と紫の目をもったその人は、この世のものとも思えないほどに美しく、そして聡明であった。誰しもが次代の王と認める器のその人は、未だに婚約者を持っておらず、つまりは国母を狙う者たちが跡を絶たないのである。だからこそ、あわよくば見初められよう、とここ数年の王子が参加する夜会には気合を入れる者たちが多いのである。
デビュタントの令嬢は今回は八人。エレオノールが言っていたとおり、たしかにこの中で軍を抜いてアリアは美しかった、夜会参加者でも光輝くような美しさを持つアリアに叶うものなどいなかった。他の七人はアリアと一緒のデビューで自らへの注目が減ったことを快く思っていないものばかりであったが、王子狙いでないとわかるとすぐに態度を軟化させた。貴族付き合いなんてそんなものである。
デビューする令嬢の紹介をされながら入場し、挨拶を経て、どこかよそ見のカ多いカインとも無事踊り終わり。ようやく気を抜ける、とアリアが思っていた矢先に事件は起きた。
「君が”あの”ブライト家の。一曲踊ってくれるかな?」
アリアがカインとパーティーという非日常的な場ということもあり、日頃のよそよそしさを忘れ昔のように無邪気に話していたときであった。本来、会話中に割り込んで話しかけるなど気安い間柄でもなければルール違反だ。ただ唯一、王族という人間を除けば。
話しかけてきたのはここ数年ずっと注目の的である第一王子その人であった。一令嬢であるアリアに拒否権などなく。しぶしぶカインの元を離れ、ダンスの輪へと加わった。不敬とならないよう嫌がる心を顔に出さないようにしつつ一曲で身を引こうとしたアリアを、がっしりとホールドして話さなかったその人は、二曲も連続でアリアを踊らせた。これまで踊っても同じ令嬢とは1回以上踊ることの無かった王子の行動に、その場にいた貴族はざわめいた。慣れない相手とのダンスでいっぱいいっぱいになり足を踏まないようにと精一杯だったアリアは気がついていなかったが。
王子はその後、バルコニーへとアリアを少々強引に誘った。
「あの、踊り終わったのでもう帰ってもよろしいでしょうか?」
「少しくらい話を聞かせてくれてもいいじゃないか。僕は君に興味がある。」
どうあがいても王子と令嬢では立場が違う。王子が満足するまではアリアは付き合うしかなかった。
そのまましばらく、主に王子がアリアに質問をするようにしてぽつぽつと話したあと王子は婚約者のことに絡めて、こんな爆弾発言をしてきた。
「君には婚約者がいるね。今日は仲が良さそうだったけど、学校では浮気ばかりなんだって?僕ならそんなことをしないと誓おう。僕の婚約者、そしてゆくゆくはこの国の国母になってはくれないか?」
どれだけ美貌の王子に言われたとして、アリアの答えは1つだった。
「そう。それならひとつ、僕にもチャンスをくれないか?しばらくの間、君と関わり合いたいんだ。ちゃんと期限もつけよう。どうだい?」
ここまで来るとアリアにも相手の性格が読めてくる。この王子様がどうやら相当頑固で気に入ったものは手に入れたがりなようだ。相変わらず拒否権を使えない会話にもかかわらず疑問形で聞いてくるのはなぜだろうと考えていると、王子はそれを察したようで微笑んだ。
「だって、紳士として、好きかもしれない人に無体は働きたくないからね。」
人払いがなされたバルコニーで、令嬢と王子が二人っきりになっている、との噂はまたたく間に広がり。2人がいる方を興味津々といった様子で伺うものや、出し抜かれたことで憎々しげに睨んだりする者など、多くの貴族が注目していた。
カインもまたその一人であった。様々な感情をないまぜにした瞳を向けて立ち尽くしていた。
これまでも、アリアが数多く告白されていることを知っていたし、不安になり何度かこっそり覗いていたため、現場で起きていることを知っていた。そのたびに、アリアは「婚約者がいますのでお受けできません。」ときっぱりはっきりと断っていたし、自分がアリアの婚約者であることを毎度認識させられ悪い気はしなかった。もちろん、多くの男にアリアが見られていることは知っていた。けれどなんとなく、アリアの中での一番は自分で揺らがないと信じてもいた。
しかしどうであろう。何の取り柄もない自分と将来有望で有能と名高い第一王子と比べると、これまで持っていた自信なんて吹き飛んでしまうほどに軽いもののように思えてしまった。そう思ってしまったことが、屈辱であり、カインのプライドを傷つけた。そして、これがカインの苛立ちや不満を増長させる。
バルコニーを眺めつつ、負の感情に飲み込まれていた。その時だった。
「貴方がスコット家の?…大丈夫、ですの?」
一人の令嬢に呼び止められた。ストロベリーブロンドに緑の瞳、朱の露出が多い派手なドレスを纏った少女であった。心配そうに下げられた眉尻、優しげな垂れ目にぷっくりとしたみずみずしい唇、女性的な丸みを持つ体をドレスで飾った可愛らしい令嬢。至近距離から、アリアほどとは言わないまでも見知らぬ美しい少女に覗き込まれてドギマギしつつ答えた。
「ああ…あの、貴女は?」
「ティファナと申します。カイン様とお呼びしても?」
「…かまわない。」
「こんなにカイン様は素敵な方なのに…アリア様はひどい方ですわ。婚約者をほおって置くなんて」
ね、そうでしょう?とでもいうように小首をかしげながら上目遣いをする少女。ティファナが動くたび、甘く良い香りがする。
それは甘美な蜜の香りであった。
「わたくしなら、カイン様のことをほっておくなど致しませんのに…」
それから、カインはどう答えたのか覚えていない。
バルコニーから戻ったアリアは、どれだけ探しても婚約者であるカインを見つけられず、仕方なくひっそりと父親のエスコートで退場した。
エレオノールは落ち込んでいるアリアに、声をかけようにもかけられなかった。だって、どう言えばよいのだろう?「貴女の好きな人は他の女と腕を組んでさっさと帰りました」だなんて。あまりにも落胆するアリアを哀れに思い、そして、途中までうまくいっていた2人を引き剥がした王子を恨んだ。
ふと気がついたら、朝だった。カインは寝ぼけ眼のまま、見知らぬ部屋を見渡し、そして裸のまま眠るティファナと寄り添うに眠っていたのだと知る。また、己も裸であることから、自らが犯した一夜の過ちに、ようやく気がついたのだった。
デビュタントであったアリアはどうなったのだろうとぼんやりと思い出す。デビューの夜会では、婚約者であるパートナーと退場するのが習わしであったのに。
「カイン…?どうかしたの…?」
「な、なんでも無い…」
「なら、もう少し寝ましょ…?ね、抱きしめて?…昨日のように」
アリアに対して罪悪感が湧き上がりはじめた矢先、少しだけ起きたティファナにねだられる。なぜ昨日あったばかりの令嬢に呼び捨てをされ、そしてまるで夫婦のように裸で寝ているのか、昨日の出来事を思い出せず混乱した思考が現実に追いつかない。しかしなぜか女の言うとおりに体だけ動き…そして再びシーツの海へ沈んでいった。
この日を堺に、3人は会話をすることが無くなった。
アリアが話しかけようともカインはいつもティファナと一緒。カインだけの時を狙おうにもなぜかいつもティファナが邪魔をする。頼みの綱であったエレオノールは、カインに関わろうとしないでずっとアリアにつきっきりになり、一度も彼女の方からカインの話題を出さなくなった。
1度だけやんわりと、カイン以外の人もいるよ、とだけアリアに伝えた事があった。それでも、アリアはカインが好きなのだと、わたしにはあの人しかいないの、と涙をこぼし、エレオノールは言葉を失った。アリアの真っ直ぐすぎる恋に、絶対に敵わないと気付いてしまったから。それからは2度と同じことをアリアに聞くことはなかった。
ただ、静かに寄り添い続けた。それが、エレオノールにできる唯一だったから。
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