平穏の崩壊の始まり
アリアとカインの婚約式から数年が経過した。自らの家と特別親しい者たちの家しか知らなかった幼い日々から一転、多くの貴族と一部の庶民と共同生活を送る学生生活がはじまった。アリアが学校に通えるようになった年から、時折魔物が出没する事件が起こるようになっていた。魔物自体、小型で弱かったのもあり、討伐はスムーズに行われた。そのため事件化せず、あまり人々は関心を払わなかった。長く平和な時代が続いていたため、国民はおろか、国王や騎士団も事態を重く見ていなかった。
表面上は、今まで通りの日々が続いていた。
それからまた数年して後輩と呼べる学年が下のものたちのほうが上級生よりも多くなった。学校でも、アリアはその美貌から高嶺の花のように扱われていた。そのため新しい親しい友人はなかなかできず、今まで通り幼馴染のエレオノールや、婚約者となったカインと学生生活を送っていた。しかし、何もかも今まで通りだったわけではない。これまでとは少しづつ、少しづつ関係が変わっていってっていた。それは主にカインに起きた変化からくるものであった。これまでの純真無垢な優しい子どもから、欲を知る大人への階段を上り始めていた。周りにいる女性と男である自分の違いをわかり始めた。
そして、自分ではきっと気づいてはいなかったが。幼い恋を、彼は胸に抱いていたのであろう。あまりに稚すぎ、そして本人が気づかないほどにささやかな恋。これが、ずっと仲良くしていた3人に何をもたらすか知らずに。
はじまりは些細なことだった。
アリアが授業の課題とはいえ、他の男と喋っているところをみたとき。なぜ自分と喋っているときよりも知らない男と喋るときのほうが楽しそうなのか、それを不満に思い、もやもやした思いを抱えていた。この場にエレオノールがいたら「あれは余所行きの顔ですわ。それにアリアが誰と喋っているときが一番幸せそうに見えるのをご存知?貴方ですのよ。」と言ったであろうが。カインはそのことに気づかずに、なんとなくアリアに対しての不満の心を抱いてしまった。そして、一度生まれてしまった感情は加速してゆく。
色恋に目覚めはじめた同級生との付き合いが、カインを変えていった。同級生に限らず、見目の美しい上級生の令嬢をとっかえひっかえする貴族子息らは、カインと同じく皆すでに婚約者を持つ身であった。彼らのお決まりの文句は「婚約者がうるさく、自由に恋愛すらできない。嫉妬ほどうっとおしいものはない」だ。殆どの令嬢は自分の婚約者に婚約者として節度を持った付き合いをしろ、とたしなめていただけなのだが。彼らの中では、それは都合よく変換されており、婚約者である彼女らに嫉妬されるぐらい愛されているのだと、だからこそ口うるさく干渉してくるのだということになっていた。ゆえに、こぞって浮名を流し、そのたびに注意をされることを嘆くふりをしつつ、その実どれだけ自分は愛されているのかを競っていたのだった。
カインも例にもれず、自分とずっと仲良く過ごしてきたアリアも、彼らの言う「愛」を自分に向けてくれるものだと思いこんでいた。彼らのほとんどが政略的な婚約で、お互いを想い合うのではなく、ただ形式上婚約者であればいい、としていただけなのを知らずに。
カインは、別の女と仲良くするようになった。それも、アリアが気づくような形で。
カインへ恋心を抱いていたアリアには何よりも辛いことだとは知らずに。
学校でアリアは遠巻きにされていたが、なにも一切他人と接触がなかったわけではない。むしろその逆、高嶺の花と付き合いたがる層が一定数おり、彼らから告白を受けていた。その度に自分には婚約者がいると断り続けていたが。
それもまた、カインに謎の焦りをもたらしていた。本人にとっては謎の焦り、であったがなんてことはない、ただ好きな子が他人に取られるのではないかと不安になる恋する男の心理であったが、指摘するものはいなかった。今まで、少し自らの感情に鈍感気味だったカインに適切な助言をしていたのはエレオノールであったが。この頃、彼女は二人っきりのときはカインを無視していた。それも、カインにとってはわけが分からなく、謎であった。
大切な人を傷つけるものに怒る、なんて単純なことであったのに。
この頃、アリアはカインの「浮気」に傷つき、エレオノールにそのたびに慰めていてもらっていた。誰だって好きな人が他の人間と親しげにすれば傷つく。それが初恋の人ならばなおさら。けれど、カインが好きだからこそ、好きな人の好きなようにさせてあげなければと思っていた。なにか苦言を呈して不仲に、そして嫌われたくなかったのだ。だからこそ、好きな人が自分ではない女と腕を組んで歩いているところに遭遇してもそしらぬふりを通した。心のなかでどれだけ傷ついていたとしても。
アリアの苦しみを知っていたエレオノールは、カインに対して、言い表せないほどの怒りと、嫉妬の心、そしてささやかな優越感を持っていた。エレオノールは、大好きなアリアの想いを踏みにじる行為に怒っていた。けれど心をズタボロにしてアリアに想われるカインが羨ましくもあった。そんな中で、アリアが頼ってくれるのは自分だけだということに仄暗い喜びも感じていた。それら感情が、自分の好きな人を無神経に傷つけ続ける行為の根本に何があるのかなんて、絶対に告げてやるものかという決意を促していた。
カインはカインで、「浮気」に対して何も言ってこないアリアに少しの寂しさと、そして苛立ちを感じるようになっていた。アリアがなにか言ってくるのでは、と繰り返す「浮気」のたび、アリアはふわりと笑うのだ。「カインがそうしたいなら、私は許します」と。カインは、恋をし、相手に嫌われないように努力する少女のことなんてちっぽけも知らなかった。
そうして、少しずつ三人の関係が狂い始めていった矢先に、アリアはデビュタントを迎えることとなる。
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