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慟哭のメタモルフォーゼ  作者: 田中 スアマ
第一章
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第一章(終)

 二人が教室への道筋を歩いていると、わらわらと学生が集まっていた。


「なんだあれ?」


 集まる学生の間を縫って、青貝は興味深そうに首を伸ばした。学生同士の喧嘩か愛の告白、あるいは文化系サークルのパフォーマンスでもあるのかと見てみると、そこには女性の首吊り死体があった。


 死体は白い毛糸のような物でグルグルに巻かれており、そこからひょっこりと死んで蒼白とした顔を飛び出させていた。


 一目で分かる自縊死体だ。構内にも適度に清掃車は立ち寄るが、それでも大学内で自然縊死が発生するとは中々に珍しい事だ。


 集まっている人間は、彼女の友人か何かだろうか。もしそうならこれだけ大層な数の人間に慕われていたと思えば理想的な死に方とも言えるが、いきなり首吊って死んだ友人を見てしまった学生からすればたまったものではないだろう。


 鹿島はぼうっと眺めていると、ふいに青貝が悲痛そうな顔を浮かべた。


「どうかしたか?」


「いや、何でもない」


 そう言って青貝はさっさと行ってしまったが、背中は明らかに釈然としていなかった。歩幅と共に上下する両肩が地面をピストンするかのように、解決出来ない思いをぶつけているのが分かる。


 それを見た鹿島は小さく鼻を鳴らした。今まで何度も見た光景だ。小学校の前々時代的な体罰効果を信じ切っていた先生とか、中学時代のアンデス至上主義派だったクラスメイトの旧人類である生徒へのからかい行為なんかに、彼はいつも首を突っ込んでは要らぬ傷を負っていた。


 時代は聖書のように新旧に分かれたというのに、こいつは子供の頃からまるで変わっていない。正しいとは思うけど何だか気に入らないって時は、いつも肩を揺さぶっている。滾る怒りの炎が溢れ出ても周りを見渡しては自分が少数派と知り、釈然としない気持ちを血流のように体内に流し込んでアンデスに負荷を掛ける。


 そうした後に、決まって彼が言うセリフがある。


「なあ鹿島、俺は間違ってるのか?」


 予想通りの答えに、鹿島は小さく笑う。そう言った後に自分が言うセリフも決まっている。


「お前が正しいと思ったのなら、俺はそれでいいと思う」


 親父さんの影響か、アンデスが投入される前から博愛と自己犠牲の心が青貝には叩き込まれていた。ただ勇気だけはどうしようもなかったようで、義憤にかられても長い物には巻かれ続けていた。


 どれだけ憤ろうと青貝の義憤はアンデスに〝異常〟として処理され、誰も救われる事は無い。体罰主義の教師は今も元気に教鞭をとっているし、旧人類のクラスメイトは二年前にアンデスを投入した。


「……昔はこんなんでは無かった筈だ。人が一人死んだのに、どいつもこいつも平然としすぎていないか? 平然とする事に慣れ始めているというか……」


「別に慣れても不思議じゃないだろ? 自然縊死は十次元戦争から今の今まで、絶える事無く発生し続けているんだ。一つの死に対して四十九日かけるような生き方は今の時代ではやっていけない。青貝、お前が言った事だぞ?」


「それはそうだけど……」


「だいたいよお。俺らが小学校に通って糞漏らしてた頃だって、電車に飛び込む奴や人を巻き込んで死ぬ奴とかいただろ? あんなのに比べれば今の自縊死なんて、大きめのテルテル坊主みたいなもんじゃねえか」


「……一つ言いたいのは、俺は学校で糞を漏らした事は無いぞ!」


「あれ、無かったか?」


「無いわ、バカシマ! ……幼稚園ではあったけど」


 青貝の言葉を皮切りに、今ではうろ覚えな幼き頃の記憶が蘇る。あの頃は自殺をするのに〝道具〟が必要で、一人死ぬだけで大事件のように世間は動いていた。


 筆箱みたいな大きさだった携帯電話も今では口に入る程の小ささで、機能も数倍パワーアップしている。アンデスと連動させれば自分の精神状態だって確認出来る。


 同じように自殺もまた場所や道具や周囲の圧力の全てをリユースして、ただアンデスのメンテナンスを怠って絶望するだけで死ねるようになった。旧時代においては悲痛な事件であった自殺も、永遠の安寧を手に入れた新人類にとっては自己管理不足による間抜けな事故死でしかない。


「青貝さ、あまり思い詰めるなよ? たまにはノスタルジーに浸るのもいいが、のめり込むのは害悪でしかない」


「文明や郷愁が害悪だって言うのか?」


「俺達が過ごしていたあの日々はもう、過去じゃなくて歴史なんだよ。人類の危機にブッダやキリストは何もしてくれなかったし、実際に現れた神は八億もの人間を死に追いやって、果てしない絶望をばら撒いて去って行った。あの世界に希望は無いと知っちまったから、アンデスは産まれたんだぞ?」


「……なら今の俺達は、何を思い生きてるんだ?」


 青貝の言葉に、鹿島は一つ息を吐いた。呼吸は心身の安定において最も手軽で効率の良い方法だ。数百年も前より証明されていた、命の脈動の確認作業だ。


「決まってる、生きる為だ。生きる為に、生きる事を考えるんだ」


「生きる為か……。そうか、そうだよな」


「それにお前にはやるべき事があるんだろ? 自ら絶望に近づいてどうすんだ。ちゃんとアンデスのメンテはしてるのか?」


 鹿島の言葉に、青貝はふっと笑う。


「心配すんな。ちゃんとしてるし、俺は死ぬ気は無えよ」


「ならいいんだけどよ。あんまり考えすぎんなよ?」


「分かってるっての」


 そう言うと丁度チャイムの音が鳴り響いた。次の時間はゼミの講義だ。先ほどの授業態度の手前、水谷教授と顔を合わすのはとても気まずい。


 こんな時こそアンデスの出番だ。存分に俺の羞恥心を慰めて、教授と上手くやれるような心を用意しておいてくれよ。


 鹿島と青貝は互いに顔を見交わすと、急いで教室へと走って行った。

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