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慟哭のメタモルフォーゼ  作者: 田中 スアマ
第一章
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第一章(3)

 教室に入ると、水谷教授は鹿島の姿をチラと見た。コンマ一秒だけ静かな沈黙と怒りを浮かべたようだが、それもすぐに過ぎ去っていく。


 反省心たっぷりで申し訳なさそうに見えるように小さく会釈してから窓際の席を見ると、一番後ろの一番目立たない席に友は座り、呆れた顔を浮かべながら手を振ってきた。


 彼の横の席に荷物を置くと、青貝は右肩をグーで軽く小突いてきた。


「よう、見るからに寝起きだな。どんな夢見てたんだ?」


「天人を相手に無双かましてた夢だよ」


「天人を? そりゃ景気の良い夢だな……」


「おいそこ!」


 教室の空気が変わる気配がした。何かと思えば水谷教授は授業を停止させ、じっと鹿島らを見つめていた。


「やる気が無いのなら、帰っていいんだぞ?」


 明らかな侮蔑の意志を搭載した視線に、鹿島は申し訳なさそうに目を伏せた。あくまで申し訳〝なさそうに〟というのがコツだ。


〝怒り〟はメンタルに不調をきたすきっかけになる最たる存在だ。我慢をするのもまた不調をきたす存在でもあるので、ここは飄々と躱すに限る。


 教授が黒板に向かうと同時に、鹿島は視線を青貝に移した。


「どうして旧人類はあんなに怒りっぽいんだ? 何故わざわざ怒って人と争おうとする? あれじゃ自ら赤点を貰いにいってるようなもんだぜ?」


「あら、赤点貰ってるって意味ならアンタと一緒じゃない? 鹿島」


 そう言って話しかけてきた声は、鹿島の席と通路を挟んだ反対側から聞こえてきた。


 誰かと思えば鹿島らと同期である平野(ひらの)愛里(あいり)だった。思わぬ彼女の登場に、鹿島はため息をつく。


 彼女は鹿島らと同期であり、共通の友人でもあった。一、二回生の頃は多少話す機会もあったが、ゼミで別れてからをきっかけに今では話す事も滅多に無い。友人は友人でも、互いに友人であるかどうかを測りかねる疎遠な状態の友人だ。


 茶髪に染めたロングヘアを揺らしながら、平野は言う。


「あんまり旧人類をいじめちゃ駄目よ? 彼らは私達よりも死にやすいんだから。ね、青貝?」


「あ、ああ。うん……」


 陰気な人間が集まりやすい我が学部の中でも断トツの美貌と豊満な肉体を持っているが、派手な服装と勝気な雰囲気から多くの文学部生が遠慮をしていた。青貝にとっても苦手な人種であり、彼の場合は彼女との間に気まずい思い出もあるのでチグハグしている。


 今にも縮んで消えそうな友の為に、鹿島は助け船を出した。


「別にいいだろ? 俺は健康的に生きてるだけだ。健康を求めた結果、教授が怒るんだ」


「健康的にねぇ……。ちょっと自分勝手が過ぎるんじゃない?」


「自分を勝手にするのは新人類の特権だ。お前だってそうだろう?」


 そう言った瞬間、また水谷教授が怒声をあげた。鹿島の手前勝手な発言が聞こえたのか、目を見開いて顔を真っ赤に染めている。


 驚く事に教授は手に持っていたチョークを、鹿島に投げつけてきた。幸いチョークは途中で失速して鹿島の手前で墜落したが、もし彼が新人類なら一発でアンデスを修理しなければならない重大行為だ。


 暴力行為、脅迫行為、越権行為、威嚇行為、精神的ストレス圧迫行為、精神的ストレス強制共有行為……。見れば鹿島と青貝を除いた生徒は、俯きながら机の一点をじっと見つめていた。突然の過剰ストレス発生状況による、アンデスのセルフメンタルチェック機能を働かせたのだろう。


 その光景に鹿島は懐かしい思いがした。天人が襲来する前の頃は何も言わず俯いているのはメンタル失調または要救援状態を認知させる代表的な表現スタイルだったが、新時代ではむしろこの体勢はポジティブの極みとなっている。


 そんな光景を見た水谷教授は、どこか辛そうな顔を浮かべた。まるでここは私の知っている世界ではないと打ちのめされる、浦島太郎のような顔だ。むしろ割と平気な顔を浮かべている鹿島らの顔を見て、安心したようにすら思える。


 痛々しい空気を引き裂くようにして、チャイムの音が鳴った。水谷教授は蚊の羽音のような小さいため息を吐くと、そのまま教室を出て行った。


 彼が出て行った瞬間、何人かの生徒が顔をあげた。全員が全員、ひとっ風呂浴びてきたような心地良い笑みを浮かべている。どうやらアンデスから補償を獲得したらしい。先ほどの突発的なストレスは全て消し飛び、もはや自分が何に対してストレスを感じていたかも朧気にしか覚えていないだろう。


 早々に去って行く平野に愛想程度の挨拶をし、鹿島は欠伸を一つしてから席を立った。


「おい青貝、授業終わったぞ?」


 そう言うと、青貝はハッとした顔を浮かべた。それを見た鹿島が尋ねる。


「また考え事か?」


「……いや、何でもない。呆けていただけだ」


「なんだ、いつも通りじゃないか」


「あ? うるせえよバカシマ」


 鹿島らはそう言って小突き合うと、荷物を纏めて教室を出て行った。

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