気象精霊記失敗学〜気象精霊たちの伝統的七夕
夏。空は青く晴れ渡り、その真ん中で太陽がギラギラと輝いている。
その中にぽっかりと白い雲が浮かんでいる。その上で、
「ひゃあ! ここ、冷たぁ〜い」
「夏は、やっぱり泳ぎたいよね」
大勢の精霊たちが水着になってはしゃいでいた。
夏になると雲の上にプールを作って息抜きをする、気象精霊たちの恒例行事の一つだ。
今日のプールを作ったのは、
「なぁんかイメージと違うわぁ。どこが違うのかしらぁ?」
などと言ってる水の上級精霊──ユメミ・ナイアス・スヒチミ・ウガイアだ。
もちろんプールを作るのは水遊びが目的であるから、ユメミはいつもの作業着ではなく、青いビキニにパレオを巻いた姿になっている。
そのパレオには、無数の酒ビン模様がプリントされているのだが……。
「そうですか? いいビーチだと思いますけど」
と言ったのは情報精霊──コズエ・ネムセル・ミモリだ。
二人のいる場所は波打ちぎわ。ここが雲の上でなければ、砂浜になっているだろう場所だ。その二人の前には対岸まで数キロはある大きな水面が広がり、あちこちに島が点在している。
「あたしが作ろうとしたのはプールだよぉ。なんで島ができるのよぉ」
「えっと……」
ユメミのぼやきに、コズエが困った。そこへ二人の後ろから、
「ユメミは雲細工が下手すぎるのよ」
という声がかけられてきた。
声の主は雲の上にビーチパラソルを立て、その下でくつろいでいる風の上級精霊──ミリィ・オレアノ・ヤクモだった。そのミリィが飲み物を摂りながら、
「プールにしたいんだったら、できるだけ底を平らにしなくちゃね。島やビーチができるのは、デコボコが大きいからに決まってるじゃないの」
と問題点を言ってくる。
「ぶぅ〜。雲を平らにするなんて難しいよぉ」
ユメミが霊術を使って、島の一つをぐいっと水面に押し込んだ。それに押しやられた雲が、すぐそばの水面から顔を出して新たに二つの島を作る。
「あらら。ユメミはいつまで経っても、雲細工が上手くならないわねぇ。どうすれば何メートルもある大きなデコボコができるのかな?」
「ぶぅ〜っ! 下手で悪かったわねぇ」
ユメミが怨めしそうな目でミリィを睨んだ。そのミリィは飲み物をテーブルに置いて、デッキチェアの上で横になる。
「でも、いいじゃないの。初めから海みたいな島と波のあるプールを作ったと思えば」
「うぅ〜、それもおかしいのよぉ。なんで波が立つのよぉ!」
「強度が足りなくて、雲の揺れが波になってるのね。プール、壊れないよね?」
「自信ないぃ〜……」
ミリィの心配に、ユメミが不安そうに答えてくる。
「まあ、いいわ。黙ってれば本格的な波のプールだもんね。みんなも楽しんでるし……」
「なぁ〜んか釈然としないわぁ……」
複雑な表情をするユメミが、霊術操作をやめた。
そのユメミが見ている前を大きな水しぶきを上げて、
「ネコジェットだニャ〜!」
とはしゃぐヤマネコ精霊が通りすぎていった。風の上級精霊──ファム・ムミアー・ザップだ。ファムは水面ギリギリの高さを弾むように飛んでいる。だが、水面効果の影響か、水しぶきは上げても水には触れてないようだ。
そのファムは水色の縞柄水着を着ていた。
「このまま海を割るニャ〜!」
ファムが速度を上げて、衝撃波で水を割ろうとしていた。
そのファムの向かう先にゴムボートが浮かんでいる。そのゴムボートがファムの立てる波を浴び、吹き飛ばされるようにひっくり返された。
「ファムのバカぁ〜。溺れたらどうしてくれるのだぁ〜!」
ボートに乗っていたメガネの精霊が文句を言った。彼女はファムの相棒である火の上級天使──ライチ・ニュート・チャン。気象参謀の一人だ。
そのライチは大声で怒りをぶつけたけど、その相手のファムはもう彼方まで飛び去っている。
「ユメミは泳がないの?」
それを見ていたユメミに、ミリィが声をかけた。それにユメミが、
「なぁ〜んか疲れたぁ。あたしも休むぅ」
と答えると、ミリィの隣にあったデッキチェアにごろんと転がった。
そして端末計算機を出して、空中に大きな映像を浮かべる。
それを見ていたコズエは、ビーチボールを持って所在なさそうにしていた。
『やあやあ、みんな。気象予報士の上沢だよ。今日も朝から暑くて堪らないね』
空中に現れた画面に、無駄に陽気な予報士──上沢実が現れた。昼のバラエティ情報番組だ。そこに現れた上沢予報士は乳牛のホルスタインを思わせる、白黒模様のポロシャツを着ている。
『埼玉の熊谷や館林では、朝の八時には三〇度を超えてねぇ。岐阜の多治見も九時までに三〇度を超えて今は三五度を超える猛暑日だ。連日この暑さが続くのは勘弁して欲しいよね』
と語る上沢予報士の背景が、日本地図に替わる。
『でも、ちょっとした朗報だ。今日は東日本の上空に弱めの寒気が入ってきてるからね。ところによっては夕立があるかもしれないよ。少しは涼しい思いができるかもしれないね』
寒気というのは、日本海上にある高気圧だ。それを囲む等圧線が、能登半島から浜名湖のあたりを通って太平洋に抜け、そのまま大きく東北地方南部までを覆っている。寒気でできた高気圧のため、寒気のある範囲を等圧線が描いていると思っても間違いではない。
それを語った上沢予報士が腰をかがめて、大きな笹を拾い上げた。
『それで……だ。今日は旧暦の七月七日。伝統的な七夕の日だよ。ということで、こんなものを用意してみたよ』
笹には色とりどりの短冊がぶらさがっていた。だが、そこは上沢予報士が用意したもの。マトモな笹飾りのはずはなかった。笹のてっぺんには大きな星が飾られ、短冊と一緒に赤いサンタクロースの人形も見える。
その笹飾りを用意したスタンドに挿して立てようとしながら、
『新暦の七月七日は梅雨の真っ最中でお星さまが見えないことが多いけど、旧暦の七夕なら晴れの日が多いよね。今日も夕立はあっても、夜には綺麗なお星さまが見えると思うよ。今から楽しみだね』
と話を続けた。そして無事に立て終わると、
『あ、そうそう。七夕というと彦星と織り姫だ。彦星は牛飼いだからね。今日の衣装は、そこから選んでみたよ』
などと言い出した。そこへ画面の右から『彦星の牛はホルスタインじゃねえ!』という文字が流れてきて、上沢予報士の前を通りすぎていく。
その文字が左へ半分ほど消えたところで、
『それと七夕というと、やっぱり笹に願い事を書いた短冊をぶら下げて、お星さまにお願いすることだね。そこでぼくも星にお願いしてみるよ』
上沢予報士がひときわ大きな短冊を出して笹にぶら下げようとした。先に飾られている短冊の五倍はある大きな短冊だ。そこには大きな文字で『今日の予報が当たりますように』と書かれている。
そこへまた画面の右側から『おい、気象予報士!』という文字が流れてきた。
「まったく、相変わらずだね」
上空に浮かぶ映像を見ていたミリィが、ぽつんと零した。
そのミリィの隣から、ガサガサという音が聞こえてくる。その音は、
「ねぇ、ねぇ、ミリィ。あたしたちも七夕やろぉ」
と言い出したユメミが持つ、笹の葉が擦れ合う音だった。
その笹が、今まさに虚空にあいた穴から引っ張り出されてくる。
「ユメミ。そんなもの持ち歩いてたの?」
「そんなワケないじゃないのぉ。山から引き抜いたのよぉ」
「まさか、地上の?」
「うちの領地よぉ。地上の物なんか使ったらぁ、運命室に怒られるわぁ」
などと答えるユメミが、出した笹を雲に突き刺して立てた。そして次に短冊の束を出して、テーブルのあいた場所にバサッと置く。
「ミリィもお願いを書くぅ? 短冊にお願いを書いて笹に吊るすとねぇ、お願いが叶うんだってぇ」
ユメミが楽しそうに言いながら、筆ペンで短冊にお願いを書いている。
「いったい誰が叶えてくれるんだろうね?」
ミリィがユメミを見ながら、そんな疑問を口にした。
地上人にとってミリィたち精霊は多神教の神々である。その神々の願いを聞いてくれる存在はいるのだろうか。
「あたしはねぇ、お願いは決まってるんだぁ。お願いは短く具体的にぃ〜」
「ユメミ。『酒』以外に書くことはないの?」
色とりどりの短冊には、ただ『酒』という文字だけが書かれている。
「そう言われてみれば、そうだねぇ。それじゃぁ、別のお願ぁ〜い……」
と言ってユメミが書いたのは、『ウィスキー』『ブランデー』『焼酎』『ワイン』『大樽』という文字だ。それを見たミリィが、
「あんたねぇ……」
と、あきれている。
「ねぇ、ミリィは書かないのぉ?」
「書くわよ。そうねぇ……」
ユメミに促されて、ミリィも短冊に願いを書き始めた。それを見たユメミが固まっている。
「ミリィ。そのお願いぃ、叶っちゃ困るよぉ」
「これのどこが困るの?」
そう言うミリィの書いた短冊には、『ユメミがマジメに仕事しますように』『ユメミがボケませんように』『ユメミのノンベが直りますように』と書いてあった。
それを持ったミリィが、笹に吊るそうと立ち上がる。
そのミリィの前に立ちはだかったユメミが、
「ダメよぉ、ミリィ。そんなお願いが叶ったらぁ、あたしはどうなるのよぉ!」
と、通せんぼしながら訴えてきた。いったい何がイヤなのか、目に涙を浮かべている。
「いいじゃないの。みんなが喜ぶわ」
「そんなことないよぉ!」
ユメミは妙に必死だった。そこへ、
「それでしたら、わたくしもお願いが叶いましたら、喜ばしく存じますわ」
という声がかけられてきた。
声の主は水の上級精霊──フェイミン・マルカ・フーだ。そのフェイミンが、
「美味しいアイスティーがございますわ。いかがでしょうか?」
と言って、目の前のものを見せてきた。
フェイミンはお茶派の中核的な精霊だ。この場を利用して仲間を増やすためだろうか、お茶の移動屋台を押しきている。そこで配ろうとしてるのは、何種類ものアイスティーだ。
お酒派のユメミがプール作りで宴会を始めてないため、今のうちにお茶派を集めようとしているのだろう。
「フェイミン。抹茶アイス、一つちょうだい!」
駆けてきたウサギっ娘が注文してきた。それにすぐに応じて緑のソフトアイスを用意して渡す。
「んんん〜っ! 頭、痛ぁ〜……」
さっそく頬張ったウサギっ娘が、笑顔でこめかみを押さえた。だが、
「利いたぁ〜。でも、冷たくて美味しいぃ〜」
すぐに、そう言って二口目を口に運ぶ。
それを見ていたユメミが、
「ねぇ。まさかお茶派に宗旨替えしてないよねぇ?」
と、不愉快そうな声で尋ねた。
「ん? こんな炎天下でお酒なんか飲んだら、精霊でも熱中症になるでしょ?」
ユメミの疑問に、ウサギっ娘がもっともらしく答える。更に、
「だから、もうちょっと涼しくなったら飲むけどね。くぅ〜……」
と続けたウサギっ娘が、こめかみを押さえて足をジタバタさせた。
「アイスぅ〜。アイスティー、かき氷ぃ〜、冷たいものはいかがですかぁ〜」
ウサギっ娘の背後を、もう一人の精霊が移動屋台を押して売り歩いている。フェイミンの仮の相棒である水の上級精霊──ユナ・デモリエル・ハウンドだ。彼女もお茶派であるため、一緒に仲間を集めているのだろう。
それを見ていたユメミが、次にミリィに顔を向ける。
「どうぞ、ミリィさん。特製の抹茶ヨーグルトパフェでございます」
「ありがと。霊力の補充に、パフェってのもアリだよね」
ユメミが目を離してた間に、ミリィは大きなパフェと頼んでいた。
「ミリィまでぇ……」
それに気づいたユメミが、ミリィに怨めそうそうな視線を送っている。
そのユメミが黙って虚空に手を入れ、そこから酒樽を引っ張り出してきた。
「『楽しく宴会ができますように』……」
ユメミが大きな短冊に願い事を書いて、笹にぶら下げた。
笹飾りは、いつの間にか五本に増えていた。そこにはみんなが集まって、あれこれと願い事を書いている。いったい誰が叶えてくれるのかは知らないが……。
その願いの叶えられない最たる一人がユメミだった。
「どぉして、誰も来ないのよぉ〜……」
ユメミが酒樽に、六本目の笹を立てかけた。そこに『みんなで宴会しよう』『集まって飲もうよ』『いっぱいお酒あるよ』と書かれた短冊もぶら下がっているが、今日は珍しく誰も集まってこない。
その一方で、
「アイスティー。美味しゅうございますわよ〜」
お茶派の営業は大成功だ。『アイス入荷待ち』の旗が掛かっているところから、ソフトクリームやかき氷は売り切れたのだろう。なかなか盛況である。
もっとも、
「ユメミさま。お酒、いただいていきますね」
「あたしも、このカクテルもらいます」
ユメミの用意したお酒も、誰も手を出さないわけではない。
氷水で冷やされた酒ビンや、冷蔵ショーケースで冷やされたカクテルは、それなりに取りに来る精霊はいた。だが、それはお茶派の盛況ぶりとは程遠いものだ。
今、お酒を取りに来た精霊たちも、お酒を選ぶと元いたビーチパラソルの下へ戻っていった。そこでデッキチェアに横たわり、のんびりとお酒を飲んでいる。
要するに、あまりの暑さに宴会する気力が湧かないだけだろう。
そんな雲の上のビーチからすぐ沖にある小さな島。そこに大きな飛び込み台が建てられていた。その一番上に立った黒ビキニの精霊が、
「さあ、行きますわよ」
大きく手を挙げて、これから飛び込むと周りにアピールした。水の上級精霊──キャサリン・レヴィアタン・ペイレネ・コブライナだ。古参で経験も高いため、周りから『水の高級精霊』と呼ばれることもある。
「きゃ〜。キャサリンさま〜」
集まってきた若い精霊たちから、黄色い声援が上がった。キャサリンには信派の精霊たちが多いのだ。
その前で、キャサリンが華麗に空中に舞った。空中でひねりを加え、頭を下にまっすぐに背筋を伸ばして水面へ飛び込んでいく。
──ぼふっ
直後、キャサリンが雲に突き刺さった。底が浅すぎたのだ。
『キャサリンさま〜!』
惨劇を見た精霊たちが、慌てて周りに殺到した。
飛び込み台を作ったはいいが、下が浅いとんだ設計ミスである。
水面から二本の足が突き出した姿は、なんともマヌケな光景だ。
「大変ですの! キャサリンさま、頭は大丈夫ですの?」
相棒の火の上級精霊──ノーラ・マギエル・ディアマヌンテが、キャサリンの足をつかんで引き抜こうとしている。他の精霊たちはキャサリンに触れることも畏れ多いのか、周りでオロオロしながら見ているだけだ。
それで助けられたキャサリンが、
「なんて浅さですの」
ようやく水面に顔を出して文句を吐いた。そのキャサリンが、
「うふふ。飛び込み台の下が浅いとは、なかなか生意気な設計ですわ」
変な闘志を燃やして、また飛び込み台を登っていく。
「キャサリンさま〜。やめるですのね!」
「お黙りなさい! この浅さは、わたくしへの挑戦ですわ!」
ノーラの制止も聞かず、キャサリンはてっぺんまで登ってしまった。キャサリンは困難があると、乗り越えずにはいられない性格なのだ。
『何かあったのか?』
『キャサリンさまが、何かするらしいぞ』
その騒ぎを聞きつけて、精霊たちが飛び込み台の周りに集まってくる。
その様子を浜辺から遠巻きに見ているユメミが、
「あの中の何人かでも、飲みに来ないかなぁ〜」
と零した。それを聞いたミリィが、
「ユメミ。飛び込み台の下、少しは掘り下げてやったら?」
と声をかけた。
だが、その時にはもう、
「とぉぉぉ〜〜〜〜〜……」
ちょっと気の抜けた声を上げて、キャサリンが宙に飛んでいた。そして空中で一回転だけして、水面へ飛び込んでいく。
──どっがぁ〜ん! べぎっ
水柱を上げて、またキャサリンが雲に突き刺さった。だが、
「今、変な音がしなかった?」
ミリィが異常に気づき、デッキチェアから腰を上げている。
飛び込み台の下の水面から、またキャサリンの二本の足が突き立っている。そのキャサリンを助けようと、
「だから、やめろって言ったですのね」
ノーラが近づいていく。
だが、今回も他の精霊たちはキャサリンが畏れ多いのか、助けようか戸惑っていた。
「あああ、飲まれますのねぇ〜……」
突然現れた渦巻きに、ノーラが吸い込まれていった。その渦が大きくなり、キャサリンの足も水に沈もうとしている。
──バキバキバキ……
渦巻きのできたあたりから、そんな音が聞こえてきた。
直後、水中から白く尖った板のようなものが突き出してくる。と同時にそこへ向かって、水が勢いよく流れ始めた。
「底が抜けたんじゃ……」
それを見たミリィが完全に立ち上がった。
初めは渦巻きだったものが、大きな穴になっていく。その中へ周りから水が滝のように流れ落ちていた。
『ぎゃああ〜……』
周りにいた精霊たちが、次々と滝に落ちていく。
──メキメキメキ……
まるで御神渡りのように、水中から尖った白い板の列が顔を出した。それが沖に向かって伸び、ついにはプールを横断してしまう。
「大変だニャ! 下の街が、すごい豪雨になってるニャ!」
ファムがそんなことを言いながら、プールからミリィたちのいる浜辺へ逃げてきた。
「ユメミ。やっぱり強度が足りなかったみたいよ」
「……うん」
壊れていくプールを見て、ユメミが茫然としていた。
キャサリンが飛び込んだせいで、プールの底が抜けたのだ。しかも元から強度不足だったため、亀裂が一気に広がっていったのだ。
となれば、プールの水が一気に以上へ落ちていくのは自明の理。
おかげで地上の街を、すさまじい豪雨が襲っている。
『やあやあ、気象予報士の上沢だよ。今日は東京で、すごいゲリラ豪雨があったね。みんなのところでは、どうだったかな?』
夕方のお天気情報に、陽気な気象予報士が登場した。
上沢予報士は白いポロシャツを着ている。そこだけ見れば、至って普通の服装だ。ところがそのシャツには、コミカルなイラストになった迷彩服を着た兵隊のシールが、ベタベタと何十枚も貼られている。ゲリラを表現してるのだろうか。
『渋谷のスクランブル交差点のあたりでも、すさまじい雨が降ったみたいだね。二〇分間で六〇ミリを超える雨が降ったから、もっとも深いところで四〇センチもの冠水になったそうだよ』
上沢予報士の背景の映像が替わった。豪雨で視界がほとんど真っ白になった渋谷の映像だ。
その映像が、すぐに渋谷地下街の入り口に替わる。そこでは職員は止水板を立て、地下街へ水が入ってこないように対策をしている。だが、そのすぐあとには冠水して、止水板の真ん中ぐらいまで水没している映像になった。
『この映像。見ているだけでも怖いね。ここではまだ止水板の半分までしか水がないように思うだろうけど、雨で水没が始まったら、このぐらいの水深なんてないようなものなんだ。このままだといつ水が止水板を超えて地下街へ入ってくるかわからないからね。一時、全員に地下から出るように避難命令が出されたんだ。幸い、大事には至らなかったけど、一度あることは二度ある三度ある。次に同じことが起きた時が心配になるね』
と解説したところで、上沢予報士の背景が雲の映像に替わる。そこで、
『さて、今日のゲリラ豪雨を降らせた雲は、上空に入ってきた寒気によって作られたものだよ。東日本ではところによって夕立が降って涼しくなるとは予報してたけど、背筋が寒くなるような雨は勘弁して欲しかったね。正直、この寒気がここまですごい雨を降らせるとは予想できなかったよ』
と言い訳する。
雲の上で起きた気象精霊たちの不始末。今回も、どうやら地上人たちには知られず、存在は今も隠されたままで済まされたようだ。
真夏に突然起こるゲリラ豪雨。そのうちの何回が、今回のように雲の上でプールの底が抜けた失敗なのか……。
それは気象精霊たちだけが知る事実である。
「ぷっはぁ〜。七夕のお願いはぁ、夜にならないと叶わなかったのねぇ」
ユメミが星空を見ながら、上機嫌にお酒をあおった。
大都市の上でも雲の上は光害もなく満天の星空だ。くっきりとした天の川を挟んで、織り姫と彦星ことベガとアルタイルが輝いている。
とはいえ、ユメミはどれがどの星かわかってるのだろうか。
「今日のゲリラ豪雨。あれは始末書モノだと思ったけど、運命室は要求してこないわね」
「降り方は派手でしたけど、地上に目立った被害は出てませんもの。それで始末書なんて求めませんわ」
ミリィと一緒に、キャサリンがお酒を飲んでいた。
日が沈んだ雲の上では、夕涼みを兼ねて大勢の精霊たちが宴会を楽しんでいる。
地上ではヒートアイランド現象で今夜も熱帯夜だが、雲の上ではそのような影響もなく、すごしやすい風が吹いていた。
「さあ、フェイちゃんたちもぉ、一緒に飲もぉ〜!」
この宴会を仕切るユメミが、離れた場所にいる精霊たちを誘いに動いた。お酒派の精霊たちから距離を取る、お茶派精霊たちの集まりだ。
「やめてくださいませ。そこに結界が……」
フェイミンがそう言って、雲に立てた笹飾りを指差した。そこには『宴会反対』『お酒派に巻き込まれませんように』『静かにお茶を飲みたい』などと書かれた短冊が吊るされている。
「まあまあ、遠慮しないでぇ……」
「誰も遠慮なんて、しておりませんわ!」
「そうなのぉ? じゃあ、一緒に行こうねぇ」
「あああぁ〜。言葉が通じてのうございますわ〜」
ユメミとの会話が成り立たず、フェイミンがずるずると引きずられていく。
お茶派が短冊に書いた願い事は、今日の星空では叶わなかったらしい。