Ψ-7 斎藤賢一の場合
──二〇二二年現在。二月六日(事件発生から二年後)
事件発生からちょうど三年が経過した二月六日、埼玉県警に斎藤賢一と名乗る男から一本の電話が入った。
「大坪は現在席を外しております」交換がそう告げると「少しお話したいことがあるので戻られたらその旨伝えて頂けますでしょうか」と男は時間と場所を指定してきた。
指定されたのは署の近く、雑居ビルの一階にある喫茶店だった。大坪もよく使っている喫茶店だったのでとって返したその足でそのまま向かう。──斎藤賢一。あまりにどこにでもある名前なのでどの“斎藤”なのかまでは記憶が定かでない。
ランチタイムを過ぎた午後二時過ぎの店内は、外には雪がちらついているせいもあるのか──客の入りはまばらであった。奥の四人掛けテーブルに初老に足を踏み入れたばかりくらいの男が座っている。その他には子連れの主婦二人組と若いOLだけだったので大坪は迷わずその男のテーブルへと近づいた。壁にはハンガーでコートとマフラーがかけられていた。さらに男はグレーのセーターにチノパンというこれまたどこにでもあるラフな格好だったのですぐに記憶を呼び起こすことができなかった。が──男の左の頬にある黒子を見て大坪はああと思い出す。
「これはこれは。先生でしたか」
「お久し振りです。いや、その節はたいへん失礼したと思っております」
二年前と同じく斎藤は低いがよく通る声でそう言った。人当たりの良い笑顔だった。軽く会釈をして立ち上がろうとしたので、大坪は恐縮してそれを両手で制し、向かいに腰かけてウェイトレスにホットコーヒーを注文した。
斎藤賢一は上尾にある心療内科クリニックの院長だった。佐山のあの事件の時に二三度顔を会わせた以来である。
東中野で起こった滝谷殺害事件の数日前、佐山は斎藤の心療内科を訪れていた。もっともそれは初めてのことではなく、佐山は事件の数年前から慢性的な不眠症に悩まされており年に何度か斉藤のもとを訪れては薬を調合してもらっていたという。
もとはといえば斎藤自体が佐山の営む小料理屋「うまかもん」の常連であったらしく、互いに趣味である競馬のことなど話しているうちに親しい関係になったという。ある時佐山がカウンター越しに不眠の悩みを打ち明けたところ「では一度うちにいらっしゃいな。少しはお役にたてるかもしれません」と声をかけたのが通院のきっかけだった。同じ町内の繋がりなどでよく見かける、そんなどこにでもある背景だった。
斎藤は、それまで読んでいたらしいハードカバーの本を開いた。そしてそこに挟んであった一枚の写真をテーブルの上に置いた。桜の木の下でセーラー服を着た女の子がはにかんでピースサインをしている。
「覚えてらっしゃいますかね。穂波ちゃんですよ。佐山さんの娘さんです。去年手紙と一緒に奥さんの方から送られてきました。高校に入学された時の写真らしいです。早いもんですな」
「二年……ですか」
「二年前のちょうど今日ですよ、あの事件が起こったのは。お忙しいから覚えておられないと思いますが」
「ああ──」
あれは今日だったのか。二年前はこんな風に雪も降ってなかったなと大坪は思いを巡らせる。
確かに。数ある流れ作業のひとつだと言ってしまえばそれまでだが、大坪はあの事件のことを忘れてはいなかった。いい意味でもなく、悪い意味でもなく。
あれから結局だんまりを決め込んだ佐山は現在静岡の刑務所で懲役十六年の刑期を務めている。妻の詩織と娘の穂波は九州の方の実家に戻り、つつましく暮らしながら佐山の出所を待っていると大坪は後に聞いていた。
「穂波ちゃんは小学生の頃からちょくちょくお店の手伝いの真似事をしてましてねぇ。私もよくお酌なんかしてもらったものです。ほんとに可愛い娘さんでした」
大坪は写真を手にして眺めた。──確かに早いものだ。しかし……。大坪は斎藤の真意を確かめようと視線を上げた。まさかわざわざこんなことを伝えにきたというわけでもあるまい。
「先生」
斎藤もそれを感じたのか、少し恐縮した様子で眼鏡を押し上げた。
「あの時は申し訳ありませんでした」
あの時というのはおそらく例の佐山の件で聞き込みに行ったときのことを指しているのだろうと大坪は察した。
事件を起こす直前に心療内科へ通っていたということは佐山がその時期何かしら精神面で追い込まれていたという可能性が高い。そう踏んで大坪は足しげくクリニックに通ってみたのだが院長の斎藤は知らぬ存ぜずの一点張りだったのだ。
もっともこういったクリニックでは守秘義務が生じるため患者が打ち明けた悩みを軽々に他に漏らしたりすることをよしとしない。そういった信頼関係がなければ患者が誰も訪れなくなってしまうから当然だ。それは相手が警察であっても変わりはない。少なくとも決して手放しで歓迎するようなことはない。
もちろん佐山の事件は殺人であり、その場合状況によっては医師が裁判の方まで召喚されることもある。だが佐山はどちらかといえばグレーの範疇に属していた。
動機こそはっきりしなかったとはいえ、取り調べの際の佐山の言動・思考はしっかりしており、話をしている分には常人のそれと何ら変わりはなかった。滝谷殺害の理由について何度もはぐらかされているうち大坪は「佐山さん、そろそろ本当のことをお話し願えませんかね。あなただって少しでも刑を軽くしたいと思うでしょうに?」とせっつくこともあった。そんな時はむしろ佐山の方が「少しくらい気の触れとると思われた方が、精神鑑定とやらで刑期も短くなるんじゃありませんでしたかね?」と、にわか仕込みの知識で切り返してきたくらいである。
処方箋にしても佐山は確かに二〇一五年の六月からベンゾジアゼピン系の睡眠薬を調合し始めてもらっていた。確かに副作用に関する欄には「攻撃性」「錯乱」「夢遊」という項目もあったがそもそも薬というものには大なり小なりこういう注意が促されているものであり、さすがにそれだけで責任能力の有無を問うのは殺人の理由として飛躍し過ぎのような気がした。
佐山が営む小料理屋「うまかもん」においては犯行前日までしっかりと営業されていた。前日に来店していた常連客から聞いた話でも皆、店主の佐山になんら変わったところはみられなかったと口を揃えて言う。むしろ「大将は、最近少し明るくなってたよな」という方が多かった。これは「少し様子がおかしかった」と語っていた佐山の妻、詩織の話とは少々食い違ってくる。
──が、それも、もし客たちにわざと明るく振る舞っていたのだとしたら──それは言いようによっては“接客及び社交ができるほどしっかりしていた”とも取れるのだ。暗い顔をして客の前に立つのは接客業にあるまじきことだ。そのことを踏まえてプライベートと仕事はきちんと割り切る。その時の佐山にそういう心掛けがあったとするなら『社会適応能力者』としてこれほど確かなことはないのだ。
あの事件は終わった──大坪はそう考えてはいなかった。今だに頭の中でどうにも“しこり”が残る事件。それがあの佐山の事件だった。時を経て今、それがまた戻ってこようとしている気配を感じる。今更ではあるが佐山のかかりつけの医師である斎藤が何かを言葉にしようとしている。そのことがよけいに大坪の背中の痒みを再び疼かせている。
冤罪。
また、この二文字が顔をのぞかせる。
佐山は滝谷を殺害したことを自供した。そして状況証拠は確かにその全てを示していた。事件は確実に起こった。殺人はあった。佐山が滝谷を殺した。そう、それはまごうことなき事実である。決して冤罪などではない。──にも関わらず、どうしてこれほどまでに『己がどこかで過ちを犯しているのではないか』といった──そんな感情が残留しているのか。
「今、考えると──ひょっとしたら、私は間違った判断をしてしまっていたのかもしれません」
そう語り始めた斎藤の言葉はまるで今、自分が頭の中で考えていることをそのまま見透かされたようであり大坪は少しドキリとした。