Ψ-5 大坪和也の場合
──現在より二年前。二〇二〇年 二月八日(犯行から二日後)
死体発見時、被害者である滝谷英明の体には左肩、両腕、両足、そして首から胸にかけて出刃包丁による切り傷が合わせて五ヵ所、さらに刺し傷が二ヵ所あった。
両手足首は市販の自転車チェーン錠で縛られており(昔からよくある──いわゆる四桁の数字を合わせるダイヤルタイプである)顔には殴打の痕、鼻柱、及び前歯三本と奥歯二本が折られていた。
切り傷はどれも浅い。衝動的に刃物を振り回したものではないと思われる。刃先をあてがい、わざといたぶるように横一本に引く──そんな相手を痛めつけるため、もしくは脅し目的のためと思われる傷ばかりであった。
刺し傷においては左足の太股に二ヶ所。こちらはやや深めのものだった。だが最終的に死因となったのはシーツによる絞首でありいわゆる絞殺である。
胃の中からは大量のウィスキーが検出されており、これは佐山が部屋に押し入る際に滝谷の腹部を殴りつけるために使ったウィスキーボトルの中身であることがわかっている。口を無理矢理こじ開けウィスキーを流し込みながら猫が鼠を弄ぶように身体を切りつける。そんな拷問に近い残虐行為は怨恨以外にあり得ないと推測されるのだが佐山と滝谷を関係付ける接点は未だに不明である。金品が盗まれた様子はないため金銭目的の犯行とは考えがたいとされる。
滝谷と会ったのはその日が初めてだと佐山自身は語っている。殺害目的については強固に口を閉ざしたままであるが初めて会う男をああまで痛めつけるのはあまりに不可解である。大坪はそう思っていた。
他の誰かがやった犯行を庇おうとしている──そういう線もないとはいえぬので一応頭に留めてはいる。それともやはり実行犯は佐山であって聴取の際ぽつりと洩らしていた「言ったところで誰にも理解してもらえない」というのがまさしく本心であるのか。だとすれば、その「誰にも理解しえない」ものとははたして何なのか。
大坪と新米刑事である桑本は佐山が滝谷を縛り上げた際に使用した自転車チェーン錠、及び凶器である出刃包丁を購入した東中野駅前の総合ディスカウントショップで裏を取り、さらにその後、滝谷の生前の身辺調査も兼ね佐山がウィスキーのボトルを購入したという現場近くにあるコンビニへと向かった。
「さっきのディスカウントにも酒は置いてあったのにどうしてウィスキーだけはコンビニで買ったんですかね」
「そうだな、ディスカウントで買った方がぜんぜん安いのにな」
大坪の言ったその言葉が冗談のつもりなのか、ちょっと笑ってやるべきところなのか桑本は頭を捻る。
「つまり佐山は滝谷のマンションの近くで急に思い出したようにボトルを購入したってことですよね」
「まあ、そういうことになるな。包丁を使うことにためらいを感じたのかもしれん。いざ人を殺そうと決意したとしても人間なかなか包丁を相手の胸に突き立てるってのは選びたくない手段だしな」
「確かに」
「事実今回の決め手になったのも最終的には絞殺だ。包丁はあくまで滝谷を怖がらせる目的、もしくは痛めつけるための小道具だったんだと思う。佐山はまず滝谷を生きたまま縛りあげ、主導権をとりたかった。だから殴りつけて身動きできないようにするためのもの……まあ、棒切れでも鉄パイプでもよかったんだろうが、手っ取り早く何か固いものがほしかったんだろう。佐山もこの辺りまできてそれに気付いたんじゃないのかな」
「それで急遽コンビニでウィスキーのボトルですか」
「冷静とまでは言わんが少なくとも衝動的なコロしという点からは一歩遠ざかる」
「というか、むしろ思考が常人よりもしっかりし過ぎてる気がしますよね。ほら、あの出刃の件にしましても──」
佐山は料理人だし店も営んでいる。出刃包丁など購入せずとも自分の店からいくらでも持ち出せるはずなのにそうはしなかった。もちろん私物の包丁ではそこから足がつきやすいと恐れて新品を購入したのかもしれない。だが、もし捕まることを怖れていたんだとするなら返り血を浴びたワイシャツを始末もせずスポーツバッグに入れてそのまま自宅に持ち帰ったことだっておかしな話なのだ。
──もし刑事さんたちがあの晩現れなかったら明日の朝にでも出頭するつもりでした。
今となってはその言葉が本心かどうかなど確かめる術もないが佐山はあの夜そう言っていた。ならば、なぜ自分の店の包丁ではなくわざわざ真新しい包丁を購入する必要があったのか。その理由について佐山はこんな風に述べた。
「店の包丁はねぇ……やっぱりこれまでお客さんに出すための料理ば作った包丁ですけんねぇ。さすがにその包丁でそげんことはできんでしょう? そげんことしたら……そいは、今までわざわざうちに来てくれたお客さんに対する冒涜になるごたっ気がしまして──」
はたしてこれが人を殺めた人間の使う言葉だろうか? ならば、滝谷を殺したことは何に対する冒涜でもないのか?
確かに使い込まれた包丁は料理人の魂であろう。だがそれではまるで、むしろ滝谷“ごとき”を殺すために神聖な商売道具を使うわけにはいかないと言っているようでもある。それは置いておくとしても、これから人をひとり殺そうという者が一歩立ち止まってそんなところまで気を配るだろうか──桑本の言わんとするのはおそらくそういったことだろう。
そもそも人間というものはそんなに簡単に人を殺めることができるのだろうか?
もちろん誰もが悟りを開いた僧ではない。わらわらと密集した社会の喧騒の中でごそごそと蠢き、ごくごく普通に生きている人間の方が大半だ。ただの人間だからこそすれ、たったそれだけのことで──という理由で人を殺めてしまうこともある。大坪は幾度となくそんな現場に居合わせてきた。
──居酒屋で隣り合わせになった見知らぬ客同士が喧嘩になる。
──肩がぶつかっていちゃもんをつけられる。
──女性が絡まれているのを助けようとしていざこざが起きる。
──酔った勢いで、カッとなって、勢い余って……。
けれどそれらはまだどこかしら人間くさい。つまり犯罪とはいえ理解の範疇なのである。それは大坪にもわかっていた。
そうではなく──つまり被害者に対し怨みがあるわけでもなく強迫されているわけでもなく正当防衛でもない──たまたま出くわした人間を“ただ殺すため”だけにああまで殴りつけ、また執拗に切りつけ、殺してしまうことが人間はできるものなのだろうかということである。
「ない」と大坪は思った。あるとすれば薬物などによる精神錯乱からの無差別殺人くらいだが──いっそのこと今回の佐山のケースもそんなものであってくれた方がどれほどわかりやすかったことか──そう大坪は考える。
どうして二人の接点が未だに出てこないのか。ここである。それが一見単純にみえるこの事件をやけに混沌とさせているものの正体なのだ。佐山と滝谷。殺した者と殺された者。一番簡潔であり且つ明解なその接点。それがどうして今回これほどまでに浮上してこないのだろうかと大坪には妙な焦りがあった。
(私がやりました。理由はありません。きちんと罰は受けます。だけん──)
だけんもう、そいでよかでしょうが ──
いいわけがないだろう。
こう言っちゃなんだが自分の罪を少しでも軽くしたいとは思わないのか。酌量減軽したくはないのか。
そもそも佐山は自分がやってしまったことの重大さがわかっているのか。後悔はあるのか、反省があるのか──全てがはっきりしないままに拘束時間だけが過ぎていくようだった。