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Ψ-9 大坪和也の場合


──現在より二年前。二〇二〇年二月十日(犯行から四日目)



「『今やったらまだ間に合うかもしれん』──」

 あえて大坪おおつぼはそこで間をつくった。「奥さんにそう言ったそうですね」


 三度目の聴取──午前中に佐山さやま宅で妻の詩織しおりからとった供述と佐山本人の当日の行動を照らし合わせる。

 大坪の言葉に佐山は黒目だけをこちらに向けた。今まで不規則にもそもそと動かしていた体がほんの一瞬静止したのを大坪は見逃さなかった。


「──犯行当日から九日前、一月二十八日の火曜日のことです。この言葉がどういう意味なのか少しお聞かせ願いたいのですが、佐山さん」

「さて、そんなこと言いましたかいのぉ」

「なにか切羽詰まることでもあったんですか」

 もそもそと──再び佐山の世界が動き出す。が、もはやそんなことなど関係なかった。確かに今アタりを感じた。ほんの僅かだが“ウキ”が水面でピクリと上下した。大坪はかかった魚をバラさぬようにと慎重に、そして時に大胆に竿をふるう。

「お答え頂けますか佐山さん。何が何に対して間に合うんですか?」

「あん時は酒が入ってましたけんのう」

「言いましょうや。何に対して間に合うんですか」

「ああと、思い出した。きっとあれですわ。店のお客さんから競馬の固い情報が入りましてね。今ならまだ馬券を買うのに間に合うなと。まあ、固い固いって毎回言うわりにはいっちょん当たら──」

「何に対して間に合うんだと聞いてるんだ」

「弱りましたなあ。他には本当に何も思い当たらんとですよ、刑事さん」

「佐山さん、そろそろ本当のことをお話し願えませんかね。あなただって少しでも刑を軽くしたいと思うでしょうに?」

「さて……どうでしょうなあ。軽くといっても『買った』『売った』の壺算つぼざん落語みたいにはいかんでしょう。どうあれ私は人ひとり殺しとりますけんの、その辺はもとより覚悟しとります」

「『野球選手の秋原が覚醒剤をやってる』──そう言ったそうですね。なんですかこりゃあ? なぜ、そう思ったんですか?」

「夢の話でしょ、そいは」

「そのニュースを一度見たことがある──そう言ったそうですね。面白いですね。予知能力でもあるんですか、佐山さんは」

 佐山はきょとんと目を見開き、笑いを噛み殺しきれないといったように首を前後に揺らした。そしてわざとらしく声を潜める。

「実はあるとですよ。他の人には黙っといてくれますかいの、気の触れたと思われますけん。まあそれこそ、そう思われた方が少しは減刑されるんですかいね? 昨今では」

「『秋原は覚醒剤で二年後に捕まる』──そうも言いましたね」

「そういうのはその野球選手本人に問いただせばよかでしょうに。私に言われても」

「言ったのか言ってないのかと聞いてる」

「さて、予言ですからね。当たるやら当たらぬやら……。その頃にはうちの穂波も高校生ですわ。二年なんてあっという間でしょうなあ──刑事さんはお子さんはいらっしゃるとですか?」

「よけいなことは話さなくてよろしい」

 佐山はわざとらしく腕を組み、目を閉じる。

「しかし、予言でもできりゃあ便利でしょうなぁ。競馬も獲り放題じゃ。おっ、来週のきさらぎ賞は先頭に武豊たけゆたかが見えますのぅ、二着にはストーンリッジ……①―⑦―⑧の三連単で決まりですな…………ハハハ、こりゃ大金持ちですたい、刑事さん」

「佐山っ! ふざけるな!」

 そんな大坪の恫喝を佐山は微動だにせずやり流す。そして急に冷めたような顔つきになると静かに問いただした。

「よう考えてみてください。ふざけとるのは刑事さんでしょうが。こっちは()()()()()もよかとこですよ。だいたいその件はこの件とは関係なかでしょう──」





──二〇二二年二月七日(事件発生より二年後)



──ほこりくさい臭気に邪魔され回想が途切れる。そんなやりとりを記録した調書を大坪は一課の保管庫で読み返していた。思わずポケットから電子煙草を取り出し、ホルダーにヒートスティックを詰め込む。『禁煙』と書かれた張り紙が目についたが知ったことかと大坪はスイッチを長押しした。


(夢の話でしょ、そいは──)


 これだ──


 妻に話したという野球選手の秋原の話。

 そして斎藤医師に語った『娘が誘拐された』という話。どちらも夢の話──


(ん? 待てよ……)

 大坪はふと思いあたることがあり、もう一方の手でスマホを取り出した。スマホをいじっていると調書には記録されていないその後のやりとりが記憶に蘇ってきた。


「少し休憩にしよう。再開は二十分後だ──」


 確か記録係にそう伝えて、二年前のあの時も今と同じ行動をしていた。加熱準備中を表すランプの点滅を数えながら大坪は思い返す。電子煙草を取り出し、ホルダーにスティックを詰め──使い始めたばかりの電子煙草を覚束ない手つきで扱っていた。

 筆記係は記録を中断し二三度肩を回すとパソコンを折り畳んで部屋を出た。慣れない電子煙草はまるで焼き芋のような味がした。

「──いますよ」

 大坪は息を吐き、根負けしたように話し出した。というより根負けしたそぶりに見せかけて、少し早めの休憩にしたのである。少し方向を変えて佐山にアプローチしてみたくなったのだ。

「?」

 大坪は薄っぺらい煙を吐き出し細長いスティックをかかげてみせた。

「娘からのプレゼントです。健康にもよくないし、今どき煙草をバカバカ吸いまくる刑事なんてのは流行はやらないそうです」

「ほお──いや、そりゃあ──」

「今年、高校生になったばかりです──」

「ということは、うちの娘と三つ違いになりますかね。ええ娘さんですな。なかなか先を見越してらっしゃる。これからはきっと煙草も電子の時代になるでしょうな。喫煙所も無くなり、紙煙草を吸う身はどんどんつらくなります」

「それも予言ですか?」

「勘弁してくれんですか。休憩でしょうに。もうよしましょうや、その話は──馬鹿馬鹿しい」


 改めて思い返してみるとどうにもちぐはぐとした調書ではないだろうか。大坪はそう感じていた。なんとか──かろうじて会話として成り立ってはいるものの、やけに不自然な部分を感じるのは気のせいか。まるで素人小説で、説明せねばならぬ話題を前に前にと無理やり押し出そうとしている会話のような、まるでわざと()()()()記録や記憶に残しておこうと、あからさまに何かを印象づけようとしているような、そんな──


(佐山くんはとても聞き上手なんですが、自分の話となるとからっきし下手くそでしてね──)


 斎藤はそう言っていた。が、はたして本当にそうなのか?

 大坪はようやくお目当ての検索画面に到達した。目を細め顎を上げると老眼特有の仕草でスマホ画面をスクロールする。『競馬の開催スケジュール』──二年前の二〇二〇年──二月の二週目、十六日の日曜日──あの、佐山の聴取をした次の日曜に開催された『きさらぎ賞』、メイン十一レースの結果。まさかとは思いながらも大坪は調書とスマホを照らし合わせた。

 一着、①武豊たけゆたかコルテジア。どきりと胸が跳ね上がる。いや、たけなんて当てずっぽうだってよくくることだ。二着、⑦ストーンリッジ──大坪はごくりと喉を鳴らした。その場で自分が馬券を握りしめているかのように変な汗が手のひらに滲んだ。三着、⑧アルジャンナ──


──三連単で①―⑦―⑧。


(こりゃ大金持ちですたい、刑事さん──)


 ぶわりと毛穴が開くのを感じた。大坪は手のひらで口の周りを押さえると、瞬きをすることも忘れていた。

 


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