Ψ-0 塩崎博之の場合
その事件は起こり、
また、その事件は起こらなかった。
蓋を開いてみて、はじめて
その二つの可能性は収束する──
──二〇二二年現在。三月二日(犯行から二年後)
塩崎博之は二十八歳、東京都在住のエンジニアだったが、静岡の出張所で問題が起こったため早朝から伊東市へ車を走らせていた。
三月二日の早朝午前五時過ぎ。日も早くなってきたとはいえ辺りはまだ暗い。伊東駅を少し過ぎた辺りの路上で、目の前に茶色のコートを着た男が急に飛び出してきたので塩崎は驚いてブレーキを踏んだ。
男は立ちはだかるように大きく右手を上げると、そのままのかたちで左手の警察手帳を見せた。最初塩崎は一瞬、運転で何か不手際をやってしまったかと思ったが捜査一課という文字が目に入り一気に眠気が覚めた。名前は大坪和也とある。
刑事は右手をあげたまま、腕時計と塩崎の顔を交互に見た。
「あの……何か?」
「警察のものです。いえ、なんでもありません。少々お聞きしたいことがあるだけでして」
「はぁ」
「失礼ですがあなたの──」
刑事はそこで一旦口をつぐみ寒気で乾いた唇を舐めるとこう言った。
「あなたのお名前と年齢を聞かせて頂けますか?」