01-5
マグスイヤと共に遺跡の入り口まで戻るのは簡単だった。マグスイヤが傍に居る為か遺跡の防御魔法がユアンに向かう事はなく、迷路のようだった道も一本道に変化していたからだ。
けれども辿り着いたそこには、あったはずの出入り口は無く、瓦礫の山が積み重なっているだけだった。
「……やっぱりか」
瓦礫に手を触れてみるが動く気配はない。これを人間の力でどうにかするのは不可能に近いだろう。
魔法の力を使えるのならば、一瞬で問題は解決するのだが。そんな事を思いながら移動中一言もしゃべる事の無かったマグスイヤに視線を向けてみる。
マグスイヤはじっと視線を下にし、一点を見つめていたが、ユアンに気づいたのか、不意に顔を上げた。
「さて、どうするかな? 私は力を貸す気はないぞ」
「やっぱりそうだよな、予想通りの返答だ」
目が合うなり肩をすくめて見せるマグスイヤに、ユアンは同じようにして軽く笑って見せる。力を貸してもらえれば楽だとは思ったが、そんな上手く事が運ぶとは元より思っていない。
「出口はここしかないんだろう?」
確信めいた言葉にマグスイヤは頷き返す。入り口に向かう事になったユアン達は、相談もせずにここに辿り着いた事を考えるに、出入り口はここしかないと考えるのが自然だった。
そこまで確かめてから、ため息と共にユアンの口元は緩んでしまう。状況を楽観視しているのではなく、その逆で、あまりにも希望的観測が出来ずに出た苦笑いだった。
それでも諦める気はなく、ユアンは瓦礫の隙間を探しながら除けるものから少しずつ地道に退けていく。
「気の長い話だ。そんなペースで頑張っていて、出られるのはいつになるだろうな」
背後から聞こえたそれに振り返れば、手伝う気は毛頭ないのか、マグスイヤはその場に座り込んで頬杖を突きながらユアンの方を見つめていた。
「さぁな、出られないんじゃないか?」
冗談交じりに笑い返せば、マグスイヤは少しだけムッとした表情でそっぽを向いた。
「私は冗談を言っているのではない。お前ひとりでは出る事は出来ないと言っているのだ」
「だったら? お前が手を貸してくれるのか?」
先程と同じ冗談めいた言葉にマグスイヤは黙り込む。ユアンの声があり得ないだろうと言っているようなものだったからだ。
自分が死ぬかもしれない状況で、助けを請わないユアンの考えがマグスイヤには理解できなかった。
「…………手を貸してやらんこともない。ただし、その場合は先程の話はなしだ。お前を助けた後、私は入り口を塞いで遺跡の奥に帰る」
「断る、それじゃあ意味がない」
少し悩んで提案したそれは間髪入れずに却下されてしまった。その迷いのなさにマグスイヤは再び言葉を失ってしまう。ユアンが生き残れるであろう唯一の提案をしたのに、まさか却下されるとは思っていなかったからだ。
眼前の男は本当はただの馬鹿なんじゃないだろうかと、そんな考えがマグスイヤの頭の中に浮かぶ。けれど、ユアンはマグスイヤの様子など気にも留めず瓦礫の山に向き合ったままだ。
「お前はどうして、そこまでして魔法を求めるんだ?」
そんな背中を見つめながらマグスイヤは純粋な疑問をぶつける。ふいに魔法を望んでいる理由を聞いていなかった事を思い出したのだ。
「……理由は必要か?」
作業に没頭していたユアンが手を止めて声を向けてくる。その意外な返答にマグスイヤは首を傾げた。
「必要だろう、何の理由もなく力を欲するわけがない。変な事を考えているならば容赦せんぞ」
外の世界に魔法がないと知ったからだろうか、マグスイヤはきつい物言いをしてくる。彼女にとって魔法が悪用されることは耐えがたいのだろう。
「お前にとっては、あんまり気持ちのいい話じゃないが、それでもいいか?」
「構わんさ」
迷いがちに問うたそれにマグスイヤは肩をすくめて笑う。言葉通り時間はいくらでもあった。それに口を動かしていても手は動かせる。
「俺の両親はちょっと変わり者でな、面倒な事に進んで首を突っ込むようなタイプだったんだ」
ぽつりぽつり話し始めたユアンの言葉にマグスイヤは耳を傾ける。それがまるで世間話の様に始まったから、何でもない話なのだろうと、マグスイヤは勝手にそう思っていた。
「俺がまだ十歳の頃、両親が同じ年ぐらいの知らない子供を連れて来たんだ。珍しい青い髪をした女だった」
「珍しい青……そうか」
呟いた小さな言葉は、ユアンの話を遮ることなく掻き消える。
「外の世界じゃ、珍しい髪色をした人間は、魔法に関わってるんじゃないかって理由で迫害されてる……いや、迫害じゃないな、処刑だ」
魔法に関わっているとして捕まった人間は、基本的に帰ってこない。大々的に処刑されることはないが、どうなったか予想は出来る。
「だからそいつも、その対象だったんだ」
「……それをお前の両親が助けたという事か?」
「いいや、助けられなかったよ」
首を擡げたマグスイヤに、ユアンは静かに首を振って答えた。特別悲観もしていない、淡々としたそれに、言葉を区切る。
「死んだんだ、その子も俺の両親も……魔法に関わっているとして、国に殺された」
何でもない事の様に続けられたそれは、予想外のものだった。ユアンは魔法を望んでいる。だからそこにあるのは、そんな絶望的なものではないと思っていた。
「それでどうして……魔法を望む? 魔法を嫌うならまだしも、望む理由などないではないか」
魔法を嫌悪するならば分かる。消し去りたいと思うのならば分かる。けれどもユアンが望んだのは魔法を得ると言う真逆のものだ。
「俺の髪色、珍しいだろ? 生まれつきじゃない、親が死んでから徐々にこの色に染まっていったんだ……こんな色だと、普通には生きていけない」
「だから、どうせ迫害されるなら本当に魔法使いになろうとでも言うのか?」
語気を荒げてマグスイヤがユアンを睨み付ける。そう思っているのならば許せないと思った。そんな理由で魔法を求めるなど、マグスイヤにとってはあってはならない事だ。
けれど、ユアンの返答は予想したそれとは違っていた。
「ちょっと違うな、どうせ迫害されるなら……魔法に権利を与えてやろうと思ったんだよ」
「魔法に権利?」
「ああ、魔法に、そして今迫害されている人間に普通に生きられる権利を与えてやりたいんだよ」
それは理想。国が魔法を禁止している中で唱えるには浅はかな夢物語だった。けれども眼前の男の目は曇ってなどいない。その言葉は冗談でも何でもないのだ。
「もう、あんな理由で人が死ぬのは見たくないんだよ」
呟くようなそれを最後に会話は途切れる。
ユアンの思考はマグスイヤが予想できる範疇を超えていた。両親が殺されたから復讐をするだとか、純粋に力を得るためだとか、そんな理由ではなかったのだ。
けれどその理想は、人間が望むにはあまりにも馬鹿げている。
***
「遅いな……何してるんだろう」
シャロンは一人、いつもと同じように家の前で立ち尽くしていた。知らず漏れた溜息に返される返事はない。する事もなく、じっと見上げた空は夕暮れ色に染まり始めている。
今朝バドは、ただの調査だと言って家を出ていった。けれども昨日の夜、面倒だと言っていた言葉をシャロンは忘れてはいない。バドが面倒だと言うときは決まって危険が伴う。それでも、ユアンは夕暮れにはいつも帰ってきていた。その習慣から、シャロンは家に入らず外で二人の帰りを待っていたのだ。
きっといつもと変わらず、そろそろ戻ってくるのだろうと、そうしてシャロンは遅いと怒って出迎えるのだ。その準備は出来ているのに、まだユアンは帰ってこない。
「もう、帰ってきたら思いっきり手伝わせてやろう」
誰にでもなく付いた悪態は静けさに飲み込まれる。ふいに感じた虚しさに、シャロンはそれ以上独り言を言うのは止めた。
「シャロン」
空を見上げていたら、不意に聞きなれた声が耳に響き、シャロンは勢い良く振り返った。けれども、振り返った先にいたのは予想に反してバドだけで、シャロンは向けるべき言葉を見失う。
「ただいま」
「おか、えり……お父さん、一人?」
シャロンが躊躇いながらも笑顔を見せ、首を傾げて見せると、バドが目を伏せてため息を零す。そんなバドの態度にシャロンの笑顔が引きつる。
「えっと……あれかな? また一人でどこか散歩にでも行っちゃった? 本当にもう、あいつは――」
「シャロン」
返答のないバドをよそに、シャロンは目を泳がせ、言葉を捲し立てながら自己完結しようとする。それを遮る様にバドが名を呼んでも、シャロンは目を合わせようとしない。
「本当、ろくでなしもいいところだわ! 帰ってきたらいろいろ手伝わせて、怒ってやるんだから!」
「シャロン」
「……帰って、くるでしょ?」
二度目のバドの声掛けに、シャロンは急に言葉を詰まらせる。
シャロンにとってこの感覚は二度目だ。一度目は母が死んだ時、バドは同じように一人で帰宅して、目を伏せたままため息を零した。
「だって、おかしいじゃない……お母さんは病気だったけど、アイツ元気だったんだよ? 帰ってこないなんて、そんなの……おかしい」
「そうだな、おかしい」
バドの言いたいことは分かっていた。けれども認めるわけにはいかない。シャロンが少しでも否定して欲しくて続けたそれに返されたのは、思わぬものだった。
慰めなのかとも思ったが、噛み合った視線の先にあったバドの表情が慰めとは違う色を見せている事に気が付く。
「お父さん?」
「……王国軍の人間にユアンの姿が見られた。生きて戻っても、すぐに捕らえられるかもしれない、今までの様に、一緒に暮らすことは出来ないかもしれない」
いくらシャロンが魔法に疎いとはいえ、ユアンの様な髪色の人間が迫害されている事は知っていた。バドの言う通り、ユアンは目をつけられたのだろう。でも、シャロンにとってはそんな事はどうでもよかった。
「ユアンは生きてるの?」
気がかりな事はそれだけ。生きているのならば、迎えに行くことが出来るのならばそれでいい。
「生きているかどうかは正直分からん……ただ確かめる事は出来るだろう。だが、もしも軍に見つかればただでは済まない」
封鎖した遺跡の入り口をどうにかすれば、その生死を確かめる事が出来るかもしれない。けれども当然軍にそれが見つかれば、バドやシャロンも投獄されることになるだろう。
「それでも、迎えに行くか?」
「もちろん行くわ、だってユアンは大事な家族だもの」
本当ならば、大事な娘にそんな選択をさせたくはない。ただ、生きているかもしれないと知ったシャロンが、それを黙って見過ごすことが出来ない事も十分知っていた。
だから本当は教えるべきではなかった。死んだと言ってしまえばよかった。だが、これはバドにとっても黙って見過ごすことの出来ないものであり、何より内密な人手が必要だった。