01-4
遺跡に何者かが侵入すればすぐに分かる。けれども、そんな些細な事を気にした事など無かった。招かれざる者が侵入しても、最奥に辿り着くことなく死んでしまうからだ。
それに、もう何年も侵入者などいなかった。
変化があったのが昨日の事、昨日は侵入者が三人遺跡の入り口で死んだ。そして今日も、数人の侵入者が入り口で死んだ。それで終わりだと、そんな風に思っていたのに、侵入者の一人が生きている。
だから、侵入者である彼がここに辿り着いたのは褒めて然るべきかもしれないと思った。彼だけは招かれざる客では無かったのかもしれないと、そんな思いを片隅に抱きながら。
「おめでとう。ここがゴールだ、青年よ」
開けた場所に辿り着いた瞬間、聞こえてきたのはそんな言葉だった。
間一髪、ユアンは壁の魔法を稼働させることに成功し、遺跡の最奥であろう場所へとたどり着いていた。今までの遺跡で何度も見ていたが、本当に稼働するのかは半信半疑だったこともあり、ほっと胸を撫でおろしたところだった。
ユアンがくぼみに対してしたのは指を刺しこみ、その淵を規定通りになぞるだけ。ここの扉自体にはそれらしいものは描かれていなかったが、違う遺跡で目にしていたやり方を真似てみただけだった。もしも扉ごとに違っていたなら今頃はこの場所に辿り着けなかっただろう。
「……お前、誰だ?」
まさか先客がいるとも思わず、ユアンは目を丸くしながら思うままを言葉にしていた。冷静になって考えれば、眼前にいるそれが普通の人間であるはずがないと分かっただろうが、残念ながらまだ落ち着きは取り戻せていない。
視界に映るままに捉えるならば、ユアンとそう年も変わらなく見える線の細い綺麗な女性だった。ただその年齢に似つかわしくない真っ白なゆるいウェーブがかかった髪は、風もないのに少しだけなびいているように見える。
「誰だとは失礼な言い草だな。人の家に勝手に上がり込んで来ておいて」
「人の家……?」
少しだけむっと表情を歪めた女性は腕を組んだまま、そっぽを向いてしまう。外見に似合わない子供染みた態度に違和感を覚えるが、それ以上にその言葉が気にかかった。
「ここに住んでるっていうのか? いや、それよりも……お前、何なんだ?」
そうしてやっと彼女に向けるのに相応しいであろう問いかけが出来た。
最初から誰と問いかけるべきではなかったのだろう。問うべきは何だった。眼前にいる女性は恐らく普通の人間ではないのだろうから。
「私の名はマグスイヤ、この遺跡に住む人型の魔法具だ」
よくぞ聞いたと言わんばかりに彼女、マグスイヤはユアンに向き直ると胸を張って声を上げた。
もしもこの場所が遺跡の最奥でなければ、マグスイヤの髪色が異様な白髪でなければ信じられなかったであろう言葉。その全てが今は真実味を帯びている。
魔法を具現化したものと言ってもいい魔法具がそこにいる。人の形をして、意思を持って話をして、自信に満ちた笑みを浮かべている。それが思い描いていたものとあまりに違っていて、言葉が上手く出てこない。
「どれほどの時間が経ったかは知らんが、お前が生まれるよりも前に作られたのは確かだ。だがしかし、お前がこの遺跡の最奥に辿り着いた事は褒めるに値する。過度に敬う必要はないぞ」
何故か尊大な態度で笑うマグスイヤの言葉を素直に受け取るならば、彼女が作られたのはそれなりに昔の事になるらしい。考えればそれは普通の事だ。もう今の世界に魔法は無いのだから。
「魔法具……だったら、お前は魔法を使えるのか? この遺跡の魔法はお前の力か? 俺がそれを得る事は出来るのか?」
やっとの事で絞り出せた言葉はあふれ出し、返事も聞かずに次々に問いかけてしまう。その突然の勢いに目を丸くしながらも、マグスイヤは少し落ち着けとユアンを制した。
「不思議な奴だな、魔法など珍しいものでもなかろうに」
肩をすくめて見せたマグスイヤのそれに、ハッとする。生まれてずっとこの遺跡にいたのだとすれば、外の世界がどうなっているか知らなくてもおかしくはない。つまり、マグスイヤは魔法が無くなってしまった事を知らないのだ。
そこまで考えて、ユアンは返答するべき言葉に惑う。事実を伝えるべきか、伝えずに力を得る方法を聞くべきか悩んだのだ。
「……俺は魔法が使えない、だから聞いてるんだ。その力を得る方法はあるのかって」
悩んだ挙句、出てきた言葉はそんなものだった。マグスイヤの疑問には答えない形になったが、先程のユアン自身の問いかけを考えれば、そう違和感はないはずだ。
魔法を求めてきた、だからその方法を探している。珍しいか珍しくないかなど関係ないのだと、少しばかり苦しく思えたが口をついて出た誤魔化しだ、仕方がない。
「なるほど、お前は魔法が使いたいのか。だが、うむ……困ったな」
「困ったってどういう事だよ? お前は魔法具なんだろ? 魔法を使えるんじゃないのか?」
「確かに私は魔法具だが、私自身に魔法を使う力はない。あくまで人の使う道具だからな」
視線を宙に泳がせながらサラリと告げられた言葉に絶望感が生まれる。こんな場所まで来たというのに、目の前に魔法があるというのに、マグスイヤは魔法を使えないと言う。けれど、絶望に包まれるより早く、ユアンはその言葉の本当の意味にすぐ気が付いた。
「……待てよ、お前自身は魔法を使えないって言ったんだよな? じゃあお前を使えば魔法を使えるのか?」
「うむ、その通りだ青年。私は魔法具、この体は魔法そのものだ。上手く使えばそこらの魔法使いよりも強いだろうよ」
言葉と共にじっと見つめると、それに気が付いたようにマグスイヤがユアンに視線を戻して、満足そうな笑みを返してきた。
マグスイヤを介してならば魔法を使う事が出来るかもしれない。本来求めていたものとは違うが、それでも願いは叶うかもしれないとユアンは思う。ただし、それを眼前の魔法具が良しとするかは分からない。
「だったらお前を--」
「断る」
ユアンの提案はその全てが言葉になる前に遮られた。
間髪入れずにはっきりとした強い口調で発せられた短いそれは、マグスイヤの意思の硬さを感じさせるものだった。ユアンを見つめるマグスイヤの目は先ほどとは違って冷たい色を見せている。
「ここに辿り着いたことは褒めよう。けれど私は魔法具として誰かに使われる気はない」
「は? でも上手く使えばそこらの魔法使いより強いって今……」
「ああ、言った。だがそれは私が魔法具である自分に自信を持っているからだ。誰彼構わず好きに使われる気はない」
魔法具である本来の使い方を問うた時、マグスイヤは嬉しそうな表情を見せた。それは彼女がその存在に自信を持っているから、有能な道具である自信なんてユアンには理解できないが、マグスイヤにとっては重要な存在意義なのだろう。
けれども、使われる気はないとも言った。有能であると自負しながら、そに自信を持ちながらも、本来の使われ方をする気はないと言ったのだ。何て矛盾だろうと思う。
「どうしてだよ、使われるのが正しい形なんだろ!?」
その意思が固い事はマグスイヤの表情を見れば分かった。けれどもユアンもそれだけで食い下がる事など出来ない。もう二度と来ないかもしれないチャンスなのだ。
「それが約束だからだ」
「約束?」
短く返事をしたマグスイヤの表情は、先程に比べて幾分か和らいだ気がする。視線はユアンに向けられているが、その目はどこか遠くを見ているように見えた。
「私の前の持ち主は、魔法具である私を使おうとしなかったのだ。私の事を言われたまま使われる魔法具ではない、自分で選択するべき魔法具だと言ってな」
マグスイヤの以前の持ち主。それがどれだけ前の人間になるのかは分からないが、その人物は彼女をただの道具としては見ていなかったのかもしれない。
それを感じさせるように、思い出しながら話をするマグスイヤの表情は僅かに綻んでいた。
「だから私は、自分の意思で使われるか否かを決める」
断言されたそれに願いは無いようにも見える。けれど、誰かに命令されたわけではな、マグスイヤ自身が決めているのならば、そこに可能性はある。
「だったら話は早い。今は使われなくてもいい。ただ俺に時間をくれ、そしてお前が使われてもいいと思えるかどうか、確かめてくれ」
そう言ってマグスイヤに手を刺し伸ばした。思いがけぬ行動にマグスイヤは、差し出された手を見つめながら目を丸くしている。
暫く黙ったまま悩ましい表情を浮かべていたマグスイヤだったが、やがて小さなため息を一つ吐いて口を開いた。
「その提案に乗ったからと言って、何の保証も出来ないぞ? それに見定めるのにすぐ飽きるかもしれん、そうなればそこで終わりだ、それでもいいのか?」
「当然だろ、お前が決める事だ」
訝し気に伝えられたそれに、ユアンは惑う事無く断言する。
その迷いない返答に納得したのか、マグスイヤは静かに頷いて伸ばされたユアンの手に自らのそれを差し出す。けれど、その手が繋がれるよりも早く遺跡の中を轟音が響き渡った。
「--っ、なんだ!?」
反射的に二人揃って辺りを見渡すが、この場所に限っては特に変わった様子は見受けられなかった。遺跡に何か起こったならば分かるのではないかと、マグスイヤに視線を向けると、その表情が神妙なものに変わっていた。
「何が起こったのか分かるのか?」
「……正確に分かるわけではないが、遺跡に掛けられた防御魔法に変化がない事と、私自身が新たな侵入者を察知していない事を考えるに、何かあったのならば入り口だろう」
そこまで聞いて、ユアンは息を飲んだ。何があってもおかしくはないと覚悟していたものの、本当に最悪な結末になったのだとぞっとする。
しかし、黙ってここにいるわけにもいかない。事の顛末が分からず首を傾げているマグスイヤにも話し、遺跡から出る方法を考えるべきだ。
「外に王国軍の奴らがいるんだ。恐らくそいつらが、遺跡の入り口を爆破したんだと思う」
「爆破だと? なぜそんな事をする必要がある?」
あまりに衝撃的な発言だったのか、マグスイヤが少しばかり大きな声を上げる。外の現状を理解していないならば、その疑問も最もだろう。
こうなってしまえば、これ以上マグスイヤに何も話さない訳にもいかない。
「マグスイヤ、外の世界には……もう魔法が存在しないんだ」
ユアンのそれに、マグスイヤが目に見えて表情を歪める。今までそう大きく表情を変える事のなかった彼女が見せた、初めての顔だった。