01-1
幼いころに親に読んで貰った絵本の中には、沢山の魔法が描かれていた。
指先から炎を放ち、砂漠の真ん中に水を湧き出させ、傷ついた人間の傷を癒す。そんな無から有を作り出す、奇跡の力。
そしてそんな奇跡が、この世界にはかつて存在していた。
***
明るい光が崩れかけた天井の隙間から差し込んでいる。
城下町からかなり離れた場所のせいか、そこが崩れかけている古代遺跡の中だからか、辺りは静かなものだった。
普段であれば誰も寄り付かないであろう、そんな場所に今は人影が一つ。
「今回もはずれか……」
遺跡の壁に手を当てながら、誰にでもなく口をついて出た溜息に気が重くなる。
こんな誰も好き好んで訪れないような場所に、自ら進んで訪れた稀有な男の名はユアンという。まだ若く青年と言っていい年に見える彼の明るい赤色の髪は、地味な色のフードを目深に被っていても、毛先が垣間見え目立っていた。
「仕方ない、もう少しだけ見回って帰るか」
一人で行動する事が多く、癖づいてしまった独り言を合図にユアンはあたりをぐるりと見渡した。
人間どころか動物一人いないその場所は、天井からの光も相まって幻想的に見える。けれども、そんなものはユアンにとって何の意味もなさない。
心を癒しに来たのであれば意味もあっただろうが、ユアンがこんな場所を訪れた目的は違う。
彼は、この場所に魔法を探しに来たのだ。
かつてこの世界に存在したと言われている魔法。けれど、それは伝説として語り継がれるのみで、その文献も遺物も公的なものは何も残ってはいない。
伝説になるほど昔のものなのだから存在しなくても仕方がないと言われればそれまでだろう。けれどもユアンはそれに納得していない。
過去、魔法が存在したのは事実だ。それは誰も否定していないし認めている。だが、あまりにも何も残っていなさすぎる。
もちろんそんな好奇心だけで魔法を探しているわけではない。ユアンにも魔法を探す理由があった。
「やっぱり、削られている」
そっと壁に触れながらユアンはそれに気が付く。
この遺跡でいくつ目かは忘れてしまったが、今まで巡ったどの遺跡も壁が削られていた。どう見ても故意的につけられた傷なのは一目瞭然だった。
傷自体は新しいものではないのか、壁の色は周りと同じく変色し、風化している。過去何らかの理由で削られたのだろう。
つまり、もうここには魔法に関するものは何も残ってはいない。
そう確信して、ユアンは来た道を引き返していく。無駄足だったと嘆いたのは一瞬、すぐにその思考は帰宅後にする事になるであろう言い訳を考え始めていた。
***
広い国土を持つ、大陸一の国ディルタ。その王都は常に大勢の人間で賑わっていた。多くの行商が行き交い、表通りでは煌びやかに着飾った貴婦人が談笑している。
勿論、街全体がそんな裕福な人間だけで埋め尽くされているわけではない。表通りから少し路地に入った場所には、ユアンの様なごく普通の慎ましい生活を送っている者達が生活していた。
「さて、今日もやっぱり居るんだろうな」
溜息交じりの呟きと共に建物の影から住んでいる家の方を覗き込むように見つめると、一人の少女が険しい顔をしながら、扉の前で仁王立ちをしていた。もう何度目になるか忘れてしまうほどに見慣れた光景である。
男らしく足を肩幅に広げて立ってはいるが、その背は低く、あまり威圧感は感じられない。その上、薄茶色の髪が肩の近くで綺麗に切り揃えられており、美人と言うよりは可愛い印象を受ける顔を引き立たせている。
傍から見ればムスッとした表情すら微笑ましく見えたかもしれないが、その怒気が向けられているであろう張本人にとっては全く笑えるものではない。
しかしながら、見つめていても怒りに満ちた門番が立ち去る事はありえないし、長引かせる程その怒りが増すのはもう経験済みだ。
つまり普段通り心を決めて、その怒りを受け止めるしかないのだ。
「よう、シャロン。どうしたんだ、そんな所に立って」
醸し出される怒りのオーラにはあえて気づかぬ振りをしながら、普段通り気さくに声を掛ける。
少しでも逆鱗に触れないようにと心がけたのだが、それは失敗したようだった。まるでアンデッドのようにゆっくりと首だけをユアンの方に向けた少女、シャロンの目は血走っている。
「あら、ユアン。今まで一体どこをほつき歩いていたの?」
穏やかな声色は表情と噛み合っておらず、違和感を通り越して恐怖を感じてしまう。
「えーあー……ちょっと街外れまで散歩に行っててな。ほら、今日は朝からいい天気だったから、つい」
「つい……じゃないわよ、穀潰し!!」
目を泳がせながら発せられた気の抜けた声に返されたのは、怒声と鉄拳だった。
反射的に攻撃を避けるために体が動く。最初の頃は素直に顔面でそれを受け止めていたのだが、いつからか体がその痛みを拒否するようになってしまっていた。当然、避ければ避ける程にシャロンの機嫌は悪くなっていく。
「この、ちょこまかと……避けてるんじゃないわよ!!」
「ま、待て、落ち着け! そんな暴力的な女になったら、バドがまた嫁の貰い手が無くなるって――」
繰り返される猛攻を器用に避けながら、思わずユアンは口が滑ってしまった。瞬間、怒りに支配されていたシャロンの表情がスッと冷たいものに変わる。
「あ――悪い、そういうつもりじゃ……」
「いい覚悟ね、ユアン」
失言だったとすぐに謝ったが、時すでに遅く、先程までの猛攻とは比べ物にならない速さでシャロンの手がユアンの首元に伸びる。
そのまま襟首を掴まれ、女と思えぬ力で引き寄せられると同時に足払いを食らい、身体が宙に浮かぶ。やっぱり最後はこうなるのか、なんて事を思いながらユアンは夕暮れに染まる空を垣間見る。
「うぐぁ!」
それも瞬きするような一瞬の出来事。潰れた蛙の様な声を上げながら、宙に浮かんだユアンの身体はそのまま一回転して地面に叩きつけられた。
ひとつ言っておくが、ここは硬い石造りの街路だ。だと言うのにも関わらずシャロンは容赦なくユアンの身体を投げ飛ばしたのだ。その結果、言葉に出来ない程の猛烈な痛みが体を駆け巡る。
「あぁースッキリした!」
痛みにうずくまっていたら、頭上からそんな爽快な声が聞こえてきた。そっと視線を上げてその表情を覗き込むと、気が付いたシャロンと目が合い、先程とは打って変わった満面の笑みが向けられる。
「お帰り、ユアン。さぁ食事の準備よ」
「あぁ……了解」
満足げに笑うシャロンに、ユアンはそう返事をするしか無かった。
いまだ激痛が引いてはいない体を引きずりながら、ユアンはシャロンに促されるままに部屋の扉をくぐる。
もう古い家なのだが、部屋の中は質素ながらも綺麗に片付けられているせいか、そんなに汚くは見えない。それどころか、むしろ小奇麗な印象を受ける。
それもこれも普段からシャロンがこまめに手入れをしているからだ。
そう、ここに住んではいるが、この家はユアンのものではない。シャロンと、その父であるバドの家なのだ。
ユアンがこの家に世話になるようになってから、もう十年近い年が経とうとしていた。
「ユアン、いつまでも入り口でボケっとしてないで、手伝ってよ!」
シャロンの声にユアンは痛む体を誤魔化しながら返事をする。体が痛いのは、そのうちに気にならなくなる。それもいつもの事だ。
声の方へと足を向けると、シャロンが台所で夕食の準備に取り掛かろうと、野菜とにらめっこをしているところだった。恐らくは今日のメニューを考えているのだろう。
「それで、何を手伝えっていうんだ?」
「じゃあ、これとこれの皮むきをお願い。終わったら私に頂戴」
言うが早いか、シャロンは手にしていた野菜の一部をユアンに手渡すと、自分は自分で違う野菜を切り始めた。基本的に家の家事は全てシャロンが行っている。それもあって、その手つきは手慣れたものだった。
そしてそれに付き合わされて早十年のユアンも慣れたもので、手際よく言われた作業をこなしていく。
「それで、今日はどこに行ってたの?」
不意にかけられたそれに、ユアンは視線を向けるが、声の主であるシャロンの視線は手元に向けられたままだった。だからこれは世間話の一つなのだろうと結論付ける。
「別に特別なところには行ってない。帰って来た時にも言っただろ、散歩に行ってたって」
「毎日毎日、よく飽きもせずに散歩に出かけるわよね。お爺ちゃんじゃないんだから、散歩に行くぐらいなら仕事でも探したらどうなの?」
呆れたような溜息交じりのそれに返事が続けられなかった。シャロンの苦言は最もなもので、ユアンぐらいの年になれば普通は何かしらの仕事をしている。ユアンの様な人間は傍から見ればぐうたらしているだけに見えてしまうだろう。
「だから、それはバドの手伝いもしてるし、一応たまにだが金も稼いでるだろ」
歯切れ悪い返事に深いため息が聞こえてきた。居た堪れなくはなるが、ユアンもただで居候をさせて貰っているわけではない。バドの仕事の手伝いもすれば、遺跡で金目の物を見つけては売り払って稼いでいる。
ただし、シャロンはユアンが魔法を探すために遺跡に行っている事など知らない為、ユアンのそれが出所の分からない不可解な資金に映っているのだろう。
「まっとうな生き方一つ出来ないなんて……天国のご両親はきっと泣いてるわね」
「待て待て、勝手に人をろくでなしみたいに言うんじゃねぇよ、別にまだ悪事には手を染めてないだろう」
「まだ?」
目ざとくユアンの失言に気づいたシャロンの声色が変わる。それに慌てて手にしていた野菜を手渡しながら何でもないと首を振って見せた。
事実ユアンはまだ悪事に手を染めていない。まだ、と言うのには理由がある。
それはユアンの探し求めているものが魔法だからだ。魔法のなくなった今の世界では、その力は禁忌とされており、少しでも疑わしい者がいれば、厳しく罰せられてしまうのだ。
曰く、魔法が滅びたのは、その力が強大で合った為に大規模な戦争が起こり、その戦争で魔法使いと呼ばれる者がことごとく死んでしまった。故に、再びその悲劇が起こらないように禁忌にした、らしい。
らしいというのは、文献も何も残っていないせいで、国王の定めたその文言しか参照できるものがないからだ。
「そういえば今朝、父さんが話があるって言ってたわよ?」
「バドが? また手伝いか何かか……まぁ、ちょうど当てもなくなったし別に構わないけど……」
呟くような声でそう漏らしながら、知らずため息が零れる。ユアンの当てと言うのは魔法の事だ。今日行った遺跡が最近調べたもので、最後の当てだったのだ。
次からはまた魔法に関する遺跡については、一から文献や噂話、または散歩がてらに足で調べるしかない。それも慣れてしまった事だが、いい加減に調べつくしてしまった気もしていた。
「手伝いは手伝いみたいだけど……いつもと違うっていうか、歯切れが悪いっていうか、変な感じだったのよね」
「変ねぇ、別にそんな気にする事じゃないだろ。どうせ夜にはその話になるんだろうしな」
首を捻るシャロンにユアンは軽い返事を向けると、それもそうかとシャロンは軽く頷いて料理に戻る。話をしていてよく見てはいなかったが、いつの間にか素材は料理と呼べるものへと変わっていた。