ある春の夜
「麗らかな春」「手放した秋、手にした春」「祝福される春」と内容が被ります。
麗の父親の気持ちが語られています。
麗の父親視点の話を!というリクエストを頂戴したため書きました。
それはとある春の夜の事だった…。
俺には5年程付き合った彼女がいて、彼女の両親に会うため、彼女の生まれ育った街を訪れていた。
結婚の許しを乞うためなのだが、あまり自信はない。彼女の両親の俺に対するイメージはあまり良くないからだ…。
挨拶を翌日に控え、なかなか落ち着かない俺は宿泊するホテルの近くにひっそりと佇むバーを訪れた…。
もう何十年もそこにあるのだろうか?仄暗い店内はカウンターだけが10席ほど。俺の他に客はいない。
塵ひとつ、埃ひとつ見当たらない店内。カウンターはもちろん、床までが飴色に輝き、その奥に整然と並べられた蒸留酒やリキュール、シロップ等の瓶。
穏やかな表情で曇りのないグラスを更に磨く店主。
全てに於いて手入れが非常に行き届いている印象を受ける。
柄にもなくウィスキーをロックで頼んでみたりして、店主相手に翌日の挨拶の事など話している時、その男は現れた…。
カランカラン…。
「いらっしゃい。お、八重山さんじゃないですか。珍しいですね。」
「ついに下の娘も嫁いでしまってね…今日が式だったんだよ…。」
八重山という初老の男性は、どうやらこの店の昔馴染みらしい。
「今までの事が思い浮かんでしまって…どうにも吐き出さずにはいられなくてね…マスターの顔が思い浮かんだって訳さ…。」
「せっかくだから君も聞かせてもらったらどうかな?八重山さん、こちらの青年、明日恋人のご両親にご挨拶に伺うそうですよ。」
「そうか…参考になるかは分からないが、良かったら君も聞いてくれ。娘を嫁にやる父親の気持ち…多少のアドバイスであれば出来ると思うからね…。」
そして、彼は静かに語り始めた。
***
私には、娘が2人いてね…。親の欲目かも知れないが、2人とも飛び切りの美人だ。
今まで私のところに、3人の男が結婚したいと挨拶に来たよ。娘が2人なのになぜ3人かというのは…後で説明しよう。
まず、長女…小春の話だ。小春は幼い頃から活発で意志の強い子だった。
もう、16年前…小春が二十歳の時のことだ。
ある日突然、小春が私に会わせたいと言って1人の男を連れてきた。彼…巧は小春よりも3歳年上、社会人1年目の頼りない…しかしやたらとよく喋る男だ。私はよく喋る男が嫌いでね。しかも小春は二十歳で短大生。まだ結婚を急ぐ歳でもない。
だと言うのに短大を卒業したらすぐに結婚をしたいと言うものだから『まだ早い』、そう言って彼を追い返した。1度じゃ納得せず、5〜6回そんなことを繰り返した。
するとしばらく何も言ってこなくなったものだから納得したものだと安心していたら…卒業して半年後、とんでもないことを言い出した。
「小春が妊娠した。だから結婚を許して欲しい。」とね。
巧と小春は既成事実を作ったんだ。何て浅はかなのだと私は怒り狂ったよ。許せるわけなかった。まだ早いと何度も言ったというのに…それに物事には順序というものがあるだろう?
巧は暇さえあれば私のところへやってきた。初めは玄関で追い返していたが、あまりにしつこくて私が根負けして…話を聞くことにした。ただ、とてもじゃないが素面ではそんな話をする気になどなれなかった。それに酒に酔わせて奴の本音を聞きたい、そんな思惑もあった。だから巧が来るたび、2人で酒を飲んだ。
その間も小春の腹の中で子どもは成長していった。
丁度、小春自身が子どもが動いているのを感じるようになった頃だったかな…私が折れることにした。よく喋る男だったが、口先だけではないことが分かったからね…。見た目と言動は軽いが、芯の通ったいい奴だったんだ。
小春は22歳で結婚して子どもを産んだ。今ではその子も中学生、4月から中学3年生だ…母親そっくりで意思の強い可愛い孫娘だよ。
今でも2人は夫婦仲が良くてね…あの時許して良かったと心から思っている。
子どもが産まれて数年経ってから分かったことなんだが、巧と小春が結婚を急いでいた理由が、彼の祖父の病気…癌で、生きているうちに自分の晴れ姿…結婚式を見せたい、出来ればひ孫を抱かせてやりたいという事だったらしいんだ。
初めに結婚したいと言い出した時点で、3年後の生存率は10%以下だったらしい。彼自身が初孫で可愛がってもらったらしくてね…。よく喋る癖に肝心な事は言わない。困った奴だよ。
そして今日結婚したのは次女…麗だ。幼い頃は泣き虫で引っ込み思案、姉の後ろに隠れているような子だったよ。姉とは5歳離れていたからね、姉が中学に上がると以前よりは積極的になったものの、周りと比べたら控えめで、とても優しい…まぁお人好しとも言うが…そんな子だった。
小春も可愛かったけれどあの子は強かったからね…麗は下の子だったし、幼い頃は泣いてばかりいたから…頼りなく感じたせいもあったのだろう…もう、可愛くて仕方がなかった。目に入れても痛くない、そんな子だった。
小春が結婚してからは、それに拍車がかかってしまってね…。
我ながら親バカだと思うよ…。
麗が社会人1年目、20歳の頃からある男が度々我が家にやってくるようになった。巧と比べたら随分物静かで、穏やかで、真面目そうな男だった。彼は私と同じ高校、大学…学部も同じだった。
勝手に親近感を覚えた私は、時々彼と酒を飲んだり、釣りに出かけたりしたものだ。大学卒業後も一流企業に勤め、真面目に働き、麗の結婚相手としては申し分ない、そう思っていた。
初めの印象が良かったものだから…それに私の後輩だということもあったし…あまり感情を表に出さないというのも、自制心があると捉えていたんだ。色眼鏡で見ていた、つまりそういう事だ。
麗が26歳の頃、私が定年を迎えてね。それまで身を粉にして会社に尽くしてきたから…退職後は自分と妻のために、私の父の生まれ故郷の田舎で悠々自適に暮らすことにした。ここからもそう遠くないし、娘達に何かあればすぐ来れる距離だ。
今まで住んでいた家…マンションなんだがそこに麗1人で住まわせるのは少し心許なくて…彼と住んではどうかと私が提案したんだよ。
2人は付き合って6年経っていたし、上の娘は22歳で結婚も出産もしているからね。
麗は結婚式場で働いていて、他人の結婚式の世話ばかりで自分の事は疎かにしていたものだから…こちらも心配になってしまって…そういう訳だ。
話し合いの末、3年後を目処に結婚する事が決まった。それまでは同棲して2人で生活しながら結婚資金を貯めようという事になったんだ。
同棲を始めて2年後の春、彼の転勤が決まってね。麗と彼は離れて暮らすことになった。
異動が決まってすぐ、彼が私の所へやってきて正式な結婚の申し込みをした。とは言え、私が彼との結婚を勧めた様なものなのだからあくまで形式的なものだ。
そして、翌年の秋に式を挙げることが決まった。2人の決めたところが人気のある式場だったらしくてね…本来なら春に挙げるつもりが予約の関係で半年先伸ばしになったんだ。
挙式の1年前…その年の秋に結納を済ませて、翌年の春、麗は勤め先を退職して引越しの準備をしていた…。
思い出しただけで怒りがこみ上げてくる…。
娘の…麗の人生を滅茶苦茶にしやがって…ってね。
まさに悪夢…それ以外になんと表現出来ただろうか…。
麗の引越しの3日前の事だった。
私は妻と庭いじりをしていたのだが、突然私の携帯電話に彼の父親から電話があった。そして、麗が倒れて病院に運ばれたと告げられた。私と妻は着替えもせずに慌てて車を走らせて麗が搬送されたという病院に向かった。
ベッドの上に横たわる麗は、顔が真っ青で、点滴を打たれていた。まだ意識は戻っていないが、心配は無い、過労と心労だと医師に告げられた。
心労に思い当たる節は無かった。あの子は本当に楽しそうに、幸せそうに毎日を過ごしている様子だったからだ。
しかし、その原因はすぐに明らかになった。
麗の婚約者と彼の両親が、突然土下座をしたのだ。何事かと問えば、とんでもないことを言い出した…。
麗との婚約を無かった事にして欲しい…。
言っている意味が分からなかった。彼の父親は泣いていて、頭を下げ続けた。母親は取り乱してもう目も当てられないような状況だ。
彼だけが、不服そうな顔をしていた。
彼のご両親を宥めて、話を聞いたところ、彼は他の女を妊娠させたと言うのだ…。しかも、相手は彼に責任を取って結婚して欲しいと言っているらしい…。
肝心の本人は…自分のしでかした事の重大さを全く理解していなかった。そんな事をしておきながら麗と結婚したいと抜かすのだ。
激昂した私は奴を思い切り殴った。人を本気で殴ったのは後にも先にもあの1度きりだ。
奴は吹っ飛んだ。大きな音を立てて壁にぶつかり、頰が腫れ上がった。
そんな奴の姿を見た途端、私は自責の念に苛まれた。
彼との結婚を麗に進めたのは私だ。
彼に裏切られたのも事実だが、私に見る目が無かったのも事実。彼を過大評価していた事にやっと気付いた。
他所の女を妊娠させておきながら麗と結婚したいなどと言う奴はこちらから願い下げだ。そんな男にとても娘を任せられない。
それ以前に、もうこれ以上麗と関わらせたくなかった。
私が殴った時、奴の携帯電話…スマートフォンも吹っ飛んで壊れた。これですぐには娘と連絡など取れまい、そう思うと少しだけ落ち着くことが出来た。
その後の話し合いは、私と奴の父親とで進めることにした。
訴訟を起こすということも考え無かった訳ではないが…麗の事を考えると得策ではない、麗を余計苦しめるだけだと思い、示談で済ませた。
それに、父親は誠心誠意詫びていたしね。父親に免じて…その部分も少なからずある。奴の両親もある意味被害者だ…。麗の事は実の娘の様に可愛がってくれていたからね…それを考えたら…。今でも心が痛むよ…。
最後に麗にもう連絡をしないよう奴に念書を書かせ、麗の携帯電話は解約して番号を変えた。
麗からも連絡など出来ぬよう、奴の携帯電話も同様にしてもらった。
それで縁を切ったんだ…。
その直後のあの子の姿は本当に酷かった。よく笑う笑顔の可愛い子だったのに、死んだ魚のような目をして常に無表情だった。
食事を取れば吐いてしまうし、ずっと上の空で、1人にしてしまっては自殺しかねない、そんな状態だったので私の元へ無理やり連れてきた。
1ヶ月程経った頃、急に様子が変わった。相変わらず死んだ魚の目で無表情だったが、結婚を報告していた人たちに辞めたことをお詫びしに行くと言い出した。
皮肉にも、仕事柄このような状況になった時何をすべきかという知識が麗にあったために、テキパキそれをこなし始めた。
そして、このままではいけないので自立する、暫くは小春の家に世話になってアルバイトをして生計を立てると言い出した。アルバイト先が結婚式場やホテルの宴会の配膳だと聞いた時には耳を疑ったが、彼女なりの考えがあったのでやりたい様にさせた。
幸い、友人達に恵まれていたため、少しずつではあるが、表情は豊かになっていった。一時は骨と皮だけになってしまうほどやせ細っていたのも、少しずつ戻っていった。
秋になり、冬になり、随分立ち直ってきたように思えた。正社員の仕事も見つけ、1人で暮らし始めた。
無理して笑うことが多かったが、それでも笑顔だ。以前に比べたらずっとマシなのだから…。
年が明けて、1月も末頃になると、急に自然な笑顔が溢れる様になった。表情も随分穏やかになった。
私と妻はほっと胸を撫で下ろした。
***
彼…八重山氏は、大きく深呼吸をした。
「私の所に結婚の申し込みをしに来た男…1人目は小春の夫、巧だ。そして2人目が麗との婚約をとんでもない理由で破棄した男。今となっては奴と結婚しなくて良かったと思っている。式を挙げる前、籍を入れる前で本当に良かった。麗にとって必要な痛みだった…だなんてとても言えないし、思い出しただけで虫唾が走るが…これで良かったんだ。」
「もしかして…2年前にいらっしゃった時…何も仰らず、ただひたすら飲んでらしたのにはそんな理由があったのですか…。」
「ああ、そうだ。さすがはマスターだね。あの時はとても誰かに話せるような心境では無かった。私自身だって、彼を息子のように思っていた所もあるしね…。」
遠くを見つめフッと寂しそうに笑う八重山氏。その精悍な横顔に少し憂いが見えた。
きっと彼は若い頃すごくハンサムだったのだろうな…そして、2人のお嬢さんは、彼の贔屓目などではなく、本当に美しいのだろう、そんな事を思ってしまった。
「今日、麗が結婚したのは…私の所に挨拶に来た3人目の男だ。じゃあそいつの話しをするとしよう…。」
***
私がホッとできたのはほんの束の間だった。
あれは…2月の終わりだったかな…暦の上ではとっくに春だというのに、雪がちらつく様なとても寒い夜だった。
目を腫らした麗が巧と小春に連れられて急に私の所へやってきた。
いつもなら、数日前に連絡を寄越して来るというのに、日曜の夜に突然だ。
何事かと思えば、好きな男が出来たから結婚を前提に付き合いたいのだと言うではないか…。
私は心の準備が出来ていなかった。
まさかこんなに早くそんな話が出るとは思わなかったからだ。
婚約を破棄されしばらくした頃、勢いで結婚相手は私が決める、元気になったら見合いをさせると麗に言ってしまっていた。
婚約破棄した男との結婚は私が勧めたのだ。また私が勧めて同じような事があっては麗に申し訳なくて顔向けできない。
もうこの様な思いはさせてはならないんだよ…。
だから、麗本人が選んだ相手であれば、きちんと向き合ってみよう、そう思っていたが、その時の私には向き合う心構えなど全く出来ていなかった。
まだ早い、まだ麗を手放したくない、嫁にやりたくなどない…そう思ってしまった。
トドのつまり…私の我儘だ。
話を聞けば、麗が付き合いたいと言う男も高校の同級生だった。…実は婚約を破棄した男も麗の高校の同級生だったんだ。
奴とも知り合いで、奴と麗の間に起こった事も知っているという。
奴の事を思い出した途端、私は冷静ではいられなくなった。
今思うと酷いことを言ったと思うよ。弱みに浸け込んで口説くとは何事だ、などと言ったのだからな…。
そして、娘を…麗をまだ手放したく無かった私は逃げた。
会う気も、結婚を認める気も無いと麗を突っぱねた。
その2週間後、麗はその男を連れてやってきた。
春太郎という名の男だ。
どちらかといえば、婚約を破棄した男よりも、巧に近いタイプの…まぁこいつもよく喋るうるさい男だ。
安心した反面、まだ早いと強く思ってしまった私は、2人の話を聞くことすら出来なかった。
向き合う心構えが出来たのは、一月後だった。心構えが出来た…というよりも無意識に私自身を追い込んていたようだと言った方が適切かもしれない。
毎週春太郎は俺を訪ねてきた。麗の誕生日ですらやってきた。しかも、それまで2人で来ていたのにその日に限って1人でだ。麗だって誕生日くらい好きな男と過ごしたいだろう。私がその邪魔をしたら麗が可哀想だ…そう思ってしまった。
その時、私は麗のために帰れと追い返した。
そして…翌週話を聞いてやる、そう口をついて出た言葉に私自身が驚いたよ…。
翌週、春太郎はやってきた。誰に入れ知恵されたか知らないが、私の好物を持ってね。
まず、自己紹介を聞いたんだが…長いのなんのって…よくもまぁベラベラと喋るもんだ、そう思ったよ。あまりに煩いから、ちょっと困らせてやろう、そう思った。
「麗に手を出していないだろうな。」
そう聞いたんだ。私は間違いなく彼が動揺するだろうと思っていた。麗も春太郎も30だ。そんなことをしていたって何らおかしくもないし、私が彼を咎める理由だってない。ただ、慌てた様子を見たい、そう思っただけだったのにあいつときたら私から目を反らすことなく真っ直ぐに見たまま「勿論だ」とのたまった。
思わず笑ってしまったよ。それが本当ならば見所のある男だし、嘘をついているなら肝のすわったとんでもない野郎だ…これは面白い、必ず見抜いてやろう、そう思って酒を飲ませた。
飲ませたらまぁ喋るわ喋る。幸せにするだの、裏切らないだの、トラブルが起こっても向き合うだの次から次へと…口で言うだけなら簡単だ。綺麗事ばかり並べやがってと思ったよ。
程よく酔ってきたところで、婚約破棄した奴の事を聞いてみたんだ。学生時代は仲が良かったらしいからな。当たり障りの無い答えしか返ってこないから、多少脅してみたがあいつには意味が無かったよ。
つまらないから、本音を聞き出してやろうと更に飲ませた。
春太郎を酔わすのは簡単だったよ。私から見たらかなり弱かったからね。ベロンベロンに酔った春太郎はそりゃあよく喋った。しかも恥ずかしげもなく…聞いているこちらが恥ずかしくなるような事ばかり…愛してるだの、命をかけて守るだの、麗の笑顔を独り占めしたいだの、高校の時から好きだったが麗は高嶺の花で諦めていたとも…。
そして、抱きたくても抱けないと言った。理由を尋ねたら…麗の心の傷が癒えていないから、だそうだ。麗が婚約を破棄した男にされてきた事で傷付いているのに、自分がそんな事をしたら思い出させてしまう、麗を傷付ける事が怖い、そう必死で言うんだよ…。
大の男が泣きながら、例の男がした事は許せない、でも、それがあったから自分は麗と再会して恋に落ちた…辛い思いをしてきた分、幸せにしてやりたいのに自分はどうしたら良いのか、何が出来るのか、どうすべきなのか分からない。ただ、麗だけを見て、愛して、気遣ってやる事しか出来ない。
私にとってはそれで十分だった。
翌日、起きてきた春太郎は、後半の記憶が全くなくてね…。
その後も何度も飲んだが、毎回それの繰り返しだ。たまたま、心理学を学んでいる知人がいてね、春太郎の行動について聞いたんだ。…恐らく、春太郎の深層心理であって口先で言っているのではない、そう言われたよ。
こいつなら、任せられる。そう思った。
そう思ってからも念の為、何度か飲んだんだが、あいつは馬鹿がつくような正直者だということが分かった。すぐ顔に出るし、嘘がつけないタイプだ。思った事をすぐ口にする様な奴だからな。
そのうちに、春太郎と飲むのが楽しくなってしまった私がいてね…結婚を許したらもう来なくなるんじゃないかと思ったらなかなか許可するとは言えず…妻に怒られて…麗が結婚を前提に付き合いたい人がいると言い出してから約半年後、春太郎が正式に挨拶にやってきた。
いい奴で、娘を、麗を安心して任せられると私が1番良く分かっているはずなのに、複雑なものでね…やはり嫁にやりたくない、そう思ってしまったよ。
今日だって、嬉しい反面、寂しくて仕方なかったからね…。でも、麗の幸せそうな顔を見ていたら、そう思ってはいけない事に気付いた…。
春太郎がだらしない顔で笑っていたのが気に食わなかったがな。あいつは気を付けてさえいれば、なかなか男前だというのに…まぁ、それだけ幸せだということなのだろうな。
***
八重山氏は、穏やかな表情を浮かべ、3杯目のブランデーを飲み干した。
そして、今日の結婚式の際撮ったものだと、彼のスマートフォンを見せてくれた。
そこに写るのは、羽織袴を着て顔をくしゃくしゃにして笑う、ハンサムで人の良さそうな青年と、白無垢を着て微笑む美女だった。
「結局のところ、上辺だけ取り繕ってもダメだと言うことだ。真っ直ぐな気持ちは必ず伝わる。反対されても、諦めず正面から向き合えば良いんだ。
君がどんな人なのか私にはわからないが、本当に恋人を幸せにする気があるのなら、きちんとそれを伝えなさい。
誠心誠意、それが大切だ。
明日は上手くいくと良いね。頑張りなさい。」
それだけ言うと立ち上がり、彼は店を出て行った。
「どうです?参考になりましたか?私にはあいにく、娘はおろか…妻までいないものですからね、娘を嫁にやる父親の気持ちも、結婚を申し込む男の気持ちも分からないんですが…彼の言う通りだと思いますよ。もう、遅いですから、あなたも帰って明日に備えた方が良い。お代は結構です。八重山さんに頂いてますからね…。」
***
翌日、俺は彼女の両親を訪ねて結婚の申し込みをした。
取り繕うことは考えず、精一杯、誠心誠意気持ちを伝えたせいか、無事に結婚の許しをもらうことが出来た。
あれから1年、明日、俺は彼女と結婚式を挙げる。
あの春の夜、彼と出会っていなければ、今どうなっていたのだろうか…。
俺はしんみりとそんな事を考えてしまうのであった。