第3話 ミズノコトウ
プロローグが続きます。短めです。
投稿に合わせて、前話までの誤字脱字を修正しました。
最後に、世界の到る所で言い伝えられている『ミズノコトウ』と『アマカケルコダ』にまつわる話をして置こう。
どのような内容かと言えば、「空を支えていた塔が何の前触れなく崩壊した」、「塔から人面の蛇が空を駆け抜けた」――簡単にはそれだけだ。
「空を支える塔」――科学技術が未開の時代に、そのような塔の建造が可能であるとは思うまい。加えて、聖書の中に記載される『バベルの塔』を想像するのは安易な結び付けに他ならない。
どれ程前の話かは定かでないのだが、世界には天空を支える柱が確かに在ったのだ。どんなホラかと疑いたくもなるが、「天まで伸びる柱」という単語だけでなく、「塔を見た」という話は、世界各地に残されている。その為、初めから嘘と決め付けるのも態度として相応しくないだろう。
専門の分野ではないが、気象現象として竜巻など大きいものは、塔を逆さにしたものと言えなくもない。ならば、件の塔も特別な気象条件の基で発生していたものと捉える説は、不可能や間違いの謗りは受け難いだろう。「特別な気象条件」という実に曖昧な条件は、再現に至らない事象を言う上で、まことに重宝している。
後付万歳と諸手を挙げる訳ではないが、塔の目撃された日は、「いずれも寒さ厳しく、近くに雲一つない空気の澄んだ日」という報告が専門家から上がっている。ゆえに、そのような物であると捉え、人面の蛇についての説明に移ろう。
「人面の蛇」――秘境の出来事が史実であるとしても、説明は付かない。『バンドック伝説』を真に受けるならば、冷や汗混じりに言葉少なに「有り得る」と秘境関係の研究者が答えるだろう。
仮に、塔の近くの地域にのみ伝わる内容であれば、「何らかの影響で空に舞い上げられた蛇が降ってきた」と解釈されたのかも知れないが、海を渡った先にも同様のものが伝わる以上、空を何かが駆け抜けたのは信じる必要がありそうだ。
そして、伝説の内容を信じ掛けている研究仲間から囁かれたこともある「コダ」について。伝説と同じ様に「虚蛇」なのか、あるいは単に大きさから「巨蛇」なのか。正直なところ、どちらでも良いのだが、恐らく両方であると勝手に思っている。そのような些事に関心を寄せるのは、本当の問題から目を外らせているに過ぎない。直接の関係はないからと議論になったことはないが、一研究者として問題を提起して置こう。
問題とは、秘境そのものか、幻人によるものかは断じることはしないが、新人及び世界に与えた影響について、である。
『ミズノコトウ』と『アマカケルコダ』は、いずれも新人世界の話である。幻人秘境の話と繋げて考えるのはおかしいとされてきたが、娯楽の一つとして受け入れてきた『霞の央国物語』が『かすみの』という歴史書に基づく偽史であり、史実であるというならば、それが伝わった経緯を含めて、何も影響がないと考えるのもやはりおかしい。
時間を掛けて行われた実地調査、研究、議論を通して、幻人固有の能力や技術が新人には不可能と結論付けられたが、そこに安心できる内容は何もない。「全く異なる進化を遂げた為に、交じり合えなかった」――そんな結論は、不安しか残らせなかった。
遺伝について、専門的な知識を持っている訳ではないが、片親の遺伝情報を全く継がれないことなどあるのか、幻人同士で結び続けたことで遺伝情報に劣化が生じたのか、同性しか居らず一代で滅んだのか、様々なケースが想定されるが、秘境内の情報が世界に伝わる以上、幻人はこちら側に出てきたのだ。
幻人の成人体格は、新人の六、七割という報告がある。秘境という環境が幻人の成長を抑え込んでいたかは判らない。判らないが、判ることは別にある。秘境を出てきた中に『カタリベ』は居たであろうし、語り部も居ただろう。
まさか魔王は居なかったと考えたいが、仮に居たとしても、こうして世界が続いていることを根拠に大きな影響はなかったのだろう。外史をまとめた『在りし書』には次のような内容がある。「イエラは、旅の最中にある魔族の者と生涯の友の仲を誓い合った。しかし、その魔族は魔王につき、イエラと対峙することになった。その魔族は戦いの末、イエラの剣を胸に突き立てた。友との誓いを守れず、悔しさに涙を流した魔王は、力を奮って運命に盾突いた」――その結果、魔王がどうなったのか、イエラはどうしたのか、そのどちらも今語るのは相応しくない。『かすみの』にも似た内容が載るので、後述は正史を見る。「巨大な体をした異形の生物と対峙した継承者イエラが奮った力は、央土を覆っていた霞を晴らした。(中略)。その後、神子は現れることはなくなった。エトラ様だけでなく、他の神々の気配も失せてしまわれ、五体の魔王が現れる預言のみが残った」――力を奮った結果、青い空が現れ、事前に魔王の出現を預言した神を失ったのである。
しかし、「霞を晴らした」とは、『ミズノコトウ』との関係を疑わせる一節である。「見ずの巨塔」さもなくば「水の巨塔」は、幻人の力によって内部より壊した。同時に、『アマカエルコダ』とも然り。『バンドック伝説』にある虚蛇の蜷局を解き、空へと放逐した。そのまま、秘境は世界と繋がりを得たのではないか。
蛇が何処に行ったのか、それとも去ったのか、「虚蛇」という記述から消え去ったと一方的に信じているのは、そのような存在を信じたくないからだ。ゆえに、神もまた去ったに違いない。もう、人類を危険に晒す女神もいないのだ。そのように信じて――近く、研究の為に秘境に入ることになる。
『霞の央国物語』に魅了されて、その研究者になり、研究を行う中で騒がれた史実としての物語を振り返り、自身もまたその空気に触れたいと考えるのは不思議ではない、はずだ。
手順という訳ではないが、秘境に至る麓で語り部のように偽史を話すイツキ(※イエカの直系の子孫との噂がある)に会ってから、話しを聞いてから先に進む予定である。これより先の供は、同じく魅了された同志に願うこととしよう。
もちろん感性は人それぞれ故、性に合わない、別の物語に心酔する――そんな同志もいるだろう。全く構わない。好きなことに入れ込んだら良いと、内心では好きになって欲しいと望みつつ、無理強いは逆効果であることを思い出す。
失敗した記憶に結び付いて、現れるお気に入りは、物語を絵本調にしたものの一部だ。勇者が魔王に人々を傷付ける理由を問う場面で、魔王は斯く答えるのだ。「わたしは、お前たちの不しあわせから生まれた! しあわせなお前たちがにくい!」――でも、それは一つの流れが定まってからの言葉だ。魔王は勇者に倒される存在である為、魔王は勇者に憎まれる台詞を返したのだといつしか考えるようになった。
「好意の押し売りは辛い」――それに似た一節が前半部に書かれている。「人びとは日のしずむ地域に住む人びとからま王を生まれた時、女神様の新たな子どもとして、温かくむかえました。 しかし、ま王は人びとから逃げました」――その後、魔王は人々の大切なものを傷付け始めたのである。
共感を得ながら好きなことに談義を重ねていきたい、そうでなければ、大好きなものが傷付けられてしまうことを知った。
また、裏読みが過ぎるかもしれないが、この絵本調の作品に登場する魔王は人々を嫌いではなかったのではないか、と思っている。境遇を比べて嘆いているだけで、好き嫌いは何一つ書かれていないことを後々知ったからだ。
だから、不幸な生まれの魔王の、譲れない思いのようなものに幼かった当時から知らずに魅了されたのだろう。
最後最後と話しが途切れないが、次を最後に、改めて旅の供となる同志の到来を待つこととしよう。
物語好きな同志諸君――『霞の央国物語』は、勇者が魔王を討つ作品ではない。魔王が勇者に倒される作品だ。前者は言わずもがな、後者は魔王がメインとなる。
秘境の女神が悪女と罵られてもなお望んだ存在である魔王が勇者に討たれるだけとは、そのまま信じてはいけない。そこには、偽史にも表れない真実があったはずである。
すなわち、純粋に物語の展開や内容に嵌る者も多いが、歴史である以上、真実を探るのも楽しみ方の一つであるということだ。これより先は、未知である。物語にはない真実を探る道の開拓である。
次話がなかなか進まず、その間を埋める為に書いたので蛇足な感じがしますが、意味はありありです。




