第1話 女神の堕ちた日
言葉の言い回しや誤字脱字やら、説明不足など多いかもしれません。
書き上げたばかりなので、追々差し替えていきます。
全30話前後を考えていますが、不定期更新になります。
13/05/17 体裁および内容を一部変更
13/06/13 誤字脱字の修正
ギリシア神話やローマ神話、アーサー王伝説や『ブリタニア列王史』、『ナルニア国物語』、『ホビットの冒険』や『ザ・ロード・オブ・ザ・リングス』、クトゥルフ神話など民間伝承や伝説、創作によって、世界は様々な物語に満ちている。自然界では進化のしようがない想像上の生物の存在や、力の在り方など、大人の遊びとして魔術結社が組織される切っ掛けになる程、人々は娯楽の一つとして物語を重宝してきた。
そうした物語の中のマイナーなものの一つに、『ザ・ミスティ・センター・ボウル』――通称、『霞の央国物語』も存在していた。その昔、秘境に生きたという幻人(※物語に登場する架空の人々を指した造語)のエピソードを語り部が口にした内容を二十本にまとめた物語集である。
語り部は、盲目の琵琶法師が琵琶を奏でながら平曲を語るように、全身を使って巧みに臨場感を出しながら人々に物語を語ったという。
しかし、羊皮紙に手筆で綴られ始めた頃より、直に人々に娯楽を提供する語り部は数を減らし、紙に印字され折り込まれた本が出回るようになると、たちまち姿を眩ませてしまった。後に、語り部は特殊な職業であったことが研究によって報告されるが、保護する機会を得るまでにその存在はもたず、真の語り部は既に消えていた。語り部が特殊と言われた所以は、偽史一つで語り続ける点と、大本を辿ると一人の語り手『カタリベ』に至る点である。これは、書籍の形で販売されるようになっても編者が端書きに「語り部○○へ捧ぐ」という一言を載せ続けていることを知った研究者が、世界中のそれを調査をし、判明したのである。
『カタリベ』という人物が如何なるものだったのか、憶測を呼んでいる。ただ、語り部は創作を語るのではなく、正史あるいは外史の内容をそのまま騙る偽史を語ることにプライドを持っていたことは明らかである。でなければ、「創作家と何が違うのだ、歴史を偽るあの低俗な輩と?」――そう答えた語り部がいたと研究者の間に語り継がれるはずはないのだから。
果たして、その歴史の何に惚れ込む要素があったのか、研究者の中には世間に出回る原典の原点、正史と外史に手を出した者もいる。
正史は、言葉使いという幻人の民族の一つが秘境の出来事を綴った歴史書『かすみの』であり、外史は地域に根差した内容を、幻人の民族の一つである央人が編纂したとされている。ものによっては正史と事柄や内容が異なる歴史書であるのだが、読み込んだ研究者の感想は、揃って「荒唐無稽」というものである。
語り部のプライドがどうであれ、物語と歴史書は違うものである。確かに、語り部の語ったとされる内容の方が、登場人物に主眼が置かれていて、彼らの心理描写もあり、風景描写もふんだんに入っている。であるならば、歴史書のあるべき内容はどういったものだろうか。それは、淡々と史実が載せられているべきである。その史実を記載すべきところに、魔法やら言霊……いや、歴史書の記載にある『魔出』や『言結』が頻繁に表現されるということは、最早歴史書と謳っているそれすらも物語である。
よって、研究者は皆一様に笑ったものである。語り部のもつ大層なプライドとは、斯様にも脆い砂上の城の如しと。――世界に残された秘境に、幻人の痕跡を捉えるその時まで。
『霞の央国物語』は、どれも魔王という絶対強者に勇者や神の御力により、世界を救うというものが載る。一つの土地に五千年弱という時間に二十もの脅威があったとは、仮に歴史書が史実だというのならば、その魔王によってもたらされた恐怖以上に驚異である。
そうして、笑ってきた一部の者たちの顎を外す一報は、世界の秘境と呼ばれる大地を股にかける冒険家によって伝えられた。
世界は真に人知を超えた造りをしているということだ。広大な密林地帯に今も生きる文明を知らない原住民の存在然り、開けた荒野に存在する一枚岩然り、その裏側に位置する険しい山脈の頂上にあった湖、その中央部にかつて存在した隠された秘境然り。
その秘境は、およそ四千メートルの崖の下に広がる広大な盆地だった。発見された時には既に文明は滅びていた。発見されるまでの間、巨大湖から立ち上る水蒸気に内側に盆地を隠しているとは全く窺わせなかった。冒険者の話しでは、盆地内部の地形は次のようであった。「最早涸れてしまっているようだが、崖上の湖からの水が滝となって落ちて作られたと見られる滝壷の跡。そこから続く幾つもの筋上のものは、地下から湧く水と合わさるようにして向いの崖へ伸びている。途中から全て合流し、広い幅となり、蛇行しながら、遂には崖に開いた穴に吸い込まれるように筋も消えている」と。物語には当然そういった記述があった。決定的だったのは、テレビ電話を介して研究者の問いに答えた二つの報告だった。風化し、持ち上げることも侭ならない、馬に似つつも歪な骨格をした異形の生物の頭骨が一つ。川の中洲に空いた円い陥没跡が一つ。
正史『かすみの』に斯く件がある。「世界は四柱の神々の想いが結実した姿である。主従は定かでないが、女性神が一柱――我ら言葉使いに御言を授けて下さる。ゆえに、我らは女神に付き従う言葉使いとして、『エトラの言葉使い』と称す。御言を授かる者は神子と呼び、女神の祝福を得て、齢八十の時間を死に届く老いから遠ざけられる者はとりわけ、継承者と呼ぶ。また、その奇跡が世界の安寧に繋がることを願い、継承者の名前を年号とする。されば『アウ即位暦十五年の時』となる。(中略)。エトラ、ブルデ、デスタ、シクレのご尊名にある神々はそれぞれに守護する一族がある。されど、我らが女神であるエトラ様に限らず、皆様一心に、人々の健やかを願われていることを此処に記す。なれば、あのような御言葉を告げられたエトラ様の真意を、是非に明かし、その悲しみを拭う支えをすることを子々孫々の者に切に願う。たとえ、我らのように小さき一族に漏らす訳にはいかないような、理由にせよ、祝福を得る我らは恩に報いなければ……」――正史の始まりの窺える内容であるが、アウという神子が、女神に一片の恩を返す為にも、その真意を得たいと望んでいる。
しかし、気が付くことは出来たであろうか。エトラの言葉使いの決まった者にしか言葉を伝えてこなかった女神が、それ以外の一族に対して、言葉をぶつけているという事実を。「あのような御言葉を告げられたエトラ様の」とあるように、女神はその神性を敢えて棄てるように何かしらの言葉を発しているのだ。
また、同時期の件を外史の記述と、それ以前の時期についての物語を絵本にした記述で続けて見る。「災時の報あり。人族を無に返そうとする者あり。女神の神子、集落の長に呼び掛けて勇者を選び抜くことを求める。之に長、速やかに呼び掛けるも、対岸の火事に身を差し出す者は現れず。神子の返しに、女神一言の発声あり」、「日ののぼる地域に住む人びとと、日のしずむ地域に住む人びとは女神様によって生み出されました。女神様はわが子のように人びとをみてはくださいませんでしたが、人びとにはどうすることも出来ない苦なんからは何度もおすくいくださいました。そのため、みんな、女神様にお礼をしていました。お礼だけをおこない、女神様をわかることは出来ませんでした」――女神の真意は果たしてどのようなものであったのか。それを知らなくても窺えることがある。それは疲れである。疲労は、諦めと結び付き易く、女神という立場にあっても抗えなかったのではないか。
今一度、正史『かすみの』の記述に戻ってみたい。「霞を抜けて、天より降る光の一筋あり。有史、陽の斯様の眩しさは何人も知らず。暫し、目の裏側に真円の跡を付けるも、雨よりも緩やかに降る光は、未だ央土を穿かず。ただ目を追うばかりに時間を掛け、大河に落つ。大河波立ち……」――これが女神の仕業か明確な記述はない。
しかし、神々がいて、幻人の苦難を取り除いてきた女神が癇癪を起こしたのならば、この隕石を思わせる自然災害から幻人を救わなかったのも理解できる。記述を途中で止めているが、「大河の波が瞬く間に岸辺の人々を呑み込んだ」という記述が続くのである。さて、落ちたのが石なのか、それとも言葉遊びのように何らかの意志なのかどうなのか。落下地点が大河であった為か、言及した歴史書はない。
だが、秘境として発見された大地の、かつて川が流れていた場所に、中洲を形成するように出来た円い陥没跡とくれば、書き方がどうであれ、やはり史実であったという発想には容易に辿り着く。顎を外していた研究者は、間もなく、全身を雷に打たれるかのように背筋を電流が駆け抜け、そのまま痙攣を訴えた。物語集『霞の央国物語』の本が、史実であるならば、秘境だけでなく、研究者が生きる世界もまた、魔王という得体の知れない絶対強者の脅威に曝されていたということ。それも、非科学的あるいはファンタジーとして扱ってきた『魔出』や『言結』も、他の物語で演出される魔法や言霊のようなマジックパワーやペテンではなく、本当に使える技術かも知れないという恐怖に襲われた。
その後、遺跡の発掘が進む中、研究者は一堂に会し議論し合い、能力の可能性については排した。幻人は正統な進化を遂げた新人とは、どの時点でも適合するものがなかったのである。よって、人類滅亡の脅威には人知れず襲われていたが、秘境の勇者と神の力によって救われてきたと会合では締め括られた。
会合の中で、全て女神が悪いと断言する研究者もいた。確かに悪いのかも知れないが、女神にそれを決断させたのは秘境に生きていた幻人である。史実を信じるならば、幻人の性質は、何故か進化系統の異なる新人と似て、隣人を愛する心を持ちつつ、損得勘定によっては時に反目し合っていた。
つまり、歴史は繰り返すというから、系統が異なっていても起こり得るのではないだろうか。ある日、何処からともなく声が響き渡り、人類の如何なる抵抗も虚しさを覚えるような災害を招き寄せる。隕石の接近を監視する人工衛星を嘲笑うかのように、突如現れるソレを地上に指し向けるのは、並み居る神々の中の女神。地球に生きる人類を見守ってきたからこそ、壊れない程度に人類の不和を不満気に告げる、無慈悲な言葉――「魔王、在れ」。
正史には明には記述がなかったが、地域の事柄を多くまとめた外史には斯くある。「『魔王、在れ』――その明るく、少し高飛車な声音で告げられた御言葉は、神々の中でも一柱の女神様のものであった。人族のくだらない諍いに、声を上げられるのは、関わりの深かった女神様のほかにいないであろう。間もなく降る一筋の光も、神性を剥がしつつ、女神様は魔王を産み落とす為に、魔女に転じたのである」――当然、正史では女神が堕落という内容も、落ちたものが魔王であるという記述はない。何よりも御言葉以降も、神子に御言は授けられているし、祝福もあり、五十三代に渡って四千年以上の時代を数えるのだから、神性を棄ててはいないことこそ明らかなのである。
だが、正史には不穏な記述が些細な事柄として散見されるようになる。霞の大地の歴史を記す正統な書物としての意地か判断の難しいところではあるが、一族の崇める女神を「悪女」と罵倒した者が処刑される事件が述べられている。
研究者の間では、この始まりの出来事を『女神の堕ちた日』として、アウの願いを叶える為ではないが、何かと考える際の目安としている。
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