09:ナナ、そんなことより弁当
五月某日(3)
「あのな、柏木。来週からテストなわけだが、お前大丈夫なのか?」
昼休みに呼び出されて、赴いた英語科準備室。女子の憧れのイッケメーンからの第一声がこれでした。
準備室のさらに奥にあるこの小部屋は、生徒との相談用に作られたものだ。
パイプ椅子をギシギシと揺らしながら、簡易テーブルに視線を動かす。節くれだった、男らしい手。長い指が示す先には一枚の紙があった。先週やった、英語の小テスト。バツばかりのなか、丸は一つだけ。
本当なら今ごろは、リンリンの淹れた緑茶飲みながらお弁当食べてたはずなのに、呼び出された話がこれって……。うん。早く終わらせよう。
「何言ってるのまっきー、 赤点取らなきゃ補習はないんだよー」
「いつも赤点ギリギリのくせにえらく余裕だな。てか、まっきーって呼ぶな。俺は仮にも教師だぞ」
ちっ。無理だったか。なら今度はこの手だ。
「まっきー、そんなにわたしとお話してたいの? でも駄目だよ。私たちは教師と生徒なんだから」
「誰がガキに手を出すかよ」
わぁ、まっきーが言うとなんて説得力がない言葉。
生徒を口説き落とそうとしてるのは、どこの誰なんだろうね。アヤが聞いてたら怒り狂ってたよ。わたしは学内の恋愛事情には興味ないからどうでもいいんだけど。
でもまぁあれだ。あの目が意味するのは、お前の体型に欲情なんかするかバァカ、ってところだろう。セクハラだよ、まっきー。確かに、わたしは百五十前半で小さいし篠原さんは百六十くらいあるけどさ。
「話をそらすんじゃねぇよ。テストまでの放課後、補習でなんとかするって手もあるが、俺も忙しいからな……」
篠原さんを追っかけるのにですね。わかります。
「かといって、お前はこのままじゃいつか必ず赤点を取る」
必ずって、教師が生徒の可能性を諦めるなよ。諦めたらそこで終わりだぞ、まっきー。
「次は中間だからいいが、期末で赤点だと長期休み中に補習だぞ?」
それは困るー。補習って人数少ないから、隠れてお菓子を食べることもできないんだよねー。
ずっと黙ったまま反応を示さないわたしに、まっきーは焦れたのか座っていた椅子から腰を浮かせた。そして。
「聞・い・て・る・の・か、柏木?」
まっきーがわたしの頭を鷲掴んだ。
そのままぎゅうっと握りこんでくる。ついでに上からものすごい威圧感も襲ってくる。
正直に言おう。凄むイケメン教師はまったく怖くない。これならお母さんが怒ったときのほうが何十倍も怖いね。
でも痛い。掴まれた頭がめちゃくちゃ痛たたたたたたた。
そのとき、わたしたちの間に地の底を這うような、低い唸り声が響いた。なぁんて、本当はわたしのお腹が鳴った音だ。
「……」
思いがけないわたしの、というよりわたしの体の反応に呆気に取られたのか、まっきーの手から力が抜けていた。無言でわたしを見下ろしている。
今さら乙女ぶるつもりはないけどさぁ。何かリアクションとかないのだろうか。
もはや触っているだけの手を退かし、まだ痛む頭をさする。指先で揉み込むように、優しく優しく。ようやく痛みが引いた頃には、まっきーも復活したのかため息をついていた。幸せ逃げるよ。
「柏木、お前って本当……」
まっきーの心の底からの呟きに、呆れられているのはなんとなくわかった。うーん。これ、もう戻っていいかな。いいよね。
「じゃあ、お腹空いたんで失礼します」
「あー待て。最後にもう一つ」
なんだろう。と振り返ると、そこにはあまりお目にかかれないにっこり笑顔のまっきー。
「学校に菓子類の持ち込みは禁止だからな」
「なんのことですか?」
そういやまっきーは風紀委員会の担当教師だった。チャラホストの印象が強すぎて忘れてた。
持ち物検査のたびにわたしのカバン漁るの、本当やめてほしい。まぁ、まっきーごときに見つかるような隠し方はしてないんだけど。
「てめぇ、いつか現場押さえてやるからな」
そんなドラマのような捨て台詞を背に受け、わたしは保健室へと急いだ。