05:ナナ、アップルティーを啜りながら
昼休み、今日は月に一度の食堂の日だ。
量が多くて男子に人気なAランチは、味も抜群で大変満足させていただいた。やっぱこの学校選んで良かった。
教室に戻る前に自販機でアップルティーを購入し、飲みながら廊下を歩く。すると、急にアヤに腕を引かれた。
「え?」
油断していたので、勢い余って後頭部がアヤの肩にぶつかる。痛い。
それを告げようと声を出すが、アヤの手のひらに吸い込まれてしまった。そのまま壁際まで引っ張られる。
かなり激しい動きだったが、アップルティーは一滴も零していない。ドヤァ。
何も言わないアヤは、わたしの口を塞いだまま壁に背をつけ、そぉっと顔を出した。一体どうしたんだろう。わたしも同じように顔を出す。
そこにいたのは、姿勢のいい後ろ姿が印象的な藤野先輩だった。顔は見えないが、彼に間違いないだろう。
長めの前髪を流した黒髪。切れ長の目は冷たい印象を与える。人形のように整った美貌を持つと評判の風紀委員長様だ。
「っち、何でアイツがここに」
アヤの舌打ちが頭上から聞こえてきた。相変わらず仲悪いなぁ。
まぁ、アヤは諸々の理由で風紀とは因縁浅からぬ仲だからね。見つかると面倒だし。わたしも巻き込まれたくない。
藤野先輩はきょろきょろと辺りを見回している。誰か待ってるのかな。見つからないようにさらに体を縮めて様子を窺う。すると、ずっと背中しか見えなかったが、半身ほどこちらを向いたのでその綺麗な顔がよく見えた。
いつも通りの無表情。それが、ほんの少し動いた。
「藤野先輩」
そう言って現れたのは、篠原さんだった。嫌いの二乗で、アヤの顔がもっと歪んでいることだろう。見なくてもわかる。
「遅くなってすみません」
「構わない。呼び出したのはこちらだ。それに、原因はどうせ藤堂だろう?」
笑って誤魔化した篠原さん。藤堂って誰だ? 平助? というか、藤野先輩が待ってたのは篠原さんだったのか。
さっきまで落ち着かないふうだったのに、藤野先輩はそんなことは微塵も感じさせなかった。
さすが鉄面皮で有名な氷の委員長様だ。篠原さんが現れたとき、一瞬頬が動いたけどね。
あ、篠原さんが何か渡した。
「はい。これ、頼まれていた資料です」
「あぁ」
何か紙の束を受け取った先輩は、中身を確認している。音に合わせてサラサラな髪が揺れている。
「あぁ、完璧なようだな」
「良かった。では、私はこれで」
「ちょっと待て」
振り返ろうとした篠原さんを、藤野先輩が呼び止めた。
「何か?」
篠原さんが首を傾げる。確かに、用は済んだようだし、引きとめられる理由がわからないのだろう。
こちらからは後ろ姿しか見えないが、仕草が何でも可愛らしい。そのことに、頭上から再び舌打ちが聞こえてきた。
「最近、藤堂もそうだが君の周りが騒がしいそうだな。あまり校内の風紀を乱すようなマネは控えてほしい」
反対に、藤野先輩の顔はよく見える。少し眉間にシワが寄り、不機嫌さが露わにされていた。
さとぅーやまっきーのことを言っているのかな。あの二人は積極的だからなぁ。でも、去年よりはマシだと思う。
前生徒会長、何でもアリだったから。
学校行事私物化とか普通だったし。体育祭と文化祭とか特にね。今年は普通にやってくれないかなぁ。でなきゃ、わたしがこの高校に入った意味が半減するんだけど。
まぁ、そこは藤野先輩が頑張ってくれるよね。去年だって、いつも会長とケンカしてたし。
……生徒会長とアヤの相手かぁ。そりゃあ、あんな威圧感も身につけるな。
今だって、思わず謝罪してしまいそうな雰囲気を醸し出している。
「あ、す、すみません」
篠原さんもそう思ったようだ。ただ、頭を下げるのではなく、口元に手を当てて俯いた。
すると、アヤが三度目の舌打ちした。そのあとにポツリと一言。
「上目遣いとか狙ってんのか!!」
何か、最近アヤの言ってることがわかんない。気にしすぎだと思う。もっと気楽に考えればいいのに。
アホらしくなってきたので、わたしはストローを口に咥えた。りんごのフレーバーを楽しみながら、もはやどうでもいい二人のやり取りを見つめる。
「いや、君だけのせいではないことはわかっている。去年も前会長のせいで苦労していたし」
目に見えてうろたえだした藤野先輩は、普段からは想像もできない様子で慌て出した。
上でアヤが「プププ、ざまぁ」とか言ってるが、聞こえなかったことにしておこう。その間も、二人のやり取りは続いている。
「その……何か困ったことがあれば僕を頼るといい」
やり取りと言っても、喋っているのは藤野先輩だけだ。
うろちょろさせていた目線は、最後一言を告げるときには篠原さんの目を見つめていた。見つめ合う二人。
だが、藤野先輩は直ぐに目を逸らした。何故か顔が赤い。
「こ、これは、風紀の仕事を手伝ってもらっている礼だ。べべべ別に、他意があるわけじゃない。そこのところは勘違いしないでほしい」
一気に様子のおかしくなった藤野先輩は、早口でまくしたてると、手に持っていた紙をぐるぐる丸めはじめた。
あれ、大事な資料じゃないのかな。ズゴゴッ。あ、なくなった。
紙パックを潰して、顔を上げる。そこにはギリギリと歯を噛み締めながら、二人を見ている親友。
ため息を一つついて、アヤの袖を引っ張った。
ここにいる必要も感じないし、教室帰ろ。