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10:ユリ、セクハラ、ダメ絶対


 五月某日(4)



 やって来ました、英語科準備室。


 あのホスト教師が何の用件で呼び出したかはわからないけれど、いい加減覚悟を決めなければならない。

 いざという時のために、ポケットに入れた携帯で録音の準備もばっちりだ。あのホスト教師と二人きりになるんだもの、これくらいの備えは必要でしょ。何かされたら、即セクハラで訴えてやる。

 身だしなみを整え、精神を落ち着かせる。間違っても、本心を曝け出してはいけない。最後に深呼吸を一つして……。よし!

 私はドアを三回叩いた。


「どうぞ」


「失礼します」


 準備室には他の英語担当の先生が何人かいた。でもあのホスト教師だけいない。

 去年のせいですっかり顔馴染みになってしまった中年の女の先生が、いつものように奥を指差した。その顔は娘を見送る母親のようだ。

 初めのころは、スキンシップが多いホスト教師のせいで怪しい関係を疑われていたが、あの無駄に整った顔を活かして誤魔化したらしい。ついでに帰国子女であることも利用したとか。

 英語は女の先生が多いから効果は抜群だったようだ。今では歓迎ムードで迎えられる。

 どうしてこうなった。

 内心ため息をつきながら、奥の部屋へと方向転換。それにしても、私が来る前から小部屋のほうにいるなんて珍しい。誰かの質問でも受けていたのかな。

 もうずっと、そのまま仕事しといてくれればいいのに。そしたら、私もうっとおしいのが一人減って助かるんだけど。

 なんて、虚しい願いを込めながらドアをノックする。すると、覇気のない返事が聞こえた。


「し、失礼しまーす」


 恐る恐るドアを開けると、そこには机に突っ伏したホスト教師。

 え? 何してんの?

 いつもウザイくらい絡んでくる姿しか知らないので、思わず怯んでしまう。そんな私の動揺を知らない先生は、億劫に顔を上げた。


「ユリ、来たか……」


 普段のクールさの欠片もない、疲れた表情。

 午前中に留めてあった前髪は、顔を伏せていたせいですっかり乱れている。なんというか、あれだ。無駄に色気垂れ流し状態。

 やけに気怠げなホス……巻藤先生は、一度私のほうに視線を寄越したかと思えば、すぐに目を伏せた。そしてため息を一つ。

 アンニュイさの主張ですか? くたばれ。

 向こうがこちらを見ていないので、私は存分に顔を顰められる。

 頬杖をついた先生は、ムカつくことに絵になった。そこらの女の子なら、頬を染めて見惚れるだろう。

 でも、ここにいるのは私だ。教師の色気にまったく興味などない。早く用件を済ませて、こんなところからおさらばさせてほしい。

 だから我慢して、先生の言葉を待つ。そうすれば、先生はようやく口を開いた。


「ユリ、助けてくれ。俺のライフはもうゼロだ」


 知るか、そのまま召されろ。

 思わず出かかった言葉を、寸でのところで飲み込んだ。まさか、用件ってこのことじゃないよね? くだらなさすぎでしょ。

 ホスト教師がまだ下を向いていて、本当に良かった。言葉は飲み込めても、表情までは隠しきれなかった。額に青筋が浮かんでいるのがわかる。

 気を落ち着かせるため、額に手を当てた。目の前の教師はまだ落ち込んでいる様子だし、めんどくさい。

 えぇっと、こんなときは……。


「あの、どうして元気ないんですか?」


 努めて優しく、何もかも打ち明けたくなるような声音で問いかける。

 無難に理由でも聞いとけば、なんとかなるでしょ。本音は関わりたくないんだけど、無理に本題に入るより手早く終わるかもしれない。

 そんな、打算に満ちた問いかけだった。

 なのに、先生は一瞬驚いたように目を見開いた後、とろけるような微笑を見せた。


「ユリは本当に、優しいヤツだな」


 どう返せばいいのかわからなかった。

 普段はチャラくてムカつくホスト教師のくせに、この人は時々こんな表情をする。子どもを褒める親に似た、優しい顔。子ども扱いされているみたいで私は好きじゃない。

 だいたい、私はいつでも優しいわよ。先生が特別なわけでもないし、そんな嬉しそうな顔で喜ばないでほしい。

 私を見つめるニコニコとしたイケメンに、いい加減居心地の悪さを感じ始めた頃、大きなため息が鼓膜を揺らした。罪悪感に似た気持ちが、一瞬で吹き飛ぶ。

 ちょっ、人の顔見ながらため息とか失礼すぎない?


「ユリに比べて、あのクソガキは……」


 あ、私に対するため息じゃなかったのね。

 でもさ、誰のことかは知らないけど、ガキって言うからには相手は生徒だよね? 教師が生徒のことをそんなふうに言っちゃダメでしょ。


「だいたい、昼休みだってユリとイチャつこうと思って呼び出したのに」


 ふざけんな。

 私は面と向かってとんでもないことを言うホスト教師に、殺意が湧いた。わざわざ呼び出した理由がイチャつきたかったからですって?教職者が聞いて呆れるわ。

 先生の愚痴に、こっちのほうがフラストレーション溜まってくる。でも、長年鍛えた営業スマイルでなんとか耐えた。

 しかし、一度口に出したことでガタが外れたのか、巻藤先生の勢いは止まらない。終いには机に突っ伏して叫ぶ。


「あー。ただでさえ、テスト前は別の問題児のせいで憂鬱なのに!」


 腕に顔を埋めて、動かなくなった。

 そのまま二度と起き上がるな。そんな呪いを視線に込めながら、金に輝く後頭部を見下ろす。

 いつ見ても、染めているくせにツヤツヤサラサラな髪だ。羨ましい。どうせ、手入れは特に何もしていないとか言うに違いない。私なんか毎日ヘアパックしてるっていうのに……。

 そういや、問題児って誰のことだろう。正直、イケメン(笑)達に囲まれているせいで学校内の情報には疎い。

 女子の噂話に混ざりたいのに混ざれたためしがないからだ。私の側にいるのは、いつも(笑)達のみ。その(笑)達も、その辺の生徒に興味のない変人ばかり。

 もしかして、問題児は変人のなかにいるのかしら? それなら、私から遠ざける意味でもこのホスト教師に手を貸すぐらいやぶさかでは……。

 自分の利益と天秤にかけ、俯く教師に声を掛けようとした瞬間、私の体が急に傾いた。


「そうだ」


 急に元気になった声が、近くで聞こえる。

 声の主は、もちろんホスト教師。少し下に目線をズラせば、その人に腕を掴まれていた。

 油断した。しかも長い指が私の手首を一周しているせいか、まったく逃げられる気配がない。

 ついでに顔も上げた巻藤先生は、そのお綺麗な顔に輝きを取り戻したようで、期待に満ちた目で私を見つめてくる。


「ユリは確か、成績良かったよな?」


「あ、はい」


 常に学年五位以内をキープしてますから。

 ん? 見栄っ張りな私がなぜ一位じゃないのかって?

 一位だと嫌味ったらしくなるからよ。これくらいの成績がちょうどいいの。まぁ、これは中学生活で学んだことだけどね。

 そんなことより、いきなり成績の話なんかしてどうしたのか。


「頼む、俺のために次のテストで一位をとってくれ」


 なんでやねん。

 思わず関西弁でツッコんでしまった。心の中でだけどね。いやいや、本当になんで?


「一位を取ると、何かあるんですか?」


 極普通の、誰もが浮かぶであろう疑問を口にしたというのに、ホスト教師は何故か口ごもった。


「まぁ、あれだ。お前に期待してるんだよ」


 珍しく歯切れが悪い。いつものクールな態度はどこへ行ったのやら。

 流石に無理があると感じたのか、押し切るように顔を近付けてくる。ちょっ、離れて。


「絶対、一位を取ってくれ!」


 いつもと違う、真剣な様子。両手で私の手を握るその姿に、あぁ、本気なんだなと感じた。

 これまでの怒りも忘れ、自然と唇が笑みの形を作る。巻藤先生に見せる、初めての本気の笑み。


「わかりました」


 期待されるのは嫌いじゃない。その先に褒められることがわかっているなら、どんな努力だって惜しまない。




 中間テスト、頑張るぞ!



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